廊下をひた走るメイプルだったが、途中でヴァイオレットとすれ違ってその足を止めた。 ヴァイオレットはいつものお団子頭ではなく髪をおろしており、壁にもたれて反対側の遠い壁を見ている。

そのヴァイオレットの前を走り抜け、急停止し、そのままバックして戻ってきた。

「ヴィオ?なにしてんの?」
「え?ああ、メイプルか・・・ちゃんとアッシュ様にお会いしたの?」
「うん!ちゃんとご命令を頂いた!シャープ姫を凍らせる、だって!ラクショーだねっ!」
「あの地上から来たお姫様を?なんで凍らせなきゃいけないのよ」
「あれ〜・・・?」

いたずらっぽくメイプルは笑う。両手を後ろに組んでヴァイオレットの顔を下から覗き込んだ。

「そんなことどうでもイイじゃな〜い。私たちがそんなことを考える必要あるの?なんで、なんて・・・ヴィオ、悪い子になっちゃった?」
「なっ・・・」

ヴァイオレットは両腕を自分の両手でつかんで身を震わせる。

「なってないわよ!何も余計なことなんて考えてないわ。・・・早く行きなさいよ、私が横取りしちゃってもいいの?」
「むっ!それはぜーったいダメ!なんか体が軽くてね、すぐにちゃちゃっとできそうなの!」
「あっそ、じゃあ早く行きなさいよ。あのお姫様、今日はローリエと一緒にピアノのあるホールにいるみたいよ」
「イエッサー!!」

と、ハイテンションでまたメイプルは走っていく。その姿を見送り、ヴァイオレットは元気ねえ・・・と呟いた。



「はーい!お邪魔しまーす!!」

途中で違う部屋を何度か開けてしまっていたメイプルだったが、ついに正しい部屋へ到達した。真ん中にピアノが置いてあり、音がよく響くようにか天井が非常に高い部屋で、 ピアノをシャープが弾き、少し離れた位置に椅子を置いてローリエが座っている。

メイプルの位置、扉からではよく見えなかったが、刺繍をしているようだった。そしてピアノの周りには子供たちが座ってシャープが弾くクラシック曲を聴いている。

「ちょっと!メイプルちゃんに注目ー!!正義の味方がやってきたんだから、もっとこっち見てよ!!」
「・・・・・・!!」

扉に背を向ける形でピアノの椅子が置いてあったため、シャープはメイプルの姿が見えていなかった。声に気づき振り返ったシャープはピアノを弾く手を止めて立ち上がる。

「あ、あ、あなたは・・・」
「メイプルちゃん。・・・あれ?前にも言ったっけ・・・」
「え?」
「ま、いっか。シャープ姫、あなたを凍らせに来ました!・・・あれ?」

一言しゃべるたびにメイプルは何かを思い出そうと頭を抱える。その様子をシャープは怯えた様子で見ていた。 メイプルに気づいたローリエも立ち上がってピアノの上に持っていた刺繍枠がはまった布を置く。

「シャープ姫、この部屋から逃げた方がいい・・・メイプルはぼくたちが何とかするから」
「え・・・?あの人、そんな危険な方なんですか・・・?」
「アッシュの命令なら何でも聞く子だよ。・・・まあ、ここにはそういう子しかいないんだけどね。凍らせると言っていたということは・・・あっ!」

ローリエが声を上げたのは、メイプルが自分の周りに氷柱を発生させてこちらに狙いを定めているのが見えたからだった。 とっさにシャープを突き飛ばして二人は床に転がり、その上を大量の鋭利な氷の魔法が空気を切り裂いて飛んでいく。

「あー!!もうローリエ、邪魔しないでよ!」

悔しそうにメイプルが床を踏み鳴らす。そして今度は両腕を振り上げた。

「出ておいで、マグノリア!!」

空中に発生した金色の光の中から、巨大なトラが出現してドン、と地響きを立てて降り立つ。通常のトラよりもさらに大きいそれは、メイプルにごろごろと喉を鳴らして擦り寄った。

「よしよし・・・さあ観念しなさい!この子はすんごく強いんだから!!」
「・・・メイプル、シャープ姫を殺すつもり?アッシュはそんな命令を下したの?」

そう問われてメイプルはきょとんとして首をかしげる。

「シャープ姫を凍らせる、そんだけだよ」
「それなら・・・そのマグノリア、必要・・・?」
「だってカッコイイじゃない!正義の味方とそれに従う最強のマグノリア!この構図!メイプルちゃんにこそ相応しいよねっ!!」
「・・・・・・・・・そうだね」

あえて反論はせず、ローリエは上着の内側に手を入れた。何をするんだろう、とシャープは横目でそれを見ていた。しかし。

「わわわっ!なんなの!あんたたち、どきなさいよッ!!メイプルちゃんの邪魔するの!?この、出来損ないのくせにっ・・・」
「み、皆さん・・・!」

シャープの演奏を聞いていた子供たちが、一斉にメイプルに向かって駆け出していく。 その子供たちは体の皮膚の一部が動物のような毛と模様があったりどこからか葉とツルが生えていたり、口の部分がくちばしになっている者もいた。

「もう、どいてよ・・・!!」

シャープを守ろうとしてかメイプルを取り囲んで何やら叫んでいるが、皆がそれぞれ声を発している上に意味のある言葉には聞こえない。 それでも何か必死にメイプルの手をつかもうとしたり後ろに押し返そうとしたりしている。

シャープはその様子を見て慌てて駆け寄ろうとしたが、それをローリエが制した。

「マグノリアたちはシャープを守ろうとしてるんだ。早く、この部屋から逃げて」
「で、でも、皆さんを置いて・・・それに、どこに逃げれば・・・」

シャープはおろおろと出口とメイプルのほうを交互に見やる。そうしているうちに、メイプルが痺れを切らして叫んだ。

「邪魔しないでッ!!」
「ああっ・・・!」

メイプルが手を振り払うと、そこから発生した刃のような魔法により子供たちが引き裂かれた。さらにトラがそこに噛み付いて次々と子供たちが光の粒になって消えていく。 30人ほどいた子供たちはどんどん数が減っていくがメイプルに立ち向かうのをやめようとせず、最後の一人をメイプルは思い切り蹴り飛ばした。

「・・・・・・!!」

壁に激しく叩きつけられ、顔の半分が葉で覆われていたその子供も床に落ちるよりも早く光を発して消滅した。 シャープはその様子をとても見ていられず、顔を手で覆って崩れ落ちる。

その様子のシャープに、ローリエは必死に呼びかけた。

「しっかりしてシャープ姫!早く、早く逃げて!!」
「無駄だよローリエ!逃がさないんだからッ!!」

ガガガ、と硬い音が鳴って床から振動が伝わり、シャープが足元を見るとまるで檻のように等間隔に氷の柱が足元に突き刺さっていた。 ローリエはシャープを引っ張って立ち上がらせて自分の後ろに隠す。

「・・・そんなにかばおうとするんだ。なんで?なんて訊かないよ。どーでもいいもん。私はアッシュ様の命令に従うだけ。シャープ姫を凍らせる、それだけを遂行すればいいんだから」
「・・・・・・」
「でも・・・邪魔なら排除しないとね〜。マグノリア、ローリエを食べちゃっていいよ」
「ローリエさん・・・」

ローリエの背の後ろで、シャープが小さく声を上げた。しかしローリエは動こうとしない。 メイプルの前まで歩いてきたトラは、鋭い爪が出た前足を振り上げてローリエに向かって飛び掛った。

「!!」

シャープは思わず目を閉じた。

「えっ・・・!?」

声を上げたのはメイプルだった。空中でトラは何物かに体を貫かれ、床にどさっと倒れた。

「・・・・・・」

ローリエは、トラのいた方向へなぎ払った腕を伸ばしたまま手を広げ、ぱしっと何かを手に掴む。トラは貫かれた額から、いくつもの細かい光の粒を出して消えてしまった。

「なによ、それ・・・!」
「・・・メイプルは気にしなくていいことだよ。ただの・・・バッジ」
「はあ〜!?そんなものに、メイプルちゃんのマグノリアがやられたっていうの!?そんなのありえない!信じないんだから!!」

人差し指と中指で持ったバッジを服の中にすっとしまって、ローリエは首を振る。

「でも確かに起こったことでしょ。目の前で起きたことでしょ・・・信じなよメイプル。ぼくはどんなマグノリアも倒せる。いくら出そうとも無駄だよ」
「・・・・・・」

メイプルは床にがっくりと崩れ落ち、先ほどまでトラがいた床を呆然と眺めた。悔しそうに腕を震わせて、ぎゅっと強く手を握る。

「・・・ないでしょ」
「え?」
「あきらめるわけないでしょ・・・アッシュ様に褒めてもらうんだもん。ローリエ・・・あなたに凍ってもらうから」

言うが早いか、メイプルは右手に意識を集中して素早く凍結の牙を出現させ、それをローリエ目掛けて振り下ろした。 とっさにローリエは後ろに下がろうとしたが、シャープにぶつかってしまい二人で床に倒れこむ。

「ローリエさん・・・!!」

シャープは悲痛な叫びを上げた。凍結の牙はローリエの胸を貫通しており、ローリエの後ろにいるシャープからもローリエの背からそのナイフが見えたのである。 メイプルは息を切らせながらもローリエに突き刺した凍結の牙から手を離して飛びのいた。

「はあ、はあ・・・メイプルちゃんの勝ちだよローリエ!!邪魔するのがいけないんだからね!凍っちゃえッ!!」
「そ、そ・・・そんな・・・」

凍結の牙を抜きたいが、ローリエを両手で支えるのが精一杯でシャープは泣きそうに声を震わせる。 そして、次は自分の番だと覚悟してメイプルを見上げた。

しかし。

「・・・ありがとう、シャープ姫。凍結の牙を触らないように」
「「えっ・・・?!」」

シャープとメイプルの驚きの声が重なる。ローリエは自分の力で自分の体を支えて立ち上がった。そして胸に刺さった凍結の牙を手袋のはまった手でぎゅっと握って抜き取る。 そしてそれを素早く壁に向かって振り払うように投げ、氷のナイフは高い音を立ててバラバラに砕け散り消滅した。

それを、理解できないというような様子でメイプルは見つめている。首を何度も振って、後ずさった。

「なんで・・・なんで、凍結の牙を刺したのに凍らないの?ローリエ・・・どうして?!どんな生き物の時も凍らせるはずなのに、なんで効かないの!!」
「メイプル・・・「なんで」って、言っちゃってるよ」
「・・・・・・!!」

ばっ、と自分の両手で口をふさいだ。そして一呼吸置いて、ゆっくりと手を下ろす。

「シャープ姫を・・・凍らせられなくなっちゃった」
「・・・ど、どうして・・・?」

がっくりと肩を落とすメイプルに、シャープは思わず小さく声を上げた。さり気なくシャープの斜め前に移動したローリエは、視線はメイプルに向けたまま口を開く。

「凍結の牙はおいそれと出せるものじゃない。今一つ使ってしまったから、しばらくは作り出せないんだ。そうだよね、メイプル」
「・・・・・・」

下を向いたまま、ゆらりとメイプルは歩き出した。幽霊みたいで怖い、とシャープは怯える。髪の間から見えたメイプルの緑色の瞳が、やけに光って見えた。

「絶対に・・・あきらめない。どうせここから逃げられないんだから、必ず凍らせる・・・」

そう言いながら、ふらふらした足取りでメイプルは部屋から出て行きバンッ、と大きな音が鳴って扉が閉められる。残されたシャープとローリエは扉に視線を向けた。 メイプルの足音が遠くに小さく響いていたがそれもやがて聞こえなくなり、ローリエはシャープを伺い見る。

シャープは床にべったりと座り込んだまま俯き、立ち上がろうとしないばかりか息をしているのか分からないほど動かなかった。

「…シャープ姫?お怪我はない?」
「……」

返事がなく、泣いているのかと心配になってローリエは床にひざまずいてシャープの顔を覗き込む。 予想に反してシャープの目からは涙は出ていなかったが、その瞳に光はなく、何も映していないようだった。

「…大丈夫?」
「………はい」

部屋が完全に無音だったから聞き取れたぐらいの、消え入りそうな声でシャープは小さくそう言って頷く。 反応があったことにローリエはほっとした。

「…今日の演奏会は中止にして、部屋に戻ろうか。どこか痛いところはない?大丈夫だよ、メイプルはしばらく戻ってはこないだろうから」

シャープの両肩を支えて立ち上がらせようとするが、シャープは動こうとしない。 体が軽いので持ち上げれば無理矢理立たせることはできるだろうが、このままではまた床に倒れこんでしまいそうだった。

ローリエがもう一度肩を揺すると、シャープの口が少し動いた。なんて言ったんだろう、とローリエは顔を近づける。

「どうしたの?」
「……い」
「え?」
「…もう、私を助けようとしないでください…」
「……!」

はっきり聞こえたその声に、ローリエは表情を硬くした。

「それは…」
「…もう、本当に、私は部屋から出ないです…こんなことに、なるなら…もう…」
「いや、今日はあの子達がシャープのピアノを聞きたいって、無理矢理連れ出したから…」
「…それでも、出るべきではなかったんです…皆さんに害が及んだのは…私が誓いを破って、動き回ったせいです…」
「そんなこと…」

そんなことはない、と言いたかったが、シャープの様子を見てそれ以上どう言えばいいのか分からなかった。 シャープは先ほどのメイプルのように生気を感じさせない様子でゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取りで出口へ向かって歩き出す。

「シャープ…」
「…あの方…メイプルさんが私のところに来ても、もう私を助けないでください…」

背中越しに、力はないが決意を感じ取れるシャープの声が聞こえる。 せめて扉を開けよう、部屋まで送ろうとローリエはシャープの進行方向へ先回りした。

「…ありがとうございます」
「いいえ、ぼくの役目はシャープ姫のお世話をすることだから…」
「…この扉のことではなくて…」

ローリエがピアノの部屋の分厚い扉を押して開き、シャープはゆっくりと外へ出る。 部屋の外は広くて長い廊下が広がっており、等間隔に大きな扉が並んでいた。右側には大きな窓があり、綺麗に手入れされた広い庭が見える。

「…私を助けてくださって。心を砕いて、世話をしてくださって。…でも、もういいです」

ピアノの部屋の扉がゆっくりと閉じて、廊下の空気全体がふわりと動いた。

「どうしていいか、分からなくなりますから……だって…」

シャープはローリエの方に振り返って、そしてローリエを見上げる。

「あなたは、私の敵なのでしょう」
「……」

そう言われ、ローリエは目を逸らした。そして、そうだね、と呟くことしかできなかった。






セレナード国の西トラン地方の領主のラベル公爵家のお屋敷の中。 公爵夫人のクレール・クァルトフレーテ・ラベルはシャープとララシャルの母だが 元セレナード王妃でありセレスの母でもあるという女性である。

普段は屋敷の奥深くで召使たちに守られながら眠っていることが多く、ラベル家の当主リアンの許可がなければ 会うことすらできない。そのクレールに会いたいとアリアはセレスに頼み込み、ようやく少しの時間話すことを許されたのであった。

アリアは父リタルドに秘密にして一人でラベル家を訪れ、クレールの部屋へ入ったリアンが出てくるのを待合室で大人しく座って待っていた。

「あいねー、まーとおはーし?」
「んー、なあに?」

隣にはなぜかララシャルがおり、ひっきりなしに話しかけられてはそれに相槌を打つことを繰り返していた。 大体何と言っているかは分からなかったが、目の前の3歳児の愛らしさにとりあえず癒されている。

「まーとこ、くーの?」
「うーん、そうだよぉ〜、ララちゃんのママとお話させてくださいって、お願いしたの」
「なんでなんで?」
「えっとねえ〜…」
「まーに、なんで?」

赤い目を丸くして尋ねてくるララシャルに、どう話せばいいかなとしばし考える。 ララシャルの帽子についているリボンがララシャルの呼吸に合わせてふよふよと揺れていた。

シャープがいなくなって寂しがっているだろうから話題に出すべきか悩んでいたが、分かるように悲しまないように 説明できるかな、とアリアは話を切り出す。

「あのね…シャープのところに行くためにどうしたらいいか、ララちゃんのママ…クレールさんに訊きに来たんだ。 クレールさんなら、どうしたらいいのか知ってるんじゃないかって」
「あいねー、しゃーにいとこ、くーの?」
「そうね、行けるならなるべく早く行きたいな…」
「ララね、いったよ!」
「…………へ?」

ララシャルは両手を挙げて嬉しそうにそう言った。今度はアリアが目を丸くする。

「ら、ララちゃん、シャープのところに行ったの?そういえばフィルくんがシャープに会ったって言ってたけど… 同じところに行ったってこと…?ま、まさかね…」
「ほんと!」
「ええ…?」

幼児特有の知ったかぶりだろうかと思いつつも、一応尋ねてみることにした。

「シャープがいるところに、行ったの…?」
「うん!」
「シャープに会ったの?」
「ううん、しゃーにいにはあってない」
「…それは、どこだったの?」

フィルが行ったと言っていた、どこかの国の屋敷の中だとしたら、ララシャルが言っていることが 本当なのかもしれない、とアリアは心の準備をする。しかし、シャープに会っていないのにシャープがいる場所とはどういうことなのか。 アリアの混乱をよそに、ララシャルは満面の笑みを浮かべて両手を振り上げた。

「しゃーにいはね、おそらにいるの!!」


    


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