◆ファイナルファンタジー◆
ドラクエキラーの原石



発売日:1987年12月18日   発売元:スクウェア   ジャンル:RPG
値段:5900円   おすすめ度:3(ドラクエに慣れるとつらい…)


この世界は、暗黒に包まれている。風は止み海は荒れ、大地は腐っていく。しかし人々は、ひとつの予言を信じ、それを待っていた。

『この世、暗黒に染まりし時、4人の光の戦士、現れん』

長い冒険の末、4人の若者がこの地にたどり着いた。そしてその手には、クリスタルが握られていた。 コーネリア王は、娘のセーラ姫がこの国の親衛隊々長ガーランドに誘拐され、4人に打倒ガーランドとセーラ奪回を命じる。 そして、カオス神殿に立てこもるガーランドを、激闘の末討ち倒した4人は、王により光の戦士の到来と目されるようになる。

かくて、光の戦士と認識された4人は、いずれ来るであろう大きな使命と運命に戸惑うのだが、 ガーランドとの戦いが世界を救う旅のひとつに過ぎなかったことは、この時誰も知る由もなかった。 そして、4人に倒されたガーランド自身も、混乱した世界の状況に重大な関わりを持つ人物だということも…。


現在のRPG界において、『ドラゴンクエスト』と並ぶ2大RPGの1つとされているゲームである。 このゲームが発売された1987年は、『ドラゴンクエストU』の大ヒットにより様々なRPGが誕生した。

『ヘラクレスの栄光』や『女神転生』などがそれにあたり、どのゲームも独自の要素を取り入れているのだが、 ゲームシステムの大本はドラクエを元にしていたため、どれもドラクエを超えたゲームになることが出来なかった。

『ファイナルファンタジー』にしても、ドラクエほどの人気を得ることができなかったが、 RPG界におけるインパクトの度合いというとその他のRPGはもちろんドラクエと同等、もしくはそれ以上のものであった。 では、RPG界におけるインパクトの要素とは、いったいいかなるもなのだろうか。

FFが、ドラクエと違う要素は色々あるが、なんといっても戦闘シーンが大幅に異なっていることが挙げられる。 FF誕生前のRPGの戦闘シーンは、ドラクエと同じであったがそのドラクエの戦闘シーンは、敵が正面を向くトップビュー方式であった。 ドラクエTから登場したこのシーンは、ゲーム自体のインパクトも合わさって、後に登場するRPGのほとんどの戦闘シーンはこれになった。

しかしFFは、それとは全く違う戦闘シーンを用意した。 それは、敵と味方が両方見ること出来て、敵が左側で味方が右側に配置されるというサイドビュー方式であった。

このシーンの長所として、攻撃してもただ単に文字と魔法によるフラッシュしか出ないトップビューと違って、 ちゃんとそれによるアニメーションが搭載されており、魔法による攻撃もそれ独特のアニメーションで表されていた。

また、時折見せるキャラクターの愛嬌さには誰もが目を見張っていた。 さらに、一般のRPGにあるような「○○の攻撃!××に53のダメージを与えた!」というような詳細で長い文章ではなく、 出来るだけ簡略化したメッセージが出るのみとなり、戦闘のスピーディーさに磨きがかかるようになった。

実際、この手のシステムは当時としてはとても画期的であり、後のRPGにおいて多大な影響をもたらすことになったが、 あまりにも画期的すぎたのかこの手の戦闘シーンを取り入れたゲームは、FFシリーズを除いてしばらく登場しなかった。

ただし、アニメーションシステムはFF発売からまもなくトップビューでも行われることになり、 初のアニメーション搭載のトップビューRPGはPCエンジンの『邪聖剣ネクロマンサー』であった。


ともあれ、サイドビュー戦闘はFFシリーズを代表するシステムとなり、次第にこの手の戦闘シーンを支持するプレイヤーが多くなった。 それと同時に、FFシリーズも戦闘シーンがますます簡略化されると同時に、なおかつわかりやすく表示させるなど、 プレイヤーから多大な支持を受けても決して手を緩めることはしなかった。

また、この戦闘システムにおける隊列も大きな要素となった。 これは戦闘の際、一キャラにおける回避率や命中率を隊列で表しており、一番上にいるキャラは命中率が高い反面回避率が低く敵の攻撃を食らいやすい。

一方、一番下にいるキャラはその逆となり、一般のRPGでは考えなかった隊列のカスタマイズを選択する必要性に迫られることになる。 このシステムは、続編以降にも受け継がれパワーアップされていく。

それともう1つ、一般のRPGのようにパーティ全員が死ぬか石化といったいわゆる全滅状態になると、 最後にセーブした場所で所持金を半額されるなどして(そのとき手に入った経験値はそのまま)復活できる場合と違って、 全滅したら即座にゲームオーバーとなり、最後にセーブした状態からやり直さなければならない。

この緊張感も、プレイヤーにとっては一種の快感に近いものだったのだろう。 ウィザードリィも、全滅はもちろんのことキャラ1人を復活できるまですら、まさに緊張感の連続なのだから(2度と生き返れないこともある)。


さらに、戦闘システムにおいてもう1つ重要な点は、魔法の種類におけるやりくりであろう。 一般のRPGにはMP(もしくはそれに近い単位)が存在しており、強力な魔法だろうが補助的な魔法だろうが1キャラのMPでまかなえるようになっている。

一方FFの場合、一応そのシステムに近いものがあるのだが、一定数の魔法ごとにレベルが設定してあり、MPは回数という形に設定されている。 同時期に発売されたアスキーの『ウィザードリィ』も、同じMPを回数制にしているのだが、こちらはいつでも城に戻れるシステムを採用している。

だがFFは、一瞬で城や町に戻れる魔法やアイテムが存在しないため、こちらの方がつらいように思えるかもしれない。 おまけに、強力な魔法を習得できても、レベルでの回数制限により弱い魔法しか使えないことも当然ありえるわけだ。

しかし、HPの回復と同時に魔法の回数を回復させるテントやコテージなどのアイテムにより、この手の不安はそれほどでもなかった。 また、知性をどんどん上げると、弱い魔法でも強い魔法と同等の威力が出る。

例えばドラクエの場合、賢さ(知性)がかなりある状態でメラを唱えると、 威力はメラゾーマとほぼ同じになると思ってくれればいい(もちろんドラクエでは、呪文のダメージ量は一定しているが)。

これは、『ダイの大冒険』での大魔王バーンとの最初の戦いにおいて、バーンが放った火の魔法はあまりにも強大なためダイ達はメラゾーマと勘違いしたが、 魔法力(賢さ)を増大させたメラとバーンは説明している(そしてメラゾーマはカイザーフェニックスという必殺技となっている)。


このシステムにより、一般のRPGにあるようなMPのやりくりとはまったく別のやりくりを迫られるようになったが、 その一方で別の楽しみ方も増えたことも否定は出来ないだろう。

その魔法は、レベルアップにより習得できるものとは違って、魔法屋で魔法を買うことにより習得できるようになっている。 これも、当時のRPG界においてかなりの衝撃を受けたのはいうまでもない。

つまるところ、買ってすぐに習得できることになるのだが、常識的に考えれば買うだけですぐ身につけられるものではないと思うかもしれない。 しかし、角川スニーカー文庫発刊の小説版『フォーチュンクエスト』の2巻では、エルフのルーミィが行きつけの魔法屋で金を払って 魔法を習得するべく修行をするシーンが書かれていることから、おそらくFFの魔法屋をイメージしたものと思われる。

魔法の種類も、1レベルごとに4つ存在しているのだが、肝心の習得可能数はひとつ少ない3つとなっており、全て習得できるわけではなかった。 このため、どの魔法を選ぶかが悩みの種であり、習得したら最後外すことが出来なくなることも悩みの種であった。

このことについて、プロデューサーの坂口博信氏は、「魔法の習得のカスタマイズを楽しんでほしい」と述べているが、 セーブデーターがたった1つしかないので、もしかしてこの発言はとっさに出たものではないかと疑ったプレイヤーもいたという。

ちなみに、そのセーブデータについてだが、たった1つしかないとはいえドラクエシリーズより先にバッテリーバックアップを搭載しており、 ドラクエVにある3つのそれよりはるかに高性能であった(データが消えにくい)。

セーブする方法については、ドラクエのようなやり方(王様などに話しかけるもの)ではなく、 宿屋に泊まったり寝袋やテントといった宿泊アイテムを使ったりすることで出来るようになっている。 しかも、宿泊アイテム使用はフィールドで使えるので、ドラクエシリーズよりもセーブにおける自由度は高かった。


このほかにも、一般のRPGと比べてインパクトの強い要素が存在する。 電源を入れてすぐにタイトルが出ないというのも、当時としては衝撃が大きかった。

王様に話しかけても、最初のボスであるガーランドを倒しても、全くタイトル画面が出る気配はなかったが、 コーネリアの北側に出来た橋を渡るといきなりタイトル画面が出てくるのである。

これは、王女救出が壮大な物語の序章に過ぎないことを表している。 ラスボスにしても、大魔王とか悪の親玉といった一個人ではなく悪そのものといった存在であり、 それを固める4人のカオスもラスボスの配下というよりラスボスに近い地位を持っている。

壮大な物語の設定については、主に世界各国の神話や伝記を参考にしているため、 ドラクエのような世界観は中世でもどこかしら日本風味を思わせていたが、FFはむしろ海外のゲーム感が漂うものになっていた。

事実アイテムのネーミングも、薬草とか銅の剣というわかりやすいものではなく、 ミスリルとかポーションというような一般人が聞けばちんぷんかんぷんなものばかりであった。 何しろ、それら全て海外から入ってきた単語であったので、こういったものを知らないプレイヤーは数多くいただろう。


他に、FFシリーズの世界観を表すものの1つとして、古代文明が挙げられる。 この古代文明、一言で言えば機械文明のことで、ファンタジー世界に機械というものはアニメでは既に試みがされていたのだが、ゲームではFFがはじめてであった。

さらに、古代文明を象徴するものとして、飛空艇がある。この時期、ドラクエUでは船が登場し、徒歩では行けなかった所も行けるようになった。 しかし、それは海でのことであったので、船以外の乗り物はまだ考えがつかなかった。

だがFFでは、全ての地形を無視できる乗り物を、ドラクエU発売の年に登場させていた。 なんといっても、歩くペースより早い速度で飛ぶため、山を越えることも相まって心地よい快感がプレイヤーを癒してくれたに違いない。 ちなみに、船も登場するのだが、ドラクエと違って港でしか接岸できない。

そして、FFシリーズになくてはならない最大の要素、それはジョブである。 翌年発売されたドラクエVよりも、先駆けて登場したシステムだが、ドラクエVと違って一度ジョブを決めたら最後、2度と他のジョブに変更することが出来ない。 その代わり、ゲーム中盤のあるイベントにより、上級職へランクアップすることになる。

例えば、最初に戦士を選んでいたとすると、ランクアップによりナイトへとパワーアップする。 当然、ランクアップされたキャラは以前よりも格段に強くなり、前のジョブでは身につけられなかった武器や防具も身につけることも出来る上に、 魔法使いの職業では上級の魔法をも扱うことも可能となってくる。


その後、ランクアップされたキャラはリアルサイズに変わり、かわいいキャラからりりしいキャラへと変貌する様は、子供から大人へと成長するものだと受け止められた。 しかし、あまりにも前のジョブとの外見のギャップが激しすぎたのだろうか、リアル投身のキャラが描かれるのはFC版Tのみであった。

また、シリーズを象徴する物の1つとして、クリスタルがある。 主に、風火水土で成り立ってるもので、作品によっては光と闇のクリスタルも存在する。 当然、物語において重要な役割をもたらすことになる。

シリーズのほとんどにクリスタルが登場したが、Y以降はクリスタルが登場しなくなり、\についてはクリスタルが登場するのは終盤になってからというものだった。

さらに、スタートボタンで出るメニュー画面や、Aボタンで人に話しかけたり宝箱などを調べたりする便利ボタンの存在も、大きな話題になった。


通常のRPGでは、Aボタンでメニュー画面を出し、『はなす』や『しらべる』などを選んでするものだが、 このゲームではそういった面倒なことをしないため、これも手軽でスピーディなものとなった。 これ以外にも、様々な話題があるのだが、キャラデザインを担当した人物が天野喜孝氏だということも話題となった。
天野氏は、かつて『科学忍者隊ガッチャマン』シリーズやタイムボカンシリーズといったタツノコアニメのキャラデザインを手がけており、 タツノコプロ創設者であり当時社長だった吉田竜夫氏(故人)に、「天野ちゃんには負けた。」と舌を巻かせるほど、 タツノコにとってなくてはならない存在であり、日本を代表するイラストレーターでもあった。

後に、『吸血鬼ハンターD』のイラストを描いた際、今までの天野氏の絵とは趣が全く違ったものになっており、FFのイラストもそれに影響された可能性は大きい。 その絵は、最初はおどろおどろしいが次第に幻想的であり、このシリーズにおける想像力は天野氏の絵によって培われてきてるといっても過言ではない。


とにかく、当時のRPG化の常識を打ち破る画期的なアイデアを出したゲームであったが、 ドラクエ熱がまだ冷めていないばかりか、ドラクエVの前人気も合わさって売り上げは約54万本とそれほど大きく伸びなかった。

だが、前評判はそれほどでもなく(FC雑誌界では)ノーマーク的な扱いだったことを考えると、54万本は大ヒットといえるものではないだろうか。 もちろん、ドラクエUから端を発したRPGブームの波に乗ったということもあると同時に、スタッフが主にPC関連の雑誌に大体的な宣伝をしたこともあるのだが。

事実、この出来事にも衝撃を受けたゲームメーカーはかなりおり、特に大手RPGメーカーのエニックスが受けた衝撃は計り知れなかった。 この後、ドラクエシリーズ関係者の重要人物の1人である堀井雄二氏は、続編のFFUに対しあの手この手の嫌がらせを敢行することになる。

これについては、いずれ続編をレビューする際に題材の1つとして取り上げるとして、現在続くFFシリーズの基礎は、この第1作から始まったといってもいい。


最後に、このゲーム制作に関する裏話を紹介していきたい。 ファイナルファンタジー発売前のスクウェアは、大作はおろか佳作と呼ばれるゲームが『ディープダンジョン』シリーズしかないという中小メーカーであった。

その一方、パソコンメーカー同士による複合メーカー『DOG(ディスクオリジナルグループの略)』の盟主になり、 様々な良作を輩出していたものの、ドラクエやスーパーマリオといった名作を出せずじまいであった。

そこで、坂口氏以下数人のスタッフと共に、会社の起死回生を賭けてファイナルファンタジーの制作を開始した。 このゲームのネーミングは、『最後の夢を託して作ったもの』であり、言わば先に書いた会社の存亡を賭けたものであった。

事実、このゲームが売れなければスクウェアは解散すると、当時社長だった宮本雅史氏は後にこう語っている。 結果は、言わずもがな他の大部分のゲームと比べて大ヒットを飛ばし、当時弱小メーカーだったスクウェアを有力メーカーの仲間入りを果たすことになる。


現在、Z以前のFFシリーズは全てプレイしているが、第1弾をプレイしたのは今までプレイした作品よりも最後であった。 しかも、FC版ではなくリメイク版が先だったのだ、今から6年ほど前で、それもワンダースワンカラー(以下WSC)版。 発売当時にプレイしなかった理由として、当時私がいまだRPGブームに染まっていなかったから。

それから10年以上経っても、いまだに第1弾をプレイしなかったのは、この間にも続編をかなりプレイしていたため、どうも第1弾をプレイする気にはなれなかった。 WSCのリメイク版をプレイしている最中、あるゲーム雑誌の特集においてFFシリーズの歴史が載っており、FC版の画像や内容を見て思わず貧弱だと感じてしまった。

これは、先ほどにも書いたように、続編を先にしかもかなりプレイしたことも合わさって、ますますFC版をプレイする気にはならなかった。 さらにGBA版は、WSC版よりもシステムが大幅に簡略化されとてもわかりやすくなったので、もうFC版をプレイすることは2度とないだろうなと思ったこともあった。

しかし昨年、私のHPでレトロゲームのレビューコーナーを立ち上げてから、いつかFC版もレビューしてみたいなと思うことがあった。 それは、色んなレトロゲームをプレイして、その気持ちがますます強くなってきたことにもある。

また、現在FC・SFCあわせて100本のゲームをレビューしているが、レビューしたRPG系(アクションRPG含む)はたった3本しかない。 もちろん、気長にプレイするゲームを含めれば10数本にもなるのだが、それでも全レビュー数と比べると極端に少ない。


というのも、手軽に遊べるゲームのほうが、短い時間でプレイするだけでゲームの内容がある程度わかり、 色々な資料を読み漁っても短期間でゲームレビューを書き上げることが出来る。

だが、元旦に私のHPを色々と更新することを考えると、そろそろ長めのRPGをレビューしてもいい頃だなと思って、急遽FF1のレビューを書くことにしたのである。 元旦に、レビュー内容を出すこともあって、ゲームプレイはもちろんのこと様々な資料を読み漁った結果、かなり文章が多くなり貼った画像もまた文章に負けず多くなった。

さて、FC版をようやくプレイした感想だが、リメイク版を先にプレイしたこともあって、楽しんでプレイする気にはなれなかった。 むしろ、予想してた以上の内容の貧弱さとセーブスロットがたった1つしかないこともあって、苦労が前面に押し出す結果となった。

おまけに、クラスチェンジによる等身の急激な変化は、違和感がありすぎると同時にかなり不気味だった。 ただ、FC版にしか登場しないモンスターも登場しており、これだけについてはちょっと得したなという気分になった。

一応エンディングは見たのだが、初心者用となっているGBA版に慣れていることもあって、もうFC版をプレイすることはないと思う。 ただ、カップリング版である『FFT・U』のFC版を、『その他のゲーム紹介』のコーナーに加えることを考えると、 再びFC版FFTをプレイすることもあると思うので、この程度で泣き言をいっている暇はない。



本日のまとめ



フシギナ ジュモン サ サッサカサ!  とくれせん たぼーび  フシギナ ジュモン サ サッサカサ!

(07/1/1レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年4月23日
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