カイがフィルを育て始めてから5年目の春。フィルをいつも遊ばせている王宮に一番近い公園でカイはベンチに座って悩んでいた。 「うーん・・・どうしたものか・・・」 砂場で遊んでいるフィルと手元の紙の束を交互に見ながらため息をつく。 この公園は王宮で働く人が多く利用している公園で、遊んでいる子供も城に関係する人の子供がほとんどであるが、一般の人間も入ることができる施設である。 この日は平日の昼なので若いお母さんとその子供や老人たちが多く訪れている様子だ。 「入れるとしても、寮生活をさせるなどもってのほかだな。通わせるにしても、行き帰りをどうするか・・・」 「おとうさん」 「ん?」 悩みに悩んでいる間に、いつの間にかフィルが近寄ってきていた。足元からカイの膝をつかんで顔を覗き込んでいる。 「お団子食べる?作ったの」 「上手にできたな、フィルはお団子作りが上手だな」 「うん」 得意げに綺麗にまん丸に固められた泥団子を差し出した。その出来はなかなかのもので、表面は細かい砂で覆われており丁寧に作られている。 「おとうさんにあげる。食べてね」 「ああ、ありがとう」 「食べて?」 「・・・え?」 受け取るまで動かないという様子で泥団子を差し出すフィルに、カイは停止した。この団子を受け取るべきか否か、一瞬にしてあらゆる可能性を頭から取り出して悩んだ。 受け取るべきか?受け取った後これを手で砕いて食べたフリをするべきか?もったいないから後で食べると言ってフィルがこの場を離れた時にどこかに隠すか? これは泥で出来ているから食べられないということをしっかり教えるべきか? 一通り考えたがどうするべきかは決まらない。カイが焦っていると、フィルがカイの手元にある紙に興味を示した。 「おとうさん、それなに?」 「あ・・・ああ、これは・・・」 紙の束の中盤まで読んでいたので表紙だった部分までまとめて持ってそれを一番上に置いた。一番上に来た紙には「タン・バリン剣術魔術学園」と書かれている。 「フィルをこの学校に通わせるべきか、考えていたんだ」 「がっこう?」 「そう、大切な勉強や剣、魔法を学ぶところだよ。3歳から入る人もいるし、6歳から行く人もいる」 理解したのかしていないのか、フィルは首をかしげている。 足元に泥団子を置いた後に人差し指を口に当てそうになったので、カイは書類を横に置いて持って来ていた濡れたハンカチでフィルの手を拭いた。 「フィルは5歳だけど、飛び級で通うことはできる。試験に合格したらね」 「おとうさんも行ったの?」 「私もこの学校にはお世話になったよ。父上と母上は私を2歳半の時にこの学園へ入学させたんだ」 「ふーん・・・」 書類を横に置いて膝の上が開いたため、カイはフィルを後ろに向かせてから抱き上げた。 そして膝の上にフィルを座らせる。 「まあ私は6歳の時点で大学院課程まで終わってしまったからすぐに城に戻ることになったんだけど・・・寮生活といって家には帰らずこの学校でずっと生活しながら勉強をしていたから、少し寂しかったんだ。 勉強ならば私がフィルに教えてあげることはできるが、友人を作ることも大事だから学校は大切だし、フィルにも寂しい思いはさせたくないからどうしようかなって思っていたところだったんだよ」 「・・・・・・。」 目の前にやってきた紙をじっと見ながら、フィルはその文字を読もうと指を当てた。 「ぶん、こう・・・?」 「そう、分校。よく読めたね」 えらいぞ、とフィルの頭を撫でる。フィルが指差した先には「コンチェルト国 分校オープン」という文字があった。 「タン・バリン剣術魔術学園はメヌエット国・・・隣の国だね、遠いところにあるんだ。かつてはコンチェルトにあったんだけどメヌエットに移って、そっちが本校になって・・・ まあそれはいい、今年からセレナードとコンチェルトに分校ができることになったんだ。月に一度の合同授業に出席することを条件に、入学することができるんだよ」 「ぼく、ここに行くの?」 「フィルが嫌だったら無理にとは言わないよ。でも、必ず勉強はしなければいけない。フィルは勉強は嫌いじゃないだろう?」 「うん」 カイが毎日時間を割いてフィルの教育に力を注いでいるため、フィルは5歳児にしては頭がいい子である。とは言っても、同い年だった頃のカイに比べたら及びもつかないが。 「フィルだったら6歳の学術試験は受かるだろう、1年早く・・・もしかしたらもっと早く、義務教育課程が終わるかもしれない。早いうちがいいのか、遅くても長く手元において育てるべきか・・・。 でも、寮生活ではなく通わせることができるようになったならそっちの方がいいのか・・・など、ここ最近考えていたんだ。フィルはどっちがいいかな」 「・・・・・・。」 フィルもカイが言ったことを考慮に入れてしっかり考えているようである。カイがめくる紙を目で追って、内容を把握しようと努力している。 はたから見ると仲のいい兄弟が広告でも見ながら談笑している光景のようだが、まさか親子で進路について語り合っているとは誰も思わないだろう。 フィルが読み終わるのを待ってから紙を一枚めくり、を繰り返していたが、突然フィルが小さく悲鳴を上げた。そしてカイの腕の下からすり抜けてカイの背中の後ろに隠れた。 地面に置いた泥団子を蹴飛ばしてしまったがまったく気にする様子がない。 「ど、どうしたんだ?」 カイの腰帯を握るフィルの手は震えている。振り返ってフィルの視線を確認すると、目の前にネコが歩いてきているのが見えた。 「・・・ネコ?公園に入り込んできたのか、よしよし」 カイが手を伸ばして呼び寄せようとすると、フィルは今度はカイからも離れて走っていってしまった。 「フィル?」 一目散に滑り台の方に駆け出していき、滑り台の滑る方から駆け上がって行った。しかし、スピードが足りなくて少しずつずり落ちてきている。 ネコは1匹ではなく数匹が群れていたらしく、その全部がフィルの方に向かっていた。 「きゃー!!来ないで!!」 滑り台の中盤でフィルが叫んだのを見てカイはやっと事態を把握した。 「・・・ああ、フィルはネコが嫌いだったのか」 これは大変だ、とカイは息子のピンチを救うために滑り台に向かって走っていった。 そのとき。 「またお前らか!!こら、フィルをいじめるな!!」 威勢のいい声と共に、滑り台の向こう側からフィルと同い年ぐらいの金髪の子供が走ってきた。手には小さな棒切れが握られており、これまた小さな体でそれを必死に振り回している。 「お?」 ちょっと様子を見よう、とカイはその場で立ち止まった。その子供に驚いたネコたちは文字通り尻尾を巻いて散り散りになって逃げていく。 しっかりと遠くまでネコの群れを追い払ってから、木の棒を地面に捨ててその子は滑り台に上っていった。 「おーい、大丈夫だったか?」 「ううう・・・」 フィルを途中でキャッチしながら滑り台を滑り降りる。滑り台の下の地面に着地した途端に、緊張の糸が切れたのかフィルが泣き出した。 「うわーん!!怖かった、怖かったよ・・・!!」 「まったく、ネコは怖くないって言ってるのに・・・」 「ひっかくもん、目が怖いもん、舌がざらってするもん・・・っ」 「泣くなよ、泣き虫〜」 「う〜・・・」 フィルよりも大分背が高いその子に泣きすがっている様子をしばらく見ていたカイは、ゆっくりと二人に歩み寄っていった。 「フィルを助けてくれてどうもありがとう、キミはフィルの友達かな」 「そうだけど・・・お前誰だ?」 「私はフィルの父だよ、名前はカイ。よろしく」 カイが握手を求めて手を差し出したので、その子供は若干戸惑いながらもフィルを抱きとめていた手を離してカイに向かって手を差し出した。 「俺は、レック・・・です。フィルのお父さん?」 「そうだよ」 明らかにフィルとカイの年齢が近すぎることにその子も幼いながらも疑問を覚えたのか、一応聞き返してみたがカイはにっこりとそれを肯定した。 「キミは何歳?お父さんやお母さんはここに来ているのかな?」 「俺は、6歳。父さんと母さんはいないよ、ここには ばあちゃんと一緒に来てる」 「・・・ご両親がいない?」 カイが目を丸くした時、3人の後ろから女性の声が聞こえてきた。 「レック、そろそろ買い物に行こうかね」 「あ、ばあちゃん・・・」 カイが振り返ると、そこには上品な白髪の老女が立っていた。腰が曲がっているようでもなく、はきはきとした口調の若々しいおばあちゃんであった。 「またその子と遊んでいたの?ごめんね、今日はもうレックは帰るからね・・・あら?」 フィルの頬に残る涙の筋を見つけ、驚いて駆け寄った。 「どうしたの?レックがなにかしたのかしら?レックが泣かせたの?」 「俺は何もしてないって」 「すみません、おばあさま。お孫さんは、私の息子を助けてくださったんです」 横から聞こえてきた声に振り返り、老女はぎょっとした。 「この子、のお父さんということは・・・あなた、もしかしてカイ王子さま・・・かしら?」 「はい、フィルの父、カイです。お孫さんと、フィルは仲良くさせていただいているようで」 「あらあらあら・・・」 驚いた様子で口に手を当てておろおろするが、その動きはスローモーである。 「そんな、もったいない。私はレックの祖母のカンナと申します。王子さまたちもこの公園にいらっしゃってたのねえ」 「ええ、使いの者とフィルを来させることもあるのですが、フィルはここでよく遊びたがるんです。この子に会いたかったからみたいですね」 やっと泣き止んでいつの間にかカイの足元に隠れていたフィルだったが、カイと目が合って小さく頷いた。 「レックもそうだったみたいねえ。遊ぶ約束もしてたみたい」 「うん、フィルはなかなか来ないけどな」 「ご・・・ごめん・・・」 「お忙しいのよ、お会いできるのもすごいことなんだから」 そのやり取りを見ていたカイは、一瞬にして考えをまとめて口を開いた。 「・・・おばあさま。実は提案があるのですが聞いていただけますでしょうか」 「は・・・はい?」 突然のカイの深刻そうな口調にカンナは思わず聞き返した。カイは座っていたベンチまで戻っていき、書類の束を持って戻ってきた。 「先ほど、この子・・・レックから、両親がいないと聞きました。保護者はカンナさん、あなただけでしょうか?」 「はい・・・私と子のこの二人暮らしです・・・が・・・」 「レックは学校に通わせていますか?」 「いいえ、そのような余裕がなくて・・・」 「よし!」 カイは紙の束の半分を握り締めてガッツポーズした。その様子を3人は不思議そうに見つめている。 「カンナさん。レックを私に預けては下さらないでしょうか」 「え?」 「そこまで豪勢な生活をさせてあげられるわけではありませんが、お二人で王宮か王宮近くに住んで頂き、フィルとレックを二人で一緒にタン・バリン剣術魔術学園に通わせたいのです」 「タン・バリンに・・・!?」 カンナは まあ、と両手で口を押さえて声を上げた。フィルとレックもその様子をぽかん、と見上げる。 「フィル、レックと一緒なら学校も楽しいと思うだろう?」 「レックと一緒だったら嬉しいけど・・・でもおとうさん、レックはひとつ上なんだよ・・・?」 「王子さま、レックがタン・バリンの初等科の試験に受かるでしょうか・・・」 「タンバリンってなに?」 それぞれがカイに疑問をぶつけるが、カイは余裕そうな笑みをたたえたままだった。 「レック、来月の入学試験まで私の部屋に勉強をしに来なさい。私が試験のための訓練をしてあげよう」 「え・・・勉強すんの?」 「キミは頭がよさそうだ、今日の私とのやり取りを見ても分かるよ。すぐに覚えられる、難しいことじゃないからね」 「そうかな・・・」 「そしてフィルは1年飛び級で初等科の試験を受けなさい。フィルなら受かるよ、大丈夫だから」 「・・・そうなの?」 「というわけですカンナさん、いいでしょうか」 「いいのかしら・・・」 頬に手を当てたまま、どうにも腑に落ちない様子でカンナは考え込んだ。カイは安心させるようにカンナの背中を叩きながら笑った。 「レックの友人としてフィルが相応しいかどうか、父である私が信用できる人間かどうか、それはレックの保護者であるあなたがご自分で見極めてください。手始めに、私たちも買い物を手伝いましょう」 「あらあら、そんな」 「さ、行きましょう」 いいのかしら、とおっとりとした様子で考え続けているカンナと公園の外に出て行き、フィルとレックも手をつないでそのまま後ろをついていった。 そして王宮とは反対方向の公園の出口に向かっていくカイとフィルを見て、警護として同行していた者たちが慌てて4人を追いかけ始めた。 その日のうちにあっという間に話はまとまり、カンナとレックはコンチェルトの王宮の一室に住まうこととなった。 カンナは王宮の子供たちの世話をし、レックはフィルの遊び相手兼護衛になることが決まった。 一ヵ月半のカイの集中講義のおかげでレックは無事にタン・バリンの入学試験に合格し、フィルもレックと一緒に受けた初等科の試験に見事受かったのであった。 1歳年上の子供たちと常に一緒にいることになったフィルだったが、レックがいつも一緒にいるためか特に問題なく学園生活を送っていた。 そして、学園に入学して2年が経過したある日のこと。フィルが、3枚つづりになった紙を持ってカイの部屋にやってきた。 フィルは7歳、カイは14歳。カイと同い年の子供ならば中等科で学んでいるはずであり、フィルにも学校でカイと同い年の友人もいる。 「お父さん、これ・・・」 「ん?学校からのお知らせか」 城の支出の決済に目を通していたカイは、扉付近にいるフィルに顔を向けた。手で促すと、フィルはカイが向かっている机まで歩いてきた。 「・・・剣術と魔法、学習過程の割り振りについて・・・?」 「お父さんはどうだった?」 「いや・・・ええと、その・・・」 急にカイが茶色の髪をくしゃっと掴んで頭を抱えた。あまり見ない父親の姿にフィルはきょとんとする。 「・・・どうしたの?」 |