「………空??」

知らぬ間に緊張していたアリアは、がくっと力が抜けた。お空の雲の上にいる、そんな夢でも見たのだろうか。 そう考えて、改めてちっちゃい子は可愛いなとララシャルの頭を撫でた。

「そっかそっか、ララちゃんはお空の上に行ったのか〜」
「うん、そうなの!そえでね、めーぷーちゃんとたーって、かったの!」
「すごいね〜」

そのとき、ついにクレールの部屋の扉が開けられた。開けたのは常に扉の横にいる女性の召使で、 開かれた扉からリアンが姿を見せる。

「…お待たせいたしました、アリア王女」
「そ、そんな改まって…昔みたいに普通に呼んでもらっていいんですってば」
「…そうか、ではそうさせてもらうよ。大分待たせてしまったね、ララシャルの相手もしてもらって…どうもありがとう」
「いえいえ、ララちゃんと遊ばせてもらえるのならいつでも。…入っても大丈夫ですか?」

扉はリアンが手で押さえており開いたままだが、アリアが座っている場所からは角度的に中が見えない。 アリアはいつの間にかひざの上に座っていたララシャルをそっと隣に座らせて立ち上がった。

「どうぞ。今、目を覚ましたところだ。あまり長くは話せないと思うが、アリアが来たと聞いて喜んでいたよ」
「そうですか…それじゃ、お邪魔しますね」

リアンがさらに大きく扉を開いたため、アリアはそろりと中へ入っていった。 その後ろをララシャルが追いかけようとしたが、リアンにつかまってしまって抱っこされる。

「あいねー」
「はいはい、お姫様はこっちにおいで。一緒にお散歩しようか」
「わーい、ぱーとくーの!」

近くにいた召使たちにアリアが出てきたら教えるようにと告げてから、リアンはララシャルを抱きかかえたまま クレールの部屋を後にした。



「クレールさん…お加減はいかがですか?」

部屋に入り、恐る恐る顔を出す。過去にアリアがラベル家で暮らしていたときに入ったことがある部屋だったが、 そのときの記憶はおぼろげだし部屋の装飾は変わっているような気がするし、何もかもが新鮮だった。

部屋の奥に置かれている大きなベッドに、長い銀色の髪の美しい女性が座っているのが見える。 ベッドは天蓋にかかっている大きな布に包まれており、ベッドの後ろには巨大な絵がかかっていた。

部屋をあまり物珍しそうな仕草にならないように見回しながら、アリアはゆっくりとクレールに近づく。

「クレールさんとお話したいって…セレスさんと、リアンさんに無理を言ってしまって…」
「…いいえ。久しぶりね、アリア」
「は、はい…」

クレールは眠そうに一度目を閉じてから首を振り、召使からコップに入った水を受け取る。 アリアは自分はどこに立っているべきだろう、と床に視線をやった。

「あ、失礼したわね…どうぞ、そこへかけてください」
「ありがとうございます…」

召使がさりげなくベッドの隣に持ってきた椅子にアリアはおずおずと腰掛ける。 それを見てから、クレールは召使たちに目配せをした。退室してほしい、という意味だったらしい。

「何かありましたらお呼びください」
「ありがとう」

召使たちは順々に頭を下げて部屋から静かに出て行った。アリアも少し頭を下げてそれを見送る。 いよいよ部屋に二人だけになってしまい、どう話を切り出そうかなと頑張って考えた。

「えーと…その、今回クレールさんに話させてほしいと言ったのは…」
「…あの子が、いなくなったそうね」
「は…い」

あの子というのはシャープのことで間違いないので頷いておく。 いつも眠っているというクレールがシャープが行方不明になったその前後に起こったことも知っているのか、アリアには分からなかった。

「どうしてか…ご存知なんですか?どこへ行ったのかも…?」
「…そうね…私はあまり外で起こることは知らないから……」

そこまで言ったとき、クレールは金色の目を少し見開いた。

「もしかして……あ、あの…癒しの司の身に、何かあったの…?」
「………」

そこを知らなかったんだ、とアリアはどう話したものか思案する。 クレールの様子からして、何かあってはいけなかったようだが、既に事は起こってしまった後である。

「その…はい、癒しの司、フォルテさんが…何者かに殺害されました…殺害されたというか、凍らされたというか…」
「こ、凍らされた…じゃあ、癒しの司は今、聖墓キュラアルティにいないの?次の人も、誰も…?」
「…そうみたいです、無人になっていると思います…」

元々よくなかった顔色のクレールがますます青ざめていき、アリアはクレールの健康と事態の深刻さの二重の意味で焦った。

「あの、シャープがいなくなったのと、癒しの司が殺されたのは…関係があるんですか?」
「ある…と、思うわ…けれど、そもそも、そうなったのは…きっと、私のせい…」
「え?」
「………」

アリアは聞き返したが、クレールは必死に何かを考えているようで返答はなかった。 口の中で、何かを呟いているようだが聞き取れない。

「その、クレールさん、実はシャープに会ったっていう人がいるんです。どこかのお屋敷で、牢屋に入れられているとかじゃなくて 普通の部屋で読書したりピアノを弾いたり庭を散歩したりできるような状態で、過ごしているって…」
「…屋敷?」
「はい、「アッシュさまのお屋敷」っていうところだそうです。だから多分、アッシュって人がシャープをさらったんじゃないかなって思ってるんです」
「アッシュ…」

その名前を聞いて、クレールは何度も頷いた。

「なるほどね…そうだったわ…あの子…」

一人で納得したように目を閉じ、また考え込んでしまっている。しかしアリアはそうしている時間も惜しくなってきて、意を決して手を握り締めた。

「クレールさん、私…シャープに会いたいんです。私の何かを犠牲にしたってかまいません、私がどうすればシャープに会えるのか、 その方法をもしご存知だったら教えてください。シャープがどこにいようと…私が助けに、迎えに行ってあげたいんです」
「……」

難しい顔をしていたクレールが、顔を上げてアリアを見つめる。少し驚いている様子だった。

「シャープに会いたい…?」
「はい」
「そう…それならまず、ランフォルセをもう一度アリアが所持して…」
「ランフォルセを!?」

3年前の白蛇との戦いに使われた破邪の剣ランフォルセは、持ち出すとメルディナ大陸が水の底に沈むため完全に封印されている。 それを再び持ち出すことは不可能だった。

「どうやって…それじゃ、無理ってことですか…?」
「…違う。ランフォルセは使われることがないようにメルディナ大陸の水の封と繋がれているけれど…持ち出す方法はあるの。 けれど、それが知られたらランフォルセが使われてしまう…だから持ち出せないことになっているのよ…」
「ど、どういうことか、ちょっとよく…」

分からなかった。だが、今のアリアに大切なのはランフォルセを持ち出す方法があるということである。 そういえばあのとき会ったメイプルちゃんって子たちもランフォルセを探していたのと何か関係があるのだろうかと思ったが今は言わないでおいた。

「と、とにかく、どうすればランフォルセを湖から取ってこられるんですか?水を溢れさせることなく…?」
「方法はある。その方法がなければ、存在ができないから…」
「……?」
「その方法は、私は知らない。確か今は…ソルディーネ家の分家、スモルツ家に代々伝えられているはず」
「すもるつ…??」

知らない単語が出てきたが、もうひとつはアリアも聞いたことがあった。

「ええと、ソルディーネ家って、エバさんやシェリオの家だから…二人に聞いたら分かるかな…」
「……まずは、ランフォルセをアリアが所持して。癒しの司がいなくなってから、何年も経過はしていないのでしょう? だとしたら、今生身のままでシャープがいる場所へアリアが向かったらボロボロになって、多分死んでしまうから…」
「……??」

もう何がなんだか分からなかったが、やるべきことは分かったのでアリアは立ち上がりクレールに向かって頭を下げる。

「ありがとうございます、やっぱりクレールさんに聞きにきてよかったです。まず、ランフォルセを持ってくればいいんですね。 それじゃ、行ってきます」
「…そうね、気をつけて」
「お父様には言わないでおいてくださいね」
「……ええ」

クレールはアリアから視線を外して力なく頷いた。立ち上がってアリアが部屋を出て行くために扉を開けたかったが、体が動かずそれはかなわなかった。 アリアは大丈夫ですよ、座っててくださいと言って扉を自分で開けて扉の前に待機していたメイドたちにもお礼を言ってからまたクレールに頭を下げる。

「じゃ…お邪魔しました」
「……いってらっしゃい」

扉が閉まる前に召使たちがまた部屋へ入ってきた。クレールの状態を気にしているようで、いつものようにクレールに何が必要かを見極めている。 リアンが選び抜いた、召使としての仕事は完璧にこなし武術にも優れ護衛もできる優秀なメイドたちだったが、彼女たちも今のクレールの様子はあまり見たことがないものだった。

「あの子はそこまでして…いえ、どうして私はあの時、花を置いて…ああ…」

震える手をぎゅっと握り締めて小声で何かを呟き続けているクレールを見て、流石のメイドたちもどうしたのかしら、と お互いに心配そうな視線を交わすことしかできなかった。






「すみません〜…皆さん、私のために出発を遅らせてくださって〜…」
「こ、こらっ、出発とか言わない!!」

バルカローレ国の王宮お抱えの、魔法研究の専門家の大きな部屋の扉の前。セルシアとキリエの呪いについて説明を終えたカリンは 疲れた様子で部屋を出てきた。それを出迎えたのはレックだったが、今からこっそりみんなで王宮を抜け出そうというときに そのことが誰かに聞かれでもしたら大変である。

「あ…そうでしたね〜…」
「…大丈夫か、カリン?疲れただろ。聖獣探しってか、今日はベルの聖玉…ファシールを取りに行くのが主な目的だから、 カリンは部屋に残っててもいいぞ?」

王宮での振舞いに慣れてきたレックは室内を歩くときぐらいは好きにさせろと言っていて、 廊下を歩く際は特についてくる者はいなくなっていた。部屋の扉は常に見張られていたし 日々のスケジュールも勝手に決められてはいたが、コンチェルトに帰る意思はないとみなされてある程度の自由が与えられている。

それでも廊下で誰が聞いているかは分からないので、カリンには小声で話していた。

「いいえ…その…私も外には出ようと思っています〜…そ、それで…その聖玉を探すお手伝いはしますけど、やっぱり私、今日で…」
「…まさか、アッシュさまのお屋敷に帰るつもりなんじゃないだろうな?」
「………」
「…やっぱり」

黙り込んだカリンを横目に、レックは大きくため息をついた。

「何でだよ。帰らない方がいいって言っただろ?その、カミサマってヤツの目の届かない場所にせっかくいられてるんだから、 わざわざ危険な場所に戻らない方がいいって。レンだってそう言ってたじゃんか」
「…で、ですが〜…」

カリンは手を軽く握って顔の前に当て、軽く指を噛んだ。

「先ほど、この…王宮、の、魔術の先生がたに呪いの種類をお教えしたんです…わ、私がかけたということは、 レックが言ってくれたように伏せさせてもらいましたけど〜…」
「うん、それでいいよ?」
「ですが…私が呪いに使っている蝶は、アッシュさまのお屋敷の私の部屋にいるんです…そして、その蝶が死ぬことによって呪いは完全に成就します。 途中で止める方法は、本当は基本的にはないんです…」
「…え、でも…」

カイに前に教わった呪いを解く方法には、聖獣の涙を使うか、呪いの種類を解析して遠隔で解くという手段があったはずだった。

「病気のように衰弱させていくので、蝶が死ぬ前に対象者の命が尽きることもままあるんです…それぐらい、強い呪いなので… もちろん…私と会ったときにレックが言っていたように、呪いをかけた側である私が先に…」
「それは言うなって…ほんと、悪かったから!」

その手段をとっさに取ろうとした自分が嫌になりレックは強く首を横に振る。 それと同時に、カリンの言葉をさえぎろうと思わず頭を抱きしめそうになった自分に少し驚いた。

「…危ない危ない、ここ廊下だし…」
「?」
「大体さ、カリンが部屋に戻って、呪い実行中の蝶々をどうするつもりなんだよ?その蝶だって死に掛けてるってことだろ?」
「…はい、でも、何とかしたくて…」
「何とかしたいなら、俺と一緒に頑張って聖獣を探そうぜ。カリンはやるべきことは今やったんだから、あとは先生に任せとけって」
「……」

それでもカリンは腑に落ちない様子である。レックの部屋に向かって歩いている間も、ずっと考え込んでいるようだった。 最後の角を曲がろうというときに、カリンに服をつかまれてレックは立ち止まる。

「…わ、どした?」
「あの〜…す、少しだけお時間を…」
「ん?」
「私…呪いだけでなく「祈り」も…使えるんです〜…」
「いのり?」

なんじゃそりゃ、とレックはカリンを見下ろした。

「祈りは…使う人の素質によってさまざまなことが起こります。さまざまといっても、呪いとは真逆のよいことが起こるんですよ〜」
「へえ…?」
「いつか、役に立つときが来るかもしれないので〜…レックにも伝えておきたいなって」
「いや…俺にそんなフシギな素質があるとは思えないんだけど…」
「そんなことないですよ〜、私よりずっとありますって。もしレックが呪いをかければ、私なんかよりずっと強力だと思います〜」
「いらんいらん…」

学校でも学術以外は剣の勉強ばかりしてきたレックにとって、魔法やその他の精神的な力は管轄外である。 しかし妙にカリンはそれを勧めてくるので、仕方なしに部屋を入ろうとするのは一旦中断して、やり方を教わることにした。

「はー…じゃ、どうやるんだよ?こうやって手を組んでなんかむにゃむにゃ言うのか?」
「え…そうです、なんでわかったんです〜?」
「マジかよ…」

手を顔の前で組んで目を閉じて見せたが、それでよかったらしい。

「それで、どうすんの?」
「強く強く願うんです。それで、人によってはその祈りがかないます」
「…それって、普通の人もやってない?」
「やってますね〜。でも、奇跡を起こせるような祈りが出きる人はそう多くないそうです」
「あ、そ…もしかして、呪いも簡単なわけ?」
「祈りも簡単ってワケじゃないですよ〜。呪いはですねえ…道具が必要ですね、生贄とか」
「…あ、もういいです」

段々不穏な方向に話が進み出したので、手をぱっと解いて横に振った。皆待たせてるんだから早く部屋に入るぞ、と扉を開けてカリンを促す。 扉の横にいる兵士が不思議そうな顔をしていたが、気にしないで自分の手で扉を押した。

部屋には出発を待っているベルとレン、そしてレックの代わりに城にいてくれるミラがいるはずだったが、そのミラの姿がない。 ベルは大きなテーブルを挟んでレンと向かい合って座っており、なにやら話しているようだった。 レックとカリンに気づいた二人は顔を上げ、ベルが少し焦った様子で近づいてくる。

「お、おかえり、二人とも」
「うん、ただいま。カリンが魔術の先生のところでは話すのは終わったよ。話すことはもうないよな?急に呼び出されたりとか」
「あ、はい〜…ないと思います…お話できることは全て、説明しましたので〜…」
「そっか。ってわけで、もう出かけられるけど…ミラは?」

部屋の奥まで歩いてみたが、ミラの姿が見えない。寝るときは人形の姿になっていてもらっていたが、 部屋を出るときにレックの姿を映したし、人形の姿に戻せるのはレックだけのはずである。

「それが…ちょっと前にお使いから連絡があって、急いで来てくれって言われて…」
「それで、ミラが行っちゃったのか?俺の居場所を言えばよかったのに…ってか、俺が二人いると思われるじゃん!」
「いや、返事したらいきなり扉開けられちゃって、ミラを隠せなくて…そのまま手を引っ張られて行っちゃったんだよ」
「うそ…そんな、予定にないことされたら…応対とか教えてないのに…でも俺が、ミラがいる病室に入るわけにはいかないし…」
「大丈夫じゃない?」

焦るレックに、横からレンが何の気なしに言った。

「な、なにが大丈夫なんだよ?俺が皇帝さんたちのいるところに行ったら、同じ顔のやつがいることになって大変になるだろ」
「そうじゃなくて。ミラだったら大丈夫だと思うよ」
「…へ?」
「ミラは普通にしゃべれるみたいだから。レグルスに教えられたこと以外でも、ちゃんと言葉を発してたよ」
「そ、そうなの!?まさか…教えた言葉をどんどん吸収していって成長していく人形…とか…?」
「なにそれちょっと怖い」

レックにもベルにもミラが人形だという認識しかないため、学習したりひとりでに動くとなると恐怖を感じる。 実際はミラはカイとリアンが作った魔法の人形に古の光魔法の記憶が宿ったものであり自我も意思も持っているのだが、二人ともそれを知らなかった。

「にしても…俺に急な用事ってなんだろ。ベル、部屋に入ってきた人にベルの姿も見られたわけ?何も言われなかった?」
「俺はすぐに隠れたから…部屋にはミラとレンしかいないように見えたんじゃないかな…もうなんとなく、バレてる気はするけど…」
「うーん…レンがこの部屋にいても何も言われないし、ベルのことも言っちゃった方がラクなような…でも、今からバレないように脱出するんだから、 ベルになんか変な嫌疑がかかっちゃっても悪いか…」

うーむ、と考え込んでいるレックの服をレンが引っ張る。

「ん?」


    


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