◆ ワイルドガンマン◆
君も保安官だ!!



発売日:1984年2月18日   発売元:任天堂   ジャンル:光線銃系STG
値段:4500円   おすすめ度:1.5(光線銃があれば…)


今も昔も、ゲーム機に何かしらインパクトのあるゲームがなければ、ゲーム機の知名度はあまり上がらない。 それの周辺機器の場合はなおさらのことで、『太鼓の達人』や『ダンスダンスレボリューション』といったごく一部の大ヒットした例を除き、ほとんどは彗星のごとく消え去っていった。 これらの周辺機器の元祖は1984年にファミコン初の周辺機器として登場した『光線銃』であり、それを開発したのが他ならぬ任天堂であった。

任天堂はファミコン発売前後、「ソフトだけ出していては、必ずユーザーに飽きられる。」という危機感から、周辺機器の開発にも力を入れた。 その経緯から誕生したのが、1984年2月18日に発売された光線銃であった。

任天堂における光線銃は、実はこれが最初ではなく、1970年に誕生した『光線銃SP』が最初であった。 光線銃SPは飛ぶように売れ、『花札の任天堂』から『ハイテク玩具のNINTENDO(この時期から社名のロゴがこれに変わった)』へ進化を遂げた。

その後まもなく、光線銃を業務用に導入し始め、かなりのヒットを飛ばしていた…のだが、1973年のオイルショックにより大打撃を受け、 1981年登場のAC版『ドンキーコング』の大ヒットまで、任天堂は苦しい経営を強いられることになる。

しかしながら、光線銃の性能は今も色あせていないがそれもそのはず、光線銃の開発スタッフの中に、後にゲーム業界の尊敬を集めた故横井軍平氏がいたからだ。 横井氏は光線銃以後、さまざまな商品を開発し、特にファミコンの基本とされるコントローラーの十字キーを、 同じく彼が開発に携わっていたゲームウォッチに取り付けたことは、電子ゲーム業界から衝撃と賞賛が送られることになった。

光線銃SP誕生から14年後に、ファミコン周辺機器としての光線銃(正式名称はそのまま)が誕生するが、これも横井氏ら当時の光線銃SP開発スタッフが携わっていた。 そして同年6月12日発売の『ホーガンズアレイ』発売まで、実に3本ものの光線銃専用ソフトが発売された。 『ワイルドガンマン』、『ダックハント』、『ホーガンズアレイ』がそれである。


今回レビューする『ワイルドガンマン』は、光線銃専用ソフトの一番手である。 ゲームモードは3種類あり、1つは西部のガンマンよろしく1対1の決闘モード(以下Aモード)、もう1つはAモードをでは1対1だったのに対し、 こちらは2対1とこちらが不利なバージョン(以下Bモード)さらにもう1つは西部劇の建物に潜む悪党たちを次々と撃ち倒すモード(以下Cモード)である。

Aモードは、『FIRE!!』の掛け声の後、相手が引き金を引く前に(制限時間内に)こちらが引き金を引けば勝ちとなる。 ただそれだけなのだが、ステージが進むごとに難易度が上昇する(相手の引き金を引くまでの時間が短くなる)。 Bモードは、最初から2対1という不利な条件でスタートするため、Aモードと同じ感覚でプレイすると必ず返り討ちにあう。

Cモードは、一発も撃たれずに建物の中に潜む悪党全部を倒せばクリアとなる。 ただし、このモードは弾数制限があるため、敵を全滅させる前に弾数が0になると、問答無用で負けとなる。 しかもAモードとは違って、1対多数であるため、次々と現れる敵に対処しなければならず、Aモード以上に精神の集中を要求される。


この手のゲームの購入層は、西部劇を見て保安官にあこがれて今はパパとなった人たちと、光線銃SPにあこがれた人たちではないかと思われる。 特に前者のほうは、子供たちにファミコンを買ってもらうためのだしに使われたようで、当時を懐かしむ父親にとってはお気に入りのゲームではないだろうか。

しかしながら、このゲームのみならず光線銃専用ソフト全部があまり売れなかった理由として、購入層が限られていたことと、光線銃自体の値段がファミコン本体の値段の半分に近かったからだ。 その光線銃の値段は8500円(ソフト付属)で、一方ファミコン本体の値段は、14800円。つまり両方買うとすれば23300円の出費となり、親たちは光線銃の購入に関して頭を悩ませた。

さらにワイルドガンマンの場合、ほかの光線銃系ゲーム付属セットを買った場合、別途ソフトと専用ホルスターを買わなければならなかった。

ワイルドガンマン付属の光線銃セットは、光線銃やソフトはもちろん、ホルスターも付属されていたのだが、それ以外のセットは当然ながらホルスターはなかった。 もちろんホルスターがなくても遊べるのだが、このゲームをみんなで遊ぶとなると、ホルスターが必要となった。

また、光線銃系のゲームが売れなかった理由としてもう1つ、ゲーム性ゆえにすぐ飽きられることだった。 購入した人たちは、飽きられないよう何かしら工夫をこなさなくてはならなかった。

ワイルドガンマンは、遊び方の工夫がしやすい1つであり、変なポーズでプレイしたり、銃をテレビにくっつけてプレイするなどさまざまであった。 当然、西部劇の真似をしながらのプレイもはやっていた。

そして、光線銃シリーズが終了して間もないころに、サードパーティーのハドソンとナムコが登場したことも、光線銃衰退の1つだったのかもしれない。

いずれにせよ、商品としての試みは失敗に終わったが、ファミリーベーシックやファミコンロボットといった専用ソフト対応の周辺機器の開発の発展に弾みをつけたことを考えると、 大成功という形になったといったほうがいいかもしれない。

それが証拠に、1993年には同じ任天堂で『スーパースコープ』を誕生させ、翌年にはコナミが『リーサルエンフォーサーズ』用の 専用ガンコントローラーが発売されているが、結局ブームにならないまま終わってしまった。


私は小学生のころに、このゲームをプレイしたことがある。 もちろん友達の家でなのだが、前にレビューした『ストリートファイターU』を一緒にプレイした友達ではなく、当時県議会議員(現自民党国会議員)の父親を持った人であった。

このゲームをプレイするにあたって、複数プレイが主であった。 このゲームに飽きてくると、全員変なポーズでプレイするのが暗黙のルールとされてきて、私も恥ずかしいポーズでプレイしてた記憶が残っている。

それから約20年の後、このゲームのレビューのため、光線銃と専用のソフト3本を購入。 全て箱説明書なしでの購入だが、それにかかった費用は約一万円となった。 これらのゲームをレビューするために、わざわざ一万円も使った私はアホではあるが、いろんなゲームをレビューするすることは多額の出費が必要だということを自分に言い聞かせた。

早速プレイし、最初は思わず熱中のだが、悲しいことにすぐに飽きてしまった。変なポーズで面白さを持続しようとしたが、恥ずかしいのでやめた。 小さいころ面白おかしく遊んだ思い出は、恥ずかしい思い出として返ってきてしまった。

ちなみにエミュでプレイすると(吸出し機必須)、コントローラーではなくマウスで操作をするようになり、それと同時に特殊なポインタに変化している。 これは、『ダックハント』と『ホーガンズアレイ』も同じようになっている。

エミュでプレイすると、少しばかりか面白さが増えるのだが、そしたら光線銃系のゲームとしての魅力がなくなってしまう…。



本日のまとめ



FIRE!!

(06/5/29レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年4月19日
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