そして、次の日。
フレイは前日渡された書状を持ち、セレナードの首都シロフォンの南にある、トランの町にやってきていた。

今朝は、バイエルはフレイよりも早く起きていた。
自分もかなり早起きをしたつもりだったフレイは、バイエルの睡眠時間について気になっていた。

「あのさ、バイエル」
「ん?」
「昨日、ちゃんと寝た?」

市場の前を歩きながら、フレイは尋ねた。
バイエルは、アリエスを抱きかかえたまま歩き続けている。

「眠くなかったから寝てない」
「・・・・・・えっ?!」

フレイは目を見開いた。

「寝てないの?体に悪いよ、寝なきゃ」
「眠くないから」
「・・・うーん・・・」

頬をかいてため息をつく。
フレイの思考は、バイエルは城でずっと寝ていたため、していなかった「食事」は必要でも、
「睡眠」は十分なのかもしれない、という仮説にたどり着いた。

「・・・困った生活サイクルだなあ・・・」
「え?」
「あ、ううん、それじゃあぼくが寝てる間、何をしてたの?」

バイエルの分のベッドは、まだフレイの部屋にはない。
そのため、フレイはバイエルに自分のベッドを提供してソファで寝ていた。

「星見てた。フレイも」
「・・・え、ぼく?」

寝相変じゃなかったかな、とフレイは少し不安になった。

「何か言ってたよ。エリー・・・とか」

それを聞いて、フレイはぎくっとして目を逸らした。

「そ、そう・・・覚えてないな・・・」
「ふーん」

フレイは慌てて目の前の城を指差した。

「ほら着いたよ、ここが西トランの領主の家」
「・・・領主?」
「国を町で分けて、その場所を治める人のことだよ・・・あ、そうか・・・」

バイエルが、ラベル家の子供だったことを思い出した。

「バイエルは、いわゆる領主なんだ・・・」
「え?」
「ラベル家は東トランの領主の家系だったんだけど・・・」

バイエルの父、ミュート・クァルトフレーテ・ラベルは100年前に東トランを治めていた。
しかしミュートとその妻ネウマが禁止魔法を使っていて、国から処刑命令が出てから、ラベル家は断絶という形になっていた。

「ねえ」
「・・・あ、え?」

バイエルに何と言おうか考えている時に、袖を引っ張られた。

「ここってモデラートのどの辺?」
「・・・・・・。」

また答えにくい質問をされたな、とフレイは表情を曇らせた。

「・・・そうだよね、知らないよね」
「?」
「ここはね・・・もう、モデラートじゃないんだよ」

全く分からないという顔でバイエルはフレイを見つめた。

「モデラートは・・・100年前、セレナードが制圧したんだ。だからメルディナ大陸の東は全部、セレナードなんだ」
「・・・・・・そうなの?」

バイエルは首をかしげた。

「フレイが白い人だから、たくさんいるんだと思ってた・・・」
「・・・へ?」
「モデラートに住んでた白い人たちは?」
「・・・・・・ああ」

白い人、の意味がようやく分かり、フレイは頷いた。

かつてここにあったモデラートの国は、テヌートの国だった。
南のセレナードとはお互い干渉しない協定を結んではいたが、何度も国境付近では小さな戦争が起きていた。

そして100年前、モデラートとセレナードの全面戦争により、セレナードが圧倒的な勝利を収めた。
その際、王族をはじめかなりのテヌートが殺された。

「テヌートはね、もうあまりいないんだ。他の国で暮らしている人もいるよ」
「ふうん・・・」

フレイは城の門のそばまで歩いて行った。
そこには、門番が二人立っていた。

「失礼します」

一礼をしてから、門番に歩み寄った。

「セレナード国王、トルライト・ハンク・ファルゼット様の使いで来ました。領主様にお取次ぎを」

そう言ってトルライトのサインが見えるように書状を出した。
門番達は驚いた様子で、お待ちください、と言って城の中に入っていった。






応接間に通された二人は、椅子に座ってこの城の主が来るのを待っていた。
フレイはバイエルに向き直った。

「バイエル、静かにしてなきゃダメだよ。」
「うん」
「ぼくはこの地方の偉い人と大事なお話があるから、バイエルは座っててね」
「うん」

バイエルに言い聞かせていると、部屋の扉が開いた。
そこには、薄い青色の髪をした女性が立っていた。

「・・・・・・。」

冷たい目で、フレイを見下ろしている。
フレイは慌てて立ち上がった。

「こ、こんにちは、突然の来訪失礼いたします」
「・・・・・・貴方が、セレナードの使者?」
「は、はい・・・」

少し様子がおかしいフレイに、バイエルは首をかしげた。
しかし言いつけどおり何も言わず、代わりに足をぶらぶらさせた。

「今度は何の用ですか」
「・・・・・・え?」

彼女の言葉に、フレイは目を瞬かせた。

「貴方とは初対面ですね。私は西トラン領主スピエの妹、フォリア・デコラ・トリアングです」
「妹さんですか・・・」

フレイは視線をぎこちなく動かしながら、頷いた。

「ぼくはフレイと言います。国王トルライト様からの親書をお渡しに来ました」
「・・・またですか」
「・・・・・・また?」

書状を渡しながら、フレイはフォリアの顔を見上げた。

「以前にも姉上が同じ物を受け取りました。」
「お、同じ物?」
「知らないと言うの・・・?」

明らかに憤りを含ませた口調に、フレイはぎょっとした。

「本当にセレナードは無責任だわ!そのせいで姉上は今、メヌエットで・・・」

感情が昂ぶってしまったことに気づいたフォリアは、自分で自分の口をはっとおさえた。
バイエルはその様子も不思議そうに眺めていた。

「・・・すみません、貴方は事情を知らないのですね・・・」
「あ、いえ・・・」
「先月にも、セレナード国から軍の要請が来たんです。メヌエット国を攻撃するようにと」
「メヌエット国を・・・」
「その人はブラムと名乗り、国王からの文書をもっていたんです」
「・・・・・・。」

フォリアは、フレイとバイエルの向かいに腰を下ろした。

「姉上は西トランの軍と共に、メヌエットの国境で戦っていました。ですが・・・」
「ですが・・・?」
「大怪我をなさったと。危険な状態が続いていて、移動もできないと知らせが届きました」
「そんな・・・」
「そういうわけですから」

フォリアはすっと立ち上がった。

「もう私たちには援軍を出す力はございません。国王にもそうお伝えください」
「で、ですが・・・」
「・・・私からのお話は終わりました。お引取りください」

フレイは、まだ戦争が起きたことを西トランの人に伝えることを言っていないため、慌てて立ち上がった。

「待ってください、ぼくたちは・・・」
「帰ってというのが分からないの!?」
「・・・・・・。」

突然声を荒げたフォリアに、バイエルはびくっとなって身を強張らせた。

「この際だから言いますけれど、トリアング家はかつてのモデラートのオーレオ王家には忠誠を誓いはしましたが、
セレナードのファルゼット王家には何の恩義もありません!侵略者の国のためなどに、私は何もする気はありません!」
「・・・あ」

フレイは何かを言おうとしたが、フォリアの様子を見てやめておこうと思った。
バイエルをそっと立ち上がらせて、部屋の出口に向かった。

「・・・分かりました。お気持ちはよく分かります。ですが、どうか書状には一度目を通してください。」
「・・・・・・。」

フォリアは机に置かれた手紙に一瞬目をやったが、苦々しい表情で目を閉じた。

「・・・フレイさん」
「あ、はい?」

部屋から出ようとして突然呼び止められ、フレイは殴られるんじゃないかと恐る恐る振り返った。

「・・・貴方個人には何の恨みもありませんのに、失礼いたしました」
「い、いいえ」

フレイは慌てて手を振った。

「お姉さんがそのような状態なら不安でいらっしゃると思います。こちらも失礼しました」

フレイは深々と頭を下げて、部屋から出て行った。
バイエルはフレイに背中を押されて、後ろを気にしながら退室した。

そして、部屋から出たところで立ち止まった。

「あっ・・・?!」

足元に、進むのを邪魔している物体がいた。

「タウルス!」

バイエルが声を上げた。

「タウルス?」

聞き返したのは、部屋の中にいるフォリアだった。

「その子は領民から私が買い上げたんです。クテナ、いらっしゃい」
「クテナ・・・?」

フォリアの足元に駆けて行ったのは、白い小さな動物だった。
バイエルはそれをじっと見つめた。

「・・・タウルス・・・」

その動物はフォリアに抱きかかえられた。
フレイはバイエルの様子を見て小声でささやいた。

「バイエル、あれってもしかして・・・?」
「ホロスコープのタウルスだよ。タウルス、ぼくの中に戻ってきて」

バイエルが呼びかけると、フォリアの腕の中で動物はもがき出した。

「どうしたのクテナ?お客様に挨拶?」
「あの、フォリアさん」
「はい?」

フレイはどう説明すればいいのか分からないまま、フォリアに歩み寄った。

「え、ええと・・・その人形、どうなさったんですか?」
「人形?クテナは私が村人から買ったんです。白くて目が赤い牛は珍しいですから。ほら、額に赤い星のアザがあるんです」

手足が短くて丸っこい動物だが、どうやら牛らしい。
よく見ると、頭の上に小さな角がある。

「・・・どうしよう」

フレイは悩んだ。
フォリアはタウルスを可愛がっているようだし、返してもらえそうもない。

しかし遠まわしに言っても意味がないと思い、率直に説明することにした。

「フォリアさん・・・その人形は、この子のなんです・・・」
「その子?お嬢さんお名前は?」

バイエルは急に尋ねられ、フォリアを見上げた。
フレイは小声でバイエルを促した。

「バイエル、ちゃんと名前を言って」
「・・・・・・バイエル」

タウルスを返してくれない、とバイエルは少し怒っているらしい。

「バイエル?どこの子なんです?なぜカペルマイスターと一緒に?」
「・・・ええと・・・」

また説明しづらいことを訊かれてしまい、フレイは少し考えた。

「訳あってぼくが世話をしている子なんです。両親は他界しています」
「まあ・・・」
「タウルスを返して」

突然バイエルがフォリアに向かって両手を伸ばした。
タウルスは目が見えなくてもバイエルの声に反応してまた動いた。

「クテナは私が買ったんです。」
「・・・・・・。」

フォリアはタウルスを持ち上げてしまった。
じろっとバイエルはフォリアを睨みつけた。

「バイエル、ちょっと」
「この人意地悪・・・」
「こ、こらっ」

フォリアをまた怒らせたら交渉が更に面倒になる、とフレイは慌てた。

「でも、クテナがバイエルさんのだとは存じませんでしたから・・・」
「えっ」
「お返しします。」

フォリアの言葉に二人は目を輝かせた。

「ほ、本当ですか!」
「ただし。同じだけのお金を支払っていただけるのであれば、クテナをお譲りします」
「・・・え・・・。」

バイエルは分かっていないようだが、フレイは冷や汗を流した。

「・・・ええと、いくらでお買い上げに・・・?」
「20万ビートでしたけど」
「ええっ?!」
「でも特別に、15万ビートで結構です」
「じっ、15万ビート・・・?!」

安いとは思っていなかったが、やはり高かった。
1ビートは1円。

「それじゃあ、これで・・・」

と、フレイが財布を出そうとした時。

「あら、コキア」
「・・・・・・?!」

フォリアの足元に、また別の白いぬいぐるみが走ってきた。









         





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