「なんで!?ちょっと、どうしてクレールさんに会っちゃいけないの!?」 セレナード国の西トランの領主の家の屋敷の扉どころかその外側の門の前で、セレナード国の第一王女の怒号が響いた。 門の左右にいる女性の召使はアリアの形相に全く怯むことなく、淡々とした様子で必要最低限の説明をしている。 「リアン様の許可なき方はクレール様にお会いすることは出来ません」 「この前、私来たじゃん!部屋に入れてくれたじゃん!!」 「本日の許可は得ておられますか?」 「今日のは…ないけど、でもクレールさんと前に話したとき、また来るように言われた感じだったんだって!!」 「それは許可ではございませんし、クレール様ではなくリアン様の許可が必要です」 「ララちゃんは入っていったのに?!」 「ララシャル様はラベル家の御息女でございます」 「そうなんだけどぉ〜…!!」 フィルとレックは口を出さずに様子を見ることに徹しているが、アリアのあまりにも下手な説得に内心頭を抱えていた。 「あんな説明で通してもらえるわけないだろ…」 「シャープ姫に会いたい一心なんだよ、きっと…」 無情にも門が閉められそうになり、アリアは金属製の門の淵をがしっと掴んで叫ぶ。 「待って!じゃあ許可もらってくる!リアンさんはどこにいるの?!」 「それは申し上げられません」 「なんでー!!」 ついに、がしーん、と硬い音を立てて門が閉じられてしまった。 「…そりゃあ」 「そうだよね」 門の前でくず折れそうだったアリアを気の毒に思いながら、フィルとレックはアリアに近づく。 「うぅ〜…なんで、せっかくランフォルセを持ってきたのにぃ…」 「ラベル家の人たち全員が詳しい事情を知ってるわけじゃないみたいだね。お姫様がさらわれているなんて、一大事だと思うんだけど…」 「でもアリア、シャープ姫がさらわれたことを知らない人がいるかもしれないから、助けに行くためだっていうのを伏せてたのは良かったと思うぞ」 「その手があったんだ!!ちょっと、開けて開けて!ねえ、シャープがね!!」 「やめろ!落ち着けっての!!」 また門に駆け寄って素手でガンガン門を叩き始めたので、慌ててレックが引き剥がした。 「離してよ〜!」 「ちょっと冷静になれって。ヴァイオレットも、シャープ姫は無事だって言ってたんだろ?生かしておく必要があるなら危害なんて加えないってば」 「私が会いたいんだもん!!」 「あー、もぉ…」 レックは頭が痛くなりそうだったが、ふとアリアが静かになり後ずさりを始めたので、なんだなんだとそれを凝視する。 後ろにいたフィルよりもさらに門から離れ、遠くを見つめているようだった。 「おいおい、どうしたんだよ今度は…」 「何かいたの?」 「ううん…クレールさんのお部屋、どの辺だったかなって…」 「こんな広い屋敷、奥行きもあるし外からじゃ分からないんじゃない?」 「私、ここで暮らしてたこともあるんだ…クレールさんの部屋の位置は、あのときから変わってなかったはず…」 「おい?どこに行くんだよ」 ふらりと門の右の壁に向かって歩き出したアリアをレックが追う。 「右側のどこかだったと思う!」 「曖昧だな…」 「もう、門を通してくれないなら直接行く!飛んでいって、窓を叩いたらきっとクレールさんが開けてくれるもん!!」 「…は?!ちょっ…待てって!!」 アリアは壁沿いに走り始めてしまった。その行動にフィルはぎょっとしたがとっさに動けず、代わりにレックがその後を追いかけた。 追いつく前に羽飾りを使ってアリアが飛んでしまったら、レックに止めることができなくなってしまう。 危ないだろ、落ちたらどうするんだというレックの声と共に二人は遠ざかっていきフィルはどうしたものかとうろたえた。 「……?」 自分も追いかけた方がいいだろうかと思って走ろうとした瞬間、誰かが近づいてくる気配に気づいて前のめりになりながら立ち止まる。 そして聞いたことのある声がしたかと思うと、門が左右同時にゆっくりと開かれた。 「…あれ?フィルくん?」 「セレス王子…!!」 門から顔を出したのはセレスだった。お互いにどうしてここへと言いたかったが、アリアのことを先に言うべきだと考えてフィルが先に口を開く。 「あの、実はアリアが…」 「アリアちゃんも一緒だったの?さっきララシャルが連れてこられたからどうしたんだろうと思ってたんだけど…」 「そ、その、リアンさんの許可を得てないって言われて門前払いされちゃって…」 「あらら…まあ、そうだろうね」 「それで、さっきこっちの道を走って行っちゃって…」 そう言って、先ほどアリアとレックが消えた門の右側を指差した。セレスはフィルの指の方向を、目を丸くして追った。 「走っていった?なんで?」 「あの…クレールさんの部屋に直接飛んで入るんだとか言って、レックがそれを止めに…」 「ええっ!?」 セレスは がばっと門から外に出て道の先と屋敷の壁に順番に目をやる。 「飛ぶって…?それで、母上の部屋に窓から入るって…!?」 「う、うん…」 「そんな無茶苦茶な!止めないと!!」 屋敷の中と外のどちらから行った方がいいだろうかと一瞬考えて、セレスは半分開いたままの門から中に駆け込んだ。 「ちょっと、また入るよ!あと、フィルくんのことは中に入れてあげて。リアン様には、ぼくがあとでお詫びを入れるから」 「かしこまりました」 セレスの言葉に門番の二人の女性の召使は頭を下げて、さらに門が開かれる。 「あっ…ええと、フィルくん、ヴィオちゃんと待ってて!」 「うん…えっ?」 フィルは思わず聞き返したが、セレスは大急ぎで走っていってしまいその声は届かなかった。 先ほど追い返されたばかりの門の中に恐る恐る入っていく。 「アッシュさま…!?」 「あ…キミは…」 門の裏側にいたのでフィルの位置からは見えなかったが、セレスの後ろにはずっとヴァイオレットが立っていた。 フィルの姿を見て、ヴァイオレットは驚きの声を上げる。 「アッシュさま、どうしてこちらに!?」 「ち、違う違う、違うよ。ぼくはアッシュじゃない。落ち着いて」 明らかに勘違いされているので、フィルは両手を前に出して後ずさった。 「ええと、ぼくは…」 以前、恐らく初めてアッシュに入れ替わられたであろうとき、フィルはヴァイオレットと会っておりそのときのことをフィルはしっかりと覚えている。 しかしそのことを召使たちに聞こえる場所で話すわけにはいかないので、ヴァイオレットを落ち着かせながらも周囲を見回した。 壁がある場所は死角に誰かいるかもしれないので、門と屋敷の間の広い庭の中央の石畳部分に早足で移動してヴァイオレットに手招きをする。 「…改めて。ぼくの名前はフィル。アッシュの双子の…兄か弟か、どっちかだよ。期待させてごめんね」 「い、いいえ…私の方こそ、早とちりしてごめんなさい…ずっと、アッシュ様とお話したいと思っていたから…私はヴァイオレット。ヴィオって呼んで頂戴…」 「分かった…」 何を話せばいいものか、とフィルは必死に考える。ヴァイオレットはフィルがそうやって考えていることが分かり、自分から話すことにした。 「じゃあ、次は私の方のことを話させてもらうわね。とは言っても、私も自分自身が何者なのか分からないのだけれど…」 そう言ってから、ヴァイオレットは自分が体験してきたことを話した。アッシュと神様という存在のためにあらゆる命令をこなしてきたこと、 そのことに疑問を抱いたところでメイプルがローズマリーに殺されたこと、自分も操られてカリンを凍らせてしまったこと。 最後に、セレスと出会って今は行動を共にしていることを説明した。 終始、フィルはヴァイオレットの話を興味深そうに聞いており、驚く様子も見せたがなるべく話を中断させないように気をつけていた。 セレスが何か知りたいことがあって母親のところに来たみたいね、話の内容はよく分からなかったけれどという言葉を最後にヴァイオレットは話し終え、 フィルは頭の中を整理しながら何度も頷き、ありがとう話してくれて、と返した。 「その…アイテールのアッシュさまのお屋敷ってところについて、もう少し詳しく教えてくれる?ぼくと会った場所の先の部屋に入ったことはあるの?」 「あなたと会った場所…ああ、神託の間の前だったわね、覚えてるわよ。あの時はアッシュさまの様子がおかしい、でもお優しいのならば嬉しいって、 それしか頭になかったのよね…今も、あなた…フィルと話していると、アッシュ様が笑ってくださっているような気がして、少し嬉しいもの」 「そ…そう?本当に好きだったんだね、ぼくが照れるのはおかしいけど照れるな…」 「ふふふ、顔は同じでも性格は正反対ね。…ええとそれで、神託の間ね。私は入ったことはないわ。入れるのは神様と、ローリエと、アッシュ様だけだったの」 「そうか…鍵がかかってるの?」 「いいえ…出入りするところは見たことがあるけれど、鍵を使っている様子はなかったわ。私たちも、中がどうなっているんだろうなんて考えたことなかったから、 鍵なんて必要なかったんでしょうね」 「うん…なるほど、ありがとう」 真っ先に知りたいことがそれなのか、と少し意外に思いながらもヴァイオレットは下を向いているフィルの頭を見下ろす。 「神様…ローズマリーはいつもどこにいるの?」 「え?ええと…」 ぱっ、と顔が上げられ質問を投げかけられ、ヴァイオレットは思考を巡らせた。 「分からないわ…急に現れることもあったし、そんなに多く接したわけでもないし…御命令は、アッシュ様から頂いていたし。 でもきっと、神託の間のさらに奥なんだと思うわ。私たちが行ったことのない場所でしょうから」 「さらに奥…そうだろうね、うん…」 「……。」 不意に、ヴァイオレットが屋敷の方に視線を向ける。無意識にセレスはどうしているだろうと思ったせいだったが、それを察してかフィルは安心させるように声をかけた。 「セレス王子なら大丈夫だよ。アリアも。…ヴィオ、セレスと一緒にいてくれてありがとうね」 「どうしてあなたが礼を言うのよ。礼を言われることはしていないわ…私がそばにいたいだけなんだもの」 「はは…アッシュ、フラれちゃったんだ」 「ちょっと、からかわないで!」 「ごめんごめん」 肩をすくめておどけるように言うフィルに、ヴァイオレットは声を荒らげる。心なしか頬が赤くなっているようだった。 「大好きだったアッシュ様の顔でそんなこと言わないでよ…今は、私がそばにいなきゃいけないって思えるようになったんだから」 「そばにいなきゃ…いけない?どういうこと?」 一緒にいたいというだけでなく、義務感があるようなヴァイオレットの言い方に、思わずフィルは聞き返す。 フィルの言葉に はっとした様子を見せたヴァイオレットだったが、しばらくフィルを見つめ、納得したように何度か小さく頭を縦に振った。 「…セレスには言わないで。できれば他の誰にも。」 「うん…?」 「私もまだ、セレスに関係する人とほとんど接してはいないんだけど…私には「聞き込みの力」があるというのは話したでしょう。 それによって、セレスの過去が見えたってことも」 「…う、うん…」 ヴァイオレットがローズマリーから与えられたという「聞き込みの力」。それは触れたものの記憶を見る能力であり、 本人が覚えていないことまで見える、会話せずとも「聞き込み」ができるという不思議な力である。 「セレスはね…自分のことが許せないみたいなの」 「……え?」 「普段の、彼のあの様子からじゃ想像もつかないでしょうけど…セレスは、生きていること自体にすごく罪悪感を覚えていて 幸福を感じることがあってはならないと思っているのよ。つまり、自分に生きている価値なんてないって考えているの」 ヴァイオレットの話の内容に、フィルは衝撃で青ざめた。 「ど、どうして…」 「過去に、大切な人を失って…それが、自分がいたせいだと思っているみたいね。記憶を見るためにセレスにずっと 触っているわけにはいかないし私もあんまり見るのは失礼と思って自分からは触れないんだけど… たまに、肩を叩かれたり…したときに、断片的に見えるの」 「…可哀相だね、すごく…」 「ええ…」 ふう、と小さく息を吐き出し、ヴァイオレットは体の前で手を組む。 「でもセレスは、私を救おうとすることによって前向きになろうとしてくれているのよ。だから、私がいることによって セレスの心を救うことができるなら、一緒にいようって思ったの。…理由はどうあれ、私は一緒にいたいし…」 「…うん、それはきっとセレスも同じだと思う。そのためにも、ぼくは…」 「お待たせ、フィルくん」 「わ…」 照れて下を向いてしまったヴァイオレットを覗き込もうとして体勢を低くした瞬間に 後ろから声をかけられて、フィルは危うく転びそうになる。振り返ってみるとそこには少し息を切らせているセレスと、 なぜか頭や服に葉っぱを大量につけて疲れた顔をしているアリアとレックの姿があった。 「何があったの?そんなボロボロで…」 「その…」 言い出しづらそうに、アリアが頬をかく。 「クレールさんの部屋に一番近い壁から飛ぼうとしたんだけどレックくんに止められて…浮かび上がったところで両肩を掴まれたんだけど、 逆にすんごい飛び上がっちゃって…」 「…?」 「ちょっとしたら落ち着いたから遠くから窓の中を一部屋ずつ見て、クレールさんを探して…知ってる部屋が見えたからそこに向かって飛ぼうとしたら 今度はセレスさんに止められたんだ、ちょっと待ってって声が聞こえて」 「……??」 アリアの説明の通りに頭に情景を思い浮かべようとするも、余計こんがらがるだけだった。 フィルは視線をセレスに移し、無言で更なる説明を求める。 「あのね、叔父上…リアン様が、母上の部屋の警備を最重要視することぐらい想像つくでしょ。 ましてや外壁から乗り込もうだなんて、無謀にもほどがあるよ。ぼくが止めなかったら今頃、魔法の装置が作動して雷に打たれて墜落してるからね」 「だからって、風の魔法で押し返すことないじゃないですか!すんごい風だったんですよ!結局、木に墜落したし!!」 「装置を切ってもらってから、すぐに助けてあげたでしょ。怪我はない?」 「ないですけど…」 「はは、ないんだ…」 樹木という不安定極まりない場所に落下したというのに怪我がないというのもすごい話である。 もし上を向いた枝の上に落ちたら…とフィルは想像してしまい、ぞぞっとして無理矢理思考をとめた。 そのとき、体中についた葉っぱを1枚ずつ取っていたレックがフィルの隣にいるヴァイオレットに気づいた。 「あ、ヴァイオレット…だよな?みんな心配してたんだぞ、早まってなかったみたいでよかったよかった」 「…あなた見てると、カリンに対する罪悪感でいっぱいになるわ。落ち込むから顔を見せないで頂戴」 「ひ、酷い!無事だったこと喜んでんのに!」 「ええ…ありがとうね。私が生きている状態でカリンが溶ける方法が全く思いつかないんだけど、もう少し待ってて」 「そりゃ待つけど…頼むから、自分を犠牲にしようなんて思うなよ。それで残された奴が幸せなわけがないんだから」 「……!!」 レックがそう言った瞬間、周囲の空気が凍りつく。はっとして息を呑んで、誰も何も言わなくなってしまってレックは慌てた。 「お、おいなんだよこの雰囲気?ま…間違ったことは言ってないだろ。カリンだって、目を覚ました世界にヴァイオレットがいないって知ったら絶対に悲しむだろうし… それなら自分がって言いそうだし、そうなったら堂々巡りじゃん…いや、あの、誰かを責めようとしたわけではなくて…なあ、頼むから誰かなんか言ってくれよ」 アリアは気まずそうに視線を動かしており、ヴァイオレットはレックの言葉をかみ締めているようで難しい表情をしている。 フィルも俯いて何も言わなかったが、しばらくしてようやくセレスが動いた。 「うん…ありがとう、レックくん。大丈夫、ヴィオちゃんはぼくの前から勝手にいなくならないって約束してくれたし、 カリンちゃんを元に戻す方法も絶対にあるから心配しないで。…さ、アリアちゃん、母上のところへ行くんでしょ? ぼくが話をつけておいてあげるから、みんなおいでよ」 メヌエット国のシンバルの町。シェリオは、ニヒトの「シンバルの町で売っている木の実を使った、シェリオくんが作ったクッキーを食べたい」という 非常にワガママでピンポイントな要望に応えるべく一人で買出しに来ていた。たまには我慢をさせた方がいいとは分かってはいるのだが、ついつい甘やかしてしまっている。 何かのご褒美に作ってあげるべきだったかなと思いつつも、目当ての木の実が売られている店をせっせと探していた。 「…ん?あれは…」 果物屋と雑貨屋の間の路地の前にいる人物にシェリオは目を留める。確かに見覚えのある人物で、シェリオは早足で駆け寄った。 「おーい、ベル!」 そこにいたのはベルで、シェリオの声にまったく気づく様子を見せずにベルは前方に注意深く視線を送っている。 聞こえなかったのかな、と思ってシェリオはさらに走って近づいた。しかし。 「……あっ!?」 ベルは茂みに向かって歩き出し、そのまま消えてしまったのである。何が起きたんだ、と混乱しながらもベルが消えた場所を確認していると、 自分の首からさがっている聖玉のファラが反応しているのに気づいた。 「そういや、前にフィルと二人で来たときに聖玉が反応する場所があったな…」 呟きながら、不思議な道を通ってユーフォルビアとラブレーの家へ行ったこと、そこでお茶を御馳走になったことを思い出す。 ベルも来たことがあったんだろうか、と考えながらシェリオはファラを茂みの上の空間にかざした。周囲に人がいないことを振り返って確認し、 シェリオもその中へ入っていく。 「よく見えなかったけど、あれは確かにベルだったよな…レックと一緒にいると思ってたのに。それにしても会うのは3年ぶりか… 家に呼んじゃおうかな」 そんなことを考えながら森の中を歩いていたが、以前に森に入ったときと方向が違うようでユーフォルビアの家がどちらにあるのか分からなかった。 あのときはラブレーを追いかけて走ったが、今はその指標がない。目を凝らして木々や葉の隙間から、建造物がないかを探す。 「割と大きな家だったし周囲には畑もあったし、開けた空間があればそこなんだろうけど……ん?」 突然、森の中に高い悲鳴が響いた。何だ何だと思っていると、前方から誰かが走り寄ってくるのが見えた。 「わっ!!」 「…あ」 どん、と激しくぶつかられてシェリオはよろけて背後の木に背をぶつける。いたた、と肩を押さえて前を見ると、 動揺した様子のベルが立っていた。 「ベル…?」 「シェリオ…なんで、ここに…」 「いや、見かけたから声かけようと思って追いかけてきたんだけど…」 「……」 シェリオを見下ろし、ベルは見る見る顔を歪めて泣きそうな顔になる。そしてゆっくりと後ずさってシェリオから離れていった。 「……ごめんな」 「え?…お、おいっ?!」 一言だけそう告げて、ベルは駆け出す。木にもたれていたのですぐに追いかけられず、シェリオはベルが走っていった 方向へ手を伸ばすことしか出来なかった。足音はどんどん遠ざかり、周囲からは音が消える。 呆然としていたシェリオだったが、ようやく我に返って視線を先ほどまでの進行方向に向けた。 「なんだったんだろ…とりあえず、行ってみるか…?」 ベルを今から追いかけても追いつけないだろうし、先ほど聞こえた悲鳴が気になってさらに前に進むことにする。 ベルが走ってきた方へ向かうとすぐに、人が住んでいそうな空間にたどり着いた。 レンガ造りの大きな家が姿を現し、その一帯だけが木々に光を遮られることなく明るく照らされている。 そんなのどかな光景の中、ユーフォルビアがこちらに背を向けて地面に座り込んでいるのに気づいてシェリオは目を見開いた。 ユーフォルビアは地面を見つめているようで、視線の先には何かがいるようだった。 「ユーフォルビアさん…?」 恐る恐る近づくと、ユーフォルビアの前に1匹の薄茶色のウサギが倒れているのが見えた。 目を閉じてぐったりと力なく横たわっており、ユーフォルビアはそれをただ力なく撫でている。 そのウサギの耳は確かに見覚えがあり、シェリオは はっと息を呑んだ。 「あの…」 「見ないでやっておくれ」 ユーフォルビアはシェリオに視線を向けることなく呟くようにそう言った。 「これは、人であろうとしていたんだ。どうか…見ないでやっておくれ」 |