「ねえ、どうしたの、フィルくん?」 「・・・なんでもない」 少し時をさかのぼり、婚約式の真っ最中。 フィルの様子がおかしいことに気づいたセレスだったが、フィルは小さくそう答えるだけだった。 そのままシャープに扮したフィルもセレスも特に動く必要はなく婚約式は進行した。 食事のための召し替えの時間になり、フィルは女官たちに囲まれて退室する。 フィルを気遣ってカイもその一行についていっていた。 「フィル」 「・・・なに?」 後ろからカイが声をかけ、フィルはいつもより少し低い声で聞き返した。 「なるほど」 「??」 カイの反応の意味が分からずフィルは複雑な表情を浮かべる。 着替えのための部屋の前に来たとき、カイはその扉の前に立ちふさがるように両手を広げた。 「事情を知る人たちだよね。みんな、少しの時間二人だけにしてもらえるかな」 女官たちは顔を見合わせたが、カイが自信ありげに頷くので応じるしかなかった。 真ん中にいるフィルも怪訝そうにカイを見上げている。 「じゃあ、扉をもう1回私が開けるまで近くで待機していてね」 そう言ってフィルに手招きし、フィルが部屋の中に入ると女官の一人にカイは耳打ちした。 「・・・それか、もしも1時間経過しても出てこなかったらあけていいよ」 「か、かしこまりました・・・」 じゃあ、息子とちょっと打ち合わせしてきまーす、と明るく手を振ってカイも部屋に入り扉を閉めた。 「・・・・・・。」 部屋に入って数歩進んだフィルだったが、カイの方を見ようとはしない。 シャープの髪のカツラはつけたままなので、水色の髪に隠れてフィルの表情はカイからも見えなかった。 カギはかけずに扉をカチャっと音を立てて閉め、フィルの横までカイは歩いていった。 「着替えの時間は余裕を持ってあるから大丈夫だよね。フィルも疲れただろう、少し休憩しなさい」 「・・・・・・。」 自分の前まで歩いていったカイを視線で追う。しかしフィルは何も言わず動きもしなかった。 「フィル、着替えだけでもしてしまおうか。食事のドレスは今のよりはだいぶ軽いからな」 カイがフィルの肩に手を伸ばした瞬間、フィルはその手をバシっと払いのけた。 そのまま後ろにすばやく下がり、扉を開けようと手を伸ばす。 「?!」 金属音のような高い音が辺りに響いたかと思うと、部屋の壁や装飾品、空間にあるすべてのものが突然色を失った。 フィルは扉のノブを引っ張ったが、びくともしない。 「なんだよ、これ・・・!!」 扉を背にしてばっとカイに向き直る。見ればカイは左手で指輪がはまった右手を支えてフィルをじっと見つめていた。 カイの指輪は薄い青色に輝いている。フィルはずかずかとカイに近づいて左腕をつかんだ。 「おい!何しやがった!?」 カイはフィルの腕をそっと振りほどくように両手を下ろした。 「・・・やっとまともに話せる状況にできたね」 「なっ・・・」 「キミは、誰かな?フィルの別人格?それとも憑依している誰かさん?」 「・・・・・・!」 フィルは思わず手を下ろした。 「・・・なに言ってんだ、俺は「フィル」、なんだろ。・・・いいから、この部屋から出せ」 「あーあ、私のフィルはそんな物言いはしないよ。新鮮で面白いけどね。演劇してるみたいで」 「ふざけんなッ!!」 声を荒らげるも、カイはまったく動じていない。穏やかに笑みを浮かべているカイに酷く苛立ち、長く白い手袋をはめている右手を振り上げた。 バシッ、という鈍い音が部屋に響く。 「いったたた・・・」 左頬を殴られ、カイの髪がばさっと顔にかかる。手袋のせいで痛みはそこまでではなかったが、痛み自体にあまり耐性のないカイはちょっとうるっと涙をにじませた。 「ひどい〜・・・殴ったね、父上にもぶたれたことないのに・・・」 「・・・ふざけんなって言ってるだろ」 震えるほど握り締めている右手を振り下ろして、邪魔な手袋を引きちぎるように外した。 「お前と話してる暇はない。・・・お前を殺してでも、ここから出る」 「あれから、私もいろいろ考えたんだよね」 「・・・聞いてんのか」 フィルはイライラしてカイにつかみかかった。服をつかまれながらも、意に介さずカイは続ける。 「フィルの様子がおかしくなると、私と一切話そうとせずにどこかへ行ってしまう。 そんなキミと、どうやったら話せるかなってね。それで私はこれを発明したんだよ」 「・・・・・・?」 カイが指差す方向を見ると、まだ青い光を放っている指輪があった。 「これは、私が指定した空間を切り離すことができる魔法が込められた指輪だよ。 私が発明・・・まあ、ちょっとは知り合いに手伝ってもらったけどね。 この空間、つまりこの部屋は誰も干渉できず、またこの空間にいる人は外に一切干渉できない」 「・・・・・・どういうことだよ」 「ま、簡単に言うと絶対に入れず出られない部屋を作ったって感じかな。 ・・・で、キミが私を殺そうとすることもちゃんと想定してるよ」 「・・・・・・!」 知らずに力が抜け、フィルの手はカイから滑り落ちた。 「でも説明する前に殺されちゃったら無駄になっちゃうからね。先にそれを言っておくよ」 カイはフィルから手を離されて自由になったのでフィルに背を向けてゆっくり部屋の奥へ向かった。 「私を殺しても、キミは一生ここから出ることはできないよ。出る手段を失うだけ。 この空間と外の空間を繋げられるのは私しかいない。キミがこの指輪をつけても無意味だからね」 「・・・そんなことしたら、フィルって奴がここから一生出られなくなるぞ。いいのかよ」 「認めたね、自分がフィルじゃないって」 「・・・・・・。」 カイはよっこらせ、と大きな椅子に腰掛けた。 「キミの名前は?」 「・・・・・・。」 「言えない?そっか・・・じゃあ、どこから来たのかは、言える?」 「・・・・・・。」 「それもダメか・・・フィルにとり憑いてるとき、何してるの?」 「とり憑くってなんだよ・・・」 「あ、違うの?」 「・・・・・・。」 カイは組んだ手を小さなテーブルにのせてその上にあごを置いた。 「じゃ、何か不思議なことをしてキミはフィルの体を借りている、と考えてよさそうだね。それなら、フィルはどこかにいるの?無事?」 「・・・無事だよ」 「ありがとう、答えてくれて」 心底嬉しそうにカイは笑顔で頷いた。それを見てフィルは動揺して視線を彷徨わせる。 「キミが、癒しの司フォルテを殺した?もしかして、シャープ姫をさらったのもそう?」 「・・・・・・。」 またフィルは黙ってしまった。黙るということはそうなんだろうなと思いながらも、カイは立ち上がってフィルに近づいた。 なんだなんだ、とフィルは歩いてくるカイに身構える。 「ちょっと質問を変えるね。キミは・・・何度か、とても痛い目に遭ったことがあるかな?」 「は?」 「頭を殴られたこと、肩に激痛が走るようなことが過去に何度も起こっているんじゃないかな」 「・・・・・・。」 フィルはカイの青い目を思わず見つめたが、はっとして目をそらした。 それから何も言おうとしないフィルを安心させるように、カイはフィルの頭に手を置く。 「・・・突然いろいろ言い過ぎたね。ごめんごめん。私は全然怖くないよ〜」 「・・・やめろ、触んな」 「でもね、私の気持ちもちょっと考えてほしいな。 愛する一人息子が突然周りに迷惑をかけて逃げ出しあちこち壊して挙句の果てに殺人や誘拐なんか始めちゃったらすごーく困るんだよ。わかる?」 「・・・・・・。」 頭をなでる手を振り払う動作をして一度手は頭から離れたが、 再び逆の手を頭に載せられてからはフィルはもう動こうとしなかった。 「とんでもない奴だったらね、もう大事なフィルの体でシャレにならないコトばっかりしてるもんだから 私も実は大人気なくつっぱねちゃおうかなって思ってたんだよ。キミが誰だろうと私にはどうでもいいって」 その言葉に ちらり、とフィルは視線だけを上に動かしてカイの手の隙間からカイの様子を見た。 「でもねー・・・なんかキミ、話が分からない人じゃないみたいだからね。あ、私、人を見る目あるよ。 なんたってちっちゃい頃から高官を任命する権限与えられてたんだもの」 「・・・・・・。」 「・・・キミはなんて名前?どこから来たの?何がしたいの?どーしても、教えてくれない?」 「・・・誰が言うか」 「逆に、フィルが死んだら困る?」 「・・・?!」 フィルは体を震わせて目を見開いた。穏やかに微笑んでいるカイと目が合う。 「・・・困るよね。分かるよ。理由はどうあれキミはフィルになるしかないんだよね。他の場所に行きたいならその場所にいる人になればいいんだものね。 どこかの王宮に忍び込みたいにしても、キミほどの身体能力があれば外からでも可能だし、 フィル以外の人間になった方が都合がいいときも多いだろう。・・・だけど、キミはそうしない。 ってことは・・・フィルになるしか、キミには選択肢がないってことでしょ?」 フィルはまた黙り込んだ。すっとカイはフィルの頭から手を離し、くるりと扉の方を向いてフィルに背を向ける。 「となると・・・フィルが死んだらキミの目的は達成できなくなる。最後の手段だけど、その手段をとる覚悟はちゃんとあるよ。キミの目的如何によっては」 「・・・・・・ほ・・・本気かよ・・・?」 「もちろん。あ、ちゃんと本人に了承はとるよ。で、私も責任を取る。あの子の親だからね。 親が子供の責任取るのは当然でしょ。・・・責任を取るって、この場合どういうことか分かるよね」 穏やか過ぎるカイの声に、フィルは思わず固唾を呑んだ。相手は無防備に背を向けているのに、どうすることもできない。 何か言おうとしたそのとき、カイはまたフィルの方に振り返った。 「・・・また怖がっちゃってる?ごめんね、でも分かってほしい。私はそれだけフィルのことが大事なんだよ。 愛する息子のためだったら何でもする。親ってそういうものなんだよね。・・・私の気持ち、分かってもらえた?」 「・・・・・・。」 フィルは、小さく小さく こくりと頷いた。 「ありがとう。・・・教えてもらえる?キミの名前。どこから来たのか、何がしたいのか・・・。・・・絶対に、誰にも言わない。約束する」 「え・・・」 カイのまさかの発言に、フィルは ばっと顔を上げる。 「本当だよ、約束する。それなら言える?私とキミだけの秘密にしてほしいなら、約束は守るよ」 「あ・・・フィル、にも・・・?」 「言わないでほしい?いいよ。私の友人にも両親にも、フィルにも言わない。それならいい?」 「・・・なんで?」 「なんで?」 どういう意味かな、とカイは少し考えた。今までのやり取りを考慮に入れ、選択肢の一つを結論付ける。 「だって〜・・・」 カイがそろりそろりと近づいてくる。 「フィルの姿で動いてフィルの声でしゃべってるんだからやっぱり可愛いもの! まあ今はシャープ姫の格好をしてるけど・・・でも、親から見たらフィルにしか見えないからね〜」 むぎゅっと頭ごと抱きしめられた。フィルは息苦しくてもがいたが、突き飛ばそうとはしなかった。 また大人しく頭をなでられている。 「いやもちろんフィルは性格も可愛いんだけどね、それに本来の君の姿も別人だろうけど、やっぱ私にとってはね〜・・・」 「・・・そんな変わらないけど」 「ん?」 「いいよ・・・名前ぐらいなら、教えてやる」 カイを引き剥がし、顔を見上げた。 「・・・でも目的は、言わない。言ったって・・・意味ないからな」 「意味がない?」 「俺の名前は・・・アッシュ。・・・そんだけだよ、覚えとくなら覚えとけよ」 それを聞いてカイはこの上なく嬉しそうに頷いた。両手を差し出して、手をとりぎゅっと握る。 「ありがとう!じゃあ私の自己紹介もしないとね」 「・・・いらねーよ」 「私はカイ・ストーク・ラナンキュラス。コンチェルト国の王子だよ。これからよろしくね、アッシュ」 「なにもよろしくすることなんかねえよ・・・」 はあ、とアッシュは力なく目を閉じた。握られていない方の手を上に向けて、ぎゅっと閉じてからまた開く。 「・・・早速だけど、俺もういなくなるから」 「え?なんで?」 思わずカイはアッシュの手を引いて強く握る。その手を振り払い、アッシュは1歩後ろに下がった。 「もう時間。・・・いいだろ、あんたの息子が帰ってくるんだから。・・・じゃあな」 「そんな、急に・・・おーい、アッシュ!!」 カイが呼びかけた瞬間、アッシュの体からがくっと力が抜けた。床に座り込む直前に駆け寄ってその体を支える。 「こんな感じなのか・・・まだ話したいことがあったのに・・・」 「・・・・・・?」 腕の中の、シャープの格好をした人物とまた目が合う。今まで見ていた目を同じはずだが、その表情は全く異なっていた。 「フィル?」 「・・・父さん?あ、父さん!?こ・・・ここ、どこ?!あ・・・ぼ、ぼくね、今・・・!」 「ちょっとちょっと、落ち着きなさい」 支えてなくても大丈夫かなと判断し、フィルから離れて立ち上がった。 そして指輪がはまった手を口に近づけて小さく青く光る宝石に声をかける。 短い言葉のようだったが、小声だったためフィルには聞き取れなかった。 「あっ・・・?」 指輪から出た薄水色の光が届いた部分から部屋の中が色を取り戻していく。 やがてモノクロだった部屋全体に鮮やかさが戻り、 それと同時に部屋の外のわずかな音も部屋の中に響くようになった。 その様子をフィルは不思議そうに見上げる。 「な、なに・・・?父さん、何してたの?」 「ここは着替えの間の一つだよ。今は婚約式の食事の前の休憩 兼 召し替えの時間。 今から着替えて化粧を直して、飾りも変えるからね」 そう言いながらカイは扉を開いた。 扉の向こうには大量の女官たちが待機しており、全員がこちらを向いて頭を下げる。 「お待たせ。じゃあ始めようか。うんと可愛くしちゃおう」 「ちょっと、父さん・・・」 「晩餐が終わったら、簡単な式典・・・結婚式まで変わらない愛の誓いをセレス王子と交わし、 それでホントに今日はおしまい。あとちょっとだ、頑張ろうね」 「う、うん・・・」 どやどやと人が入ってきて、作業が始まってしまった。 フィルは今まで見てきたことを早くカイに言いたかったのだがそうもいかない。 この部屋に来るまでフィルとカイに同行していた召使たちはフィルがシャープの替え玉だと知っている者たちだけだったが、 召し替えの作業のために後から集まった者の中にはそうではない人もいるためフィルは今もシャープの振りをしなければいけなかった。 先ほど思い切り抱きしめてしまったためカツラが乱れてしまっている。 フィルの髪にしっかり固定されていてズレてはいないが、一度髪飾りを全て外してもう一度複雑に編み直さなければいけなかった。 「あちゃ〜・・・髪飾りを変えるだけだったのに申し訳ないことしちゃったな・・・」 カイは頭をかいて小声でそう言った。声を発さなかったが、フィルが不思議そうにカイに視線を移す。 あ、気にしないでという言葉を込めてフィルに向かって手を振り、フィルもカイが気にしないでいいって言ってるなと察して塗り直されている口紅に意識を戻した。 晩餐の間も、最後の誓いの式典の間も、カイはずっと考え事をしていた。 結婚式は何日にも及ぶが、婚約式は一日限りなのでフィルも式の終わりと同時に開放された。 フィルはカイに話したいことがたくさんあったが、 式は夜中にやっと終わり衣装を脱いで化粧を落とすまでカイと二人きりになるチャンスは訪れなかった。 寝支度を整えて、おやすみなさいませ、と数名の召使いに頭を下げられ扉を閉じられ、ベッドに入ると猛烈な眠気が襲ってくる。 そりゃそうか、いきなりシャープ姫の替え玉を依頼されて、式の進行を覚えて支度をして、絶対にシャープ姫じゃないとバレないように細心の注意を払って過ごして・・・。 なんとか一日を乗り切れそうだ、と思っていたら突然身に起きた謎の現象。 知らない場所にいて、知らない人とやり取りをしてまさかのシャープ姫とも遭遇し、特に情報を得られないまま気づいたら父さんが目の前にいて・・・その後は式の後半。 色々ありすぎて、疲れないわけがないか・・・と、フィルは大きくあくびをする。 部屋にはどういうわけかカイもレックもおらず、シャープ姫に会ったという報告は明日でいいか、とフィルは眠りにつくことにした。 |