時はさかのぼること数ヶ月前。メヌエット王国の宮殿の広間に、宰相のフォルテは国王のノールに呼び出されていた。

「え・・・たった、一人・・・?」
「前例のないことだが・・・心配だったら資金と必要なものはいくらでも持って行きなさい」

高い天井から、深紅の分厚いカーテンが幾重にも重なって垂れ下がっている。 壁も窓も凝った装飾が施されて、全てが完璧に磨き抜かれている。 メルディナ大陸一の広さを誇る、メヌエット王国にふさわしい風体だ。

「フォルテにも人選に異存はないだろう?」
「は・・・はい、ございません・・・」
「各神殿には使いを出してあるから、出立はいつでもいい。気をつけて行ってきなさい」
「・・・かしこまりました、ノール様・・・」

フォルテは一礼をし、国王の前からさがった。いつも姿勢よくきびきびと歩くようにしているが、今は心なしかふらふらしている。

「どうして・・・ノール様は一体・・・」
「おい」
「わ?!」

広い廊下を歩いている途中、突然肩を叩かれて声を上げた。そして声の主が誰なのかを認識し、きっ、と睨みつける。

「ん?なに怖い顔してるんだ?」
「・・・何の用?」
「用って・・・用はあるだろ。巡礼に出るんだろ?」
「・・・そうだけど」
「出発はいつになるって?」
「・・・明日」
「怒ってる?」
「・・・・・・」

顔を覗き込まれそうになった瞬間、フォルテは思い切り叫んだ。

「どうしてついてくるの!?」

廊下の反対側を歩いている城に仕える人たちの視線を感じながらもフォルテは視線を動かさない。

「不機嫌な理由を教えてもらいたいから、だけど」
「・・・そういうことじゃないよ」

じっと顔を見つめ返されて、フォルテはあきらめたようにため息をついた。

「はあ・・・」

中庭に続く道に方向を変えて歩き出す。すぐ後ろからついてくる足音を聞きながらも足を動かし続けた。 人がまばらな中庭には、庭を整備する人たちが働いている。フォルテは中庭の真ん中を通る石畳の前で立ち止まり、振り返った。

「ノール様から聞いたよ。エバ、ぼくの巡礼の護衛の人たちを全部断ったんだって?」
「・・・ああ」
「それで、エバが一人でぼくの護衛を名乗り出たんだって?なに考えてるんだ?!」
「・・・・・・」

フォルテから視線をそらしながら、エバは何か言おうとして口を開き、そして何も言わずにまた口を閉じた。 その様子にフォルテは痺れを切らしてまた歩き出す。

「・・・俺の実力は知ってるだろ?自分で言うのもなんだけど、一人でそこらの剣士の10倍は働けるぞ」
「それは・・・そうかもしれないけど」
「結局、フォルテとその護衛も守らなきゃいけなくなるだろ。それならフォルテ一人を守った方がいい」
「でも・・・エバは、家を継ぐ人なんだから・・・」
「家ね」

エバは頭の後ろで手を組んで、空を見上げた。

「エバの家・・・ソルディーネ家は国の剣術士を取りまとめる大切な仕事を任されているはずでしょう。 近々エバが爵位を継ぐって聞いたのに、ぼくの巡礼についてくる余裕なんてないんじゃ・・・」
「・・・確かに、俺の家はその役目を担ってるけど・・・」

くるりとフォルテの方に振り返り、首を振る。

「俺の家の話であって、俺のことじゃない」
「・・・・・・」
「死んだ親父が言ってたことは、家の奴らが何とかするだろ。俺が本当にするべきことは・・・これだけだ」

そう言って、懐から真っ赤な丸い宝石を取り出した。 それはエバの手の中で輝いて輪の形に変化し、それを指でくるくると回す。

「それは・・・?」
「火の聖玉「ファラ」。ソルディーネ家に伝わる宝で、死ぬ前に親父が俺にくれたんだ。 絶対に人に渡さず、いつも持っていろ、そしてこれを扱える一番優秀な子供に受け継がせろって」

言いながらエバは腰につけていたバッグにファラをしまった。

「そうなんだ・・・」

剣術士というのは剣を扱う資格のことで、認定されて初めてメヌエットで剣術士を名乗ることができる。 その資格を与える組織を全て取り仕切るのがエバの家であるソルディーネ家だった。 メヌエットでは非常に重要な国家資格であり、由緒正しい家にその役目が委ねられている。

一方、フォルテの家は代々、宰相として王宮に仕える神官の家系だった。 両親はすでに亡くなっており、家族とも呼べる召使は大勢いるが、肉親は妹が一人いるだけである。

「ぼくも・・・エバが持っている輪とは色が違うけど、父から受け継いだ宝石があるよ」
「へえ・・・どんなの?」
「「シード」という名前の、黄色い聖玉。でも杖だから普段は持ち歩かずに保管してある」
「ふーん・・・俺が言われたみたいなこと言われたか?オルシモ様から」
「何年も前のことだから・・・でも、確かに大事にして受け継がせるように、とは言われたかな。 ただ家宝だからだと思ってたけど・・・」

何かもっと違う意味があったのかな、とフォルテはあごに手をやった。 エバが歩き出し、今度はフォルテがそれに自然とついていく。

「じゃ、優秀な子供を生まないとな」
「ぼくたちが生むんじゃないけど」
「ははは、そうだな」

いつの間にか、幼馴染のいつもの明るい談笑になっていた。そのまま中庭を抜けて、王宮の建物の外を通る廊下に入る。 そのとき、反対側から人が二人の方に歩いてきた。

「あっ、あれは・・・」

それは数人の人影だったが、フォルテとエバに気づくと一人が二人に何かを言って逆方向に歩かせたのが見えた。 そして、ゆっくりと一人だけが近づいてくる。

「チェレスター、お久しぶりです」
「久しぶりだな、チェレス」

中庭の光が当たる場所まで歩いてきたチェレスは、少し眩しそうに二人を順に見た。 そして肩ぐらいまでの長い髪を手で直しながら微笑み返す。

「ああ、本当に。二人とも、変わりはない?」
「・・・・・・ちょっとだけ、あった」
「え?」

フォルテが、エバを横目で見上げながら言った。

「エバ、フォルテに何かした?」
「おい、人聞きが悪いな。フォルテが神殿の巡礼に出るんだよ」
「へえ・・・ご苦労様。フォルテにも役目が回ってくるんだ」

目を瞬かせて、チェレスは少し頭を下げた。

「それで、俺がフォルテの護衛を全部断って、ついてくのは俺だけにしたら、不機嫌になっちゃったんだよな」
「・・・・・・え?護衛がエバ?一人だけ?な、なんで?」
「最近、巡礼に出る神官はぞろぞろと自分の権威を誇示するように何人も護衛をつけて偉そうにしてるだろ。 まあフォルテがそんなヤツじゃないのは分かってるんだけどさ、それなら俺一人で十分だろってことで」
「エバの実力なら、まあ・・・でも、そんな理由で?」

エバははぐらかすように、さあな、と肩をすくめる。 そこから何かを感じ取ったチェレスは、質問の矛先をフォルテに変更した。

「フォルテ、出発の予定はいつ?」
「今のところ、明日を予定してるけど」
「明日か・・・晴れるといいね」
「うん」

フォルテは顔を上げて中庭から見える空の色を見ながら頷く。雲はあるがまばらで、明日も晴れそうな青空である。

「そういえば・・・チェレスターは、どうして王宮に?」
「ん・・・ちょっと、ノール様とアルト王子に用があって」
「国王と王子に?」
「最近、ノール様のお体の調子がよくないみたいだからね。アルト王子とも話させてもらったよ」
「そうか・・・うん、心配だよね・・・」

ノールは、最近よく咳き込むことがあり時折その咳が数分間止まらないこともあると、フォルテもエバも側近たちから話には聞いていた。 そのため、先ほどフォルテがノールと話した部屋ではもちろん、移動時にも常に数名の医師がついて回っている。

「ぼくも明日は行かないといけない場所があるんだ。同時に出発とは奇遇だね」
「チェレスはどこに行くんだ?」
「ホルンの町の近く。辺鄙で何もないところなんだけど、ちょっと用事があって」
「ふーん・・・ま、気をつけて行けよ」
「はは、大丈夫だよ」

チェレスは笑ってひらひらと手を振った。そして、しばらくしてから急に真顔になってエバを見上げる。

「・・・エバ」
「え?なんだよ」
「いや・・・その、気をつけて」
「当たり前だろ、やると決めたからにはしっかり護衛するよ」
「それもなんだけど・・・自分の身も守ってね」

チェレスの言葉を聞いて、フォルテもはっとして顔を上げてエバの背中を叩いた。

「そうだよ、ちゃんと自分を守ってよ!?」
「でも護衛なんだから、フォルテが最優先だろ」
「それは・・・」
「エバ、どっちも大切にして。それさえ守れば・・・大丈夫だから」
「・・・お、おう?」

チェレスの様子に少し違和感を覚えながらも、エバはぎこちなく頷く。 エバとフォルテの間を通り抜けたチェレスは振り返ることなく手を振った。

「じゃ、また会おうね」
「うん、巡礼が終わったら会おう。元気でね、チェレスター」
「ああ、またな、チェレス」

チェレスが角を曲がったのを見て、二人も反対方向に歩き出す。 廊下をしばらく歩いていたチェレスだったが、 急に歩みを止めて今までの微笑を消して苦々しい表情で立ち止まった。

「・・・参ったな。なんだろう、この感じ・・・」






翌日、フォルテとエバはメヌエットの各地にある神殿の巡礼に出かけた。

神殿の主な仕事の一つは、聖水を作って民に分け与えることである。 聖水を作り出せるほどの聖心力を持つ神官は数が少なく一つの神殿でも数人しかいない。 そして聖心力を高めるための修行に、神官や神官見習いたちは日夜励んでいる。

そんな彼らに心得を改めて説き、神殿内で何か問題はないかということを調査するのが巡礼である。 神官たちの生活、周囲の町の人たちの様子、神殿が行う儀式や行事の日程や内容の報告などを受け、 最高神官が率いる大神殿と歩調が揃っているかを確かめるのがもっとも大きな目的だ。

過去の巡礼では、神官たちの生活に乱れがあったりあまりに過酷な修行を強いているのを見抜き裁判にかけたり、 聖水に対して法外な寄付を要求していた神殿に改善要求の勧告を出したり、 あろうことか裏で犯罪組織とつながっていた神殿を摘発したりと、 神殿であっても大なり小なり問題を抱えていることに、フォルテは日ごろ心を痛めていた。

各神殿は巡礼者が来ることを知っているので表面を取り繕おうとするところが多いことも知っており、 その中で問題を見抜かなければならないというのは実はかなり大変な仕事である。

「で、どういう順番で行くんだ?」
「えっと・・・まず一番近いクラリネの神殿に向かってるけど・・・」

メヌエットの中心地の町、クラリネは首都グロッケンから南下したところにある。

「そこが終わったら、次はコンチェルト国の東に位置するハープの町の神殿。 期間内にいくつ回れるか分からないから、なるべく急ごう」
「ふーん・・・まあ、せいぜい3つぐらいだろうけど・・・」

広い草原で、グロッケンとクラリネを行き来する人や馬車が続けて歩いたためにできた、 草がまばらな道をひたすら歩いていく。

「・・・あ、あれだ」
「ん?」

小高い丘の頂上に着いたようで、そこから見渡せば林が途切れた部分に石でできた建物の一部が見えた。 近づけば近づくほど、建物の見えている範囲が広がって大きくなっていく。

「歩いても二日とかからないところにあるんだな、クラリネって」
「そうだね・・・・・・あ?」
「どうした?」

急にフォルテが立ち止まった。先を歩いていたエバが振り返ると、フォルテの足元に1メートルぐらいのヘビがいるのが見える。 体は灰色で、茶色のまだらの模様があるヘビだった。

「おい、そんなの放っとけよ」
「なんだか妙にまとわりついてきて・・・これって毒がある種類かな・・・」
「いや、それは確か・・・」
「うわっ!!」

エバが歩み寄ろうとしたときに、足に絡みついていたヘビがフォルテの腕に急に飛び掛った。駆け寄りながらエバは剣を引き抜く。

「い、いたたた・・・」
「動かすな!!」

ヘビが噛み付いたまま離れないため、素早くヘビの体を切り落とした。 頭だけはフォルテの手にしばらくくっついていたが、それもやがて力をなくして地面に落ちる。

「な・・・なんだこれ・・・」

見れば、周りを数十匹のヘビに囲まれていた。
どれもこれもみんな目が赤く、フォルテに噛み付いたヘビの2倍以上の大きさはある。

そのとき、フォルテが急にひざを折って頭を抱えた。

「どうした?!」
「な、なんだか頭が・・・くらくらして・・・」
「この模様のヘビに毒はないはず・・・どうなってるんだ・・・?」

エバは剣を持ち替えて立ち上がった。

「フォルテ、自分に防御魔法をかけられるか?」
「・・・え・・・?」
「いや、やっぱいい。俺がやるから動くなよ」

フォルテに両手を差し出して、エバは短く魔法の詠唱をする。 エバの手が淡い青色に光って、小さくうずくまっているフォルテの体は水の魔法に覆われた。

目をいくらしっかり開いても、視界のほとんどが暗い。近くでしているはずの音がやけに遠くに聞こえる。 体の感覚がなくなって意識が遠のき、フォルテは防御魔法の中でゆっくりと地面に倒れてしまった。









 





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