◆デジタル・デビル物語 女神転生◆
『仲間』から『仲魔』へ…



発売日:1987年9月11日   発売元:ナムコ   ジャンル:RPG
値段:4900円   おすすめ度:3.5(悪魔合体とマッピング…)


1980年代後半のある高校にて、天才的なプログラミング技術を持っていた学生・中島朱実は、 自分をいじめた生徒達に復讐すべく、ひそかに制作した悪魔召還プログラムを使い、魔王ロキやセトを実体化させた。 だが、2人は朱実の命令を無視し、他の人間達を襲い始め、遂には朱実自身にも魔の手が迫った。

そのとき、彼を救ったのが転校生の白鷺弓子であり、弓子は日本創造の女神イザナミの転生した姿、朱実もまたイザナミの夫イザナギの転生した姿であった。 朱実と弓子は、前世から千年以上の時を経て再び巡り会い、ロキとセトを死闘の末討ち滅ぼしたのだった。

しかし、戦いはこれで終わったわけではなく、ここからすべてが始まったのである。 ロキとセトの死により、力の均衡が崩れた魔界では、大魔王ルシファーがこれを機に人間界征服をもくろみ、 その手始めとしてイザナミが眠る飛鳥にある白鷺塚の真上に、大魔王の居城であり大魔宮であるデビルポリスを建造した。

この大魔宮は、6つのエリアに分かれており、そのうちの1つアンフィニ宮殿は、ルシファーの居城でもあった。 さらに、朱実や弓子に倒されたロキやセトを復活させた上に、イザナミを宮殿に封印したのだ。

このことを知った朱実と弓子は、封印されたイザナミを救い出すために、そして復活したロキやセト、 大魔王ルシファーを倒すため、デビルポリスに足を踏み入れたのである。 果たして2人は、イザナミを救い出しつつルシファーを倒し、地獄の迷宮から地上に戻ることができるのだろうか…。


1987年は、『ドラゴンクエストU』を皮切りに、様々なRPGが登場した年でもあった。 ナムコは、最初のRPGとして『女神転生』を登場させたが、それはあくまで発売であって開発は別の会社が行った。

この別の会社というのは、またの名を下請け会社と呼ばれることもあり、この時期のナムコは他の会社のゲームを移植するに加えて、下請け会社に支えられていた感があった。 事実、AC業界ではそこそこの勢力を誇っていたのだが、FC業界では他のメーカーが実力をつけた結果、一メーカーの地位に納まっていたのである。

ACを移植したゲームは、元々の人気も手伝ってそれなりの人気を得ることができたが、FC向けのゲームを作るとなるとそれなりの知識やユーザーのニーズも考えなければならなかった。 コンシューマーはACと違って、ジャンルが多岐に上るからだ。

ナムコは、RPGを作る際にナムコ以外の会社に下請けを担当させていたが、女神転生を開発したのは当時設立して間もないアトラスという会社であった。 しかも、開発メーカーの名前すらゲームに出ていなかったが、設立して間もないということがその理由だったのかもしれない。


現在は、女神転生を略して『メガテン』という愛称で親しまれているが、このゲームは小説を原作としており、 同時期にOVAも発売されており、いわばメディアミックスという形で登場した。

内容は、大魔宮デビルポリスにある6つの迷宮を制覇し、イザナギを救い出して最終的に魔王ルシファーを倒すことになっている。 重要人物を救い出して、なおかつ最終ボスを倒すといったストーリーは、既に『ドラゴンクエスト』でやったパターンだが、 ドラクエと違うのは今まで出たRPGが古代や中世であるのに対し、こちらは現代を舞台としている。

また、色々なシステムも大幅に違っていた。 まずマップが、一般のRPGにある2Dではなく、『ウィザードリィ』にある3Dであった。 3Dを基にしたゲームは、他のゲーム機のみならずFCでも存在しており、『ポートピア連続殺人事件』や『月風魔伝』などが存在しているが、 これらはおまけとして存在しており、それをメインとするゲームは極めて少なかった。

一応、マッパーという魔法により、自分のいる場所のマップが見ることができる上に、方眼紙の使用をあわせることで、2Dダンジョンのマッピングよりも簡単にできる。

今まで、3Dダンジョンゲームをプレイしてきたプレイヤーは、「便利な世の中になったものだ」とほっとしたが、 そもそも3DダンジョンをメインとしたゲームはFCに浸透しておらず、これに戸惑ったプレイヤーは多くいた。 マッパーも、使用や効果に制限があり、マップを映し出すといっても店や宝箱、ダメージゾーンといったトラップまでは表示されなかった。

施設については、武器防具屋のほかに回復の泉がある。 これは、普通のRPGにおける宿屋の役割を果たしているが、町ごとに料金が決められているのに対して、こちらは回復の度合いに応じて料金が変動するシステムになっている。 それと、武器防具屋はあれど道具屋がなく、体力を回復させるには先の回復の泉のほかに、魔法と敵や宝箱から手に入る宝玉で補うしかなかった。


戦闘については、見た目はドラクエ同様フロントビュー方式だが、敵のパーティ方式やプレイヤー側の攻撃回数といった、様々な要素が違っている。 敵のパーティー方式は、一般のRPGのように一度に他の敵と組むわけではなく、まず1種類の敵が数体登場し、それを全滅させると別の種類の敵が襲ってくるというパターンになる。 この手の手法は、プレイヤーにとって特定の敵に対処できるといった好意的な意見と、やっと倒したと思ったら待て別の敵が襲ってきたといった否定的な意見が飛び出した。

続いて、プレイヤー側の攻撃回数だが、ファイナルファンタジーシリーズのように1体の敵に対して滅多切りをするわけではなく、ドラクエシリーズよろしく連続攻撃をする。 もちろん、装備している武器によって攻撃回数が違ってくるが。

また、オートシステムが搭載されており、すばやく敵を倒したいときに便利であった。 とはいえ、AI機能がない昔のRPGでは、魔法は使わずに直接攻撃しかしなかった。

しかも、回復すらできないばかりか戦闘終了まで解除はできなかったので、AI搭載のRPGと比べると不便ではあったが、 それでも当時としては便利でスピーディとの評判をもらった。

任天堂の『MOTHER』でも、オートシステムが使われているが、こちらは敵がパーティを組む分、 既に倒した相手を攻撃しようとして行動を無駄にすることがあったことも考えれば、 メガテンでの敵パーティの編成をシステムが使いやすいようにしたアトラスの株が上がるというものだ。 さすがに強敵では使えないが、ザコ相手では重宝したのは間違いない。


おまけとして、敵のアニメーションも話題の的の1つでもあった。 といっても、2つの絵を交互に出すもので、これをアニメーションと呼ぶのは賛否両論ではある。 だが、これをアニメーションと考えれば、ドラクエYより5年、ドラクエYより先に敵のアニメーションをやった『邪聖剣ネクロマンサー』より1年早いことになる。

そして、このゲームにおける戦闘で最も重要な要素、それは交渉である。 普通、敵との戦闘における選択肢は、戦う(魔法等を使うことも含める)か逃げるの2つだった。

だが、女神転生シリーズでは、第三の選択肢として『交渉』という選択肢を追加した。 これは、勝利と敗北以外の結果を生み出したことにもつながった。
まず、プレイヤー側が悪魔と交渉するが、もちろん相手は色々なものを要求してくる。 こちら側が、それらに応じることで、ようやく悪魔との交渉が成立するのだ。

その見返りは、悪魔を直接仲間にできるというものだった。 ただ、悪魔も気まぐれな性格なので、いきなり襲い掛かったりもらうだけもらって後は逃げるといった、狡猾なものもいる。 こういう形での交渉は、戦闘以上に緊張感があふれることになった。


この、敵を仲間にするというやり方は、現在では他のゲームでも使われているが、当時のゲームではそういったことはなく、この手の手法は斬新かつ合理的でもあった。 何しろ、強い敵を自分の物にすることができるので、こんなにも強い敵がいるならばわざわざ戦うよりもこちらに引き込めばいいのだから。

このゲームにおいて、仲間になった悪魔のことを『仲間』ではなく『仲魔』という呼び方がはやるようになり、シリーズの代名詞の1つになった。 ただし、中島朱実が状態異常だったり、交渉悪魔の人数が2人以上だと交渉できない。

中には、仲魔にできない悪魔もおり、これも交渉において重要なポイントの1つでもあった。 それと、画面中央上にある月の満ち欠けによっても交渉の成否が分かれ、最悪交渉がができないことがあるのだが、それは後で述べることにする。


この仲魔をどうするか。もちろんこちらと共に戦うこともできる。 しかし、仲魔になったといってもすぐこちらにいいるわけではないので、はじめにそれらを呼び出さなければならないし、呼び出すには金がかかる。

呼び出しても、1歩歩くごとにマグネタイトを消費し、なくなると仲魔のHPが減ってしまう。 このマグネタイトは、悪魔にとって食料的なものであり、悪魔を倒すことで入手できるが、手に入らないこともあるうえに手に入ったとしても思ったより少ないこともあるのだ。 しかも、強い仲魔ほど消費するマグネタイトの量が増えていくので、どこで仲魔を呼び出すかといったマグネタイトのやりくりにも気を配らなければならなかった。

仲間に引き込んだ悪魔は、主人公達よりも強いことがあるのだが、その反面レベルを上げることができない。 つまり、それ以上強くなれないのだがこれをどうするかというと、ある施設で強くするのだ。

それは邪教の館といい、自分が所有している仲魔同士2体を合体させるのである。 これが悪魔合体であり、交渉のほかにこのシリーズを象徴する1つとなっている。

だが、悪魔を強くするといっても、主人公達のレベルに反映されるため、レベルが低いと弱い悪魔しか作れない。 レベルが上がることによって、強い悪魔を作ることができるので、擬似的にではあるが悪魔もレベルアップしていくのだ。


これら以外にも、このゲームの特徴はかなりある。 月齢は、悪魔との交渉やマッパーを使う際、特に新月と満月に重要な役割を果たす。 交渉における成功は、運と悪魔の要求に対するプレイヤー側の態度もあるが、月齢も成功の鍵を握っている。

新月の場合は、悪魔はおとなしくなるが、満月の場合だと凶暴になり、交渉すらできない。 これは、満月になると狼男に変身するように、悪魔もまた満月になると凶暴さが増すという神話を取り入れている現れである。

月齢による伝承のみならず、このゲームは登場する悪魔についても、神話や伝承にのっとった人物が大挙登場するので、 プレイヤー達はこの悪魔の登場する神話について身近に触れるきっかけともなったといえる。 マッパーについては、新月以外で使用が可能になるが、効果は新月を迎えたときまでで、新月になると効果が切れてしまうのだ。

他には、主人公達の能力のカスタマイズも、特徴の1つともなった。 ゲームを始める前とレベルアップしたときに、それが行われるのだが、手に入れたボーナスポイントをそれぞれの能力に加えていくのである。 つまり、バランス型をはじめとして、パワー重視型やスピード重視型といった様々なタイプにカスタマイズすることができるのだ。

しかし、中島朱実は魔法が使えないので、実質パワー重視やスピード重視のキャラにならざるを得ず、色々なキャラにカスタマイズできるのはパートナーの白鷺弓子だけであった。 この手のカスタマイズは不完全とはいえ、他のジャンルのゲームに重要なポイントを与えたことは間違いないだろう。


さて、20年近くメガテンシリーズとして愛されている作品ゆえに、最新作が発売されるごとにオートマッピングや新たな魔法の増加など、 様々な親切機能が付加されていったが、初期の作品ということか不親切な要素はいくつかあった。

2Dフィールドがなく、全て3Dダンジョンだったこともそうだが、それよりも多く取り上げられるのは、やはりパスワードだろう。 ドラクエのようなひらがなではなく、数字と英語(それと※)でありドラクエUには及ばないものの、40文字というこれも非常に長いパスワードだった。

さらに、仲魔が死んだ状態(『DEAD』と表記される)でパスワードをとりながらリセットをして、その後のパスワードを取ると、死んだ仲魔がいなくなってしまうのである。 この手のやり方は、せっかく強い仲魔を手に入れたプレイヤーにとって批判の的の1つになった一方、 ろくでもない悪魔を仲間に(もしくは合体)してしまったときに、わざと死なせてパスワードを取ることでリストラすることができるといった意見も出た。


これだけではなく、先にも書いたが道具屋がないことや、体力を全回復させる宝玉が少ししか持てないことなど、 ゲームオーバー時におけるドラクエ風の救済措置(所持金半分と持っていた宝玉が全てなくなる)があるとはいえ、 この手のやり方はRPGの初期作品なためか少々粗く、回復させる手段は主に魔法でやらなければならなかった。

回復の泉はほとんど存在せず、状態異常を回復させることも請け負っている邪教の館にしても、わざわざダイダロスの塔の8階まで行かなければならないのだ。 つまり、弓子の存在がパーティの生死を分けることになり、弓子が状態異常やMP0になってしまうと、生き残るのはきわめて難しい。

ただ、続編以降にはなかった親切な設定もあったことも事実。 特に、続編以降に存在する物理攻撃を反射する敵がいなかったことは、先に紹介したオートシステムを有効に活用しているものといえる。

それと、経験値の給与については、朱実と弓子のうちどちらかが死んでも、必ず2人に経験値が与えられることができる。 これも、一種の親切設定ではないだろうか。


ともあれ、交渉や悪魔合体といったこのゲームの肝は、一般のRPG感を早くも崩したことになり、当然ながら各ゲーム雑誌もこぞって高評価をつけた。 さすがに、ミリオンとまではいかなかったが、それに近い売り上げを見せたのは間違いない。 もっとも、ドラクエUからVまでの間は『RPG飢餓時代』と呼ばれており、RPGに飢えたプレイヤー達がドラクエ以外のRPGを買い求めたことも1つの理由ではあるが。

続いて、原作小説版とゲーム版のかかわりについて話しておきたい。 ゲーム版は、小説版を元にして作られているが、共通点は登場人物の係わり合い程度しかない。 小説版は3巻発売されており、ゲーム版は2巻目の続編という形で制作された。

だが、ゲーム版と小説版の3巻のラストが異なっているのは、3巻発売がゲーム版の約半年後に発売されたことと、当時のゲームはハッピーエンドが基本だったからだ。 いずれにせよ、小説版とオリジナルの展開を見せたゲーム版は、小説版と同じく続編を出すものの、内容がオリジナルになったことは、 ゲーム版のストーリーが小説版よりも受け入れやすかったということなのだろうか。

最後に、このゲームに出てくる登場人物も、主人公側や悪魔以外にも味のあるキャラもいる。 アメジストしか興味がないラグの店の主人や、プレイヤー達を最初から(ダイダロスの塔の8階)戻させる催眠術師がそうで、陰気くさいダンジョンにまさにぴったりといえる。 特に催眠術師は、トラップに近い役割があるとはいえ(文章が出る前にBボタンを押すと解除できる)、邪教の館に行くにはまさに助け舟といえるかもしれない。


私は、今でもメガテンシリーズをプレイして入るが、最新作は所持ハードや値段などでプレイしていない。 しかも、初めてプレイしたシリーズが、PSの『女神異聞録ペルソナ』だった。

シリーズ第1作自体は、SFCのリメイク(『旧約 女神転生T・U』)でプレイしているが、さわり程度で本格的にプレイはしていなかった。 20年近く前に、FC版の存在は知っていたが、今まで真シリーズやペルソナシリーズしかプレイしていなかったのは、FC版はSFC版以降の作品より不親切ではないかと考えていたからだ。

ようやく、私のHPも更新に余裕ができたので、しばらくは私のゲームレビューはプレイ時間が長めのゲームをレビューしようと考えた。 そこで、FC版女神転生Tを白羽の矢に立てたわけなのだが、真シリーズ以降になれたせいか思った以上にダンジョンに迷ってしまった。

その理由として、オートマッピングがなかったことが大きく、FC版をプレイした人からは「攻略本を読んでも道に迷いやすい。」という意見もあったが、 私もマップが掲載されている攻略サイトを利用してプレイしたわけだがやっぱり道に迷いやすく、改めて真シリーズから登場するオートマッピングの偉大さに頭が下がる思いだった。



私は、必死の思いでクリアしたのだが、どうも敵が全体的にやや強く、全滅したことも何度かあった。 そのたびに、ダンジョンの主から散々罵倒されたが、攻略サイトにあった経験値稼ぎポイントで何度も敵と戦って最大に近いレベルにした。 このゲームでの最高レベルは61で、意外と中途半端低いと思ったが、全パラメータが最高値になってたのでこのレベルの値にせざるを得なかったのかなと少し思った。

考えてみれば、ドラクエTも最高レベルが28とシリーズ中最も低く、このレベルが冒険するサイズに合わせてあると同様、 FC版メガテンTもダンジョンがやたら広いとはいえ、まだまだ手のひらサイズの冒険でしかないのだから、 ゲームをクリアしてレビューする私がこんなことで音を上げてはまずいのではと、ちょっとばかり反省した。

 ところで、FC版第1作目のキャラデザイナーは、悪魔絵師の異名を持つ金子一馬氏かと思っていたら、 『機動戦士ガンダムZZ』のキャラデザインで有名な北爪宏幸氏で、イザナミや弓子の顔グラフィックは、まさに『萌え』といえるかもしれない。

申し訳ないが、この2人を描いたのが金子氏だったら、ちょっと萌えないなと思っている。 旧約版では、全て金子氏がキャラデザインを担当しているので、FC版Uをプレイかつレビューし終わったら、改めてプレイしてみたい。



本日のまとめ



わたしは ゲンマ ツクヨミ
こんごとも よろしく・・・

(07/2/12レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年4月23日
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