◆源平討魔伝◆
AC版プレイヤーを叩き落した迷作?



発売日:1988年10月21日   発売元:ナムコ   ジャンル:ボードゲーム
値段:4900円   おすすめ度:2(AC版とのギャップに目をつぶれば…)


1192年、源頼朝が鎌倉幕府を開いてから、日の本に闇の時代が訪れた。 源平合戦の際、頼朝は一族郎党の他に、魔界から呼び寄せた数多の魔族もを引き連れて、平家をことごとく追い詰めていった。 そして、1185年の壇ノ浦の戦いで、平家一門のほとんどは死に絶え平家は滅亡した。

頼朝が幕府を開いたときから、元々乱れていた世の中にますます拍車がかかり、あの世をつかさどる天帝は大いにこの事を嘆いた。 そこで、三途の川の渡し守である安駄婆に、源平の戦いで心半ばにして死んだ平家の武将から、勇敢のある者を選ぶよう命じた。 安駄婆が選んだ武将は、平家一門が誇る強者、平景清であった。

景清は、藤原氏の武将であり平家一門ではないのだが、源平の戦いで数多の活躍を見せたことにより平家一門に列せられた。 壇ノ浦でも、彼は衆寡敵せず戦ったが、結局平家は滅亡し景清も囚われの身となってしまう。

源氏は、景清のような勇猛な人物を惜しみ、様々な恩賞で景清をなびこうとさせるも、景清はこれを拒否。 差し出した食べ物ですら、「敵にもらったものは食べたくない」という理由で突っぱね、自らは断食で命を絶った。

それから7年後、景清は安駄婆の導きと、『ぷれいやあ』なる異世界の者の布施により地獄から蘇った。 彼はその時、仮面と甲冑を身にまとった姿で登場、もはや生前の面影はなかった。

安駄婆は景清に、「頼朝を倒すには、剣、鏡、勾玉の三種の神器、そして己の正しい心が必要じゃ。」と述べた。 景清は、滅ぼされた平家の恨みを晴らし、三種の神器を集め鎌倉にいる頼朝を倒すために旅に出た。

その頃頼朝は、景清が地獄から蘇ったのを知り、彼の弟義経とその部下弁慶を蘇らせ、魔族と共に景清討伐を命じた。 既に頼朝は、己の魂を魔界に売り渡し、全知を超える存在となっており、鎌倉で景清が来るのを待ち構えているのだ…。


ナムコの名作と誉れ高いゲームの1つで、20年以上経った今でもファンが多い。 内容は、平景清を操りながら、九州南部、関八州の東半分、東北などを除いた日本列島を回って、 源頼朝を倒すために必要な三種の神器を集め、道中に待ち構える義経や弁慶などを倒しながら、頼朝のいる鎌倉に向かうというもの。

景清が訪れる国は、ステージという形で表され、そのステージの種類も3つに分かれている。 一般のアクションゲームでおなじみの横モード、見下ろし型の平面モード、そして大きなキャラ同士がぶつかり合うBIGモードである。 特にBIGモードは、大きなキャラばかり出しても動きは滑らかで、そのモードのキャラの表情なども合わせて、ファンの人気の要因の1つとなった。

他に、グラフィックやBGMも人気の1つの要因なのだが、それ以上に舞台を日本それも和風あふれる源平時代にしたことが大きい。 目的も、お姫様を助け出すのではなく、平家の恨みを晴らすために頼朝を倒すのであって、 目的を達成すれば元々死人の景清は桜の花びらとなり散っていくため(つまりあの世に戻っていく)、決してハッピーエンドにならないところも、大きなポイントとなった。

また、キャラクター1人1人にしても個性的すぎるもので、特に景清は赤い長髪に不気味な白い仮面を身につけており、当時としては考えられないようないでたちであった。 当然、台詞も個性的で、義経の「殺してしんぜよう」や弁慶の「これで勝ったと思うなよ!」は、ファンの間で語り草になっているほどだ。

頼朝についても、台詞ではないが「わらってよりとも」というだじゃれや、「戯れは終わりじゃ!」と共に巨大な頼朝が尺をぶつけてくるという、 こちらも外すことのできない存在となっており、だじゃれの国にしても開発スタッフが寒いだじゃれと共に、BGMもおかしいものに変わっている。


システムもまた、鳥居を使って様々な国を行き交うわけだが、(一本道主体で)三種の神器を集めながら鎌倉に行くには特定の鳥居を通らなければならず、 国によってステージの種類が違っていた(最初は地獄からスタート)。

したがって、体力が少ないままで次の国に向かうことも当たり前で、武器となる刀も数値が高いほど攻撃力が高くなるため、斬れない物を斬ってしまうとその数値が下がり、 0になってしまえば攻撃力が大幅に下がるので、それを重視しないゲームが占めていたこの時期、武器の数値で攻撃力が決まるシステムは珍しかった。

それと、このゲームのHPであるろうそくが尽きればその場でゲームオーバーとなる。 横ステージで、穴に落ちてもゲームオーバーにならず黄泉の国に入るのだが、終点にあるつづらのうち『死』を引いてしまってもゲームオーバーとなる。

なお、銭が99文所持している場合に血の池に飛び込むと、全額失われる代わりにつづらを開けなくても復活でき、『生』のつづらを開ければ復活できた。 この銭は、他に体力を上げたり剣の攻撃力を上げたりなど、地獄の金も沙汰次第と言うわけではないが、とにかくこのゲームにおいて重要視されている。

いずれにせよ、当時としては斬新かつ異色な設定や内容により、ゲーマーの多くをひきつけることに成功し、現在でも様々な機種に移植されている。 PCエンジンについては、続編の『巻ノ二』が発売され、こちらも人気を呼んだ。 また、イメージビデオもAC版稼動時に登場し、監督が雨宮慶太氏ということも話題となった。


FC版が発売されたのは、AC版登場から2年後の1988年。 この年は、前年にコナミから『月風魔伝』が発売され、物議を醸し出していた。

内容が、あまりにも源平に似ていたため、源平ファンはFC移植について相当不安だっただろう。 当時のFCの容量についても、完全再現とはいかないため、その不安がますます加速していったことも十分ありえる。

そして、2年後に発売されたFC版は、AC版プレイヤーの不安が的中した形となった。 なぜならば、AC版とは完全に内容が異なるゲームだったからだ。当然、ファンからは最早クソゲーと決め付ける意見が相次いだ。

これについては後述するとして、FC版はジャンルがAC版と違ってアクションではなく、何とボードゲームになっている。 といっても、物件を買ったりマスによってパラメーターが増減したりというものではなく、 RPGにシミュレーションの要素を加えたものと言ったほうがいいのかもしれない(決してシミュレーションRPGのことではない)。

つまり、道中に現れる敵を倒してプレイヤーを成長させ、国を色んな形で支配して収入を得るという仕組みである。 では、何故ジャンルがボードゲームなのかというのは、タイトルに『COMPUTER BOADGAME(コンピューターボードゲーム)』と表記されていることと、 実際に遊ぶためのボード(源平マップ)とチップなどが付属されていることが理由。


このゲームのサイクルは、プレイヤーが相手の放つ敵と戦い、勝って得た金と徳(AC版では得点)で体力を回復させたり、プレイヤーの能力を上げたりする。 体力回復は、祠で金1につき体力を3回復させ(その国の祠に連続して入ると、回復量が下がってくる)、能力上昇は鳥居で、徳50につき4つのステータスのうち1つ上昇できる。 国にいくつかある大鳥居は、一種のワープゾーンで、どこにワープするか決めることができる。

そして、その国の城主と対決して、勝てば国が手に入る。 同時に、金と徳に加えて出ていない敵の数と種類に応じてさらに徳がもらえ、体力全回復と支配した国に隣接しているところに移動できる。

もっとも、金を出せば素直に国を明け渡す城主もいれば、国によっては支配できない場合もあり、帝(天皇)の領地や、 頼朝によって城が封印されている国、すなわち関東と甲信、駿河と遠江は支配できない(青い斜線で塗りつぶされている)。

頼朝が支配している国の城主は、独立状態の城主よりも強く、プレイヤーが支配している国についても、頼朝に占領されることも多い。 とはいえ、三種の神器を集めて(場所はスタート前に知らされる)鎌倉(相模)にいる頼朝を倒せばいいので、別に全ての国を支配する必要はないのだが、 頼朝を倒すとエンディング後にいくつ国を支配したかによってもらえる称号が変わってくる。


なお、これは1Pでプレイするためのものであり、複数プレイでは国盗り合戦の意味合いが強い。 目的こそ頼朝を倒すためだが、その頼朝の軍勢がいないため、実質対戦プレイとなっている。 対戦の場合は、自由に敵を出したり戦闘で、敵の特殊攻撃を使用したりできる。

共通しているのは、死んだときに閻魔大王からルーレットで生か死かを決め、内容によって生き返ったりすることができる。 また、今いる国の敵を全滅した後に制限時間が出るが、それ以内に他の国に行かなければ、時間切れと同時に要石が現れ、それに触れると強制的に別のところにワープさせられる。

それと、別の国に入る前に支配した国から年貢がもらえ、占いでその国での運勢を占ってもらえるが、運勢が良いほどステータスが(見えない形で)上がったり、先制攻撃される確率が低くなる。 術も、目盛りや体力で消費され(術数回復はつづらで)、実に様々なものが多い。


このように、AC版とFC版は全く違ったものになっているが、なぜこういう形になったのか。 当時、FC版をプレイしたACゲーマーは、前年発売された月風魔伝が源平とよく似ていたので、別の形で変更するしかなかったではないかといった憶測が流れた。

だが実際は、AC版のようなものに開発が進められていたのだが、途中でFCのスプライト能力の限界にぶち当たったため、やむなくボードゲーム調にするしかなかったのが大きい。 PCエンジンは、スプライト能力がFCより格段に上だったので、見事AC版の移植に成功できた。

この事情を考えれば、FC版をクソゲーと呼ぶのは考え物ではないだろうか。 もちろん、AC版のイメージが強い人はFC版をクソゲーと呼んでも仕方がないだろうが、AC版に登場した敵などもしっかりと登場し、 義経や弁慶も何度も登場してくるので、目的も合わせてイメージ的にはAC版に忠実になっている。 ゲーム内容も、AC版と切り離せばそれなりに面白く、能力が上がれば道中の敵もたいしたことはなくなり、義経や弁慶も怖くなくなる。

しかし、忠実な移植はともかく、やたらと金や徳が稼ぎすぎている。特に、能力上昇に使う徳は、能力上昇限界が16なので、意外と限界になりやすい。 このため、能力上昇以外に使い道がなくすぐ貯まりやすい。 金も同じことで、城主を買収したり大鳥居などを使っても、結局最高まで貯まってしまうので、これについてストレスを溜めた人も多かっただろう。


それに、姿形で主人公が景清なのはいうまでもないが、なぜか名前がない。 名前を入力しないと、自動的に景清と名乗らず、他のナムコキャラの名前が使われるのは、ある意味奇妙といえる。

ちなみに、卑猥な名前や頼朝や義経といった敵の名前をつけると、『○○』という形で伏字になるが、『げつふう』と入力しても伏字になる。 これは月風が、源平より先にAC版を模倣に近い形で登場したため、最初AC版に忠実に移植しようとしたナムコが、意図返しという形で意識したものと思われる。

ともあれ、AC版のイメージが強かったためにクソゲー呼ばわりされ、当然ながらナムコが内容を変更した事情も知るわけがなかった。 PCエンジンはもちろん、PSやWindows果ては携帯まで、AC版と同じ内容をプレイできるので、 全く内容が異なるFC版は、ネットなどで知っていればもはや見向きもされることはなかった。


私がAC版の源平に触れたのは、PSの『ナムコミュージアムvol.4』をプレイしたことによるもので、 発売当時にいとこでプレイしていたのだが、既にAC版登場から10年ほど経っているにもかかわらず、 きれいなグラフィックとBGM、それに滑らかに動くBIGモードは、源平を知らない私に衝撃を与えるのに十分すぎるものであった。 もちろん、FC版の情報はそれより前に見ていたが、なにぶん情報が少なすぎたため(発売日とジャンル、発売元と値段のみ)、ナムコミュージアム版をプレイしていたときは既に忘れていた。

それから数年後の2003年、ネットでレトロゲーム関連の情報を見ていたら、偶然にもFC版源平の情報が載っていた。 あるサイトでは、他言無用という形でクソゲー呼ばわりしていたが、裏を返せばAC版に大きな衝撃を受けたといえる。 私も、そのレビューを真に受けて、FC版源平がクソゲーだと思い込んだ。

それからFC版を購入したのは、レビューを書く前の年で、そのときは源平の関係を噂された月風魔伝と一緒に購入していた。 ただ肝心のプレイは、レビューを書いている現在で、やはり私は『FC版源平=クソゲー』という図式がいまだ抜け出していない証といえる。

さて、私から見たFC版の評価だが、確かにAC版のイメージを持っていると必ず肩透かしを食らうが、あえてAC版と切り離してプレイすれば、それなりに面白みがある。 もっとも、後半が近づくにつれて金や徳が貯まりやすい状況になりやすく、それを有効に使えない状況が続いていくのは、なんともつらかった。

甲信地方や関東全域などにしても、支配できないのがなんとも歯がゆく、せっかくとった国が頼朝によって奪われることも考えれば、 AC版の雰囲気を忠実に再現しても面白いとはいえず、せいぜい中間程度の面白さでしかなかった。

ゲームをクリアしたとき、支配した国の数で称号が得られることを知ったが、頼朝が場合によって一度に複数の国を支配する状況では、 正直上の称号を得るのは難しいし、何よりも上の称号を手に入れたからといって、別に2回目以降のプレイが楽になるわけではないので、ある程度国を支配するだけで満足だと私は思った。

なお、私が得た称号の中で最も位が高かったのは摂政だが、今も昔も摂政といえば一番上の人物を補佐しながら、着々と実権をこちらに持っていくという裏の支配者的なイメージがある。 もう少し支配する国を増やせば、摂政より高い称号を得られるのだろうが、個人的に摂政で十分だと思った。



本日のまとめ



よくやった! おぬしに

摂  政

の しょうごうをあたえよう

(07/6/11レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年5月17日
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