◆ファイナルファンタジーU◆
泣けるストーリーの連発



発売日:1988年12月17日   発売元:スクウェア   ジャンル:RPG
値段:6500円   おすすめ度:3(やたら人が死にまくる…)


これは、私達が住んでいる世界とは別の世界、そうはるかかなたの世界における物語である。 この世界における、長年にわたって続いていた平和が、何者かにより終わりを告げた。

その仕掛け人は、パラメキア帝国の皇帝で、彼は魔界から魔物を呼び出し、世界征服に乗り出したのである。 皇帝軍は、世界各地に攻勢を仕掛け、飛竜と竜騎士の国だったカシュオーン王国を滅亡に追い込み、様々な街や村を支配下に置いた。

これに対し、皇帝の世界征服に反発する人々は、続々とフィン王国に集結し、フィン王国もまた皇帝のやり方に反発していたのだ。 王国軍と一般人によって結成されたフィン軍は、皇帝の世界征服に反発する形で反乱軍と名乗り、直ちに皇帝軍迎撃のために出撃したが、 帝国軍の圧倒的な軍事力と、皇帝が呼び出した魔物達の強さに敗退を重ね、遂にフィン城を奪われるばかりか国王もその際に重傷を負ってしまう。 辺境の街アルテアに逃げ込んだフィン軍は、国王に代わり娘のヒルダ王女が指揮を執り、フィン城奪還作戦の準備を進めていた。

一方その頃、帝国軍に執拗に追われている4人の若者達がいた。 その4人、フリオニール、レオンハルト、マリア、ガイは、両親を帝国軍に殺されてしまい、命からがらフィンの城下町から脱出した。

だが、とうとう帝国軍に追いつかれ、4人は彼らに殺されてしまったかに見えた。 しかし、フリオニール達を救ったのはフィン王国の王女ヒルダと、反乱軍の参謀格であり白魔導師のミンウだった。

彼らは、2人の手厚い看護により、ようやく死の淵から脱することができた。 フリオニール達は、恩返しとしてヒルダ指揮する反乱軍に加わりたいと申し出たが、ヒルダは若い命を犠牲したくないという思いからこれを拒否。 それでも、彼らの必死の願いにより、反乱軍の一員として加わることを認めた。

ようやく、彼らの願いがヒルダに通じることができたが、フリオニール達にはマリアの兄レオンハルトの行方がわからなかったのだ。 そのレオンハルトとは、意外な形で再開するとは、彼らにはいまだ知る由もなかった…。


ドラクエシリーズと、肩を並べるほどの実力を持つ、FFシリーズの第2弾。 FFシリーズといえば、思いつくのが泣けるストーリーが多いということだ。

前作では、そういった感じはあまり見受けられなかったが、今作ではその手の要素がふんだんに盛り込まれている。 その主たるものは、物語の重要人物が次々と死んでいく点だろう。 フィン王や、カシュオーンの王子の1人であるスコットはもちろん、パーティのメンバーも次々と死んでいくのだから。

フリオニール、レオンハルト、マリア、ガイの4人は、このゲームの主人公であるため死ぬことによりパーティから外れることはないが、4人目を任される人物は自己犠牲により死んでいくのだ。 一部の4人目を任されるキャラは死なずにイベントで外れていくとはいえ(レオンハルトは最後まで4人目に座り続ける)、 せっかく主力級まで育て上げた矢先の離脱は、より一層仲間の死をプレイヤーに強烈に印象付けた。

だがフリオニール達は、死んでもレイズなどといった蘇生ができるのに、4人目の人物はイベントの死では2度と生き返ることはないのだ。 これは、プレイヤーの間で騒然となり、続編のVでも主人公以外の人物が死んでも生き返らない方針を採ったが、 さすがに反発が大きかったのかWでは死亡ではなく『戦闘不能(意識不明に近いか)』と言う言葉に改められている。


物語を盛り上げる要素は、人が死ぬことの他にAVG的な要素も含まれている。 それが、ワードメモリーシステムと言うもので、台詞に『【】』で囲まれている単語を覚え、その単語を重要人物にたずねることで、新たな冒険の道が開かれるのだ。

重要アイテムも、『アイテム』を選んでその場面にふさわしいアイテムを選択すれば、これも冒険の幅を広げることができる。 謎解きの要素があまりない今作では、新たに登場した隠し通路(壁をすり抜ける通路とも)とあわせて、謎解きの代わりをなしえている。

FFシリーズのストーリーで有名なものはもう1つ、名前のついた主人公の冒険をプレイヤーが操作する形で進めている(ネームエントリー画面はあるが)。 いうなれば、ドラクエシリーズのようにプレイヤーが主人公になりきるのではなく、ゲームの世界の主人公の冒険を体験することになっている(つまりプレイヤーは第3者的な役割)。

FFUは、それの最初の作品だが、既にこの形のRPGはいくつか存在していた。 ただ、ゲーム開始直後にいきなり戦闘、それも終盤にである強敵黒騎士4人であり、いきなり全滅してしまう様子は、イベント戦闘とはいえ当時のプレイヤーに衝撃と戸惑いを与えた。


また、ストーリーを結ぶ重要キャラとして、新たにチョコボとシドが加わった。シドは、前作で名前だけの存在だったが、Uでようやく顔見せの登場となる。 そのときは、渋い親父姿だったが、シリーズごとにおやっさんスタイルや老人など、色々な姿で登場しゲームをにぎわせている。

チョコボは、チョコボの森にいる黄色く飛べない大きな鳥で、乗れば敵に出会わず速度は徒歩の2倍、 BGMも面白おかしくチョコボ自体とても可愛らしかったので(移動中にお尻を振る場合は特に)、シド同様次回作以降にも登場する。

なお、チョコボの森の所在は、カシュオーン城の南の森の1箇所だけで、その場所も特徴を示すマークは何もないので、 カシュオーン城の南の森をくまなく歩かなければならず、何度もモンスターに遭遇する光景が見られた。 ちなみにキャラではないが、フィールド上でのセーブや前列と後列の変更、戦闘画面において下がウィンドウ上が戦闘画面という点も、Uから始まったことを付け加えておく。


FFUにおける重要な要素はもう1つ、熟練度の存在で、一般RPGにあった経験値を廃した。 つまり、一定の経験値を習得できれば、レベルアップして能力が上がるのではなく、何回かの戦闘すなわち攻撃回数如何によって決まる。

例えば、ドラクエシリーズの成長システムにおいて、スライム8匹とメタルスライム1匹と比べると、はるかにメタルスライムのほうが経験値は多いが、 FFU式の成長システムの場合、スライム8匹のほうが攻撃回数の多さにより成長しやすくなっている。

この成長は、武器や盾それに魔法に表れ、武器はそれ1つではなくその種類を使い続けることで攻撃回数が増し、より一層的に大きなダメージを与えることができる。 つまり、強力な武器を手に入れても、その種類の熟練度が低いと、その武器の実力が発揮できないため、一般のRPGの成長システムと比べて非常にリアリティが高かった。 極端な話、最弱のロングソードのほうが剣の熟練度が高い分、斧の熟練度が低くかなりの攻撃力を有するポイズンアクスよりも、多くのダメージを与えることができることになる。

魔法も同様で、例えばファイアをずっと使い続ければ、より強力により派手なものになっていく。 シリーズにある、『ケアルラ』や『ブリザガ』などといった、上級魔法がないのはこのためで、熟練度が上がっても上級魔法の名前にはならない。

なお、魔法を覚えるには魔法屋で購入した魔法書を使うのだが、戦闘中で使うとなかなかの効果を得ることができる。 もちろん、使えばなくなるし金額も馬鹿にならないので、そう簡単に使えるものではないが。


ステータスの成長もまた然り、戦闘中にHPが減っていれば最大HPが、黒魔法を使い続けていれば知性が上昇するなど、熟練度に近い形で行っている。 このためのだろうか、このゲームの宿屋全ての値段は、HPやMPを1回復するごとに1ギルかかることになっていることも、意外と現実味がある。

早い話、序盤はMPよりもHPのほうが多く消費するので、先にケアルで全回復させてから宿屋に泊まると、宿屋代をある程度節約させることができる。 これをあわせれば、キャラの成長をプレイヤーの思いのままに変えることが可能であり、華奢なマリアを力あふれる戦士に、野生児のガイを知性あふれる魔導師にしたりすることもできる。 戦士タイプのキャラは、必ず力とHPが、魔法使いタイプのキャラはMPや賢さが、決まった形で上昇するものと違うので、自由な成長システムは当時新鮮ではあった。

ところで、戦闘における重要な鍵は、HPでも防御力でもなく回避率だった。 確かにHPや防御力は大事だが、毒や眠りといった状態異常の追加攻撃を食らえば、HPや防御力が高かろうと危険。 特に、防御力が高いものの大部分は、重さが大きいものばかり。

防具の重さもまた、回避率に重要な影響を与えており、重量が高ければ回避率が大幅に低下するため(重さが低ければその逆)、 これを知ったプレイヤーは防御力が高いものよりも、重さが低いものを買うことが多くなった。

「当たらなければ、どうということはない。」シャア=アズナブル台詞を、このゲームで具象化しているといえる。 前作や他のシリーズでも、防具の重さのステータスはあるが、それ程回避率に影響されていない(香華着る順番までの時間には関係しているだろうが)。 むしろUのほうが、回避率に極端になりすぎている感がある。


RPGのシステムに、真っ向から挑戦する形で登場したFFUは、熱狂的なファンを生み出した一方で、それ以上に批判的な意見が出た。 その一番先に出たのが、熟練度の問題で、パーティを強化するためにわざわざ弱い敵と戦わざるを得なくなり、主に味方を攻撃するパーティアタックで成長させていった。 パーティを成長させるには、敵を攻撃して倒すのが常識なのに、味方を攻撃して成長することなど常識では考えられなかったのだろう。

そもそも、成長システムが経験値を得るものではないため、経験値での成長に慣れていたプレイヤーに戸惑いを与えたことは容易に考えられる。 それに、熟練度上昇はコマンドを選んだ回数によって上昇するため、行動を決定してすぐキャンセルして熟練度上昇をさせることができる。 4人目や、3人パーティを任された状態のガイではできなかったが、敵と戦っての熟練度上昇なので、このバグは完全に致命的といえるだろう。

熟練度繋がりにおける欠点もあり、ブラッドソードは攻撃力はないものの、相手のHPを吸収する効果がある。 つまり、熟練度が高ければ攻撃回数も増し、それによるHP吸収も増える計算になる。 しかも、ラスボスにも効果があり、熟練度しだいでは数ターンで倒すこともできる。

もちろん、ゾンビといったアンデットには効かないが(HPを逆に奪われるため)、その威力は最強を誇るマサムネより高かった。 事実、ゲームバランスを崩しかねないものとなり、禁じ手という形で封印されることが多くなった。 このような熟練度の批判は、続編以降再び経験値による成長システムに切り替わったことから、いかにそれが高かったことが裏付けている。


ミシディアの塔で手に入るアルテマは、FFシリーズを代表する究極魔法だが、Uにおいてはその威力はこの時点としてはあまりにも低すぎて、 どんなに熟練度を上げても威力は全く上がらないため、アルテマの封印を説くために命を落としたミンウは、無駄死にといわれることになり、 ミシディアの塔の難易度の高さ(10階という高さに、石化といった特殊攻撃を仕掛けてくる敵が多い)も相まって、FFUにおける語り草の1つとなった。

実は、どんなにステータスが低くても、一定のダメージを与えることができるものだったが、当然当時のプレイヤーにはそんなことなどわかるはずもなかった。 後のシリーズに、究極魔法に恥じない威力を得るようになり、リメイク版は全ての熟練度で威力が上がることになるため、場合によっては化け物じみた威力を出すこともできるようになった。

敵の出現配置にも問題があり、フィンの城下町には終盤に登場する敵キャプテンが、兵士の姿で街をうろついている。 話しかけなければ、特に問題はないのだが、大抵話しかけるプレイヤーは多いだろうし、ヒルダの台詞に「モンスターがうろついている」とあり、 街中でエンカウントで出てくるモンスターは全て、序盤のフィールでに登場するザコでしかないのだが、よもや帝国軍の兵士に話しかけるとすぐ戦闘に突入するとは夢にも思わなかっただろう。

それと、フィン城の北部と南部をかなり進んだところと、カシュオーン城の南の砂漠には、序盤では到底勝てない敵が登場する。 もちろん、序盤で鍛えていれば何とかなるとはいえ、うっかり進んでいきなり強敵に袋叩きに遭うことが多く見受けられた。


そんな中、週刊少年ジャンプ内の1コーナー『ファミコン神拳100番』内において、FFUを批判する記事が書いてあった。 その内容たるや、批判と言うよりただの非難、もしくは言いがかりに近いものだった。この時期、ジャンプは黄金時代の真っ只中で、読者の多くがその内容を信じ込むことになった。

この記事を書いたのは、ドラクエシリーズの第一人者である堀井雄二氏。 堀井氏が、このような酷評を書いたのは、いずれFFシリーズがドラクエシリーズを脅かす存在になるかもしれないと考えられる。 現に、弱小メーカーだったスクウェアが、FFTで一気に盛り返した上に、そのFFTも約50万本の売り上げを記録したことから、堀井氏の警戒はただならぬものがあっただろう。

ただ注意しておきたいのは、宮岡氏や木村氏といった他のレビュアー達は、FFUについては中間的な考えで批評をしていたことだ。 それとジャンプ内では、ファミコン神拳と違って好意的になっていた。 同じコーナーで酷評されたPCエンジンも、ジャンプ全体では好意的に受け止められ、何本かの漫画ではPCエンジンが子供達の憧れの的として描かれている(『燃える!!お兄さん』は特に)。


つまるところ、堀井氏だけが浮いてる存在になり、FFUを酷評したツケは、翌年の『ファミコンジャンプ英雄列伝』を甘く評価したことによりいきなり表れる。 これにより、ファミコン神拳は打ち切り、堀井ブランドは急低下することになった。

また、1990年に発売された、ドラクエWの売り上げは約300万本を達成したものの、売り上げと人気は直結せず、 同時期に発売されたFFVは、ドラクエW売り上げの半分に満たない約140万本にとどまった一方で、人気はドラクエWより上だった。

結局、堀井氏によるFFシリーズ潰しは失敗し、ドラクエシリーズの人気に微妙な影響を与えたばかりか、堀井氏自身の名誉に傷がつく結果となった。 逆にFFシリーズは、再評価などによりアンチドラクエにまた一歩近づき、不評が大きかった熟練度も様々な改良を経て、 『ロマンシングSa.Ga』シリーズや3以外のGB『Sa.Ga』シリーズにも導入され、どれも高い評価を得た。

最後になるが、ラスボスの皇帝の断末魔は、プレイヤーにとって重要なネタの1種となり、20年近く経った今でもその断末魔が忘れられない人もかなりいる。 リメイク版だろうと、GBA版の隠しシナリオでの皇帝だろうと、断末魔はやはり「ウボァー」だった。


私がFFUををはじめたのは、FC版ではなくリメイク版、それもWSC版ではなくGBA版だった。 理由はもちろん、熟練度の成長システムになじめなかったためだ。

2001年に登場した、WSC(またはPS版)のリメイク版もまた、同じリメイク版であるFFT発売を記念してのFFシリーズ特集が、 ファミ通ワンダースワンに大体的に特集されていたのだが、いまだFFUの熟練度システムに否定的だったために、購入することはなくにFFTのリメイク版を購入した(WSCバージョン同梱で)。

にもかかわらず、同じ熟練度を導入したスクウェア作品を飽きずにプレイしていたのは、その作品の熟練度システムがFFUより簡単だったため。 特にGBのSa.Gaシリーズは、キャラのステータスや特殊能力の取得のみに熟練度が導入され、その中でも2が大のお気に入りだった。

FFUのGBA版を購入したのは、FFTのリメイク版に興味があったためで、FFUについてはこの時点でも興味がなかった。 だが、FFTをクリアし終えた時点で、なんとなしにFFUをプレイしてみたら、驚くほどにはまった。 キャラの能力が、思った以上に成長しやすくなっていて、最大HPについてはパーティアタックをせずとも上昇していった。


しかし、FC版をいざプレイすると、思った以上の成長率の悪さや敵の強さなども相まって、かなり難しく感じた。 やはり、先にリメイク版を長くプレイするとこういうことになるという、まさに典型的な事例になってしまった。

しかも、リメイク版と違って4人目のキャラを育てる意味がないため(クリア後のシナリオがない)、4人目の成長を考える羽目に陥った。 既にFC版『FFT&U』をプレイしていたとはいえ、それは触り程度だったため、真剣にFC版をプレイしたのはレビューを書くときだった。

ここで私が驚いた要素は、装備欄にアイテムが登場していることと、戦闘中で使用するアイテムは、装備されているのみに限られていることの2つで、自由に使えるシリーズとは完全に異なっていた。 これも、FFUを難しくしている要因だと思うし、個人で最大8つしか道具を所持できないドラクエシリーズと比べると、その衝撃がいかほどすごいかわかるかと思うほど少なかった。 やはりFFUは、リメイク版それもGBA版に限ると思ったが、そういえば今年FF誕生20周年記念ということで、PSP版も出るとのことだが、PSPを持っていない私は別にどうでもいい話題でもある。

クリアはしたのだが、ラスボスの断末魔は、同時期に発売されたドラクエVのゾーマと比べると、別の意味でインパクトがあるのだが、 ゾーマの死の間際の台詞を見た後に皇帝の断末魔を見ると、なんともばかばかしい気持ちになるのは私だけではないと思う。

それと、タイトル画面があまりにも貧弱すぎたことについては、単に容量の食いすぎなのか、同じ貧相なOP画面だっただったドラクエVに対抗してなのか、もしくはその両方か…?



本日のまとめ



チョコボみーっけっ!

(07/5/22レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年5月13日
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