そこにいたのはヴァイオレットだった。姿を隠すように裾が擦り切れたローブで体と顔のほとんどを覆っているので 道具売りや占い師に見えなくもない風貌で、城下町の雑踏によく馴染んでいる。 周囲を気にする素振りを見せながら、ヴァイオレットは足早にセレスへ駆け寄ってきた。

「よくぼくがここに来るって分かったね。ずっと待っててくれたの?」
「き、聞き込みであなたのことが分かったから…留守にしていることも…。ここから遠い町で会ったし、 まだきっとアリアと二人でランフォルセを探しているんだろうと思ったわ…でも、他にあてがなかったから、 ここで待っているしかなくて…」
「ふふふ、そんなにしてまで会いたいって思ってくれてたんだ。嬉しいな」

そう言ってセレスはヴァイオレットを覗き込むように微笑む。そんなことをしたらどんな反応をしてくれるだろうか、 照れるかななどと思っていたが、ヴァイオレットはセレスの予想に反して急に気落ちした様子で目を逸らしてしまった。 おどけている場合じゃなさそうだ、とセレスは神妙な面持ちで尋ねる。

「…アイテールに戻ってみて、どうだった?ぼくとしては正直、無事に帰ってこられたことに驚いたんだけど…」

記憶に空白はあるものの、アイテールに戻ってから今まで起こったことを思い返すといいことなど何一つない。 それでもメイプルやアッシュのために戻らずにはいられなかった、どうしたらよかったんだろうと考え出すとキリがなかった。

問いかけへの返事がないことからよっぽどつらいことがあったのだろうと察したセレスは、場所を変えようと思い立つ。

「とりあえず、中へ入ろう。ぼくの部屋だったら誰にも聞かれることはないし」

そう言ってヴァイオレットに歩み寄って肩を支えた。しかしヴァイオレットは力なく首を横に振る。

「いいえ…ごめんなさい、あなたの様子を確認したらすぐに…いなくなる、つもりだったのよ…」
「そんなことさせるわけないでしょ」

何か思いつめてるな、ということを感じ取り、自分の用事は後回しにしてセレスはヴァイオレットを王宮へ通すことにした。 城門をくぐるのもヴァイオレットはためらう様子を見せたが、それでも強引にセレスはその背を押し、 周囲の人間たちに不審がられながらも大丈夫だから、と気楽な様子で城の奥を進んでいく。

各国の城の中の様子は「聞き込みの力」で知っていたつもりだったが、実際に自分で視界を動かして見るのとはまた違い その広さや荘厳さ、人々の規律正しさにヴァイオレットは終始圧倒され、また感心していた。

さあ入って、と言われて一際壮麗な装飾が施された扉が開かれてセレスに中に促され、我に帰る。

「あ…ええ、お邪魔させてもらうわ…私は忠告したんだからね…」
「何か飲む?色々あるよ」
「聞きなさいよ」

セレスは部屋の奥に設置されている食器棚に入ったグラスを取り出し、その隣にある木の戸棚からビンに入った果実酒を手に取った。

「…これはダメだね」

つい自室に来る要人にまず出すものを提供しそうになったが、それを静かに棚に戻す。その隣にあったレモン水を代わりに持った。

「ぼくから訊いた方がいい?それとも、ヴィオちゃんから話した方がいい?」
「…私から話すわ。でも全然、楽しい話じゃないわよ。わかるでしょう」
「そうかもね」

そう言いながらグラスをヴァイオレットの目の前にあるテーブルへ置く。ほら座って、と椅子を引かれ大人しくヴァイオレットは腰をかけた。

「その前に…あの子は?アリアは一緒じゃなかったの?二人でいると思っていたのだけど」
「ああ、ぼくだけ先にセレナードへ帰ってきちゃったんだ。アリアちゃんはフィルくんと二人でランフォルセを探しに行っているはずだよ」
「先に帰らないといけない理由があったってこと?」
「そうだね、ちょっと気になることがあって…でも、もっと気になることの方を優先させたいから」

ほら話して、とセレスは笑顔を作ってヴァイオレットの正面に座る。分かったわよ、とため息混じりにヴァイオレットは話し始めた。

アイテールへ戻り、カリンと共にメイプルがローズマリーに殺されたところを目撃したこと。 その後にローズマリーに捕まり、操られてダイアンサスの塔まで行きカリンを凍らせたこと、その間の記憶が全くないこと。 それらの話の途中に、カリンが呪いを止めたことによりバルカローレの皇帝は命が助かっているであろうことも説明をした。

そして、たまにまだ気を確かに持っていないと意識を乗っ取られそうになる感覚があることを最後に話し、 だからそばにいては危険だと言ってるの、と釘を刺すように言い切ったのだった。

たまに相槌を打ち、質問を挟んでいたセレスだったが、話し終えたときはなぜかとても嬉しそうな顔をしており ヴァイオレットはなぜか疲れを覚えて頭を抱える。

「…ちゃんと聞いてたの?次の瞬間、私があなたに襲い掛かるかもしれないのよ。分かってる?」
「ゴメンゴメン、全部話してくれたことが嬉しくて。それに、ぼくを凍らせたくないと思ってくれてるってことでしょ。 やっぱり優しいなあ、ヴィオちゃんは」
「楽天的ね…」

もっと緊張感を持ちなさいよ、と悪態をつきながらレモン水を一口飲んだ。

「大体…あなたが私に関心を持つ理由が分からないわ。何一つ利点がないじゃないの。これでも、聞き込みのおかげで…人間たちの生活や 社会のことは十分に理解しているつもりよ。私のような、自分でも自身の正体も分かっていないような存在に構う必要はどこにもないでしょ」
「利点って…全部理屈に合った説明ができるものじゃないんだよ、人間は」
「……」
「ぼくがヴィオちゃんに構いたい…ほっとけない、一緒にいたいって思うのは、迷惑?」

そう言われて悪い気はしなかったが、心から喜べる理由もなくヴァイオレットは顔の前で組んだ手に額を預けて大きくため息をつく。

「セレスが向けてくれる好意は…嬉しいわ。でも、前にも言ったでしょ…私という存在はあまりにも不自然すぎる… 人間は生きている途中で自然と性別が変わったりしないでしょ。昔は肩が凝りそうなほどだったのよ、胸が」
「…まあ、今はかなり控えめかな?」
「当たり前でしょ!あってたまりますか。それに、体のどこにも……」
「なに?」

急に言葉を切られ、セレスはヴァイオレットの顔を下から覗き込もうとした。それと同時にばっと顔を上げたヴァイオレットは、 フードの前の紐を解いて上半身だけローブを脱ぐ。中にはいつもの服を着ており、両腕には白くて長い手袋がはまっていた。

「もういいわ。見せてあげる」

手袋を上から掴んで、引きちぎるように抜き取る。現れた腕は白くて長く、そしてその外側は。

「これ、鱗……?」

薄くて細かで、鮮やかな朱色の丸い鱗で覆われていたのだった。

セレスは思わず指を出してその鱗部分をつついていた。ヴァイオレットは嫌がる様子はなかったが悲しそうにそれを見下ろしている。

「そうよ。こんなの、人間にはないでしょ。私はきっと、魚なのよ。お魚さん。あなたの愛に値する存在じゃない、分かったでしょ?」
「すごい…これ、本物なんだ?思ったよりしっかりしてるんだね。めくれたりするの?生え変わったりは?」
「…どうしてそうも暢気にしていられるの。全部はがそうと試みたこともあるわよ。でも結局いくらでも出てくるの。 昔はこんなことなかったのよ…きっとそのうち、全身が鱗だらけになるんだわ…」
「綺麗だと思うけどなあ」

まだそんなことを、と頬をはたいてやろうかと思ったが自分の腕をまじまじと見つめるセレスの言葉に嘘がないように思えて 持ち上げた手を停止させた。

「まるで宝石みたいだよ。自然に抜け落ちたら装飾品にしたらいいんじゃないかな。ぼくも身につけたい。ブローチとかどうだろうね」
「…あなたは、もう…!」
「何言っても無駄だって、分かった?」

いつの間にか立ち上がっていたセレスに頭に手を置かれて、顔を覆っていたヴァイオレットは肩を震わせる。

「諦めさせようとしたって、無理だよ?」
「でもっ、私はあなたを殺すかもしれないのよ!?」
「それが最後の切り札?ヴィオちゃんになら別にいいよ。それに、お友達…カリンちゃん、だっけ。彼女にヴィオちゃんの正気を 呼び戻せたのだとしたら、ぼくだって最後まで頑張ってみるよ。それでヴィオちゃんが戻ってくれたらそれでいい」
「そうだとしても、きっと一度や二度じゃないわよ…」
「そのたびに呼び掛けるよ。全力で。それでもダメだったなら、ぼくよりも愛せる人を探しに行っておいで?」
「……馬鹿ね……」

ついにヴァイオレットは顔を覆って泣き出してしまった。手袋のはまった手とそうでない手が、勝手に溢れていく涙で濡れていく。

「好きな人、殺してっ…それでも、生きていけ、って…?!酷いこと…言うのね…っ」
「わあゴメンゴメン、泣かないで」

なんとか落ち着かせようと床に膝をついて頭を撫でて肩を叩いた。今まで我慢していたのが一気に開放されたのか、 泣き声に混じってわめくように何かを訴えているようだがセレスは反論せずに黙って頷き続ける。

しばらくして、やっとヴァイオレットはしゃくりあげるのをやめたが、思い出したようにぽつりと言った。

「そうよ…それに、カリンを溶かすためにも…私は、いちゃいけないんだわ…」
「…そのこと、なんだけどね」
「?」

まだヴァイオレットの目に残る涙をセレスは指で拭う。

「ぼくがセレナードにいち早く帰ってきた理由。それは、知りたいことと、確認したいことがあったからなんだ。 …大丈夫、ヴィオちゃんはこんなにいい子でこんなにも頑張って生きてるんだもの。 少しぐらいは奇跡が起こってくれないと、割に合わないよ。ねえ?」






「ここは、一体……。さっきまで、工場にいたはず……」
「あなたは誰?どうやってここへ?」
「わっ…!き、キミは…?!」
「私はローズマリー。どうやら、私が時を巻き戻した際に歪が生じたようね。」
「時を…?ひ、歪…??待って、ぼくは今まで…」
「しかも「未来の記憶」に適合してしまっているわ…さて、困ったわね。それならば、私はあなたを殺さなければいけない」
「えっ…」
「でも、私に忠実に仕えるというのなら、私が完全なる神と成る時まで生かしておいてあげるわ。 過去も自分も全て捨てて、私に仕えなさい。あなたがいた場所へ、あなたはもう二度と戻ることはできないの。 名前は、そうね……ローリエ。今この瞬間から、あなたはローリエとして生きなさい。どうする?選ばせてあげるわ」
「………」



「…ぼくは、咄嗟ではあるけれど死を覚悟した。もう死んだようなものだから……全てをリセットして、 あなたに仕えるよ。…名を与えてくれて、生かしてくれて、ありがとう。ローズマリー」



「……おい」
「わ」

アッシュさまのお屋敷の中庭。芝生の上に散っている落ち葉を箒で集めながら物思いにふけっていたローリエは、 突然後ろから声をかけられてびくっと肩をすくませる。振り返るとそこには木の実が大量に入ったカゴを持ったアッシュが立っていた。

「ああ、アッシュ…トキの実、そんなに採れたんだ。神様から聞いたよ、そろそろ地上に行くんだってね」
「そうだけど…珍しいな、お前がぼーっとしてるなんて」
「あははは…ゴメンなさい、アッシュ様」

サボってないですよ、とローリエは苦笑する。ただ通りかかっただけだろうかと思ったが、ローリエの様子を気にすることなく アッシュはその場に立ち尽くしたままだった。

「…気が重い?アッシュによく構ってくれてた人が…次の標的、なんでしょ?」
「構って…し、知ってたのかよ」
「屋敷にいらしたときに、ぼくも話したことがあったから。アッシュのこと、本当に可愛がってくれてたみたいだよ。 …なんて、こんなこと言ったら命令をこなすのがつらくなっちゃうよね。ゴメン…」
「……いや」

アッシュは低い声でそう言って首を横に振る。

「神の命令は絶対だ。あいつがメルディナの空間に存在しているだけで、永世遡行ができないばかりか実行しようとすると危険が生じるらしい。 全ては精密に、確実に行わなければならない」
「そう、みたいだね…そんなことまで、教えてもらったの…?」
「メイプルたちがいなくなりヴァイオレットも帰ってこなくなった今、俺が神の命令を遂行するしかない。 テラメリタを作り出すという神の意志を実現させるために、俺は迷いも疑問も捨てて行動すると決めたんだ」
「……」

ローリエは複雑な気持ちで箒を握り締めた。そうだ、こう考えられればカリンもレンも苦しまずに済んだんだ。 これが一番良いはずなのに、なぜか、良かったと思えない自分がいてローリエは自分の心に戸惑う。

「そ…う、だね。アッシュがそう考えてくれてよかったよ。なにかあればぼくがアッシュを支えなきゃと思ってたんだけど、 そんなことも必要ないぐらい…意思を固めてくれるなんて。うん…」
「時の砂が完成し次第、行ってくる。その間、双心の砂時計の部屋には絶対に誰も近づけるなよ。シャープ姫もだ」
「…はい。分かったよ、アッシュ様」

ローリエがそう言い終わらないうちにアッシュはつかつかと屋敷の方へ歩き出してしまった。 アッシュの姿を見つけた庭で働く子供たちがわらわらと近寄っていくが、アッシュは脇目も振らずに歩いていく。

その後姿をローリエは見つめていたが、辺りの空気がふわりと動いた気がして何気なく振り返った。

「相変わらず見事な働きぶりだこと」
「ローズマリー…?」

ローリエから少し離れた石畳の上に立っているローズマリーは辺りを見回してその庭の美しさに頷き、 そして遠くに見えるアッシュの後姿を見送る。満足そうに目を細めており非常に機嫌が良いようだった。

「屋敷から出られるようになったんだね」
「ええ、癒しの司が死んでから時が経過するに連れて海の力は弱まる一方。裂け目も広がっているみたいね。 アシュリィを落としたときに比べてたら笑ってしまうぐらいよ」
「そっか…」
「これでもしかしたら、エアフォルクの誕生を待つ必要はなくなるかもしれない」

ローズマリーが庭の奥へ向かって歩き出す。非常に長い髪やドレスが風に逆らって揺れ、波打っていた。

「…どういうこと?」
「もうすぐ分かるわ」

そのままローズマリーは薔薇のアーチをくぐって庭園の中央へ向かって消えていった。 何かを言おうとしてローリエはローズマリーに手を伸ばして一歩を踏み出したが、開きかけた口をぐっと閉じて手を下ろす。 踏んでしまった集めた落ち葉のガサッ、という音がやけに耳に響いた。






「え、なんで?!いや、ぼくたちはもうカデンツァの町に着いちゃったけど…ううん、もう日が傾きかけてるしやめておいた方がいいよ。 そりゃそうだけどさ…うん、うん、じゃあぼくたちは今日はゆっくりしとくから。気をつけて来てよ。うん、おやすみ〜」

…と、心の中でしゃべっていたフィルの横で、アリアはやきもきしていたがようやくフィルがシフラベルをつけた指から手を離したので 会話が終わったんだと判断してフィルの肩を叩いた。

「ねえねえ、レックくんは今どの辺って?今日中にレッジ湖に行けちゃいそう?」
「そ、それが…」

巨大カマキリと遭遇した森を急ピッチで抜け、ララシャルも目を覚ましたので崖や岩場はアリアの髪飾りで飛び越え、 ひたすら東へ進んでいたフィルたちだったが、夕方になってついにレックとの合流ポイントであるカデンツァの町へ到着していた。 今日の宿を探そう、というときになってレックから連絡が入ったのである。

「レックが皇帝を救ったことになったわけじゃない」
「うん、そうだね。呪いが解けてもセルシアちゃんは死にそうだったんだもんね」
「そうそう。それで、レックが持ってきた道具で皇帝の命が助かったってことで、なんかバルカローレ中で英雄として祭り上げられそうになってるらしい」
「え、ええ〜…」

問答無用でコンチェルトから祖母のカンナと共に連れ去り皇帝の弟だと明かされて生活を監視下に置かれたかと思えば また自由が拘束されそうな事態になってしまっており、フィルは心底レックが気の毒になった。シフラベルから聞こえてくる声も、 今日一日人々の対応に追われていたせいかかなり疲れているようだった。

「それで、もう寝るって言って部屋に閉じこもったんだって」
「そりゃ大変だったね…可哀相に…」
「でもアリアがルプランドルを必要としてるなら、今から部屋を抜け出してこっちへ来るって言ってた」
「えっ」
「今日はもういいから、明日合流しようって言ったんだ。アリアは一日でも早くシャープ姫に会いたいだろうけど…それでも、いいよね?」
「うん…シャープのことは心配だけど、レックくんに無理してほしくないよ。しょーがない…よね」
「ゴメン…」
「なんでフィルくんが謝るの」

そうして話している間もみるみる陽は沈んでいき、町の中を照らす光も昼の日差しからオレンジ色の夕日に変わりつつある。 フィルがシフラベルで話していたのでララシャルのことはアリアがバトンタッチしており、そのララシャルは疲れたのかまた眠ってしまっていた。

「ララシャルのすごい魔法力はリアンさんが作ったその服のせいだとしても、やっぱり3歳児なんだね。はしゃいで疲れて寝ちゃっての繰り返しで」

ふう、とララシャルを見下ろして、そのあどけない寝顔に思わず微笑む。満足そうに遠くを見据え、アリアは大きく頷いた。

「よし、じゃあ手始めに!」
「宿探しだね」
「え、お腹空いたんだけど」
「………。」

まさかの意見にフィルは言葉を失う。 今から食事して、いざ夜になったら宿がない、ではすまない。フィルはアリアがなんと言おうと宿を探すことを優先させようと心に決めた。…しかし。

「あ、あのお店おいしそう!うん、食事は後でいいから、ちょっとあれ買ってくるね!」

そう言ってアリアはトウモロコシを棒に突き刺して売っている屋台へ走っていく。ぱっ、とララシャルを手渡されたフィルは呆然とアリアを視線で追った。

「…トウモロコシは食事に入らないの…?」


    






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