「…なんかあったな、こりゃ」 エバは小さくそう呟き、ニヒトにちゃんと理由を聞いたほうがよさそうだと思って歩み寄る。それと同時に、部屋の扉がノックされた。 「おーい、エバ?いる?」 「ん、シェリオ?どうした?」 向きを変えて扉を開けに行き、扉の前にいたシェリオを招き入れる。手で中に入るように促したが、シェリオはそこから動かなかった。 「アリアとセレスがエバを呼んでるんだ、ちょっと来てくれる?…って、ニヒトさんもいたのか。ちょっと、応接室に通してるから エバ、行ってあげて。ニヒトさんのお守りは俺が交代する」 「おう、ありがとな」 エバはニヒトに詳しく話を聞くのは後にするかと考えて、シェリオの頭をぽん、と叩いてから部屋から出て行った。 3年前に比べてかなり背が伸びたシェリオだったがエバよりはまだ少し低く、エバの手が離れてから頭を押さえて 撫でるなって、と声をかける。 エバは振り返らず笑いながら手を振って歩いていった。 「3年で俺は普通に成長したはずだけど、エバの時間は止まってたんだよな…あれ、俺って今、エバより年上なの…?」 「シェリオくーん、あそぼ」 「………」 無邪気に近づいてくるニヒトにシェリオは一気に疲れたように肩を落とす。 「ちょっと早く帰ってきたと思ったら…」 「仕事しなくていいなら遊びたいし、ご飯食べたいし、おやつも食べたいし、お買い物したいもん」 「はいはい、おやつは今パイを焼いてるところだから待ってて」 フィルとシェリオの二人で作った木苺のパイが、厨房のオーブンで焼かれている真っ最中である。 それを聞いてニヒトは目を輝かせた。 「やったー!じゃ、パイが焼けるまでボードゲームで遊ぼうよ」 「…ダメ。さっきも言ったでしょ、今アリアとセレスが来てるの。俺は遊べないから他の人と遊んでて、遊んでくれる人探してくるから」 エバを呼んで一緒に部屋に戻ろうと思っていたのが、ニヒトがいたためそれができなくなってしまっているだけで 適正プレイ人数が3人以上のボードゲームを二人で遊ぶなんてことをしている暇はどこにもない。 部屋の外にいる誰か一人か二人を捕まえて遊んでいてもらおう、と思ったシェリオだったが、服をつかまれて動きが止まる。 「ちょっと、手を離しなさい」 「だって〜…ねえ、セレナードの王子様たちが来てるって、なんで?エバくんにどんな相談事?」 「あー…えっとね」 部屋から出ようとしたのだが説明のためにニヒトに向き直った。 「アリアはランフォルセを必要としているみたいで…でも、ランフォルセってレッジの湖から持ち出したら メルディナ大陸が水の底に沈むっていう言い伝えがあるじゃん。だからアリアにしか触れない剣にしてもおいそれと持ち出せなくて 困ってたんだって。だけど、ランフォルセが必要なときに持ち出すための方法がスモルツ家に伝わってるっていうことを知って ここに来たらしいよ。エバがエバの親父さんから何か聞いてないか、期待してるっぽい」 「スモルツ家……」 「…おいおい、どしたの」 一度シェリオの服から手を離したニヒトだったが、また服の裾を掴まれて身動きが取れなくなる。 ニヒトは急にしゅんとして俯いてしまって、シェリオはニヒトの顔を下から覗き込んだ。 「ニヒトさん?」 「シェリオくんはさ…私のこと、一人だと思ってる…よね」 「は??」 突然何を言い出すんだ、とシェリオは首を傾げる。ニヒトの言葉の意味が全く分からなかった。 「ニヒトさんは一人じゃないの?影武者…なんていないよな、3年間一緒に暮らしてるけど見たことないぞ」 「そうじゃなくて……」 小さな子をあやすように視線を合わせて安心させるようにゆっくりと話しかけた。 シェリオが、駄々をこねるニヒトに言い聞かせるときによくやる動作である。 「なに?最高神官なんてやってるニヒトさんだから、とんでもない秘密があったって今更驚かないよ。 謎のドラゴンの生き血を飲んで聖心力を身につけたの?そのせいで満月の日に外に一人で出て草を食べてるの?」 「うふふっ…な、なにそれ…面白い…っ」 「ニヒトさんが言わないから想像するしかないでしょ。ほれ、言いたいことがあるなら早く言いなよ。 俺にとってのニヒトさんは3年前にこの家にテヌートなんて不吉な存在の俺を呼んでくれたあの優しいお兄さん、その人だよ。 あのときからそのまんま、それは変わらないよ」 「……」 もちろん、一人で着替えもできなくてお風呂にも入れなかったあの頃よりかはかなり成長してるけど、と付け加えた。 シェリオの言葉を聞いて、ニヒトはいくらか元気を取り戻して何度も頷く。 「…うん、今こそ言うべきなんだと思う。シェリオくん、アリアちゃんやエバくんがいる部屋に連れてって」 「え…いいけど……?」 「エバさん、何か知ってることはないですか…?」 「うーん、力になりたいけど…親父からは特に何も聞いてないな…スモルツ家の最後の生き残りだった子…イリゼは、 家にもよく来てて一緒に遊んでたけど俺そのときまだ5歳ぐらいだったし…」 「なにか、本とか手記とか、お父様から預かったものとかは?」 「親父の書斎見てみたらなにかあるかも。俺も3年前に親父が死んで早々にフォルテの巡礼についてっちゃって、 そのあと殺されちゃったから家の中の整理あんまりしてないんだよな。家の奴らにも聞いてみるよ」 「お、お願いしますっ!」 アリアの必死さを見てエバは何とかしてあげたいと思ったが、思い当たるものがなかったのでどうしたものかと頭を悩ませる。 席を立って記憶の中にある父の私室の方へ向かおうとしたとき、応接室へ近づいてくるパタパタというせわしない足音が聞こえてきた。 「この足音…」 「ひえっ、エバくん!!」 「…どうしたのニヒトさん。シェリオと一緒に遊んでるんじゃなかったの?」 「あう…そ、その…」 エバにぶつかりそうになって慌ててニヒトは立ち止まる。そしてエバの背後に見える面々と目が合って、扉の陰に隠れてしまった。 「ちょっと、用があって来たんでしょ?ほら、どうぞ。ここならみんないるから」 「うう……」 「逆に皆いた方が困るの?」 「……ううう」 何も言わずに唸って俯いてしまい、その場にいた全員がニヒトを心配そうに見つめる。 後ろからシェリオもニヒトに追いついて到着した。 「ニヒトさん…?」 「み、み、みんな…私ね…もっと、早く言わなきゃいけなかったんだけどね…」 ニヒトの声に段々涙声が混じっていく。肩を震わせており、もう泣いているのかもしれなかった。 「私……エバくん、と…同じ、なんだよ……」 「………はい??」 なにがだ、と全員が思ったがお互い目を見合わせるだけにして置いてニヒトの言葉を待つ。 「エバくんが、フォルテくんを…助けた、のに、使った…昇華魔法…」 「え…ソルドの法を…?」 聞き返したのはエバだった。それを今度は隣にいたシェリオがさらに尋ねる。 「ソルドの法ってなんだ?昇華魔法って?」 「…昇華魔法ってのは、一種の禁止魔法。でも使える人間がいないと思われてるからそう呼ばれてる。 俺はたまたま、家にあった古い本に書いてあったのを読んで使い方を知って…フォルテが凍りつく瞬間にとっさに使ったんだ」 エバの説明をニヒトも聞いており、ゆっくりと顔を上げてエバの顔を見た。 「私も…使ったことがあるんだ…8歳のとき…」 「えっ……」 「イリゼと二人で、外で遊んでて…気づいたら崖の近くにいたみたいで、二人で下に落ちちゃったんだ」 「……!!」 「しばらくして目が覚めて、隣にイリゼも倒れてた…それで、それで……」 ついにニヒトは両目に手を当てて泣き出してしまった。 「自分はもうだめだ、ってイリゼが言うから…私はすごく怖くなって…気づいたら、ソルドの法を使ってた… 私の中に、イリゼの心を、精神を引き込んじゃったんだ……」 「……」 「それで……しばらくは、エバくんとフォルテくんみたいに、私はイリゼと体を共有してた。私の精神が引っ込んで、 イリゼが表に出てくることもあったんだけど……」 エバがニヒトの体を支えようとしたが、それよりも早くシェリオがニヒトに駆け寄って頭に手を置いていた。 「うん、それで?」 「わ、私が…最高神官になったときに…イリゼは、自分は死んでいる人間だから、って言って……もう、 いくら心の中を探しても、いなくなっちゃったんだ…私と溶け合ってしまったのか、自分から消えてしまったのかは分からないけど… 私の中で…イリゼは、また死んじゃったんだ……」 「……そっか」 よしよし、とニヒトのくせっ毛の頭を撫でる。外出時の支度で寝癖は直されていたが、それでも手に伝わる髪の感触はふわふわしていた。 「今までずっと誰にも言わなかったの?」 「…うん」 「よく言えたね、偉い偉い」 ニヒトがあんまりにも泣いてしまっているので、話の内容に驚きはしたものの皆何も言えないでいる。 ここに来た理由をアリアもすっかり忘れて、ニヒトのことを心配していた。 「だからね、エバくん、あとエバくんの中にいるフォルテくん…ちゃんと表に出てきて。消えようと思わないで… 二人まで、私と同じになっちゃだめだよ…私はどうしてソルドの法が昇華魔法になったのか、身をもってよく知ったから…」 「…だってよ、フォルテ」 エバがそう言ってから目を閉じ、しばらくしてからゆっくりと顔を上げる。その顔は確かにエバのものだったが、 表情は明らかに別の人間のものだった。 「…うん…話してくれてありがとうございます、心配をおかけしてごめんなさい、ニーベルリヒト様。 ぼくの体は凍らされてしまったけど、元に戻ることを諦めてないですよ。聖墓キュラアルティを出てきてしまったからには、 人間としてまだまだやりたいことがたくさんありますから」 「フォルテくん…っ!」 ニヒトに飛びつかれてエバの姿のフォルテはよろけて後ずさる。絶対だからね、約束だからねと泣きながら言われて エバにとってもフォルテにとっても年上の青年をはいはい、と背中をさすってなだめた。 「…ニヒトさん、このことを打ち明けてくれたってことは、もしかして…」 ようやく落ち着きを取り戻してきたニヒトの様子を見て、シェリオはそもそもニヒトがアリアと話させてと言ったことを思い出す。 「フォルテくんは癒しの司の記憶を体に置いてきてしまった、と言ってたけど…それ以外の記憶はあるんだよね?」 「あ、あります…でもお互い、記憶には干渉しないように気をつけてます。ぼくは、エバの記憶を覗かないように。はい…」 「私たちも最初はそうしてたんだけど…イリゼが消えてしまう少し前に色々教えてくれたんだ。その中に…ランフォルセについての話も、あって…」 「……!!」 その言葉にアリアは、叫び声は上げなかったものの目を最大限に開いて首が取れんばかりの勢いで顔を上げた。 「ランフォルセを取り出す方法、ご存知なんですか…!?」 「うん、それも知ってるよ。闇の剣ランフォルセは水の封と繋がっている…それを断ち切るには、「影の剣」が必要なんだって」 「かげの…けん??」 なんだそれ、とアリアは頬をかく。知らないものが必要だと言われたところでどうしようもない。 「影の剣の名前は…「ルプランドル」というそうだよ」 「る…ルプランドル!?」 「なかなかの人数の記憶を見てきたようね…データは全部あとで分析するわ。次もなるべく多くの人間に聞き込みをしてくるのよ」 「は、はい…神様…」 大きな扉がヴァイオレットの後ろでバタン、と閉じられた。消えかかる視界に顔をしかめて頭を片手で支える。 「なんなのかしら、神託の間のあの奥の部屋は…入ったときの記憶がないし……ああもう、考えれば考えるほど疑問だらけだわ…」 廊下を早足で歩きながら、ヴァイオレットは小声で悪態をつく。 「今までは絶対にこんなこと考えやしなかったけれど、やっぱりおかしいわ…神様へのこの畏敬の心も、アッシュ様への想いも… 揺らいで、しまいそう……その方が、いいの…?」 重い足取りで大きな窓に近づいた。はあ、とため息を突きながら窓枠に手を置いてその上に顔を置く。 そこには見慣れたいつもの「アッシュさまのお屋敷」の中庭が見えた。そして遠くには、海も見える。 「ここが空の上なのだとしたら…どうして、海があるのかしら…」 考えようとして、考えるのをやめようとして、また考えて…を、繰り返してヴァイオレットの頭は疲弊しきっていた。 メイプルとの約束、アッシュを大切に思う気持ちを思い出すと、やはり何も考えないでこのままの方がいいのだろうか。 しかし、アリアのシャープへの純真な思いを叶えたい、彼女と親しくなってみたいという希望や セレスに対する憧れのような感情が黙っていても溢れてきて、押しつぶされそうになる。 「誰か…私にどうしたらいいのか教えてよ…その通りに、するから…」 「あ、あの〜…」 「……?!」 後ろから非常に耳慣れた声が聞こえてきて、ヴァイオレットは風が起こるような勢いで振り返った。 「声をかけるつもりはなかったのですが〜…」 「か…カリン!?」 そこにはカリンが立っていた。ヴァイオレットを心配そうに見上げており、声をかけたと同時に伸ばした手をあわてて引っ込める。 「馬鹿!!どこへ行っていたのよ!?」 「そ、そ、その〜…」 「…それに、どうして帰ってきたのよ!」 「………」 俯いたカリンの肩に手を置いたが、お互いそれ以上何も言わなかった。 「すべては神様に聞かれている」という大原則が、頭の中にあるからである。 しかし、それを破ったのはヴァイオレットだった。 「話しなさい。大丈夫よ。ここでの話は、神様には聞かれていないわ」 「えっ…!?ど、どうして…?」 「ちょっとした、実験をしてみたのよ…それで分かったの。神様の目が届く場所はこの屋敷の中全てじゃない、って」 「そ、そんな…実験だなんて…よくできましたね〜…」 自分なら怖くてそんなことはとてもできない、とカリンは首を振る。 「それで?バルカローレの王族を全て除き去ること…が、アンタの使命だったはずよ。それなのにここへ帰ってこなくなっちゃって、 私はずっと気を揉んでたんだから。ちゃんと説明しなさいよね」 「その〜…」 カリンは深夜にバルカローレの王宮でレックと出会った事を始め、地上で起こったこと全てを簡潔に話した。 ベルやレンのこと、聖獣を探していること、聖玉ファシールを取りに行ったこと、全てをヴァイオレットは興味深そうに頷きながら聞いていた。 その中でも、特に驚いたことは… 「レンが…地上に、いたですって…!?」 「そうなんです〜…レックに拾われたと言っていました…それで、もうここへ戻るつもりはないと言っていて… 相変わらずの、あのあっさりした様子のレンでしたけれど〜…」 「そりゃあ、あの子の性格ならそうでしょうよ…ましてや、好きだったメイプルに処刑されたとあっちゃ ここへ帰る気もなくなるでしょうね…でも、どうしてローズマリーにならずに無事でいたのかしら…」 「レンも、それは分からないと言っていました。拾われたときは、半分凍っていたらしいのですが…」 「ふーん……それで?」 「そ、それで?」 腕組みをして、カリンを横目で見やる。全部話したんですが、と小声で言うも鋭い視線で見つめられてカリンは うう、と声を詰まらせる。 「は、はい〜……も、戻ってきたのは…あの、その……」 「命令に背くことなんでしょ」 「……」 カリンは しゅんとして黙りこくった。何を言われるんだろう、どうなるんだろうと恐怖しながら目を閉じる。 「さしずめ、呪いを止めにきた…ってとこでしょ。アンタの考えそうなことだわ」 「それ相応の…覚悟はしてきました…でも、さっき、あと少しで成就しそうな呪いを中断できて…私は満足ですから……」 「…馬鹿ね」 やれやれ、とヴァイオレットは首を振った。 「私なんかに構ってないで、早く行きなさいよ。…いえ、帰りなさいよ、そのレックって子のところへ。レンだって待ってるでしょうよ」 「でも、ヴィオは…?」 「私は…メイプルを探すわ」 「メイプルを……」 ヴァイオレットは壁に寄りかかって、顎に手を当て長い廊下の先を見る。 「約束したの。あの子のことは裏切れないわ。だから…一緒に地上へ行くようになんとしても説得してみる。 アッシュ様のことがすごく気がかりだけど…できればアッシュ様も一緒に来て頂きたいわ…でも…」 「無理…でしょうね…」 「…ええ。でも希望は捨ててないわ。今まで考えもしなかったことを私が話したとき…アッシュ様も、 何か感じ取ってくれるかもしれない。もう、疑問を持たない、何も考えないなんて…無理だもの」 「はい…私も、同じです〜…」 カリンも、こくりと頷いた。その頭をヴァイオレットはよしよしと撫でる。 「私もね、地上で色んな人に会ったの。ランフォルセに繋がる人もいて、はたから見たら全く得体の知れない私を… 受け入れようとしてくれたのよ…短い出会いだったけど、私はその人たちを、信じてみてもいいのかもしれないって思ったの。 ……カリンみたいにね」 「ヴィオ…」 「カリンが話してくれたことで、やっと決心できたわ。ありがとう」 頭を撫でる手をそのままに、ヴァイオレットは決意したように微笑みかけた。 「さ、アンタはもう行きなさい。そして二度とここへ戻ってきちゃいけないわ」 「……」 ほら、と言われて肩を押されたが、カリンは首を横に振る。ヴァイオレットは目を丸くさせた。 「い、いいえ!ヴィオがメイプルを説得するなら、私も一緒に行きます!アッシュ様も…ローリエも、あと、シャープ姫も! みんなで一緒に、地上へ行きましょう!!」 「アンタね…もう、そこまで言うなら分かったわよ。ついてらっしゃい!」 そして二人は、廊下を我先にと駆け出した。中庭で作業をしている大勢の子供たちが見えたが、ヴァイオレットはそこから目を逸らした。 |