「メイプル」 「アッシュさまのお屋敷」の外の壁に背を向けて膝を抱えて頭を垂れていたメイプルを見つけ、アッシュが声をかける。 いつもならば自分から声をかけようものなら飛びつき抱きついてくるメイプルだったが、アッシュの声に気づいてもメイプルはゆっくりと顔を上げただけだった。 「……」 その目に生気はなく、アッシュは顔をしかめる。メイプルはしばらく視線を彷徨わせた後、アッシュを見とめた。 「アッシュ様…」 「こんなところで何をしている。シャープ姫を凍らせる命令はどうした」 「そ、それが…」 先ほどの無気力な様子はいくらか消えてメイプルは慌てて立ち上がる。 「凍結の牙が、出せなくなっちゃって…」 「なぜだ?失敗したのか?」 「だ…だって、だって、ローリエがメイプルちゃんの邪魔をしたんですよぅ…!」 「ローリエが?」 両手を握って必死に訴えるメイプルに、アッシュは眉をひそめた。 「そうなんです!メイプルちゃんは、まっすぐにシャープ姫を凍らせに行ったんですよ!メイプルちゃんは頑張ってますよね…?! ねえ…褒めてください、アッシュさま…」 「……命令をこなせてはいないんだろ?」 「でも…ローリエが、メイプルちゃんの最強のマグノリアを倒しちゃうし、シャープ姫のことをかばうし! ローリエさえいなかったら、今頃、ちゃんと命令どおりに凍らせられてたんですよ!ほんとに!!」 「……」 まくし立てるように言うメイプルから目を逸らし、あいつ、と小さく呟く。 考え込んでいたアッシュにメイプルが近づいて、腕にがばっとしがみついた。その衝撃にアッシュはよろける。 「…わ」 「アッシュ様…その…実は、処刑する前の日にレンから聞いたんです…アッシュ様、メイプルちゃんたちがちゃんとしてないと…神様に、すんごく酷いことされるって」 「……!!」 アッシュは動揺して身をこわばらせた。しかしメイプルは腕にくっついたまま離れない。 自分の髪が邪魔でメイプルが見えなかったのでそれを払いのけたが、メイプルは下を向いていて表情は伺えなかった。 「ごめんなさい………」 メイプルの声は か細く、震えていて泣いているようだったが、アッシュは気づかないふりをして首を横に振る。 「報いを受けるのは当然のことだ。お前たち…が、考えるべきことじゃない。お前たちは疑問を抱かずに、命令を聞いてさえいればいい」 「疑問は…い、抱かないもん…メイプルちゃんは、悪い子じゃないから…」 「ああ、それでいいんだ」 ほら離れろ、とアッシュは腕を動かした。それでもしばらくメイプルはしがみついていたが諦めたように力を緩めて離れる。 「じゃあ…トキの実を少しください。そうしたらすぐに凍結の牙が作れるようになるから…すぐにシャープ姫を凍らせられます」 「分かった…今日集めた分の半分をやる」 「ありがとうございます…!」 メイプルは目を輝かせた。かなりいつもの調子に戻って、小さくピョンピョン飛び跳ねている。 「ええと、じゃあ命令は…シャープ姫を凍らせて動けなくして、神託の間の前まで持ってくる…でしたよね!」 「…そうだな」 「絶対に、今度こそ!ローリエになんて負けないです!!マグノリアの力なんて借りないで、けっとばしてやります!!」 「……分かった分かった」 メイプルは手をびしっと額に当ててからお辞儀をして、木が生い茂っている庭の方をくるりと向いて走っていった。 それをアッシュは複雑な表情で見送る。 「やっほー」 そこへ明るく聞き覚えのある声が聞こえてきて、アッシュは文字通り飛び上がった。 「な、なんだ!?」 「やあ、アッシュ。来ちゃった」 「来ちゃったじゃないだろ…!お、お前、こ…こんなところへ…!!」 いつの間にかアッシュの背後に満面の笑みを浮かべて立っていたのはなんとカイだった。 いつものように透き通っていて触れないのかと思わずアッシュは手を伸ばしてみたが、その手にはカイの肩にぶつかる感触がある。 「本当に…そこにいるのか?!一体どうやって…ま、まさか…」 「えっとね、前に言ったじゃない。実体化してみました〜」 「……は??」 「アッシュがいつもいる場所の座標の平均を求めて、そこへ半実体化した私を転移させたんだ。私の本体の半分は、私の部屋に置いてあるよ」 「…意味が分からん」 アッシュは相手にしていられないというように首を振って歩き出した。その隣を、カイは歩いてついていく。 「大体…お前が何かしようとも、すべては無意味だと言っただろ。すべては神に見えていて聞かれている。 何をしようとも結末は同じだ」 「ん〜……」 カイは人差し指をあごに当てて考えるそぶりをした。空や壁、辺りの植物を見回している。 「それさあ…多分、そう思い込んじゃってるだけなんじゃないかな?」 「…え?」 「この状態で入れる場所を色々見させてもらったんだけど、確かにマイク付の監視カメラはあったよ。でも全部が全部じゃなさそうだよ? ここで私がアッシュと話してるのも、多分分からないんじゃないかな?」 「そ…そんな、わけ…」 ない、と言いたかったが、カイの口から出た単語に知らない言葉が混じっていたのでどう否定したらいいのか分からなかった。 「それにしても…それがアッシュの本当の姿か。フィルにそっくりだねえ」 「…当たり前だろ」 「違うのは、髪ぐらいかな?表情も大分違うけど…ふふふ、やっぱりフィルがむすっとしてるみたいで新鮮」 「撫でるな」 頭に置かれた手を振り払ったがそれでもカイの手は離れていかず、歩きながら大人しく撫でられる。 それが意外でカイは嬉しくなったが、アッシュの様子をよく見てみると考え込んでいるようだった。 「どうしたの?」 「いや…その、聞かれていないというのは本当なんだな?」 「うん…機械による監視はないんじゃない?一度思い込むと確かに縛られちゃうものだよねえ。 ここにいる子達、みんなそうなんだろうね」 「…何をしに来たんだ?」 「ん?」 アッシュは腕を組んで、訝しげにカイを見上げる。会話してくれるんだね、とカイは喜んだ。 「前に私に尋ねてくれたじゃない、人間はどうして生きてるのかって…最初はどういう意味かな〜、って思ったんだけど、 どうやらアッシュはその存在自体を否定しているみたいだったからさ。私から直接話を聞くのもいいけど、 まずはアッシュは外の世界を知らないと。フィルと入れ替わっている間じゃあほとんど誰かと会話なんてできないでしょ? だから、アッシュにプレゼントを持ってきました〜」 「プレゼント?」 なんだろう、と一瞬期待してしまった自分にアッシュは慌てて首を横に振る。 それを察してか、カイはさらに嬉しそうに笑った。 「うん。手を出してもらえる?」 「あらメイプル。随分元気になったじゃないの」 「ヴィオ…!」 広くて、庭というよりはしっかりと木々が生い茂っている森のような空間にメイプルは来ていた。 後ろからヴァイオレットに声をかけられ、振り返る。 「さっきは見る影もなく落ち込んでいたみたいだったけど。シャープ姫はちゃんと凍らせられそうなの?」 「うん!アッシュ様が、トキの実をくれたの。いいでしょ〜」 「なんですって…なんだってメイプルなんかに…」 「メイプルちゃんが頑張ってるからじゃないの?」 「まあ、どこがよ」 ヴァイオレットは呆れたように肩をすくませた。自信ありげだったメイプルはその様子を見てむすっとする。 「一番メイプルちゃんがアッシュ様の命令を頂いてるじゃん!ヴィオはこの前、二人で行こうって言っても行こうとしなかったでしょ!」 「それは…アンタが、おかしかったからよ」 「なにがおかしいの?アッシュ様の命令がすべてでしょ」 「…変だと思わないの?あのときメイプルは私と初めてマグナフォリスを通って地上へ行く気でいたんじゃない。 それなのにその後にもらった命令は、シャープ姫を凍らせること…でしょ?誰も地上へ行っていないのに、 どうしてシャープ姫がアッシュさまのお屋敷にいるのか…考えなかったの?」 それを聞いてメイプルは首を振って両手で耳を押さえた。 「やめてよ!!」 メイプルの叫び声に、ヴァイオレットは言葉を失う。 「頑張って、考えないようにしてるのに…!メイプルちゃんは、悪い子になりたくないの!ヴィオだってそうなんじゃないの?! 疑問を抱く者はローズマリーになる、そうなったらアッシュ様に会えなくなる…そんなの、絶対に、嫌なの!!」 「そ、それは…私だって、そうだけれど…」 ヴァイオレットは手袋のはまった手で反対側の同じく手袋で覆われている腕をさすった。 「…でも、ちょっと安心したわ…メイプル、アンタでも疑問に思うことはあるのね…」 「思わないもん…」 「一つ疑問が浮かんだら、もう止まらなくなるから…考えようとしないことが正解なんでしょうね」 「そうだよ…!」 メイプルがヴァイオレットの両肩を両手でガシッと掴む。ヴァイオレットは驚いたが、何も言わずに下を向いているメイプルの頭を見つめた。 「地上の人間と私は全然違う…人間と同じ生まれ方をしていないんじゃないか…アッシュ様の命令を聞くことは 正しいことではないのかもしれない…この、アッシュ様を好きでいる気持ちすら、誰かに作られたものなんじゃないか…」 「ち、ちょっと、メイプル」 「そんなこと…そんなこと、考えないもん!やだ、考えたくない…!!」 メイプルはヴァイオレットに飛びつき胸にすがる。顔を見せないようにか、ぎゅっとヴァイオレットの胸に顔を押し付けていた。 「…硬い胸」 「アンタね、はったおすわよ…」 勝手に抱きついといて、とヴァイオレットはいらつきながらもメイプルを引き剥がそうとはしない。 メイプルよりもヴァイオレットの方が背が高く、手を伸ばせばメイプルの頭に簡単に手が届いた。 「…ヴィオ、約束して」 「なにをよ」 「メイプルちゃんと、一緒に頑張ろうよ。これからも、疑問を抱かない。アッシュ様のため、テラメリタのため、それだけを考え続けるって。 ヴィオもそうするって言うなら、メイプルちゃんは…できる、気がするから…」 「…やれやれ」 ヴァイオレットは首を軽く振り、そろそろいいかしらとメイプルの肩を押す。 大人しくメイプルは離れ、泣いていたであろう目が髪で隠れるように少し顔を伏せていた。 「そんなこと、約束するまでもなかったはずなんだけどね。いいわよ、誓ってあげるわ。メイプルが頑張るっていうのなら、 私だって負けてはいられないもの。これからも、何があったって、アッシュ様のご命令を第一にしていくわ」 「…うん!」 「おーい、フィル」 調べ物のために書斎に引きこもっていたフィルに、シェリオが声をかけた。 フィルは机に資料を並べてなにやら考え込んでいる様子である。 「あ…シェリオ。どうしたの?ニヒトさんがぐずってる?」 「ぐずるって赤ちゃんじゃないんだから…まあ、大人でもないけど…」 「あはは、でも最近はちょっと変わってきたんじゃない?自分でやりたがることが多くなったっていうか」 「それこそ子供じゃんか」 そうかも、と二人でひとしきり笑った後、シェリオはフィルが見ていた紙の束に視線を落とした。 「…これ、やっぱり報告書?」 「うん、それとちょっと調べ物。父さんだけにお任せしておけないもんねー」 「はあ…勤勉だなあ」 ちらりとその紙の内容を見てみたが、すぐに脳が考えることを拒否し始める。 かろうじて読めたのは、魔法に関する記述だけだった。 「光の魔法…そういや、禁止されてた魔法なんだっけ…」 「うん。家にもいくつか資料があったんだけど、父さんは魔法の実践に関しては完全に専門外でさ… そういったところは、今はシャープ姫のお父さんの、リアンさんがやってくれてるみたいだね」 「へ〜…天才が多すぎて困るな…」 文字を見ていると頭が痛くなりそうだったので、机から顔を背ける。 そして、ふと目に入った、花瓶が置いてある机が気になって近づいていった。 「水は…うん、大丈夫みたいだな。そういや最近、入れ替わられてるのか?アッシュと」 「それがね…最近はあんまり、ないみたい。父さんを危ない目に遭わせたくないから…早く、何とかしてやりたいんだけどね… ぼくの体を使ってあちこちでとんでもないことをしてくれた罪は重いよ」 「はははは…目が怖いぞ〜」 じとっと遠くを見つめるフィルを見てシェリオは笑う。そのとき、視界の端に何か違和感を覚えた。 がばっと振り返ってみたが、そこには本棚の間に置かれている机の上の花瓶があるだけである。 「………」 気のせいか、とシェリオが花瓶から目を逸らそうとしたそのとき。 「うふふふふ…」 「?!」 突然、花瓶の薔薇の花が笑い出した。シェリオは驚きのあまり机に手をぶつけたが痛みも気にせずにフィルに駆け寄る。 「だ、大丈夫?すごい音したけど…」 「ふ、ふ、フィル!花が…花が、笑った!!う、動いてた…」 「ま…まさかあ…」 シェリオはフィルの両肩を後ろから持って隠れ、恐る恐る花を見た。フィルもシェリオの視線を追って花瓶を見つめてみる。 「……動いてる」 「だろ!?」 薔薇の花は、確かに小刻みに動いているようだった。 「お、おおおおオバケかな!?」 「そんなワケないよ…風じゃない?もしくは壁を伝ってきた振動とか」 「でも、笑ったぞ…!?」 「空耳なんじゃないの…?」 完全にビビりまくっているシェリオにため息をつきながら、フィルは花に近づく。 その様子を観察しようと顔を寄せた瞬間。 「あはははははは!!大成功!!」 「「?!」」 今度ははっきりと、薔薇の花がしゃべった。 「聞こえてるかしら、人間の皆さん。…神の声が!」 フィルは驚いて後ろに倒れこみ、背後にいたシェリオと一緒に床に転がることとなった。 それと同じ時、世界のあちこちに植わっている薔薇の花が一斉に話し出した。 その声を聞いた人々はなんだなんだ、と花に注目したり驚いて花を折ってしまったり心霊現象だと思って逃げ出したりしている。 花は、感情を持っているかのように優雅に揺れながら、語り始めた。 「はあ…。やっと話せるわあ…まずは、自己紹介をしなければね。私はあなたたちの神様。名はローズマリー。 このメルディナ大陸が本来の在るべき姿、素晴らしき地になることを願っている神よ。 きっと聞いているでしょうから…言っておくわね、お姉様。私を永い間、空に閉じ込めてくれていたお姉様! 私が、宥めの花なんかで変わるとでも思って?花の管理者、癒しの司がいなくなってから…徐々に私は地上へ アプローチをかけさせてもらっていたの…我が息子たち、アッシュとアシュリィを使いとしてね。 お姉様が中途半端なことをするから隙ができちゃったのよ?大人しく引き篭もっていれば、 私をずっと封じ込めていることができたでしょうにねえ…あっははははは!ああ、おかしい。 そうそう、人間の皆さん?神である私はね、あなたたちなんてこの世界に要らないと思っているのよ。 一人残らずいなくなってほしいって、何百年も前からずーっとそう思っているの。あなたたちは地を蝕むただの害虫よ。 白蛇を使って滅ぼそうとはしてみたけれど…私は最初から、白蛇なんかでは無理だってちゃんと分かってたわ。 どれだけ白蛇とテヌートが人間を滅ぼしつくそうとしようとも…絶対にどこかに隠れて生き延びる、 カビみたいなのが存在するものなのよねえ。その菌の生き残りが、また地上に増え広がっちゃうのよ。嫌よねえ〜… 何度やろうともキリがない…。 それでね、心優しい神様は、あなたたち一人ひとりが苦しまないようにテラメリタを作り出すための 画期的で合理的な素晴らしい方法をとろうと思っているの。だから怯えることはないわ。 いつもどおり無為に生き、地を汚して(けがして)いればいい。何も分からないうちに、全てが終わり…始まっちゃうわ。あははは! ただねえ…神を崇めたいと思う人間も少なからずいると思うのよね。そういう敬虔な子たちは、私が直々に管理してあげようと考えているのよ。 神が創りしテラメリタへ招待してあげたいの。ああ、私ってなんて慈悲深い神なのかしら…ふふふふ。感動しちゃう。 ……はあ。やっと、言ってやれるわ…。 お姉様…私は今度こそ、神になるのよ。いいえ、私は既に神として存在している。私を裏切り、見捨て、空へ追いやった… お姉様、もう貴女に手出しはさせない!!そこで、己の無力さを嘆きながら見ているがいいわ!!」 花はひとしきり話し終えると、ぱったりと動かなくなった。花のそばにいた人たちはなんだったんだろう、と呆然としたり 話を聞いていなかった人に伝えに行ったり、尋常ではない出来事に大変だ、と慌て始めたりと様々な行動をとり始めている。 偶然庭の薔薇の木の前にいたラブレーも、何がなんだか分からないという様子でずっと花を見上げていた。 最後に花が叫んだ後、動かなくなったのできょとんとしながらも気持ちを切り替えて、 庭で集めたハーブを籠の中で整理しながら長い耳を揺らしつつ家へ入っていく。 「ユーフォルビア様〜、とってきま…」 とってきましたよ〜、と明るく言うつもりが、ユフィアが部屋に活けてある薔薇の花の前で床にべったりと座り込んでいるのを見て 慌てて走り寄ることになった。 「ユフィア様!?どうしたんです?!さっきの、しゃべる花のせいですか…?」 「あ…ああ…なんでも、ないよ…」 そう言うユフィアは見てわかるほどガタガタと震えている。籠を少し高いところから落とすことになるのを少し気にしながら ラブレーはユフィアの背を小さな手で支えた。 一方、セレナード国のラベル家の城の中でも、薔薇が置かれた机で深刻そうに頭を抱えている人物がいた。 今はもう物言わぬ花と化しているただの薔薇を、上からぎゅっと握りつぶす。その衝撃で、赤い花びらが床に散った。 そしてその床に自分もうずくまり、目をかっと見開いて息も絶え絶えに声を絞り出す。 「お…思い、出した………」 |