すっかり日は沈み、空には糸のような細い月が浮かんでいる。
広いハルプトーン家の屋敷の、幅の大きな廊下をサビクは走っていた。

「・・・ブラムさん、開けますよ」

調理器具が置いてある部屋の前でサビクは立ち止まった。
呼びかけたが扉に向かってではなくコムコインに向かって話している。

「そこにいるんでしょ?開けますよ・・・・・・わ」

扉に手をかけようとしたとき、勝手に扉が開いた。
半分だけ開いた扉から覗いているのはブラムの赤い目だった。

「・・・入っていいですか?」
「・・・・・・。」

許可を出す代わりにブラムは扉をさらに引いて開いた。
部屋は台所と言ってもとても広く、大きなテーブルや椅子も置いてある。

ブラムは今までの布で顔を覆う服装ではなくフレイと同じような服を着ている。
目の色以外は、フレイと全く同じ姿だった。

「急に「台所にいるから来てほしい」って言うから来ましたけど・・・俺、今日ずっとブラムさんのこと探してたんですよ」
「・・・すみません」

やっとブラムが口を開いた。
だがその声はやっと聞き取れるほどの弱々しいものだった。

「知ってるでしょうけど・・・バイエルが全てのホロスコープを揃えました。王子は決行を明日に決めました」

ブラムは生気のない顔で力なく頷く。
そして虚ろで焦点が合っていない目をして呟くように言った。

「・・・よかった」

そんな様子のブラムを見ていられず、サビクは目を逸らして軽くため息をついた。

「よくありませんよ」

サビクはブラムの肩を強く叩き、言い聞かせるように叫んだ。

「全然よくありませんよ。ブラムさんはそれでいいんですか?!決行って事は・・・ブラムさん、消えるんですよ!?」
「・・・・・・。」
「はっきり言います。・・・俺、王子には悪いけどモデラートの再興なんてもうどうでもいいんです。
そんなことより俺は・・・ブラムさんが・・・ブラムさんが、消えるのは絶対に」
「言わないで」
「・・・は・・・?」

サビクを押し返し、ブラムは緩く首を横に振った。

「やっと決心したんです・・・フレイが決定したなら私はそれを喜ばなければいけない。
私一人の我侭で・・・テヌートたち全員の100年間の苦労をここで無駄にするなんて絶対にしてはいけません」
「それは・・・でも・・・」
「決めたんです・・・消える覚悟をしたんです。それなのにサビクがそんなことを言ったら・・・私は・・・」

力なく手を下ろして、ブラムは下を向いた。

「・・・ぼくは、人間じゃないけど・・・人間が死ぬ前の覚悟ってこんな感じなのかな」

いつもの口調ではなく、フレイと同じ声でフレイとそっくりの口調で話し始めた。

「気持ちを整理して、やりたいことをやったと思って・・・自分ひとりがいなくなるだけなら不思議と悲しくない。
でも・・・いなくならないでほしいって、誰か一人でも思ってくれていると思うと・・・急に辛くなる」

だから、ぼくがいなくならないでほしいって、言わないでほしい。
最後は掠れた声でブラムは弱々しく言った。

「・・・じゃあ、どうして俺をここに呼んだんですか」

やるせなさに若干怒りも込めてサビクはブラムを見た。

「ブラムさんが逃げたいなら助けますよ。王子を説得だってします。ブラムさんが嫌だったら、王子だって絶対に分かってくれますよ。
無理強いするような人じゃない。ブラムさんの気持ちを分かってくれるはずです」
「・・・だからだよ」

ブラムの返答の意味が分からず、サビクはブラムがふらふらと窓を開けに行くのを目で追った。

「フレイに、ぼくが消えたくないだなんて言ったら、何が何でも計画をやめるだろう。
ぼくたちが100年間積み重ねてきたことも、エリーゼの思いも、ラスアたちの犠牲も・・・全部無駄にしてしまう」
「・・・・・・。」
「人が死ぬんじゃないんだよ。元々動かなかった人形が、また動かなくなるだけなんだから」
「・・・本当に、王子と同じなんですね」
「・・・・・・え?」

開けた窓から外を眺めていたブラムが振り返った。

「自分のことより人のことを優先する。そのためには自分の感情も気持ちも閉じ込めて、自分ひとりが傷付く方を選ぶ。
王子もブラムさんも、やってることは同じなんですよ。どうして自分がやりたいようにやらないんですか」
「・・・ふふっ・・・」

急にブラムは押し殺すように喉の奥で笑った。

「ありがとう。消えないでほしいって思っている人がいてくれることが分かって・・・よかったよ。
ぼくがラスアを殺したも同然なのに、サビクは本当に優しいね・・・今まで辛い目に遭わせてごめんね」
「・・・やめてくださいよ。なんでブラムさんが謝るんですか」
「ローチェのこと、好きだったんでしょ?」
「・・・・・・はっ?」

突然の問いかけに、サビクは目を見開いた。

「な・・・今、全然関係ないじゃないですか・・・急に、何言って・・・」
「はは、サビクってほんと分かりやすい」
「な、なんなんですか、もう・・・」

赤くなった頬に手を当ててむくれた。

「クラングとローチェが死ななければいけなくなったのもぼくのせいだよ。分かってるでしょ」
「・・・あ、あれは・・・」

何か言い返そうとしたが、サビクは言葉に詰まった。
それをちらりと見やって、ブラムは続けた。

「あの二人も、ラスアも、みんなの犠牲をフレイではなくぼくが背負って、テヌート全員の思いを形にしたいんだ。
ぼくがいなくなることによって、テヌートは新たな一歩を踏み出してほしい」
「そんな・・・」
「だから、サビクはフレイのことを憎まないでほしいんだ。ぼくのことだけを憎んで」

何を言われるのか、まさか、と思いサビクは大きく目を見開いた。
そして、思っていた通りにブラムの口は動いた。

「・・・ぼくのこと、許さなくていいから」
「・・・・・・!!」

ブラムの言葉に衝撃を受けてサビクは返事もできずに硬直した。
全く気持ちの整理が追いつかずに歯が勝手に震える。

しかし、そんな時に無情にも台所の扉がノックされた。

「・・・あの、ブラムさん、いますか?」

フレイが使いに出したテヌートの少年が扉から顔を出した。

「・・・は、はい」
「王子がお呼びです。お二人とも、いらしてください」

その声に素直に従って出口に向かうブラムの後姿を追いかけるサビクは、
泣き出さないように必死に唇を噛んでいた。






「ここからはぼくたちだけで入る。みんなはここにいて」

木々が鬱蒼と生い茂る森の中を大勢のテヌートたちを引き連れてフレイとバイエルは歩いていた。
その先頭の集団には布で顔を隠したブラムや、サビクとリムもいた。

夕焼けだった空からはいつしか太陽が消えていて星空が広がっていた。

「サビク、みんなをここに待機させておいて。」
「・・・分かりました」
「ねえ、フレイ」

サビクがフレイに頭を下げると、その横でバイエルがフレイの服を引っ張った。

「なに?」
「この大きな門の中に入るの?ここどこ?」
「ここはカノンの森の中心部だよ。この壁の中にあるイードプリオルっていう泉に向かってるんだ」
「ふーん」

高い石の壁を見回しながら、バイエルは何気なさそうに頷いた。
壁自体が木々で覆われており、一見すると壁があるかどうかも見えない。

「この扉、開くの?」
「大丈夫だよ、今開けるから」

そう言うとフレイはペンダントの赤い石を扉に近づけた。
すると扉のふち全体に白い光が走り、扉がゆっくり遠くに向かって開き始めた。

その様子を見た周りのテヌートたちは驚きの声と歓声を上げた。

フレイは彼らに手を振って微笑み、そして自分でも大きな扉を手で押した。
先にバイエルに入るよう促すと、フレイの前をちょこちょことバイエルが歩いていった。

すると、フレイはサビクに向き直った。

「・・・サビク」
「は、はい」

突然サビクに話しかけたことに、隣にいたブラムも驚いて顔にかかった布を少しずらして様子を見た。

「もしも、誰かがここに来ても絶対に中に入れないで。どんなことを言われても、絶対に通さないで。
ぼくが大いなる存在の力を手に入れるまで、誰一人として。お願いできるかな」
「かっ・・・かしこまりました、絶対に誰も通しません。王子がまたここに戻られるまで、泉は死守します」
「ありがとう」

フレイは柔らかく笑って、そしてサビクに手を差し出した。
戸惑ってフレイの手を見下ろしていたサビクだったが、握手しようとしているのだと分かって自身も手を伸ばした。

「あ、ぼくも王子にさわる〜」
「お、おい!」

横からリムもひょっこりと顔を出してフレイの手を握った。
3人で手を重ね合わせると、フレイはもう片方の手も出して二人の手を反対側からぎゅっと包んだ。

「・・・じゃあ、よろしくね。行ってくる」

強く握っていた手を急に ぱっと離して、フレイは扉の中に入っていった。
その後ろをブラムとバルゴも手をつないで追っていった。

扉の中に消える瞬間、ブラムが布と髪を手でめくってサビクの方に笑いかけた。

「・・・あ、りが、とう・・・」

ブラムの口の動きを読んで、サビクはそれを小さく口に出した。
慌ててサビクも何か言おうとしたが、ブラムとバルゴが中に入ると重い扉は再びゆっくりと閉じてしまった。

周りのテヌートたちは期待に胸を高鳴らせている様子だったが、サビクは全くそのような気分になれなかった。
自分たちを隔ててしまった高い壁を忌々しそうに見上げ、そしてそのまま目を閉じた。



壁に囲まれた森の中の一区画は非常に広く、古い石畳が敷き詰められていた。
遠くに見えるのは大きな噴水のような泉と、泉の中心に続く長い階段。

内からも外からも壁の周りは木が覆っているが泉の周りは開けており、その水面は星明りに照らされている。

一瞬立ち止まりそうになったフレイだったが、軽く息を吐き出して奥へ進んでいった。
バイエルも周りを見回しながらフレイの袖をつかんだままその足取りに合わせる。

泉の周りの床の石畳は綺麗に磨かれた滑らかな石で、濃い色と薄い色の石が交互に敷かれている。
歩く度に硬い音が辺りに響いた。

「・・・あのイードプリオルの泉の中心、あの場所に全てのホロスコープを持ったバイエルに立ってもらうからね」
「うん、分かった」

そう言ってバイエルは立ち止まった。
そして、振り返ってブラムとバルゴを見上げた。

「バルゴ、ぼくの中に戻ってきて」

バイエルの言葉にバルゴは小さく頷いて、差し出されたバイエルの手に触れた。
すると、バルゴは白い光の中に吸い込まれるようにバイエルの体の中に入っていった。

「・・・・・・。」

次は、残されたブラム、双子座のジェミニの番。
だがバイエルは手を上げようともブラムに語りかけることもしなかった。

ついにこのときが来た、とフレイはブラムに歩み寄った。
ブラムは何も言わず明るい表情でフレイを見つめているだけだった。

「・・・・・・いい?」
「なにがですか?」

フレイの声とは全く対照的にブラムの声は明るい。

「バイエルにジェミニをぼくから渡す。そのために・・・ブラムの記憶を、リセットするから・・・」

ブラムと目も合わせようとしないフレイだったが、ブラムは苦笑しながら首を横に振った。

「どうして私の許可がいるんです?私はフレイの姿を写しているだけの人形です、
私の記憶をどうこうする権利は私にはないんですよ。私の記憶だって、フレイのものです」
「・・・・・・。」
「そんなに暗い顔をする必要はないでしょ?テヌートたちがしてきたことがやっと報われるんです。・・・頑張って、フレイ」

肩を軽くとんとん、と叩かれてフレイは目を細め、泣きそうに顔を歪めた。

「泣いちゃダメですよ、あと少しじゃないですか!私がバイエルに渡されて、バイエルが泉の真ん中からホロスコープの力を解放させ
フレイが大いなる存在を目覚めさせるだけです。早く、言って下さい。もしかして言葉を忘れました?100年前に言ったきりですし」
「・・・そんなことないよ。ぼくにとっては数年前だから・・・」
「あはは、そうですよね」

しばらく笑ってから、ブラムはフレイに向き直った。

「さ、どうぞ」
「・・・・・・うん」

フレイの言葉を待ったが、聞こえてきたのはその言葉ではなかった。

「ブラム・・・本当にゴメン・・・言わなくても、顔に出さなくても、分かるんだ・・・」
「・・・はい?」

フレイは光の宿らない目で泣き出しそうな声でそう言った。
昨日サビクに話したときの自分の顔もこうだったのかも、とブラムは思った。

頭ではそう考えながらも、ブラムは笑顔を崩さないように首を傾げてフレイの言葉を待つ。

「どうしたんですか、なにを謝ることが・・・」
「ブラムは、ぼくがもう一人いるのと同じなんでしょ?最初にそう言ったよね?」
「い、言いましたけど・・・」
「ぼくだったら、ぼくがブラムの立場だったら、記憶を消してほしいって、喜んで消されるのを待つようなフリをする。
でも記憶が消えてほしくないって、絶対に思う。そんなの、怖くてたまらないから」

かぶりを振って話すフレイを、バイエルも不安そうに見つめた。

「ぼくも、ブラムに消えてほしくない。ずっと一緒にいたい。周りのみんながそう思ってることも分かってる。
サビクも、リムも、そう思ってる。バイエルだってそうだよね。ブラムが消えるのなんて、嫌でしょ?」

突然そう問われて、バイエルはフレイの服から手を離した。
しかし首を振ることも頷くこともできなかった。

「でも・・・でも、もう後に引けないんだ・・・ぼく一人じゃ、どうしようもない状況になっちゃってる・・・。
だ、だからっ・・・だから・・・!」
「・・・ああ、泣いちゃった」

ついに深緑色の瞳から大きな涙を零し始めたフレイにブラムは軽くため息をつきながら笑った。

「泣き虫。リオーズ様に「泣き虫なのは困る、皆を元気付けられるような、笑顔でいないと」って言われたのに」
「・・・え・・・」
「リオーズ様・・・じゃなかったね、お兄さん、でしょ」

自分と同じ顔のブラムは、当然兄であるリオーズの面影もありフレイは思わずブラムにしがみついた。

「ブラムっ・・・!」
「・・・ぼくたち二人のお兄さん、だよ。フレイが、ぼくのことをもう一人の自分だと思ってくれるなら、そうだよね。
ぼくもそう思うよ。ぼくたちは何も変わらない。だったら、自分に遠慮することなんてないんじゃないの?」
「・・・・・・」

ブラムの肩に顔を置いて、それでもフレイは泣き止む様子がなく手を震わせている。

「今までずっと泣くの我慢してたんだよね・・・でもぼくは別に泣きたい気分じゃないんだよ、不思議だよね」
「本当に・・・ほんとにっ、ゴメン・・・なさい・・・」
「泣かないで。ぼくは消えてしまってもみんなの記憶の中に残ってる。フレイの思い出の中にもぼくがいる。
ぼくは全然悲しくないよ。リオーズ様・・・お兄さんが最期に笑ってたのも、そう思ってたからだよ」

しばらく嗚咽が止まらなかったフレイだったが、ようやく涙を拭いながらブラムの肩から顔を上げた。

「・・・ぼく、絶対にブラムのこと忘れない。ブラムがぼくのためにしてくれたことを無駄にしない。
ありがとう。本当にありがとう。・・・・・・じゃあ、言うよ」

ブラムは静かに頷いた。
一呼吸置いてから、フレイはブラムの目を見つめ、そして口を開いた。

「・・・エレウテリア、デュオスクロイ」

その言葉がブラムの頭に響いた瞬間、ブラムは眩い光となって辺りに散るように消えてしまった。
フレイは、周りに降り注ぐ白い光を悲しそうに見つめた。

「・・・バイエル、手を出して」

バイエルも二人のやり取りを何も言わずに見ていたがフレイの声がして はっと顔を上げた。
そして片手を上げてフレイの手を握り、フレイの中にあったホロスコープのジェミニを受け取った。

「これで全部揃ったね。バイエル、あの泉の中心に行って・・・どうすればいいか、分かる?」
「うん、パパとママに教えてもらった。フレイはあの台の上にいて」

バイエルはタンタン、と音を立てながら透明な石でできている階段を駆け上がっていった。
フレイも一息置いてから、泉の前に向かって歩き出した。









         





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