◆維新の嵐◆
リ・コエイションゲーム第1弾



発売日:1990年9月15日   発売元:光栄   ジャンル:SLG
値段:11800円   おすすめ度:4(PCユーザーに優しい説得)


嘉永6(1853)年6月3日、アメリカ合衆国艦隊司令官のマシュー=ペリーが、大統領の国書を携え開国を求めて浦賀に来航。 川柳や狂歌における、4隻の黒船いや蒸気船の表現が、日本国内の混乱と衝撃を大きさを物語っていた。 少し後には、ロシア帝国からエフィム=プチャーチンが長崎に来航、欧米列強の勢力がついに鎖国状態の日本に届いたのである。

この難局に対し、老中阿部正弘は諸藩の大名はもとより家老や藩士、さらには政治に関わりのない一般民衆にまで広く意見を求めた。 既にこの時期、弱体化した幕府の力だけでは対処できないほど、日本を取り巻く状況はあまりにも複雑であり、 また幕府の威信も時代が下るごとに衰えを見せていたことも、多くの人間に諸外国との対処について意見を求めた要因でもあった。 列強諸国からの開国要求という強い圧力の中で、幕府による局面打開の名案も浮かばないまま、 圧倒的な武力を背景とするペリーに屈するように、翌年の春には日米和親条約が締結、鎖国は何とか維持された。

これを境に、世論は列強と手を結び国力強化を図る開国か、昔の鎖国を守り外国勢力を追い出す攘夷かをめぐり激しく揺れ動いた。 また、日本の政治の実権を徳川幕府のままを望む佐幕派と、平安以来の天皇を中心とする尊皇派という図式も登場した。

人々の中には、幕府の列強に対する弱腰とふがいなさに憤激し、中には公然と幕府に批判を行う者も出てきた。 十数年前に、藩政改革を成功させた薩摩藩と長州藩といった西南雄藩の発言力が台頭してくるのも、和親条約締結後というこの頃である。

将軍の跡継ぎ問題と日米通商条約締結の勅許という、2大政治問題が未解決のまま安部老中を失った江戸幕府は、 さらにこれと前後してアメリカ総領事にして初代駐日大使のタウンゼント=ハリスによる執拗な条約締結要求に対して、 成す術もなければそれをはね退ける実力さえないという悲観的な状況に追い込まれていた。

結果1858年、アメリカとの2度目の条約となる日米通商条約が締結、いわばオランダ以外の欧米諸国にも貿易を認めさせるものだった。 日本は、欧米列強との争いに飲み込まれながらも、ついにその重い鎖国の扉を開き始めようとしていた。

同時に、新しい日本の姿を変える男達が、幕府・諸藩問わず多く登場してくるようになった。 大老井伊直弼、海軍奉行勝海舟、亀山社中坂本竜馬、新撰組局長近藤勇、薩摩藩士西郷隆盛、越前藩主松平慶永(春嶽)など…。 果たして、混乱する日本をまとめ上げ欧米列強と肩を並べる実力の礎を築くのは、いったい誰なのであろうか…。


光栄のお得意ジャンルであるSLGに、新たな要素を加えた作品の第1弾。 これを、後に『リ・コエイションゲーム』と呼ばれるようになるが、今までのSLGと違って相手が国家ではなく一個人に変更されていることが大きい。 つまり、国家対国家という図式から個人対個人という図式に切り替わり、戦いや人間関係がよりリアリティになっている。

もう1つの大きな要素としては、己を成長させるいわばRPGの要素も取り入れられているが、 作品の中には普通にレベルアップで上がるものもあれば施設を利用して能力を上げたり、またはその両方でレベルアップをしたり施設で特技を習得したりするものもある。

このゲームでは、学力や剣術を上げたりすることで能力の底上げを図ったり、主に金を稼ぐには品物(アイテムではない)を安く買って売りさばくか 賭博で儲けるしかなく(50までしか賭けられない)、RPGとはまた違った演出が施されている。

時間の概念も取り入れており、このゲームでは朝、昼、夕、夜の4つの時間帯により、1日で4回行動することが可能で、 マップがHEXになっていることで最大5マス移動でき、そこでさまざまな施設を利用して己を修行する形になっている。


ただ、悲しいかな、自動的にこちらが(雀の涙だろうが)金をもらえる手段が1つもないため、もともと金が余りある藩主や重臣といった上級武士以外は大変つらい。 そのため、学問や剣術の修行の際に支払う金額はたった3と低く抑えられているものの、ちりも積もれば何とやらな上にゲーム開始時の所持金が低いので、 修行場所の選定やそのときの予算などにも気を配る必要があった。 修行の成果は、確実に現れてくるものではなく場合によっては成果が現れず、結果的に金や時間を捨ててしまう感覚に見舞われる。

一方で、プレイヤーを殺そうと付けねらうキャラもいるという、RPGにおける敵の存在もあり、それに対してどうするかという選択もある。 戦闘などで、体力が減ったら宿屋か飯屋、さらには遊郭で回復し、次の行動に備える。

体力が0になればゲームオーバーになるので、たとえ代金がかさんでも施設を利用して体力を回復しなければならないのがつらいが、 それだけ限界近くまで成長できればプレイヤーとてようやくここまでくることができたと、非常に満足できるものだろう。


だが、このゲームの大きな要素のもう1つとして、思想による全国統一がある一方で、島津斉彬といった藩主クラス、 もしくは仲間に藩主がいた場合には兵を差し向けて片っ端から気に食わない藩もしくは天領を潰すという、今までの歴史SLGのような武力の全国統一があるのだが。

しかも、佐幕以外の思想のエンディングの1つに、江戸城占領という条件もある。 藩主になれば、藩の内政を行えるという歴史SLGさながらの楽しみかがたあるのも、多くの歴史SLGをプレイしてきた人にはうれしい配慮だ。

思想による全国統一とは、登場人物全員3種類の思想があり、それぞれ尊王、佐幕、その中間である公議となっていて、それを自分の思想だけにするというもの。 例えば、西郷隆盛は尊王で坂本竜馬は公議となり、当然のごとく違う思想とは相容れず、下手すればいきなり斬りかかられることも珍しくない。

ではどうするかというと、そういった人物と説得をして違う思想を、自分と同じ思想に変えていく。 それこそが、個人対個人という細かい対決の図式を成立させていて、そういった仲間を複数連れて行くことができたとき、歴史SLGにおける国盗りとは違った感動が沸き起こる。

ただし、自分の思想が変えられてしまった場合、やる気をなくしたということでゲームオーバーとなり、説得を制するには己の学問に加えて先進性をあげなければならない。 さらに、話題の選択にも配慮しながら、10ターンのうちに左上のバーを青にしなければならない(全て青にならなくても一定条件で説得が成功できる)。

そして、相手の思想を自分と同じにしつつ面会などで、ステータスの1つである信頼を80以上にすれば同士すなわちパートナーことユーザー要人になり、プレイヤーと行動を共にできる。 藩主を要人にすると、藩主が治めている藩の政治を任されるようになり、個人と国家の2種類の観点からの楽しみ方もできる。

その要人、プレイヤーの手足の存在ばかりか仮にプレイヤーが死んでも要人がいれば、代わりという形でプレイヤーになるという保険的存在にもなっている。 当然、能力が高いキャラも多いので、そのキャラを要人にした後にわざと死んで、その要人に後を継がせれば攻略も幾分楽になるというもの。 もちろん、犠牲となるキャラに愛情を注いでいる人にとってはあまりにもつらいものの、これも1つのプレイの楽しみ方という点では面白い。


後に、様々な機種にも移植されFC版は1990年に移植されたのだが、PCとのスペックが大きすぎることとそのPC版にしても、98版と88版の2種類があり後者は低い移植を余儀なくされた。 主に要人の最大数の大幅な制限(98版より少ない)や、3つあったシナリオが2つになったために一部のキャラが削除されたことと、説得における連打が削除されたこと、 ステータスにあった開国と攘夷の思想が削除されたこと、戦闘(チャンバラ)シーンが自動に切り替わり武力が高い者が有利になったことなどがあげられる。 一方で、先進性の高さによって思想によるエンディングの変化が追加され、多少なりとも98版との面白さの違いを明確にしている。

98版もそうだが、一部のユーザーには面白いがどこか変な要素があるというゲーム、いわば『バカゲー』という認識がある。 その1つが、藩主や大老という国家の重鎮クラスが単独で日本全国を歩いているということだ。 普通に考えれば、家来が数十人いてもおかしくないのにあえて単独で重要人物の説得に赴いたりするのは、治安が急激に不安定な幕末という時点でまずありえない。

それに加えて、思想が違ったり単に気に入らない人物を手当たりしだい斬殺していく人斬りという手段も、やはり重鎮クラスでも可能になるという恐ろしさ。 これも、斬り捨て御免という建前はあるもののあくまで建前で、普通ならば切腹ものだ。

しかも、重要人物を殺してもちょっとだけ名を変えた人物が登場するためらちがあかない(しかも能力が同じということも加えて)。 大怪我を負わして、数日間行動できなくさせるよりもたちが悪く、このゲームは説得で思想統一するという意気込みをあらわしているといえる。

最後にFC版を説明すると、内容こそ88版に準じているものの操作をコントローラーで行うため、キーボードより楽にプレイしやすくなっている。 OPも、官軍の行進のバックとトコトンヤレ節はなくなったものの、タイトル文字が大きくなってやや高速での移動とタイトル中央の坂本竜馬の袴と髪がたなびくあたりは、PC版に負けていない。 もっとも、中央にちょこんと立っている上に竜馬の姿がシルエット程度なのはさびしいが、容量が3M程度では98版の多くの要素が削除されてしまっている以上仕方がないのだろう。


私は、初代よりも続編を多くプレイしたことがある、それもPC版ではなくPS版で。 したがって、初代を初めてプレイしたのはFC版登場から、実に17年半近くという遅さだった。 もっとも、存在自体は発売当時から知っていたのだが、特に見向きもせず続編を多くプレイしたために初代をプレイする意欲が失っていった。

さて、このゲームをプレイする段階で決めていたことは、全ての思想の登場人物をプレイすることだった。 やはり藩主クラスの人間は、軍隊を自由に動かせるう上に初期状態から多くの金を持参しているあたりはすばらしかった。

それ以外の人物だと、西郷隆盛とか坂本竜馬などといった尊王形の人物を多くプレイしたが、その中でも竜馬は尊王ではなく公議の思想を持っていることに驚いた(続編では尊王系に属しているため)。 勝海舟も、竜馬同様佐幕ではなく公議に属していることに驚いたが、史実で考えると海舟は驀進ながらも幕府を批判していたから、尊王と佐幕の中間である公議に属していたのも多少納得がいく。


一方の隆盛、普通に進めようとしていたら序盤に公議派の島津久光に執拗に付けねらわれて驚いた。 もちろん返り討ちにしてやったが、隆盛は若干剣術が低いので最初に剣術を磨いたのが功を奏した。

桂小五郎は、スタート地点が江戸のおかげで少ない所持金でばくちをかなり多くやった結果、序盤で1000以上稼ぐことができたものの、 やはり金を稼げる手段が乏しいため、金が少なくなったら賭博という手を利用せざるを得なかったのがつらい。

どのキャラでもいえることだが、成長には金がかかり時々修行に失敗する形で能力が上がらないので、所持金が多い藩主以外では成長することはとてもままならなかった。 しかも、明治9年ごろまでに思想を統一しなけばならないので、成長と平行して多くの人間の思想を自分と同じ方向に向かわせることもやった。 さすがに1863年だと時間切れぎりぎりだったが、1858年だと多少余裕があったためか大政奉還となる1867年に完了できた。

なお、近藤勇は局長ということで藩の家老クラスに位置しているものの、肝心の学力が悪いため説得で思想を統一するこのゲームでは向いてないと思う(やろうと思えばできるが、学問の修行で時間がかかる)。 藩の軍隊を使っての統一も、どうもこのゲームをプレイするにはちょっとなじめないと思っているためやってない。

あくまで私は、このゲームの本来の目的にしたがって思想による統一を目指しているので、確かに自由なプレイを押し出しているリ・コエイションゲームの1つであっても、 ちょっと場違いではないかと思っている(とはいえ、それで統一したいと思っているが)。



本日のまとめ



さらにはげまれよ

(08/2/7レビュー)
伝説のスターブロブ2への掲載:2019年5月25日
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