◆三國志◆
三國志シリーズ第1弾



発売日:1988年10月30日   発売元:光栄   ジャンル:SLG
値段:9800円   おすすめ度:3.5(イナゴと火計と引き抜き)


光栄(現コーエー)における、歴史SLGいやシリーズ全体における、信長の野望シリーズと双璧を成す著名シリーズの第1弾で、2008年現在本シリーズが11作目で携帯版の最新作が『DS2』である。 舞台はいうまでもなく、後漢末期から三国時代だが史実通りに加えて、中国古典文学で名高い『三国志演義』と横山光輝氏(故人)の『三国志』などといった、日本での作品の要素をもわずかながら取り入れている。

PC版登場は、PC版初代信長の野望発売から2年後であったが、信長の野望発売から三國志発売までの2年間、この間と思わしき開発期間において信長の野望との差別化を図ったことは容易に想像できる。 同時に、値段も14800円と当時のPCソフトと比べてとてつもなく高かったが、それだけ開発スタッフはこのゲームを信長の野望のように大ヒットを記録するゲームを目指したことが伺える。

まず、中国風のイメージに合わせるかのように、タイトル文字の執筆を中国のある著名な書道家に任せ、『三国志』の国を國に変えてさらに中国風の(古典的な)イメージを推し進めている。 その中で興味深いのは、『三國志』ではなく『志國三』とあえて左からではなく右からに読ませるもので、いかにも中国古典文学を読んでいるような感覚にさせてくれるのだが、 この手の手法はユーザーにとってどうもわかり難かったらしく、『さんごくし』と読むところを右から読むことを知らなかった人が少なからずいたためか、 『しごくさん』と間違って読んでしまう人もいたようだで、結局続編以降では先の理由に加えてそのタイトルが数字になり、 数字がローマ数字になったため左から読む欧州形の文字に合わせる形に変更されたしまったと思われる。

タイトル画面も、1980年代半ばのPC作品ゆえに黒い画面にタイトル文字、左下に『スペースキーを押して下さい』の一文と制作会社名だけで文字の色も白一色だけだったが、 それだけ家庭用ハードより優れているPCソフトといえども容量が苦しく、初代信長の野望もグラフィックがほとんどなく文字と数字が大勢を占めていて、 BGMにいたっては全くなく代わりに鳴るのはPC独特のビープー音だけである。

そのタイトル文字はとても大きく、中央に位置しているおかげでかなり威圧感は抜群であり、さらにBGMも付加されるようになった。 このゲームのBGMを担当したのは、当時大学生で21歳の若さで翌年結成されたロックバンド(既に解散)のメンバーになる菅野よう子氏で、 光栄としては彼女の若さとその稀有な音楽センスに賭けたのかもしれない。 結果、菅野氏の人気はこのゲームの人気と合わせて急上昇し、光栄のゲームの多くを手がけるきっかけにつながった。


もちろん、このゲームが人気を獲得した背景はそれらの他に、同じ歴史SLGながらもシステム面で信長の野望との差別化を図ったことにある。 その大きな要因の1つに、劉備や曹操といった武将の存在が挙げられその数200人をゆうに超え、それぞれ年齢や武力といったステータスがこと細かく設定されている。 さらに、顔グラフィックもそのキャラにあわせて設定されており、ステータスとあわせて武将への感情移入に大いに役立っている。

当然だが、全ての武将が1つのシナリオに登場しているわけではないので、シナリオの年代によっては未登場もしくは死亡扱いになっている。 こういった、ある武将の登場の有無などの情勢の変化に応じた、複数のシナリオを導入したのも光栄歴史SLGを通じて初の試みをやった。

国の数も、信長の野望のように中部と近畿の17ヶ国程度だったのに対して、中国大陸全土を舞台としていることで全58ヶ地域(国でもあるが)と初代の3倍以上の世界を有している。 また、58カ地域全て支配の状態にあるわけではないので、シナリオ年代が昔にあるほど空白地が多く、それを移動という形で占領することができる。 とりあえず、中国大陸全土を支配下に置けば、このゲームの勝利は達成される。

実のところ、敵のほうもこれを利用するため例え戦で敗れてしまっても、空白地がある限り勢力を立て直すことは地域によって可能だ。 というのは、地域には必ず兵士と兵糧と資金が用意されているので、その量によって逆に反攻体制が十分可能であり、 それを利用して資金などをどんどん奪い取って、最終的にステータスが豊かな地域に移住して力を蓄えていくいく手法も攻略の1つとして出された。 どうせ、相手が占領しても金や兵士などがないため、戦力を分散させてそこで一気に叩くことも可能ではある(訓練や鍛冶屋での取引の武装で強化されていなければの話)。

もちろん内政や軍備も必要で、前者は民に施したり開発して収益を上げたり、兵を雇ったり鍛冶屋で武装を強化したり訓練したりなどという富国強兵が基本となる。 ただし、毎月に1回ターンが回ってくるものの(当時の信長の野望は1季で1ターン、すなわち1年で4ターンしか回ってこない)、 1つの地域に1回しか命令を出せないので誰にどんな仕事を任せるのか、これもこのゲームにおける重要な戦略になっている。


戦闘もまた然りで、大抵戦闘力が高い武将を差し向けつつ、兵士や武装をできるだけ多くし訓練度を限界近くまで上げる。 特に、関羽や呂布といった武力が高い武将に武将や訓練度を高めた先鋭を多く預ければ、まず間違いなく勝利は約束されたも同然。

こういった手法は、続編以降のみならず信長の野望シリーズといった歴史SLGに大きな影響を与え、武力が高い者同士によるぶつかり合いが多く見られたことは言うまでもない。 攻め込まれても、兵糧さえ奪ってしまえば勝てるので、これも歴史SLGの戦術の一般的なものとなっている。

しかし、このゲームの戦で本当に恐ろしいのは武力にあらず知力である。 実は、攻撃における火計を使うことで対象部隊を炎に包むことができるが、なんと火をつけられて1ターン経過するとその部隊は全滅、場合によってはその部隊を率いた武将も焼死する。 成功確立は、知力が高い武将が低い武将にやるほど高まり、知力が高く武力が低い武将は主に内政が主任務なのだが(他の歴史SLGでも基本的に同じ)、戦場でも十分活躍できることを実証された形となった。


内政でも謀略は行われ、人材登用という名を借りた他国武将の引き抜きがそれである。 選択肢も、『めいばをおくる』や『みずからでむく』といった三国志演義ならではのエピソードがあるが、さすがに君主のステータスの1つであるカリスマが高くなければ引き抜きは難しい。

それでも、有能な武将を手に入れたときの感動はすばらしく、運がよければ大勢力を一気に弱体化することも可能であり、 弱勢力だった蜀がなぜ長く持ちこたえられたのかは、劉備のカリスマが多くの武将のこちら側に引き寄せたことが大きい。

このゲームの要素はもう1つ、洪水や疫病といった突然やってくる災害。 洪水は、開発するだけでその確立が減るのだが、確立が減るだけで低確率でも発生することもあり、多くの災害はどうあがいても防ぐことは不可能。

特に、プレイヤーから一番恐れられた災害はイナゴであり、その被害は甚大で序盤でこれを食らえばまず間違いなくリセットは免れないほどであった。 災害ではないが、民の忠誠度が低いときに起こる住民の反乱も厄介で、これにしくじれば武力が高い武将といえども民衆に殺されることもある。


今のシリーズと比べればあまりにも荒削りな内容であったが、今から20年以上前の作品でありそれも初代であったことと、ゆえに武将や要素が少なかったのだから仕方がない。 武将についても、劉備といった蜀の武将達を優遇している文学などを参考にしたため、逆にそれ以外(特に魏)の武将達の多くが能力が低いといった不当な扱いを受けている。 それでも、今も初代をプレイする人は多くいるのは事実で、初代に登場した武将が後のシリーズではなぜか登場しないこともあり、それが初代を愛好する理由の1つのなっているのかもしれない。

もちろん、当時は値段が高くても大ヒットを記録し、後に数多くのハードにも移植された。 FC版登場は、PC版発売から3年後の1988年10月で、その時はナムコ版の三国志が登場、これも人気を集めていた。 ナムコ版より後の登場、それも家庭用ハードではPC版にあった要素の多くが削除されている。

足止めできる計略や、人材登用の際に出る美女の差し出しと『手紙を出す』の選択がなくなり(代わりに金銭で武将を引き抜くことができる)、 外交交渉における使者に対する『姫ごと皆殺し』もなくなっているため、PC版の破天荒は多少潜んでいる。


FC版の容量がたった2Mということが大きいようだが、代わりに値段を9800円に引き下げたり武将のグラフィック全て描きなおしたりと、あえてFCユーザーのための配慮も行っている。 値段については、FCは主に子供が遊ぶという前提上1万円未満にせざるを得なかったのかもしれないようだが。 こう見ると、タイミングが悪い形での登場となったが、それでもFC版の人気は高かった。

戦略においても、多くの要素が削除されたとはいえ引き抜きと火計の脅威は健在で、何よりPCで人気があった三國志がFCでプレイできることは、 色んな要素が削除されその分5000円ほど安くなっても十分おつりがくるほどであった。

『信長の野望 全・国・版』発売における、初めての光栄のFC進出は9800円という他メーカーのソフトの値段を圧倒したが、 FC第2弾となる三國志も同じ値段としたため、以後の光栄作品は9800円以上のソフトが中心であるという認識をユーザーに示したといえる。

それでも、他のソフトと比べても売り上げがあまり落ちなかったのは、元々PC版の内容がすばらしかったことを意味しており、 FC版の人気はやがて来る光栄作品のFC移植のラッシュを後押しした形となった、値段の高騰化も含めて。


私が、三國志シリーズに触れてからもう10年以上の年月が経つのだが、はじめたのがWからであってその他というと全くプレイしていなかった。 もちろん、存在自体は知っていたのだがプレイとなると、その多くが今もプレイしていないことになっている。 三國志自体、信長の野望よりまだ慣れていないため、初めてプレイしたWでも発売から数年後という遅さだった。

FC版初代となると、それがかなり顕著に現れていて、存在を知ったのが1991年に発売されたSFC版で認知時も同じ時間帯だったものの、FC版となるとそれより遅くSFC版発売から12年という遅さだった。 私がFC版をプレイしなかった理由はただ1つ、後のシリーズのシステムに慣れているため前の作品になると、ユーザー泣かせの設定などが多くあるのではないかという思い込みからだった。 したがって、ようやくFC版をプレイしたのはレビューを書いている現在で、それもニコニコ動画の光栄作品のPC作品のみのOP集を見て、突然FC版をプレイしてみたいという衝動に駆られただけであった。

中古ショップで1380円で購入、ついでに続編も同じ値段で購入し、まず初代のほうをネットのレビューを参考にしながらプレイしてみた。 そして、後のシリーズの内容をある程度知っているだけに、プレイすることが次第につらくなるのではないかと不安もしていた。 それでも、全てのシナリオをプレイしてせめてシナリオ1だけは全国統一を成し遂げてみようとも思った。

ところが、プレイして1時間近く経過すると先のようなつらくなる不安がなくなり、むしろすんなりと溶け込んでいった。 その理由は、引き抜きと火計が面白いように決まり、前者がカリスマ後者が知力が高くなければ成功しないものの、それだけで十分戦略が軌道に乗ることができたし、 それも引き抜きはカリスマが高い劉備が火計は知力が高い諸葛孔明のおかげが大きい。 他の国の武将も、能力が高ければ引き抜きや火計もばんばん決まるのだが、私は魏より蜀の方が好きなので主に蜀をプレイしていた。

にもかかわらず、あえておすすめ度を3.5にしたのは、民衆の反乱とイナゴの被害が脅威だったからだ。 特にイナゴは、ネットで話題になったとおり甚大な被害をもたらし、同じ年に2度も食らったときは躊躇なくリセットを押した。

民衆の反乱も、武将が死ぬというこれも嫌らしいものだが、その2つの被害の度合いが少なければ4ぐらいおすすめ度をやれたと思う。 SFC版もあるのだが、こちらは色々と設定が変わっているので、暇さえあればこちらもプレイしてレビューしてみたいと思っている。



本日のまとめ



諸葛亮 いわく、
きっと よろこぶこと でしょう。

(08/2/11レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年5月25日
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