「死んだはずの俺が、生きてここにいるのはフォルテがそう願ったから、奇跡が起こったから、そう思ってた。 けど、違ったんだな。調べ物してて分かったよ、願いは理に選別され、聖が奇跡を起こす…って」
「……」
「あの時、願ったのはフォルテだったけど、俺を呼んでくれたあの声は…ニヒトさんだったんだ。あのときの感覚、今ならはっきり思い出せる」
「理を歪めしものは聖にて滅する、聖を諌めしものは理…でも、ぼくもエバくんにもう一度会いたかった……ちょっと、ワガママだったかな…」
「そんなことない、俺もニヒトさんに会いたかったよ。たまにはいいんじゃないの?」
「うん…100年に1度ぐらいのワガママってことにしておいて…」





「すごい……大きいね、森も、山も、海も…」
「やっぱ高いところからだとよく見えるな。もうかなりの時間飛んでると思うけど、どこにあるんだろなアイテールは…」

フィルとレックはラベル家の屋敷から聖獣コルミシャークに乗って飛び立ち、北へ向かっていた。 出立の直前にニヒトが与えたという「聖」の「加護」の力のおかげか、コルミシャークの白い体毛はキラキラと輝き風を切りながら光の粒を振りまいている。

フィルを前にして二人はコルミシャークの緑色の硬い鞍のような背中にまたがっており、コルミシャークは赤い翼を大きく羽ばたかせて まるで風のように滑らかに空を進んでいた。眼下に見える雄大な自然に、フィルはひたすら感動していたが オラトリオを落とすなよ、とレックに言われて慌てて右手に力を入れた。

「そういえば、アリアは無事にシャープ姫に会えたのかな。ヴァイオレットが無事だってのはさっきのカミサマのおしゃべりで分かったけどさ」
「アリア…」
「……ん?」
「…え、ああ、ゴメン。うん…無事だといいね」
「ヴァイオレットを連れて来させようとして、また卑怯なこと言ってたしな…セレス王子と一緒にいるならまあ大丈夫だろうけど、 自分が助かろうとしてどこの誰とも知らないヴァイオレットって子を血眼になって探す人でいっぱいになったら…って思うと怖いよ」
「そうだね…」

顔に風を受けながらフィルは目を閉じる。状況により人がどのように変わるのかと考えると恐ろしいが、瞼を通して感じる太陽の光が心地よかった。

突然、まっすぐに飛び続けていたコルミシャークが体の角度を変えて空中でホバリングを始める。 傾いたコルミシャークの背にフィルは慌ててしっかりと掴まった。

「ど、どうしたの?コルミシャーク」
「言葉が分かればいいのになあ…ランは会話できてたっぽいけど。おーい、コルミ…コルミン!なんかあったのか?」

二人が問いかけるとコルミシャークは大きな顔をくるりとこちらへ向ける。くるるる、と口を閉じたまま喉を鳴らしたが 何を伝えたいのかは分からなかった。また前に向き直り、先ほどよりスピードを落として前進を始める。

「なんだろう…海に出ちゃったけど」
「あ、また止まった…」

海のど真ん中の上空で、再びコルミシャークは停止した。ばっさばっさという羽音が辺りに響いているだけで フィルもレックも上下左右を見回しても何も見つけられなかった。しかし、コルミシャークが止まったということは 何かあるに違いないと思いフィルはコルミシャークの背をオラトリオを持っていない方の手で叩く。

「コルミシャーク、何があるの?アイテールが近いの?」

コルミシャークが顔を後ろに向け、今度は目を閉じながら大きく頷いた。 言っていることが分かったんだ、とフィルとレックはそのリアクションに驚く。

「言葉、分かるんだな…って、アイテールが近い?どこにもないけど…」
「あ…レック、よく見て、この空…」

フィルがコルミシャークの眼前の様子のおかしさに気づき、前方を指差す。 目を凝らしてみると、遠くまで見えている空が波のように揺らいでいた。

「あっ…!!」

さらに、その波に切れ目が生じて内部の空間が少しだけ見えた。改めて目の前の光景を広い視野で全体として見てみると 空の揺らめきは巨大な球体を作り出しており、何か特別な力で覆われているのが感じ取れる。 この目の前にあるのがアイテールを覆う「海」なのだと分かり、フィルとレックは思わず息を呑んだ。

「コルミシャーク…ここが、アイテールなんだね。あの切れ目がもう一度生じたときに、飛び込めば中に入れるんだ」
「でもさ、遠くてちょっと分かんないけどそんなに大きな隙間には見えなかったぞ…? こんな、ゾウよりデカい獣が通れるとはとても思えないんだけど…」
「た、確かに…せいぜい、幅1メートルってところだったね…もっと大きな切れ目が、待っていればできるかな……わ!?」
「うわッ!!」

空の揺らめきを見計らっていたのか静かだったコルミシャークが、突然大きく羽ばたいて前進を始める。 そして、揺らめく空の壁にぶつかると思った瞬間にそこに切れ目が出来た。そこを通り抜けるつもりだと二人は感じ取ったが……しかし。

「ちょっ、待てっ、コルミン!!入らないって!!ムリムリ!!」
「コルミシャーク!落ち着いて!一旦下がって!!」

コルミシャークは顔を切れ目に突っ込んだものの、通れたのはそこまでで体は中に入らず完全に突っかかってしまった。 前進も後退もできず、コルミシャークは腕を空の壁に突っ張って首を抜こうとしながら翼や尾を必死に動かして暴れる。

「加護」が「海」と反発してコルミシャークの首元や壁に触れた手から放電のようなバチバチという音がひっきりなしに響き、 まるでショートしているかのように断続的に白い光を発している。激しいフラッシュにフィルもレックも薄目を開けるのがやっとな状態だったが、 何とかしようとコルミシャークはもがき続けていた。

「いたたっ!!ど、どうする、レック…?!このままじゃさすがに、コルミシャークが危ないと思う…!」
「そうだな…しょーがない、コルミンの頭に上って中に飛び込むしかないな。フィル、先に行ってくれ」

バチッ、と弾けた海の力が手に当たりフィルは手を引っ込める。しかし、このままでは埒が明かないので確かにレックの言うとおりにするしかない、と 意を決してコルミシャークの背の上で落ちないように気をつけながらゆっくりと何とか立ち上がった。

「分かった…コルミシャーク、頭に上るよ!中に入らせてもらうね!」

そのフィルの声を理解したのかコルミシャークは体を動かすのをやめて羽ばたくことだけを始める。海と接触している首部分は絶え間なく大小の閃光が生じているが、 フィルが上りやすいようにと手を添えてくれた。

「…うん、ありがとう」

コルミシャークの腕から頭に到達し、海の壁に当たらないように気をつけてオラトリオを先に差し入れてから1歩下がり、そしてアイテールへ向けて踏み切る。 しばらくフィルの体は宙を舞い、重力に逆らわずに落下していきやがてドボーン、と勢いよく水の中に没した。

「俺もちょっと上らせてもらうぞコルミン…よいしょっと」

コルミシャークの助けもあり、レックもフィルの後を追ってコルミシャークの頭によじ登ることに成功する。 しかし中に飛び込もうとはせずに、海の揺らめきによって変化する壁の形に注意しながらレックはコルミシャークの頭上に片膝をついてしゃがんだ。

「やばい、首の辺りの加護が…多分これ、薄くなってるよな…羽毛が散ってるぞ…」

海の境目に撒き散らされている羽毛が、周囲の空間を巻き込むようにして縮み、次々と消滅していっている。 海に挟まれ続けてダメージを受け始めてしまっているコルミシャークの頭に、レックは宙を舞う羽毛に触れないように気をつけながら両手をかざした。 そして、カリンに教わった「祈り」を頭の中にイメージして目を閉じる。

「ありがとう、聖獣コルミシャーク…どうか、無事に元の世界へ帰れるように。この傷が癒されるように…!」

レックがそう祈るとコルミシャークの頭の周囲に光のベールのようなものが出現して海の切れ目を少し押しやったかと思うと、ぽんっ、とコルミシャークの顔が海から抜けた。 コルミシャークの頭が空の壁の外に出ると同時にレックはアイテールの内側へ入り、そのまま落下していく。

「で、できた…んだよな、今のでいいんだよな…?コルミン、あとは俺たちで頑張るから!レンとランと一緒に、気をつけて行―――どわっ!!」

落ちながらレックはコルミシャークに向かって必死に叫んでいたが、その途中で着水したため言葉は中断された。深く水の中に頭から潜り、大きな水柱が上がる。

「ぷはっ…これ、真水なのか…」

海水でない分浮力が少ないが、何とか必死に水をかいて陸を目指した。大きめの波が発生していて、それに合わせて泳いでいると割りと難なく体は陸へ運ばれていく。 しばらくそうやっていると、足が海底についたのでレックは立ち上がった。

「あーあー、ずぶ濡れ…フィルは大丈夫かな」

濡れた服を引きずりながら陸に向かって歩く途中で、砂浜に両手をついて下を向いているフィルを発見する。 すぐ隣にはオラトリオも置いてあり、何とか自力で岸にたどり着いていたらしい。

「おーい、フィル」
「レック…コルミシャークは?」
「何とか首が抜けて…多分、レンとランのところに帰ったんじゃないかな。どの道、どんなに待ってても多分コルミンが通れるほどの大穴は開かないだろ」
「そうだね…でも、どうする?」
「うーん…」

二人とも服はおろか髪からもとめどなく水が滴っていてまともに動ける状態ではなかった。 とりあえず乾かせるだけ乾かすか、とレックは上着を脱いで海に向かってぎゅっと絞り始める。 フィルも腰帯を解いて、できる限り服を乾かすことにした。

「風邪をひく…っていう心配はなさそうだよな。なんかすんごくのどかなところで…セレナードの北だと思うんだけど、やたらあったかいし。 植物もコンチェルトではあんまり見ない、がっしりしたのが多いよなあ…そういや、ローズマリーは俺たちがここに来たの分かってるのかな」
「どうだろう…誰も来る気配はないけど…」

そう言ってフィルは海とは反対の方向に目をやる。そちらには森と、さらにその向こうには城のような建造物のてっぺんが見えた。

「あれが、アッシュさまのお屋敷…かな。こんだけ暖かければすぐ乾くだろ。一応警戒しておいて、休憩しようぜ」
「アイテールに来て、休憩してる場合かな…」
「びしょ濡れじゃろくに動けないだろ。ほら、髪も乾かさないと」

いいのかなあ、と思いながらもフィルは髪の絞れる部分を絞り、靴を脱いで陽に当てることにする。 レックは腰につけていたカバンから水を出し、中身を確認した。そしてリアンから渡された長時間空が飛べる羽飾りを取り出して水を切るためにパタパタと振る。

「すごいよな、これ。丸一日は飛んでいられるほどの魔法力を込めてくれたんだってさ」
「そうなんだ…でもレックが使うならもっと飛べるんじゃない?」
「どうだろ…ちょっと練習しといた方がいいかな」

以前、カイから渡された空を飛ぶための羽は1日どころか100メートルほどしか飛行できないものだったが、今度のものはアリアの髪飾りと同じ仕組みに改良したとリアンから説明があった。 アリアがつけている羽は長い期間をかけて製作したものでずっと性能がいいらしいが、リアンはアイテールの位置もとい空の器オクターブの位置を示す道具を持たせて フィルとレックを送り出す予定だったので一日自由に空が飛べるというだけでも十分である。

それらの性能を上回る、聖獣の助けが差し伸べられたことで全て不要になったのだが、せっかく用意したのでということでレックが預かっていた。 レックは試しに飛んでみるために羽を頭につける。

「よっ…と。あ、飛べるな」
「気をつけてよ。また水に落ちないでね」
「うん…おお、すごいラクだぞこれ…スピードも出せそう」
「大丈夫…?」

レックの体はふわりと浮かび、砂浜の上を低く移動していたがすぐに動きに慣れたようで上昇したり宙返りしたりと自由に飛び回れている。 そんなレックを見上げていてもフィルはどうも現実感がなく、ただぼーっとしながらレックを何気なく目で追っていた。

まるで南の島にバカンスに来たかのような美しい海と砂浜と背後に広がる大自然に、どこからか吹いてくる温かい風がさらにフィルの思考を停止させかける。 どれぐらい時間が経ったのかわからなくなった頃、気づいたらフィルの隣にレックが座っていた。

「おい、おいってば。なんか最近、反応が遅いよな」
「あ、ゴメン…違う、今のは…」
「ま、気持ちは分かるよ。予想外に…平和すぎる場所だよな。残酷なカミサマが治める国なんてもっと殺伐としてると思ってたよ。 なんか、まるで理想っていうか…地上が全部こうなったらなって、ちょっと思ったり…。いや、ダメなんだけど」
「……」

レックの言わんとしていることが分かる気がして、フィルはレックから視線を外して立てていた膝に腕と顔を乗せる。

「…うん」
「いや、リアンさんが言ってたように世界が一度壊滅状態になってたんだとしたら、その原因になったのが人間なんだとしたら…とか、 余計なこと思っちゃってさ。でも、やっぱりそんなのおかしいよな。時を戻して、全部なかったことにするなんて」
「……」
「大丈夫、俺たちは間違ってないよ。乗り越えていくべきなんだよな、どんな結末も」

フィルと同じ体勢をとって、レックは ふふっと笑った。レックと目が合い、フィルはなんだか眩しさを感じて目を細める。

「そろそろ行けそう?俺は歩いてたら乾ききっちゃいそうなぐらいにはなったけど」
「ぼくも、まあ…中の服はほとんど乾いてる…かな」
「じゃあ行こうか。ここでのんびりしてたら夜になっちゃうぞ。……おい、どした?」

よいせ、とレックは立ち上がり木に引っ掛けていた自分の上着とフィルの服と腰帯を手に取った。 ほら、とフィルに差し出すもフィルは腕に顔を置いたまま動こうとしない。首をかしげているレックの方を見ずに視線を宙に向けたまま、フィルは小さく口を動かした。

「…もっとレックと話したい」
「……」

フィルの思いがけない言葉に、レックは目をきょとんとさせる。

「なに言ってんだよ。しゃべればいいだろ」
「……」
「帰ったらまた色々話そうな。カイさんと、ばあちゃんも呼んでさ、お茶飲みながら」
「…そうだね」

フィルが微笑んで頷くのを見てレックは改めてフィルに服を渡す。乾いた服から砂を払っている間にフィルも服に腕を通し、 腰帯を巻き始めたところでレックが後ろに回った。

「これでよし。…あのさ、一応なんだけど」
「なに?」
「前に俺がフィルに言ったこと、ちゃんと守れよ」
「えっと…?」
「自分を犠牲にしようとするなって。それで残された者が幸せなわけがないって。俺は絶対にこんなトコで死ぬ気なんてないから、フィルもそのつもりでいるように」

そう言って後ろから頭をぽん、と叩かれる。フィルは赤い目を大きく見開き、そしてゆっくりと頷いた。

「は…い…」
「なんちゃって。そんな緊張しなくていーんだよ、正義が勝つに決まってるだろ!」

レックは海と反対方向に走っていき、大きく手招きをする。オラトリオを拾い、待ってよ、と言いながらフィルも慌ててその後を追いかけた。






「ねえ…ランって人間なの?ぼくは人間?メイプルやヴァイオレットやカリンは?アイテールにランもいたんだよね。どうしてぼくにランの記憶が全然ないわけ?」
「一気に色々言うなよぉ〜、わかんなくなるじゃん」
「…じゃあ、最初の質問に答えて」
「最初ってなんて言ってた?」
「………」
「怖い〜…えっと、俺たちが人間かって?人間だよ」
「でも…」
「ただし、神様…ローズマリーが色々やったみたい。俺は全部抜き取られてから地上に落とされたからなんも入ってないけど。レンもそうだろ?」
「自分では分からないよそんなの」
「えっと、俺たちは鳥と合体!してたんだって。」
「……??」
「なんか鳥を入れたって言ってた。で、ヴァイオレットはなんか赤い魚と合体してすんごく強くしたんだって。 あー、そういえば魚のせいで性別が変わったって言ってた」
「カリンとメイプルは…?」
「カリンはちょうちょから、メイプルは花から作ったって!人間は入ってないって。そんで、アッシュさまのお屋敷の下でなんかローズマリーがごちゃごちゃやってて、 俺はずっとそこにいたからレンとは会わなかったけどたまにローリエが来てノームパッチを持ってってた。俺はそういうのは何も入れなくていいって言われててー、 レンと一緒に帰れって言われて、なんかいきなり冷たくなって地上に落とされて、コルミンが俺のことめっけて〜…うん、そんな感じ!よくわかんないけど!」
「よく、どころか全然分からないよ」
「コルミンはレンも一緒に連れて帰る、見つかるまで帰らないけど絶対に帰るから友達作ったらダメって言うんだぜ。仲良くなったらダメって」
「ふーん…」
「誰かと仲良くなったら、ダメって…」
「それなのに、あのお兄さんと楽しく遊んで。仲良くなっちゃって」
「……」
「…馬鹿だね」
「えへへー、バカだよなあ〜」






「東南の森上空に二つの反応あり…ついに来てくれたわね、アシュリィ…オラトリオをちゃんと持って。飛んでこられるなんて、お義兄様のお力は素晴らしいわあ。 おかげで、レーダーに捉えられたものねえ…ふふふ。さあ行きなさい二人とも、オラトリオを我が元へ捧げるために。永世遡行がついに実現するのね… 二人のお姫様を至高の間にお連れして、待っているわ」





「ローリエ…」
「え、あ、誰?」

空の上にあるとは思えないほどの深い森をリアンからもらった羽で飛び越え、草原と花畑を歩いてきたフィルとレックはついに「アッシュさまのお屋敷」と思われる 大きな建物へたどり着く。遠くからは見えなかったが、巨大な扉の前に立っていたローリエを見つけてフィルは驚いたような声色でローリエの名を呟いた。

フィルの声が聞こえたのか、扉のまん前に立っていたローリエは目を細めて横へ一歩分体をずらした。

「お待ちしてたよ、フィルくん…我が主から、お迎えするようにと言われていました。どうぞ中へ」
「あ、フィルが言ってた執事さんか。俺も入っていい?ダメって言われても入るんだけど…」
「あはは、じゃあダメって言う意味がないよね。いいよ、どうぞお入りください」

ローリエは手を口に当てて明るく笑ってから、取っ手を両手でしっかりと持って引っ張り扉をふわりと開く。動いた空気によりフィルたちの髪が揺らされた。 じゃあお邪魔します、と中へ入っていく二人に、ローリエは微笑んでいた目を少し開いて声をかける。

「今日、この世界の命運は決まる。どうか悔いのないようにね」
「……」

そう言われて二人は一瞬足を止めたが、フィルは動揺している場合ではないと自分に言い聞かせて歩を進めた。その後ろでレックはローリエに向かって自信ありげに頷く。 フィルとレックが中に入るまで扉を持っていたローリエは、静かに扉を閉じると屋敷の広間の奥にある赤い扉に手のひらを向けた。

「ローズマリーは、この方向に進んだ部屋のさらに奥にいる。長い廊下を抜けて、最初に正面に見える扉が「神託の間」。その部屋を抜けると…「神の間」だよ」

そう言ってからローリエは広間の左側にある扉を押し開ける。それではぼくはこれで失礼します、とだけ言ってその部屋に入っていってしまった。 ローリエを目で追っていたフィルとレックの二人は静かすぎる大広間に残されて顔を見合わせる。

「…行くしかないね」
「そうだな…オラトリオがカミサマの手に渡ったらおしまいだ。分かってるよな」
「うん。時の鍵で、空の器を封印する。絶対に…やってみせるよ」
「よっし、行くか」

フィルはぎゅっとオラトリオを握り締め、レックも鞘に収まっている剣の柄にいつでも手をかけられるようにしながら歩き出した。 いつどのような攻撃があってもいいように、周囲に気を配りながら鏡のように磨き抜かれた青い床を踏みしめて一歩一歩扉に近づいていく。

赤い扉の金のノブに手をかけてそれを押し開くと、広々とした廊下が現れた。左右の壁には絵画がかけられ、そしていくつもの台に薔薇が生けられている。 花から魔法攻撃が発せられても避けられるように注意深く廊下を進んでいくが、意外にも花による攻撃はなかった。

扉からも誰も出てくることはなく、自分たちの足音以外は何も聞こえてこないほど人の気配がない。 フィルは一応振り返ってみたが、やはり誰かが着いてきているということもなかった。

「まあ…カミサマからしたらオラトリオが近づいてきてるようなもんだもんな、今邪魔する必要はないってことか」
「そう、なんだね…」

頷いてからフィルは両手でしっかりとオラトリオを握り直す。ローリエに説明されたようにひたすらまっすぐ進み、途中で曲がるための道が いくつかあったがわき目を振ることはなかった。やがて先ほどの広間にあったような大きな扉が現れ、二人はその前で立ち止まる。

「ここが…神託の間ってところか」
「…行こう」

そう言って取っ手に伸ばされたフィルの手は震えていた。レックはそれに気づいてフィルの背に手を置き、もう片方の手で一緒に扉を押す。 取っ手の位置が少し高く力が入れにくかったが、その巨大な扉は問題なく部屋の中へ向かって動いた。

部屋の中は天井が非常に高く壁にも天井にも金の装飾が施されていて非常に美しく、開かれているカーテンからは陽の光が 斜めに差し込んでいる。その光の向こうに誰かが座っており、二人に気づいたのかその光の中のシルエットが立ち上がった。

「…来たな」

その人物の姿の輪郭に見覚えがあり、その声に聞き覚えのあるレックは思わず声を上げる。

「あっ…!?」

レックの反応に、フィルは近づいてくるその人影とレックを交互に見た。こちらへ向かってくる足音に、レックは信じられない、という様子で声を絞り出す。

「ま…まさか…」


    






inserted by FC2 system