「…もう邪魔しないでよ、ローリエ」 「うん…いいよ、いっておいで」 シャープの部屋の前にいたローリエは、メイプルにそう言われてゆっくりと扉を開けた。 部屋の中には奥に大きなベッド、壁には絵画、バルコニーに続く大きな窓、ティーカップが納まっている 食器棚やたくさんの本が入った本棚があり、窓の前にはテーブルと椅子が置かれている。 その椅子に、シャープは腰をかけていた。 「今度こそ、絶対に凍らせる…アッシュ様のために…!」 メイプルに気づいたシャープは顔を上げてメイプルを見つめる。その表情は悲しげだった。 「あなたは……」 「シャープ姫、あなたを凍らせに来ました。というわけで…大人しくしてることっ!!」 「……」 シャープは目を伏せて立ち上がった。どういう行動に出るか、逃げようとするか反撃されるか、 あらゆる動作に備えてメイプルは構える。 「…え?」 「どうぞ…」 椅子から降りたシャープはテーブルの隣に立ち、目を閉じたまま両手を広げた。 抵抗するつもりも逃亡する意思も、全くないようだった。前のような攻防戦になることを覚悟していたメイプルは拍子抜けする。 「な、なんで……?」 思わず疑問を口にしていたが、メイプルは自分でそれに気づいていなかった。 後ろからその様子を見ていたローリエが軽く顔を上げる。 「私が抵抗することにより、誰かが傷つくのならば…いっそ、私を凍らせてください。 もう…何もする気はありませんし、どこへも行きませんから…どうぞ、お好きになさってください」 「そんな……その「誰か」のことなんて、気にしなければいいのに……」 「……?」 「どうして…そんな風に、思えるの…?なんで怖くないの…」 メイプルの頭には、今まで自分が処刑してきた人物の数々の凍る瞬間の恐怖に満ちた表情がよぎっていた。 レンも、怖がり、あんなにも嫌がっていた…それなのに、この人は。どうして。自分のことよりも誰かのために…なんで。 「なんで……やめて!!考えさせないで…メイプルちゃんは、いい子でいないといけないの…!! アッシュ様のために、神様のために、ただそれだけのために動いていればいいんだから!!」 メイプルは考えを振り払うように頭に手を置いて叫んだ。そして、腕を振り上げてその手の中に氷のナイフ「凍結の牙」を作り出す。 「凍っちゃえッ!!」 両手で握った凍結の牙を、シャープめがけて振り下ろす。シャープは何も言わず、体から力を抜いて目を閉じた。 「……!?」 そのとき、シャープの胸についているブローチ、光の石「エール」が強い光を発し始めた。 あまりの眩しさに、メイプルは腕で顔を覆う。 「な、なにっ…!?」 ローリエも顔に手をかざして何が起きているのかを見ようと目を凝らした。 水のように光が溢れて流れていたのがようやく止まり、全員がうっすらと目を明ける。 当のシャープも、何が起きていたのか全く分かっていなかった。 「これは……」 気づけばブローチは胸からなくなっており、代わりにシャープの体の周りにオレンジ色の石が浮いていた。 さらにもう一つ、赤い石も反対側にシャープを守るように浮かんでいる。二つの石の周りは銀色の金属が覆っていて、 片方は丸く、片方は三日月の形をしていた。 「なに、これ……」 「エールが、どうして……きゃっ!!」 「!!」 シャープが自分の体の周りに浮かぶ姿を変えたエールに気を取られている間に、メイプルは再び凍結の牙を振りかざす。 その攻撃がシャープに届く瞬間、バキン、という硬い音が辺りに鳴り響いた。 「うっ…い、いたっ…!」 メイプルは手に痛みを感じて凍結の牙を取り落とす。見ればシャープを守るように二つの石が重なり 大きな丸い盾のようになってメイプルの一撃を防いでいた。 メイプルの手が離れると二つの石もまた離れ、シャープの体の周りに浮かび始める。 「ううう〜…このっ!このっ!!」 怯まずにメイプルは何度もシャープを刺そうと攻撃を仕掛けるが、ことごとくエールに阻まれて刃は届かなかった。 「なんで!シャープ姫を、凍らせないと、いけないのにっ…ねえ!どうしてよ!!」 思い切り振りかぶり、振り下ろした凍結の牙はついにエールにぶつかって砕け散る。 力を失ったメイプルの手もエールを撫でるだけとなりシャープに触れることはなかった。 「うぅっ……そんな…なんで……このままじゃ、だめ、なのに…っ」 「……」 シャープは足元に崩れ落ちたメイプルに手を伸ばしそうになったが、はっとしてその手を止め、目を逸らす。 そのとき、突然扉がノックされ部屋の外から高い女性の声が聞こえた。 「失礼するわよ、シャープ姫」 「……!?」 シャープとメイプルが扉に視線をやると、ローリエが扉を開けているところだった。 扉の向こうに、灰色の長い髪に青薔薇の飾りをつけた黒いドレスの女性が微笑をたたえて立っているのが見える。 「か…神様…」 「…神様…この方が…?」 メイプルは膝をついたまま、肩越しにその女性を見た。ゆったりとした足取りで、女性は近づいてくる。 「ごきげんよう、シャープ姫。直接お会いするのは初めてね。メイプルの攻撃から身を守るため、 光の盾エールが真の姿を見せるなんて…ふふっ、予想以上の展開だわぁ」 くすくすと笑いながら口元に手を当てる。 「自己紹介がまだだったわね。私の名はローズマリー。天上から地を支配する神よ。 お母様から、私のことは聞かされていなかったかしら?」 「……」 ローズマリーは面白そうに尋ねるが、シャープは何も言わなかった。そのとき、メイプルが突然立ち上がって ローズマリーに駆け寄っていった。 「か、神様…!ごめんなさい、ごめんなさい!シャープ姫を凍らせられなくて…でも、ほ、本当に頑張ったんです! 一切疑問を抱かずに、これからも絶対に神様とアッシュ様から頂いた使命を果たしていきます!だから、だから…」 「……なあに?」 「アッシュ様に、酷いことしないでください…罰だったら、私が、お受けします…から」 「あらそう」 言うが早いか、ローズマリーはメイプルに手を伸ばしてそれを胸に突き刺した。 「!?」 シャープからはメイプルの背からローズマリーの手が見え、シャープは思わず目を覆う。 メイプルから突き出たローズマリーの手には、黄色の丸い宝石が握られていた。 「あ……」 メイプルは反射的にローズマリーの手を掴んでいたが、それがゆっくりと引き抜かれてメイプルは床に倒れる。 体から血は出ていなかったが、代わりにどういうわけか桃色に光る花びらがメイプルの体から散っていた。 「じゃ、ローシュタインは返してもらうわね。あーあ、こんな簡単な命令もこなせないようなハズレを 「エアフォルク」なんて称して区分していた自分が恥ずかしいわぁ。ローリエ、その花殻を庭に捨てときなさいよ」 「……分かりました」 まだ弱々しい声を発しているメイプルから目を逸らし、ローリエはローズマリーに頭を下げる。 「ぅ…あ………ロー、リエ………」 「…ごめんね」 がくがく震える腕を床について、メイプルはローリエを見上げた。 ローズマリーはそれを気にする様子を全く見せずにそのまま部屋から出て行ってしまった。 ローリエは持っていた本を棚の上に置き、メイプルに歩み寄り膝をつく。 「何もできないなら…何もするべきじゃなかった…ゴメンね、メイプル…」 メイプルを抱き上げたローリエが部屋から出て行き、自然と扉がパタンと閉まった。 持ち上げられたメイプルの体から溢れた花びらが、空中で次から次へと床に落ちる前に消えていく。 部屋に残されたシャープは緊張の糸が切れて力なくその場にしゃがみ込み、静かに泣き始めた。 「もう、嫌……何も感じたくない…もう、やめて……」 顔を両手で覆って涙を流すシャープの周りを、光の盾となったエールがふわふわと回っていた。 「な…なにが、あったんだ…」 シャープのいた部屋を出たローリエは庭へ出るために広間を歩いていたが、階段の上からアッシュの声が聞こえて立ち止まった。 「おい!おい、メイプル!?お前…ローシュタインを…」 「アッシュ…さ、ま…?」 ローリエの腕の中で、メイプルが光を宿さない目をアッシュに向ける。 「ローリエ…何があった」 「メイプルは、命令通りシャープ姫を凍らせようとしたよ…だけど、ローズマリーが来て…」 「神……母さん、が…」 「……ね、え」 弱々しく差し出されたメイプルの手を、アッシュは思わず握り締めた。 自分が見えているのかいないのかアッシュからは分からなかったが、メイプルはアッシュがいる方へ向けて笑みを浮かべる。 「メイプル、ちゃん…頑張りました、よね…?褒めて…くれますか…?」 「……」 「私のこの気持ちが、作られたものでも…私、アッシュ、さま…の……」 メイプルの手を握ったまま、アッシュは今まで経験したことのない感情に思わず泣きそうになった。 なるべく、声が震えないように気をつけながら、いつもと同じように、言ってやりたい。そう思った。 「……ああ。よくやった。偉いぞ」 それを聞いて、メイプルは すっと目を閉じる。片方の目から、涙が流れていった。 「よかっ……」 メイプルの体が光り輝いたかと思うとローリエの手の中で無数の光の花びらとなり、 どこからか ざあっ、と大風が吹いてきてその花は全て吹き散らされて消えていく。 気づけば、ローリエの手の中にはもうなにも残っていなかった。 「………。」 アッシュもローリエも、言葉をなくしてその場に立ち尽くすことしかできなかった。 「……メイプル…」 その様子を庭へ通じる扉の陰から見ていた人物がいた。 「ヴィオ……め、メイプルがっ…」 「…泣いてる場合じゃないわよ、カリン」 ヴァイオレットは手を強く握り締める。白い手袋がぎゅっと音を立てた。 「メイプル…あの子が、何をしたっていうのよ…私なんかより、ずっとずっとアッシュ様にも神様にも忠実だったのよ… 疑問を抱こうとせず、アッシュ様のご命令を頂くことをあんなに喜んでいたのに……」 「ふふふ、そうよねえ」 「?!」 背後から聞こえた声に、ヴァイオレットとカリンは振り返って後ずさる。 「か、神様…いつの間に…!」 二人の後ろにはローズマリーが立っていた。面白そうに肩を揺らして笑っている。 ヴァイオレットはローズマリーをきつく睨みつけた。その視線にローズマリーは驚いたような顔をする。 「まあ、反抗的な目。それが神に対する態度なのかしら?」 「……」 カリンを後ろにかばうようにヴァイオレットは前に出た。 「…逃げなさい、カリン。マグナフォリスを通って、早く地上へ行くのよ」 それを聞いたローズマリーは不気味に目を細める。 「あらあら…神の目の届かない場所なんてあると思って?愚かねえ〜…」 「いいから早く逃げなさい!!」 「はっ、はいっ!!」 カリンは弾かれたように飛び上がって駆け出していった。 軽い足音が遠ざかっていくのを確認しながらもヴァイオレットはローズマリーから視線を逸らさなかった。 「ふふっ…なんという反逆かしら、神に向かって。あなたを作り出したのは、私なのよ?」 「命を弄んで理不尽に殺して、何が神よ。アンタなんて何にもなりきれない半端物だわ」 ヴァイオレットにもう迷いはなかった。無念だったであろうメイプルの想いも、今まで抱くことを許されなかった疑問や疑念を、 全てぶつけてやるつもりでいた。 「私に対して神を気取っていたかったのなら、どうして疑問を抱く心を与えたのよ。アンタの言うことだけ聞く、 からくり人形でも作っておけばよかったじゃないの」 「…ふう、酷い「ハズレ」ね。あなたは一番内面の調整をしてきたっていうのに…自ら死を選びたいのかしら?」 脅しのような言葉を受けても、ヴァイオレットは一歩も引かずに叫ぶ。 「殺すなら殺しなさいよ。意味も分からず生きてるぐらいなら、その方がずっとマシだわ!!」 ヴァイオレットは一気に言い放って、ローズマリーの出方を伺った。 いきなりメイプルのように殺される、その覚悟ももうできていた。 しかしローズマリーはやれやれと首を横に振るだけで何もしてくる様子がない。顔の動きに合わせてローズマリーの ウェーブがかかった長い髪がふわふわと揺れた。 「あーあー、もうこれは修正は利かないかしら…でも、殺せって言われてそのまま殺すんじゃ面白くないわよね〜。 ヴァイオレット、あなたにはせっかく「聞き込み」の力も渡したし、もうちょっと動いててもらいたいのよ…」 そう言うとローズマリーは一気にヴァイオレットの目の前に詰め寄り、片手で首を掴んだ。 「ぐっ……」 「だから、もう「人間」を作るのはやめて…あなたにあてたノームパッチを全部抜き取ってあげるわ。 イニシャライズすれば、疑問を抱くこともなくなるでしょうよ。望みどおり、私の言うことだけ聞く人形に戻してあげる」 ヴァイオレットに触れそうなほど顔を近づけて、笑ってみせる。 「ふふっ…あなたたちはパッチを激しく欲しがるようにプログラムしてるから、抜かれるのはさぞかし苦痛でしょうねえ……」 「…へえ、じゃあフィルはランフォルセを探しに行くのか…気をつけていけよ。 俺たちは…進んでんのかよくわかんないんだよ…今は待ちの状態。うん、うん、また連絡する。じゃあな」 ラネスコの町の草原の上で、レックとベルとレンは仲良く並んで座っていた。 3人でランが現れるのを待って待ち続けて待ちぼうけを食っているとき、フィルからレックへシフラベルで連絡があったため 二人でしばらく話して情報を交換し、お互いの状況を確認したのだった。 「フィルって、レックの幼馴染の友達だっけ?」 「うん、5歳と6歳のときからの長い付き合いだよ。聖獣探しが終わって俺のお姉さん二人を助けた後に紹介するよ。 いい奴だから友達になってやって」 「ふーん…その、フィルが…ランフォルセを探しに行くって?」 「アリア王女と一緒に行くって言ってたけど…どうなることやら。できれば早く合流したいけどさ〜…」 アリアの名前を聞いて、ベルは表情を曇らせる。それに気づかずレックは伸ばした両腕を膝に乗せて空を仰いだ。 「もう日が暮れるぞ〜…ラン、来るって言ってたよな…」 「言ってたなあ」 「来ないじゃん…」 「…来ないなあ」 一刻の猶予もないのに、こんなところで3人で日向ぼっこをしていていいわけがない。 一応宿屋にはカリンが戻ってきたときのための伝言を頼んであるが、このままではもう一度同じ宿に泊まることになりそうだ。 「おい、レン!来ないぞ!!」 「…ぼくのせいじゃないよ」 「お前のお兄ちゃんとか言ってたじゃん。なんなんだよあいつ〜…!」 「ぼくも知らないってば」 少し離れた場所で草を見つめているレンに声をかけるが、何も進展はない。 レンは草の葉の形に興味を持っているようで、たまにプチプチと摘んでは手の上にのせて観察していた。 「細かくて丸くて…よくできてるなあ……え?」 「お?」 突然、3人の周りが暗い影に覆われる。何事だ、と思って空を見上げるとそこには巨大な蝶が浮かんでいた。 「ギャーッ!!バケモノみたいな虫!!たっ、助けて!!」 「落ち着けよレック…よく見てみろって」 「無理ー!いやー!!」 「やれやれ…」 ベルの腹に顔を埋めてレックは一人で騒いでいる。逆光で見づらかったが、ベルは蝶につかまってぶら下がっている人物をちゃんと認識していた。 「カリン、お帰り。どこ行ってたんだよ」 「カリン…!?」 ベルの声にレックは がばっと顔を上げる。その反応を予測していたのでベルはあらかじめ顔を逸らしており激突は免れた。 「み、皆さん…」 カリンは蝶から手を離して芝生の上に降り立つ。蝶はみるみる縮んでいき、カリンの頭にふわりととまった。 「あの、その……」 「どーせ、アッシュさまのお屋敷に行ってたんだろ。俺があんだけ止めたのに」 「……」 カリンは俯いて胸の前で手を握る。しゅんとしているカリンに歩み寄ったレックは蝶を触らないように頭を撫でた。 「…よく帰ってきたな。無事でよかったよ」 「は…はい〜…」 「お友達は元気してたか?「アッシュ様」は?」 「いらっしゃいました…それで、その…」 「おーい!!」 今度は元気な声が遠くから近寄ってくる。誰だよ、と思って振り返ったレックだったがその姿を見て あっ、と声を上げた。 「ラン…!お前な、今何時だと思ってんだよ?!もうあと少しで夕方……おい、なんだそのパンの量は!?」 「ん〜?」 ランは大通りの方から走ってきていたのだが、その両腕には大量の菓子パンが抱えられている。 腕から直接パンを一つくわえ、レックの剣幕にきょとんとしていた。 「もぐもぐ…あー、おいし。食べる?」 「いるか!俺たちはさっき昼食をとってハラいっぱいだよ!…って、そうじゃなくて、俺たちはお前に聞きたいことが山ほどあんだよ! なのに半日待たせやがって…のんきにパン屋さんでお買い物してたのかよ!」 「だってこのメロンパンのためにこの町に来てるとこもあるしさ!」 「答えになってない!!」 またランはパンにかじりつく。何怒ってんだよ、とランはレックを不思議そうに見ていた。 その様子を隣で見ていたレンがランに歩み寄っていく。 「ねえ、キミ…」 「ラン、だって。レン、この人たちとなんで一緒にいるわけ?お兄ちゃんと一緒にいよーぜ!な?」 「…無理。レグルスは凍っていたぼくを助けてくれたんだよ。レグルスに恩返しをするために、 ぼくは聖獣を見つけないといけないんだ」 そう言うレンの言葉に、そんな風に思ってくれてたのか、とレックは口を押さえて感動していた。 聖獣、という単語を聞いたランは非常に嬉しそうに飛び跳ねる。ぽろっと左右にこぼれた小さなパンを、レックとベルがすかさずキャッチした。 「あ、あぶな…」 「聖獣って、コルミンのことだろ?会いに来ればいいじゃん!」 「…は?」 |