「………ん?」

明け方近く、レックは何気なく目を覚ました。ぼんやりとした頭で薄目を開けて隣を見てみるとベルが眠っている。 ぼーっとその寝姿を眺めていたが、そのベルの様子に異変を感じて少し頭が覚醒してきた。

「うう……ぅ……」
「おい、おい!…ベル?大丈夫か?」

寝言が聞こえてくるものの何と言っているかは分からない。ただ顔を苦しそうに歪めて首を横に振り、 痕がつくんじゃないかというぐらい手をぎゅっと握り締めていた。

レックはベルの肩を揺すり、そっと声をかけて起こすことを試みる。

「前もこんな感じで苦しそうだったな…おーい、ベル?どんな夢見てるんだよ」
「………レック?もう朝?」
「あ、起きた。いいや、まだ日は昇ってないけど…すんごいうなされてたから。ほら」
「……。」

そう言ってベルの手を指差す。きつく握られていた手を開いてみると、くっきりと爪の痕がついていた。

「こんなになっちゃって。なんか…怖い夢でも見るのかよ?うなされてたら起こした方がいい?」
「ええと……うん…」

ベルはまだよく分かっていない様子で曖昧に頷く。ベルの声で目を覚ましたレックだったが、 もうすっかり眠気は飛んでしまっており、どうしたものかなと寝転んだままのベルを見下ろしていた。

「ほんと、大丈夫?…ファシールと関係ある?やっぱり」
「……」

黙っているということはそうなんだろうか、とレックはなんとなく思う。 しかし、自分で見たいものを選ぶことができるわけではない夢というものとどう関係があるのかは想像がつかなかった。

「引いたりしないって言っただろ。軽蔑するようなこと、絶対にないから。心当たりでも何でも、言ってみればスッキリするかもよ?」
「……」

なるべく安心させるように、さり気なく尋ねてみたがベルは何も言わない。しばらくベルが何か言うのを待っていたが、 それでもベルはレックから視線を逸らしたまま、口を開くことはなかった。

昨日、少し仲良くなれたような気がしていたレックはがっかりしたものの、よっぽど言いづらい事情があるのだろうということだけを察する。

「…聞かない方がいい?」
「……」
「俺のこと…信用できない?」
「…違う」
「そっか」

レックはそれだけ言うと、また布団にもぐりこんだ。それを不思議そうにベルが目で追う。

「なら、いいんだ。言いたくなったらでいいよ。俺の気持ちは変わらないから。何を言われたって嫌がらない、約束する」
「レック…」

そう言われて今度はベルが起き上がった。思いつめたような顔をしていて、事情は分からないもののレックはベルが可哀相になる。 話したくなったらでいいから、と改めて言おうとしたが、ベルが自分ではなく遠くを見ていることに気づいて少し頭を上げた。

「…どうした?」

レックは振り返ってベルの視線を追い、あっ、と声を上げる。

「カリンが、いない…?!」

隣のベッドにはレンとカリンが眠っているはずだったが、レンの黒い頭が布団から見えているだけでその横にカリンの姿はなかった。 レンを起こさないように静かにではあったが慌ててレックは自分が寝ていたベッドから飛び降りて隣のベッドに駆け寄る。

「…どう?」
「いや、冷たい…」

カリンがいたであろうスペースを触ってみたが、そこには誰かが眠っていたような温かさは全くなかった。 ベルもベッドから降りてそっと扉のノブを回し、鍵がかかったままであることを確認する。

「…窓か」
「そんな…カリン、一人でどこに…?!」
「考え付くのは…カリンは呪いで神聖光使を殺そうとしてたんだから、それを成就させに行ったか、逆に、そうじゃないか…どっちだと思う」

ベルは窓の方に向かって歩きながら、小さな声でレックに問いかけた。

「カリンの、俺への接し方に…嘘があったとは思えない。きっと…呪いを中断するために出て行ったんだろうな…」
「追いかけてみる?ファシールで」
「いや…カリンがいなくなってからどんだけ経過してるのか分からない状態で、闇雲に出かけてもきっと見つからないと思う…」
「…うん、レンもそう言いそう…」

レックは力なくベッドに腰掛ける。脱力して座ったせいで思いのほか勢いがついてしまっていて、振動でレンの体が揺れて、レンが身じろぐ。

「あっ…起こしちゃったか」
「……ん、レグルス…?どうしたの?」
「……」

返事をする代わりにレックはレンの隣の枕を指差した。レンは ぱっと起き上がって先ほどレックがしたように ベッドの温かさを確かめたが、冷え切っている布の感触を手に覚えて諦めたように息を吐き出す。

「カリン……」
「レン、カリンの行き先に心当たりは?…やっぱり?」
「そうだね…カリンは、呪いを解こうと焦っていたみたいだったし…他にも思うところがあったようだったから…アッシュさまのお屋敷の、 自分の部屋へ帰って呪いを止めに行ったんだと思うよ。行かない方がいいとは言ったんだけど」
「……」

いつもの淡々とした口調ながらもレンはつらそうに目を伏せた。レンの様子にレックはますますうろたえる。

「明日…って言ってももう今日だけど、どうする…?もしカリンが帰ってくるとしたら、場所は移動しない方がいいのかな… このラネスコの町からしばらく動かない方が…」
「いや…カリンのために予定を変更することはしない方がいいよ。カリンがどう動こうともどちらにしても皇帝は生死の境を彷徨うほど衰弱しているんでしょ? 時間は無駄にはできない」
「そうなんですけれども…」

どこまでも感情論ではなく現実的な意見にレックは項垂れる。そして、どうしよう、とベルに視線を向けて助けを求めた。

「うーん…アッシュさまのお屋敷、こっちから乗り込めないなら…カリンの無事を祈ることしかできないだろ…? 早く聖獣みつけて、地上側から呪いを解いてやればいいんじゃないかって、思うけど…」
「じゃ、カリンはいなくなっちゃったけど…予定通り動くか…この宿屋の人に、カリンが来たときのための伝言か手紙を頼んで…」
「それでいいと思うよ」

レンはそう言って、その言葉にレックとベルが頷いたのを見て またぼふっと枕に頭を乗せた。

「あの…レンさん?」
「決まったなら寝ようよ。少しでも睡眠を多くとって体を休ませておかないと」
「そうなのですけれども………」

もっと言いたいことがあったのだが、レンが目を閉じてしまったのでそれ以上何も言えずレックとベルは目を見合わせる。 二人が眠ろうとしていないことに気づいて、レンは目を瞑ったまま口を開いた。

「ここで朝まで起きていることこそ予定外の行動だよ。早く眠って」
「は…」
「…はい…」

眠る直前であるはずなのにはきはきとしゃべるレンに、二人は力なく返事をする。 外は少し明るくなってきていたようだが、1時間は眠れそうである。そう認識すると、なんだか眠くなってきたような気がした。

「…じゃ、レック…レンも寝てるし、俺たちも寝よう」
「分かった…でも、うなされてたら起こすからな」

ありがと、と小さくベルは言い、二人は再び布団に入る。レックに背を向けて、布団の中でベルは小さく呟いた。

「余計……言えないよな」






「おはよ、アリアちゃん。こんな早朝にお出かけ?」
「げ……セレスさん……」

セレナードの王宮の最上階の窓に足をかけたところを呼び止められてアリアは恐る恐る振り返る。 にっこりと満面の笑みを向けて腕を組んでいるセレスが、自分の視線より大分低いところにいた。

「げ、とは酷いな〜」
「やだ、まだ朝日も昇ってない時間に…なんで起きてるの…」
「だって、絶対にアリアちゃんは一人で勝手に出かけちゃうと思って。母上と話した直後に行っちゃうかな、と思ってずっと気にしてたんだけど、 朝にしたんだね。あわよくば今日中に帰ってこようとか思ってたでしょ。絶対にムリだよ」
「ううう…セレスさんは反対するんですか〜…?私がシャープに会いに行くのを…方法が分かったなら、行動するに決まってるじゃないですか…」

アリアはセレスの方に体ごと向き直って窓枠に座り込む。

「ちゃんと装備も整えたし、お父様に置手紙もしたし…お願いします、見逃してください…行かせてください」
「だーめ」
「………」

セレスはいたずらっぽく笑い、アリアはガッカリして膝に顔を埋めた。セレスを振り切って飛び出そうとも、 セレスが人を呼べばたちまち捕まってしまうと分かっているのでもう動くことができない。

絶望しているアリアに、セレスはゆっくりと近づいていった。

「…一人でなんて行かせないよ?」
「………え」



「お父様に話を通してくれてたなら先に言ってよ、もう〜…!」
「あはははは、ゴメンゴメン」

セレナードの王宮から出て朝日を背に受けながら西の方角へ進んでいるアリアとセレス。 二人はかなりのスピードで移動していたが、それは乗り物に乗っているのでもましてや自分の足で走っているのでもなかった。

「シャープがいなくなってから、すぐに父上はリアン殿に頼んで製作に取り掛かってもらっていたらしいよ、それ。なかなか快適でしょ?」
「う、うーん…早くていいですけど、人に見られたら大変だから場所を選ばないといけないのがちょっと…」
「ぼくは重くない?」
「それは問題ないです。この羽が浮力を補ってくれてるので」

アリアはリアンが作った羽の髪飾りを使うことによって宙に浮かぶことができたが、 セレスが持ってきたもう一つの髪飾りを反対側につけることによって自由に空を飛ぶことができるようになったのであった。

下に伸ばしたアリアの手をセレスがしっかりと握って、二人で人通りの全くない草原の上を飛んでいる。

「ソルディーネ家までどれぐらいかかるだろ…シェリオやエバさんたち、起きてるかな」
「エバはもう起きる頃かなあ…あっ、あの屋根の家は…ってことはもうちょい左かな」
「あっちですね」

セレスはソルディーネ家へは行ったことがあるため「移動魔法」で飛んでいけるのだが、 アリアの道案内のために一緒に移動をしていた。さらに、手を繋いでいるためセレスの魔法力も飛ぶための力に使われている。

「シンバルの町を過ぎたから、多分そろそろソルディーネ家の治める町が見えてくると思うんだけど…あれからちょっと経過してて 職業によっては人が起き出す時間だから、町へは歩いて入ろうか」
「はーい」

セレスが言ったとおり、森の向こうに厚い壁で囲まれた町が見えてきた。次第に周りはポツポツと農家の大きな家も増え始め、 アリアはゆっくりと高度を下げる。

「降りますよー」
「うん、大丈夫。…よっと」

アリアはタイミングを合わせて手を離し、セレスが先に地面に降り立った。 勢いがついたままだったので少し前に走ってから止まり、アリアもスピードを落としてからふわりと着地する。

飛んでいる間、大きくなり光っていた羽は元通りになってアリアの頭に左右対称の髪飾りとして収まった。

「うーん、不思議な感じ…というか、こんだけ飛べるものが作れるなら早く下さったらよかったのに…」
「そりゃ父上だって心配だよ。魔法による攻撃の防御の効果だけつける予定だったらしいし」
「まあ、おかげ、で……」
「…アリアちゃん?」

話している途中で、急にアリアがしゃがみこんだ。理由をなんとなく察していたセレスは肩をすくめ、苦笑しながら歩み寄る。

「もうすぐカーヌーンの町に着くから。頑張って歩こうよ」
「うぅ…お腹すいた〜…そういえば朝御飯、食べてないんだった…」
「アリアちゃんがご飯を忘れるなんて相当だね。ほら頑張れ」

頭を軽く叩いて立ち上がるように促した。明らかに元気のない様子でアリアはよろよろと動き出す。

「食べてから出てくればよかったかな…」
「そうしたら飛べる距離がもっと短くなっちゃうよ」
「そっか…あーあ、ベルがいたらよかったのに…」

アリアは肩を落としながらもなんとか歩き出した。セレスもその隣をついていく。

「ベル…そういえば、ぼくは白蛇との戦い以来、全然見てないんだけど…アリアちゃん、どこかで会ったりしたの?」
「えっと…実はこっそり城を抜け出したことがあって…」
「…やれやれ。まあいいや、それで?」
「私とシャープが婚約することが決まったことを伝えにいったんです。…とは言っても各国のジェイドミロワールで聞いても どこにいるか誰も分からなくて…一箇所だけ思い当たるところがあったから、ちょっと旅行しちゃいました」

メルディナ大陸の最も東に位置するセレナード国から他国へは、どこへ行くにもかなり距離がある。 シャープに移動魔法で飛ばしてもらったんですけど、とアリアは続けた。

「コンチェルトの…私やベルが住んでたジュリ村の跡地に。どうなってるかな、って思ってたんですけど 廃墟だったその場所が少し復興してて、小さな集落になってたんです。そこにベルもいました」
「へえ…廃墟を数年で集落に?すごいね」
「ベルが率先してやってたみたいです。でも、いずれ出て行くつもりだとも言ってたなあ…それからは、見てないですね」
「そっか…」
「シャープと結婚するって言える人がほとんどいないから…シェリオには話したけど、ほんとそれぐらいだし…いや、いいんですけど」
「ううん…それは、悪かったって思ってるよ」

申し訳なさそうに目を伏せたセレスに、アリアは慌てて手を振る。

「え、あ、いいえ、そうじゃなくて。だってしょうがないですよ。それよりもセレスさんのことも心配で… お父様は、もし私とシャープの間に子供が生まれたらその子がセレスさんの次の王位継承者にするって仰ったから、 セレスさんに、その…好きな人がいたら申し訳ないなって…もちろんそのときは、お父様に相談するけど…」
「ぼくのことは気にしないで。むしろそうなってくれたらありがたいよ」
「でも、なんか……隠してません?」
「どうだろうね?」

ずるい、教えてくれないなら言うまで聞き続けますからねとアリアは頬を膨らませる。 その頬をセレスは面白そうに人差し指でつついた。

「あはは、アリアちゃんが妹でよかったなあ」
「…なんでです?」
「シャープがぼくのライバルになっちゃうもん。勝てる気がしないよ、あんな美人さん」
「……へ?それってどういう……も、もう!すぐにそういうこと言うんだから!!やっとお兄様って言えるようになったのに〜…!!」
「今日は一度も言えてないよ?ちっちゃい頃あんなに一緒に遊んだのになあ。よそよそしい敬語で話されちゃって、お兄ちゃん寂しい」
「そっ、それは…!セレスさんだって私のこと「ちゃん」づけしないって言ったじゃないっ!」
「そうだった〜?気づかなかったなあ」
「もう〜…!!」

赤くなったのが戻らなくなってしまった両頬を手で押さえながらアリアはむくれる。

「からかってゴメンって。だっていつまでも新鮮に照れてくれるんだもん、面白くって」
「…お父様に言いつけるよ。セレスお兄様がいじめたって」
「そ、それはやめて。絶対に怒られる」

セレスは走っていってしまうアリアを、ゴメン謝るからと言いながら追いかけた。そして二人は笑いながらメヌエットの中央辺りに位置する町 「カーヌーン」の中へ入っていった。



アリアが人より少々多い量の食事をしている間は周りに人だかりができてしまうのでセレスは近寄れず、 ちょっと散歩してくるねと言って食堂の外へ出た。

カーヌーンの町はエバやニヒトの生家、そして今はシェリオが当主をつとめるソルディーネ家の領地の中にある。 町の中を水路が行き巡っており壁の代わりに生垣や自然の木々が家を覆っていた。

「久々に来たなあ、この町……ん?」

行き交う人々を何気なく見つめていたセレスだったが、周りの人たちと違う風貌の人物に目を留める。 広場の中心で人に話しかけては近寄ってしばらく話して別れる、ということを繰り返しているが何かを売っているような様子もなく 何をしているんだろう、と目を凝らしてみた。

「…話しかけて…でも、何も持ってないよな…ちょっと行ってみようか」

自分も近づけば話しかけられるだろうか、物取りだったらうまく捕まえよう、と思いながらセレスはそちらへ歩いていくことにする。 通りかかったことを装うためにそちらを見ないようにしながらその人物の横を通ろうとしたとき、案の定セレスにも声がかけられた。

「あの、そこの方…」
「なあに?」
「ちょっとこちらへ…」

身の回りの品に気をつけながら近寄り、その人物の顔をしっかりと見る。紫色の髪のお団子頭が目に入り、次にその顔立ちを見て なかなか綺麗な子だなという感想を抱いた。人々に声をかけていたのは、ヴァイオレットだったのである。

ヴァイオレットはセレスの顔をまじまじと見て、少し驚いていた。

「………」
「なあに、どうしたのお嬢さん?」
「い、いえ…ちょっと失礼」
「?」

ヴァイオレットはセレスの肩に手を置いた。何をするんだろうと思いつつもセレスは上半身を少しかがめる。 手に何も持っていないし、強く握るでも叩くでもなく、ただ手を乗せるだけで何かをする様子もない。

そのときセレスはヴァイオレットが何をしているのかをなんとなく察したものの、黙っていることにした。 しばらく真顔でセレスの顔を見つめていたヴァイオレットだったが、見る見るうちに驚いたような怯えたような表情へ変わっていく。

「あ、アンタ…何者なの…?!どうしてこんな……何百年分も記憶があるのよ!?」


    






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