「…そっか。うん、話してくれてありがとう、レック君」

コルミシャークが空へ飛び立った後、アリアはレックだけを呼んでレックがなぜファシールを持っているのかを尋ねた。 レックには話しづらいことだったがベルとどのようなやり取りをしたのかを説明し終わると アリアは納得したように ふう、と軽くため息をつきつつも笑顔を作る。

「レック君にばっかりつらい思いさせちゃって、ゴメンね。私、シャープと会うことだけで頭いっぱいで…」
「いいや…俺の方こそ、ベルが思い詰めたのは俺のせいだし、説得もできなかったし…ほんと…」
「ううん、レック君のせいじゃない。ベルは自分で選んだんだから…むしろ、私の幼馴染がご迷惑をおかけしました」
「はは、なんだそりゃ」

大げさにお辞儀をするアリアに、レックは思わず軽くふき出した。 その時、ずっとこちらの様子を気にしていたシャープと目が合い、楽しそうですねと声を掛けられる。 聞きたかったことはそれだけだから、とアリアはフィルたちの方に向かうようレックを促した。

「ベルからフィーネを取り上げたのは私だし、ベルが思い詰めたのは、きっと私のせいなんだろうな…でも…」

レックを早足で追いかけながら、アリアは ぽつりと呟く。

「私、待ってたんだよ…探したんだよ…いなくなったのは、ベルの方じゃない……」



レックとアリアがみんなと合流し、ララシャルをラベル家に届けるのは決定事項として この後どうするのかという話し合いが始まった。とはいっても全員がアイテールから 帰って来られるかは当然分かっていなかったので、帰ってきてからどうするかを決めていた者は一人もいない。

辺りはすっかり日が暮れておりラベル家の灯りがあるのでお互いの顔は見えているもののかなり暗くなっている。

「ぼくは、セレナードの王宮に行こうと思ってる」

まずフィルが手を上げて言った。皆がフィルを見たが、それに真っ先にアリアが聞き返す。

「え、なんで?」
「コンチェルトと連絡が取りたいんだ…できればメヌエットとも。その、凍った人たちがどうなったのかな、って…」
「なるほど、ジェイドミロワールでね。それなら私もいっしょに行きたいなあ。シャープも行こ?」
「…えっ?」

唐突に振られてシャープは戸惑った。セレスと婚約しているとはいえシャープの家はまだこのラベル家の屋敷であり、 ララシャルと共に家に入ろうと思っていたところだったからである。こんなに暗くなっているのに、 出歩いていいものだろうか…と返事に詰まっていると、アリアが さっとシャープに両手を差し出した。

「ララちゃんは私がお屋敷に連れて入るよ。それで、私はこっそり出て来るから。 今日は世界が救われた日なんだから無礼講だって、いきなり行っても大丈夫だよ〜」
「そうでしょうか…?」

考える暇が与えられず言われるがままにシャープはララシャルをアリアに手渡す。 振動で薄っすらと目を開いたララシャルは、ぼーっとしながら軽く周囲を見始めた。

「あ、起きちゃったかな?」
「……ふぃーゆ…」
「フィル君のこと呼んでるみたい」
「ぼく…?ララ、どうしたの?今日は本当にありがとうね、ぼくがここにいられるのはララのおかげだよ」
「うぅ〜…」

眠い目をこすりながら、もう片方の小さな手をフィルに向けて伸ばす。はいはい、とフィルは 人差し指を出し、ララシャルはそれを力なく握った。

私を……に、選んだこと…責任を取って、もらう…だからね……

「「「えっ!?」」」

急に聞こえてきた声に、全員で驚いてそれぞれがきょろきょろと周囲を確認する。 その声は耳に入ったというよりも頭に直接響いてきたもののようだった。

前にも確かこんなことが、とアリアはララシャルの頭に顔を寄せてみる。

「今の…クレールさんの声じゃなくて、もしかして…ララちゃん?違う??」
「発音は随分はっきりしてたな。眠そうな声だったけど。おい、フィル?どした?」
「え、あ…ううん…」

フィルはなんでもない、と言いながら手を引っ込めた。一応また声がしないかと 観察してはいたが、特におかしなことは起こらずアリアはララシャルを抱っこしたまま そっとラベル家の門に向かって歩いていく。

門番はアリアを中に入れることはやはりせずにララシャルだけを回収し、 そのララシャルは屋敷の中へ中へと次々に運ばれていくのだった。 それを見届けたアリアは、急にどんよりとした表情で振り返ってフィルたちの元へ帰ってくる。

「ど…どうしたの」
「お腹が…空いた…」
「……」

このままではセレナードの王宮に着くころには真夜中になってしまうと判断した一行は、 アリアの腹を満たすもの、せめて少しの移動に耐えうるだけの量を大急ぎで買いに走るのだった。






ラベル家の領内からセレナードの王宮のある首都シロフォンに行く前に あちこちの屋台でアリアのための食糧を買いあさりそれを与えたが、 よく考えたらまともな食事をしていなかったんだということにレックやアッシュも気づいて 買ってきたもののうちの少しをみんなで食べることにした。

アイテールの中は時間の流れがおかしかったせいか空腹を感じることはなく フィルやシャープはそこにいた時間が長かったので別にそこまででも、という感じだったが シャープと同じ目に遭っていたはずのアリアは完全に例外のようで、巨大なパンのサンドイッチをあっという間に食べつくしてしまった。

途中の険しい道や崖はスピードと高度を抑えてアリアの羽飾りやシャープのエール、 そしてレックのファシールによって飛行することで最短距離でシロフォンへ辿り着いたが 結局、既に深夜という時間帯になってしまっていた。

それでもセレナードの王宮へアリアが帰還したことを城の人たちには大いに喜ばれ、 アリアは父であり国王のリタルドに一人私室へ呼ばれてしばらく帰って来なかった。 セレスとも少し顔を合わせることができたものの、もう遅いのですべての予定はまた明日に、ということになったのだった。

「結局、食事させてもらった上に部屋まで用意してくれて…申し訳ないな…」
「いいじゃん、この世界を救った英雄が訪ねてくればそれぐらい当然だよ」
「英雄って…」

まさか自分もバルカローレにおけるレックのようにそんな存在に祭り上げられそうになるのだろうか。 いや、その前にローズマリーの子だということが人々に知れ渡っている以上まともな扱いを 期待する方が間違っているだろうか。自分を拾って育ててくれた父親の評判を落とすことにすら なるかもしれない…と、疲れのせいかどんどん思考が悪い方へ傾いていく。

フィルの表情が沈んでいることに気付いたのはレックではなく意外にもアッシュだった。

「おい、ろくでもないこと考えてるだろ、アシュリィ」
「ろくでも…酷いな、真面目に考え事してるっていうのに」
「どうせ、あの人のことだろ」
「あの人って…父さんのこと?まあね」

よく分かったね〜、とフィルはアッシュの頭を撫でる仕草をする。 アッシュはこの動作、やられたことあるなと思ったがあえて言わないでおいた。

「私のことを考えてくれてたの?さすがは我が愛する息子」
「…えっ!?」
「か、カイさん!?」

フィルたちにあてがわれた家族単位で来た客のためと思われるベッドが4つある寝室に、 突然カイが現れた。ベッドに腰かけていたフィルの背後にいつの間にか立っており、 アッシュもレックもその姿を確認して目を丸くする。フィルはカイの出現に驚きはしたが、 感極まって両手を伸ばしてカイに飛びついた。

「父さん…!」
「あ、待って!!」
「い゛でっ!」

フィルの体はカイをすり抜け、ベッドから床へと落下する。床に額をごちんとぶつけて 何が起きたか分からずフィルは目を白黒させた。

「ゴメン、フィル。大丈夫だった?急に来たから映像しか送れなくて…」
「いたたた…え、父さん、これって今の父さんなんだよね…?」
「そうだよ。私の本体はコンチェルトの私の部屋にいます」
「ってことは…」
「カイさん、ちゃんと溶けてたんですね!」
「よかった…」

聞こえないほどの小さな安堵の声はアッシュから発せられた。それをカイはちゃんと聞いており、 アッシュに近づいていく。

「アッシュ、これからたくさん話そうね。楽しみにしてるよ」
「……」
「このままじゃ抱きしめることもできないなあ…私はもう大丈夫だし、 父上も母上も新しい孫の帰りを待ってるよ」
「父さん…ぼくは?」
「もちろん。国中お祝いムードだよ。とにかく、早く帰っておいで。明日の朝一番に出発すること! こちらからはもう迎えを出発させてあるからね。あ、それとレック」
「なんです?」

急にカイが手をポンと叩いてレックに向き直った。

「カンナさんをコンチェルトに帰すように私からバルカローレへ進言してもいいかな、 神聖光使の命は救われたことだし。レックをバルカローレへ繋ぎ止めておくために カンナさんを探し出してバルカローレへ連れ去ったんだと思うから…」
「い、いいんですか!?お願いします!」
「うん、分かった、じゃあ明日にでも。さて、もうジェイドミロワールで私のところへ 連絡しようとか思わなくていいからね、私は元気です。一刻も早く、帰ってきなさい!」
「は…はい!」
「…わかった」

フィルは元気よく、アッシュは照れ隠しなのかぼそっと返事をしてそれに満足したように カイは頷き、手を振ってからいなくなった。しーん、となった部屋の中だったが、 フィルが一番早くベッドに潜り込み始める。

「じゃ、早く寝ましょう。朝一番で、ここを発つよ!アッシュも余計なことを考えずにしっかり眠ること!」
「…余計なことを考えてたのは自分だろ」
「聞こえないなあ〜。じゃ、おやすみなさーい」

調子のいい奴、と悪態をつきながらもアッシュも素直に就寝することにしてフィルの隣のベッドに入った。 そんな二人を見守っていたレックだったが、どうも落ち着かない様子で無理やり布団をかぶって目を閉じる。

「オラトリオが封印されたことでカイさんが溶けたなら…」






フィルとして地上にいた期間もあったもののまだ慣れないことが多いせいかアッシュは 朝になってもまだ疲れた様子であり、もう少し眠ってていいよと告げてフィルは部屋の外へ出て散歩を始める。

しかし、帰るのはいつ頃になるかなと思いながら廊下を歩いていると、王宮に仕える女性の一人から 「王から食事の用意をと仰せつかっておりますので支度が整いましたら食堂へお越しください」と言われてしまった。

「えっ…そりゃあ、シャープがそうしたいのなら、いいけど…」
「ごめんなさい、私の我儘で…でもやっぱり、こうするのが一番いいと思うんです…!」

少し扉が開いている部屋から、アリアとシャープの声が聞こえてくる。 立ち聞きは失礼だからと離れようとしたが、扉を閉めておいてあげた方がいいだろうと 手を伸ばした瞬間に部屋の奥にいたシャープと目が合ってしまった。

「あっ…」
「フィルさん!おはようございます」
「お、おはよ…ございます。アリア、早朝なのに眠くないの?お腹は空いてないの?」
「お腹はすごい空いてるけど、シャープに起こされて…」

あれだけ昨夜食べたのに空いているのか、と思ったが今更なのでそこは掘り下げないでおくことにし、 やはり少し聞いてしまっていたことを謝るべきだろうとフィルは考える。

「そうだったんだ…あの、ゴメン、実は部屋の外にも声が聞こえてて…」
「えっ!フィルくん、聞いちゃってた?!」
「ど、どうしましょう……いっ、いいえ!」

一瞬うろたえたシャープだったが、意を決したように両手を握りしめて足をだんっ、と踏み鳴らした。 今までのシャープの所作とはかけ離れた行動に、フィルは思わず言葉を失う。

「あの…?」
「アリアさん、まずはフィルさんに明かしてもいいでしょうか!」
「い、いいけど…すごい、決意は固いんだね…」
「だって、これから全国民が知ることになるんですから…!!」

何やら壮大な話になっているが、フィルにはシャープが言わんとしていることの検討が全くつかなかった。 そんな動揺しているフィルをよそに、シャープは息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出して深呼吸をする。

「私…男性なんです。そして、アリアさんと婚約をしているんです」
「だっ…え、あ……はい??」
「表向きはセレスと結婚することになっていますが、それは私がここで暮らすための建前で、 本当は、私はアリアさんとの結婚を控えています。そのことを宣言するためには、 私が男性であることを公表し、男らしくなり、アリアさんに私から改めて求婚すべきだと思うんです!!」
「……あ、え?」

フィルの脳は情報の多さにオーバーフローを起こしかけていた。 一気に言われたってそりゃ混乱するだけだよねえ、とアリアがフォローの言葉をかける。 フィルはくらくらし始めた頭を片手で押さえた。

「ちょっと…整理させてください、シャープ姫…あなた本当に、男性?」
「はい。生まれた時から、正真正銘。家庭の事情で、ラベル家の娘として育ちましたが…」
「う、うそ…」

だってどこをどう見ても、可憐で少し儚げなお姫様にしか見えない。 レックやアッシュが聞いたら卒倒するんじゃないか、と考えてしまった。

「でもね、シャープが私との結婚を公にするためには自分が男性だって宣言した方がいいって思ってくれたんだって。 いいことの方が多いような気はするけど…シャープが男らしいとか、ちょっと…想像がつかない…」
「そんな!わ、私だって…やって見せますよ!アリアさんのためなら!」

リアンさんのようになるんだろうか、と考えるもやはりアリアの脳内には可愛いフィルタのかかった シャープの姿しか浮かばない。それでも、自分のために、自分との未来のために行動を起こそうとしてくれるシャープの気持ちは とても嬉しかった。しかし今一つ反応の薄いアリアに、シャープは急に不安そうに顔の下で手を握って首を傾げる。 その動作はまさしく女性のそれである。

「あの…アリアさんは、私はこのままの方がいいと思ってらっしゃいますか?強く逞しくなった私は、お嫌いですか…?」
「……ふふっ」

ついにアリアは笑い出し、筋肉などつきそうもないシャープの肩を両手で支えた。

「ううん。今のシャープも、未来のシャープも…どっちも好きだよ」

その言い回しに、フィルは何かを感じてはっとアリアに視線を向ける。それに気づいたアリアは、フィルを改めて横目で捉えて 言い聞かせるように口を動かした。

「どちらも…大好きです」
「……!!」

驚いているフィルを見て、アリアはシャープから手を放してそっとフィルに近づく。

「…リ、」
「しっ」

人差し指をフィルの口の前に、もう片方の人差し指を自分の口に当ててアリアはフィルの言葉を遮った。 シャープが不思議そうに見ているのが分かるのですぐに手を引っ込め、そしてまたシャープに近づいてその肩に手を置く。

「……ごめんね、フィル君」

視線を下へ向けて、アリアは呟くように言った。フィルは目を閉じ、微笑みながら首を左右に振る。

「…いいえ。お幸せに、アリア王女」
「あの、フィルさん…?」

フィルとアリアのやり取りにシャープはおどおどしているが、フィルはそれを気にせずに手のひらを胸に当て優雅にお辞儀をした。

「シャープ姫…と、今後はお呼びしない方がいいのかな。是非、お二人の結婚式には呼んでくださいね。父と、弟と、参上いたします」
「はい…ありがとうございます…その…」
「うん、ありがと、フィル君!」






「じゃ、俺は行くよ。またな、フィル、アッシュ。今度会うときはばあちゃんと一緒だよ」
「カリンも、でしょ?」
「ぶっ!な、なんでそれを!?」
「レック、お前分かりやすすぎるんだよ」
「え…そうなの?」

食事も終わり、さて帰ろうというところでレックがバルカローレへ行く、コンチェルトへは先に帰っていてと言い出した。 凍結の牙で凍ったカリンがもしかしたら溶けているかも、そしてもしそうなら肩身の狭い思いをさせてはいけない、 早く迎えに行かなければと思ったためである。

ジェイドミロワールで様子を聞きたいとも思ったが、その許可を得てもしかしたら待たされて…となって 時間をかけるよりは、いずれ行くことになるならば早く出発したいともレックは考えていた。

急だなあ、と言いつつもフィルとアッシュはなんとなくレックの行動の予想がついていた。 二人に見透かされていたことが分かりレックはらしくないほどしどろもどろになる。

「い、いや、もちろんばあちゃんを迎えに行くのがメインだよ?か、カリンがどうしたいかなんて分からないし。 その、まあ、確認も兼ねて?」
「はいはい」
「いいから早く行ってこいよ」
「うう…」

のろけはいいから早く行きなさいと促され、レックは言葉にならない唸り声をあげた。 そして、3人のために用意された部屋の窓を開けてそこに足をかける。

「…いってきます」
「からかってゴメンって。途中で力尽きて海に墜落しないでよ?移動魔法が使えたら楽だったんだけどね」
「あ〜…それはまあ、追々勉強していくよ。アッシュも一緒に学校行こうな」
「えっ」
「またな!」

素早く気持ちを切り替えたレックは、額にびしっと手を当ててポーズをとってから ファシールで空に向けて飛び立つ。一人で長距離を飛ぶのは初めてだったが、 今ならばどこまででも飛んでいける自信があった。






「さてと…ぼくたちも行こうか」
「話はもう終わったのか?」
「うん。もう大丈夫」

フィルとアッシュは世話になったセレナードの人たちに別れを告げ、王宮を後にした。

ここからコンチェルトまでは徒歩だと非常に長い道のりだが、 カイが迎えの者たちを行かせると言っていたので途中で合流できるだろうし、 道中、兄弟で一緒にいられる、たくさん会話ができるということでフィルは嬉しかった。

「髪も綺麗に切ってもらえてよかったね。ぼくよりはまだ長いけど。 いっそもっと短くして、父さんにどっちがアッシュでしょう、って聞いてみるのはどう?」

レックと別れた後、出発するのなら髪を切り揃えませんかと声をかけてくれた人がおり、 切ってもらいなよとフィルにも促されアッシュは大人しく従うことにした。 そのため最も短い髪に合わせて切られたアッシュの後ろ髪は、肩にわずかにかかるほどの長さになっている。

「そんなことをしても…あの人なら、すぐに分かりそうだけどな…」
「…それは確かに。変な機械とかに頼らなくても、見分けてしまいそうな気はするね…というよりも、アッシュ」
「なんだよ?」

王宮の門をくぐり、広い外庭に入った。庭で仕事をしている人たちがフィルたちを見てにこやかにお辞儀をしていく。

「あの人、じゃなくて。」
「…父さん」
「そ!偉いよアッシュ〜」

フィルは大きく頷いてアッシュの頭を撫でた。アッシュは迷惑そうな顔をしたが、ここで振り払ったら 照れていることを悟られてさらにからかわれると察し、あえてされるがままで歩き続ける。

「でも、公の場…ほかの人がいるところでは、父上、って呼ばないとダメなんだよ」
「ちちうえ?」
「そー!ほかにも覚えることは山ほどあるからね、このお兄ちゃんをいっぱい頼りなさい!」

任せて、とフィルは自信満々に胸を叩いた。しかしアッシュは不満そうに反論する。

「待てよ。なんでお前が兄なんだ。お前は弟だろ」
「え!?いやいや、ぼくが兄でしょ?!」

この場にレックがいたらどこかで見たようなやり取りだな、というツッコミを入れてくれそうな議論を交わし始めた。 お互いに自分が兄だと主張するものの、それを証明できるものが何もないので完全に平行線である。

そうこうしているうちに、二人はついにセレナードの王宮の敷地の外に出た。 城下町を抜けて、そして平原や森を通り、崖のある地帯を越えて、 メヌエットを経由してコンチェルトへ。長い道のりだが、フィルは今までで一番わくわくしている。

「ま、それについては帰ってからにしよ。これから長い旅になるから、二人で仲良く行かなきゃね」
「それは…まあ、そうだな」
「じゃ、買い物に行く前に一つ、クイズです!」
「なんだよ」

唐突に何を言い出すのか、とアッシュはフィルに顔を向けた。

「…ぼくの、名前は?」

右手を両手で握られ、キラキラと音がしそうな視線で見つめられ、アッシュはフィルが求めている答えを察する。

「……フィル、だろ」
「正解ッ!!」

フィルはアッシュの手を引いて歩き出した。買い物は手早く済ませて早くこの町を出よう、とフィルの足取りは軽い。 それに合わせるアッシュも、吹っ切れたように笑顔を作った。

「…早く帰ろう」
「うん!…ぼくたちの、父さんのところへね」






  









































































「セレス王子、入っていいですか?」
「えっ、フィル君…?」

セレナード王国第一王子セレスティアの私室に、フィルは一人で訪れていた。 どうぞ、と招き入れられてフィルはそっと部屋の中へ入る。

「アッシュ君は?」
「今、女中さんたちに髪を切ってもらってます。ぼくがローズマリーの攻撃を避けそこなったものだから、 中途半端に髪がばっさり切られちゃって…それを整えてもらってるんです」
「はは、なるほど。二人はもうコンチェルトに向けて出発するんだよね。カイ王子様にお土産として この箱を渡してもらえる?大したことのない品なんだけど」
「開けてもいいですか?」
「うん」

セレスから渡された金属製の小箱を開けると、中には見事な金細工のブローチが入っていた。 こんな高価なものを、とフィルは目を丸くしたが、後日ちゃんとお祝いとお礼に伺うからね、とセレスは笑う。

「お礼?」
「そりゃ、救国どころか「救大陸」の英雄のお父様にはいくら礼を尽くしても足りないよ。 多分今日は、祝日に制定されるだろうね」
「そんな…すごいことになりますか?」
「うん、もしかしたら「フィル記念日」とかになるかも」
「うわ…それは、恥ずかしい…!」
「あははは、事前にちゃんと意見を聞かれるだろうから大丈夫だよ」

顔を赤くして頬に片手を当てるフィルに、セレスは安心させるように言った。 ひとしきり笑った後、セレスは我に返ったように表情をなくしてフィルに気付かれないように目を逸らす。

しかしフィルはそれにしっかりと気づいており、この部屋に来た理由なんですけど、とセレスの前に移動して話を切り出した。

「ぼくに、何の用だったの?」
「セレス王子、前にお会いしたときに話してくれましたよね。昔、大切な人を助けられなかった、自分がその人を追い詰めたって」
「…はは、ゴメン。つまらない話をしちゃったよね、フィル君は気にしないで…」
「そんな、無理して笑うほど、まだ自分を責めてるんですか?」
「……」

自然に笑っていたつもりだったのに。セレスはなぜかフィルの言葉を聞いて泣きたくなった。 それでも何とか唇を噛んでそれをこらえ、苦しそうに息を吐き出す。

「ぼくは…許されないことをしたんだよ。どれだけ謝っても足りない。ぼくには普通に生きる資格なんてない。 ぼくの一生をかけて、償わないといけないんだ」
「どうしたら、あなたは自分が許されていると分かるんだろう?」
「…そんなの」

セレスは磨き抜かれた鏡のようなテーブルに手をついて寄り掛かった。

「無理だよ。もう…だって……」
「……分かった」

フィルはセレスの腕を引き、正面に立たせる。一気に真剣な表情に変わったフィルに、どうしたの、とセレスはうろたえた。 それに構わず、フィルは思い切りセレスを抱きしめる。

「…フィル君…?!」
「特別だからね。これきりだからね」

セレスの耳元で、ささやくように、しかしはっきりとフィルは言った。

「ぼくは全く怒ってないよ。きみがいてくれたから、ぼくは救われたし、正しい選択ができた」
「……え……」
「無理なお願いをしてゴメンね。それでも、きみは十分すぎるほどよくやってくれた。もう自分のために生きていいし、幸せになっていいんだよ。 誰もきみを責めないから、どうか自分を許してあげて。本当にありがとう……よく、頑張ったね」
「フ……」

セレスが声を上げる直前に、フィルは ぱっとセレスから離れ、両手を広げておどけるように笑った。

「なんてね。突然失礼しました、ご無礼をお許しください」
「フィル、くん…」

手を後ろで組み、それじゃあそろそろおいとまします、お邪魔しましたとフィルは部屋の扉に近づく。 セレスはそれを慌てて追った。

「ま、待って…!また、来てくれる?そちらへぼくが行ってもいい…?!」
「いいけど…これきりだって言ったでしょ?」
「でも……」
「ふふふ」

扉を開けてくるっと振り返り、セレスの寂しそうな顔を見てフィルは苦笑する。

「はい、いいですよ。でもぼくはこれから、「セレス王子」とも、仲良くなりたいです。いいですか?」
「うん…うん、ありがとう……フィル君…」
























時と空とテラメリタ

FIN


















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