急にカイが茶色の髪をくしゃっと掴んで頭を抱えた。あまり見ない父親の姿にフィルはきょとんとする。

「どうしたの?」
「タン・バリンで私が学んだのは学術だけだったんだよ。剣術と魔法は私には必要なかったからね。そうか、これらを学ぶ学校でもあったか・・・完全に失念していた・・・」

お知らせの紙を握り締めたまま悩みながら唸り、カイは固まった。

タン・バリン学園で学ぶことの中で一番重きを置かれているのは学術と呼ばれる一般的な科目なのだが、剣術と魔法を学びたい人はそれぞれにどれほどまで学びたいかを自分で選択することができる。

王族や爵位を持つ家の子供たちは生活上必要ないこともあって剣も魔法も学ばない者もいるが、大抵は少しだけどちらかをかじっておくものというのがこの世界での風潮であった。

しかし。

「お父さん、剣術も魔法も勉強しなかったの?知らなかった・・・」
「いや、全然勉強してないわけじゃないぞ。基礎なら知ってる。本で読んだから」

何度も頷きながらカイが負けじ言った。それを面白がってフィルが聞き返す。

「でも、剣を扱ったことないんでしょ?魔法も使ったことないよね、見たことないし」
「だから理屈は分かってるし、原理は分かってる!構えに意味があることも知っているし、詠唱は全部覚えてるぞ」
「じゃあ風の魔法「ウィンド」使ってみて」
「え・・・・・・」

じーっと楽しそうに見つめてくるフィルの視線を振り払おうと首を振り、ぎこちなく両手を前に出して手を合わせた。

そして、以前本で読んだことのある詠唱を思い出しながら口にする。

「か・・・風よ、切り裂き貫く刃となれ・・・」

カイの声に何も反応することもなく、辺りは静かなままである。そよ風が起こるどころか空気の流れも何も変わらないのを見て、フィルは思わず笑い出した。

「あはははっ・・・うそ、お父さん、魔法使えないなんて・・・!」
「こ、こら、笑うなっ!」

心底可笑しいようで、フィルはお腹を押さえて笑っている。笑いながら片手を上げて人差し指で上向きにくるりと円を描いた。

「ウィンド!・・・ほら、ぼくにもできるんだよ」
「あ・・・」

フィルの指の動きと共に風がふわりと起こって小さな渦を巻く。それでもまだ笑っているフィルを横目にカイはもう一度手を合わせて試してみたが、やはり何も起きなかった。

「ははは・・・・・・と、お父さんにも、できないことあるんだ・・・はー、おかしい・・・!」
「・・・全く、笑いすぎだ・・・さっきも言ったが原理は知ってるんだぞ、やり方を細かく説明することはできる。それぞれの属性や歴史もよく理解している。・・・実技は披露できないみたいだが」
「じゃあ、もしかして剣も?」
「実用的な使い方をしたことはない・・・」
「えー!そうなの!」
「だって今までの生活で必要になったことないもん・・・」

また笑い始めたフィルに返す言葉もなく、カイは机に突っ伏した。笑いすぎて出てきた涙を指で拭いながら、フィルは呼吸を整えようと試みる。

「ふふっ・・・・・・はー、分かった、ぼくどっちもバランスよく学んでみるよ」
「・・・え」
「お父さんをいざというときにぼくが守らないと。こんなにお父さんがサッパリ何もできないって思わなかったんだもん」
「ひ、人聞きが悪いな・・・学術を疎かにするんじゃないぞ・・・」
「もちろん!今のところ学年ではトップの成績だよ、任せといて」
「・・・・・・。」

フィルは改めて机の上に書類を広げる。親が記入する欄とフィルの手を見ながら、カイはぽつりと言った。

「・・・フィル」
「なに?」
「父さんが剣術と魔法を学ばなかった理由は、もう一つある」

座っているカイを見下ろして、フィルは目を瞬かせた。

「剣術も魔法も、使い方によっては人を傷つける。私は戦うための方法を学びたくなかったんだ。私もフィルもこのコンチェルト国の王族だ、自ら直接戦うことはないだろうが・・・。 しかしいつか戦わなければいけなくなったとき、その力を誤って用いないでほしい。約束できるか?」

カイは静かにそう言った。下を向いているカイの表情は見えなかったが、声には辛そうな感情が滲んでいる。

フィルは、カイを笑ったことを後悔した。

「・・・・・・はい。約束します」
「よし。フィルが自分で決めたのならそれでいい。やりたいだけやってみなさい」
「・・・・・・。」

ペンにインクをつけて書類にサインをするカイの様子を見つめるフィルは、軽く唇をかんだ。






「よ、フィル。カイさんどうだって?」
「うん・・・ぼくの好きにさせてくれたよ」
「よかったじゃん」

カイの部屋から出てきたフィルを待っていたのはレックだった。フィルが持っているお知らせの紙と同じものを頭の後ろで組んだ手でまとめて持っている。

「なんか暗いじゃん。怒られたの?」
「ううん、そういうわけじゃないけど・・・」

長い廊下を歩き出したフィルに合わせてレックも隣をついて歩く。

「剣も魔法も習っていいけど、間違った使い方は絶対にするなだって」
「へえ・・・ああ、あの人言いそうだなそういうこと・・・で、なんでそれで落ち込むんだよ」
「そのせいじゃなくて・・・ぼく、お父さんが剣も魔法も使えないこと知らなくて・・・それを学ばなかった理由も知らないで、お父さんを馬鹿にして・・・・・・」
「あらら」

フィルは泣きそうになり下を向いた。

「泣き虫〜。悪いと思ったなら謝ればいいじゃんかよ。怒られたんじゃないなら、カイさんに言われたことちゃんと守ればそれでいいのに、なんで泣くんだよ」
「ううー・・・だって・・・」

結局泣き出してしまって立ち止まったフィルを、レックは背中を叩いて落ち着かせていた。

ちなみに話し声が気になったカイは部屋の扉を開けてその様子を覗き見ていた。

「・・・・・・おっと」

しばらく様子を見ていたが、レックと目が合いそうになって慌てて扉の奥に引っ込んだ。






「カイ、古書の研究に余念がないな」
「これは、父上。ようこそおいで下さいました」

フィルがタン・バリンに入学してから4年が経過し、カイは城での仕事をこなしながらメルディナの四ヶ国で同時に行われている「紫苑の伝承書」という古書の解読を行っていた。

「解読班を作る必要はないのか?」
「一応人数は集めましたが、資料の整理と解読部分のまとめの清書、各国への伝達のみを行わせています。解読自体は一人でやった方がはかどりますので」
「・・・まあ、お前ならそうだろうな」

机の上には大量の紙とメモ書き、謎の表が丁寧に並べられている。部屋の中がごちゃごちゃではなく、作業場のはずなのに非常に整えられていることが何となく不気味である。

作業の様子をちょくちょく見に来ていたシャンソンにも、その古書の文字の意味は全く分からなかった。

「最初にまともに解読を成功させたのは、セレナード国の公爵リアン殿だそうです」
「そうか、まさかカイよりも先にこの本を解読する人がいるとはな。天才児は他にもいたのか・・・」
「そのようですね。リアン殿は様々な才能に秀でていらっしゃり功績も多いようです。私も紫苑の伝承書の解読で張り合いたかったのですが、 何せリアン殿が古書の解読を始められたのは私が生まれる前のことでしたので。物理的に不可能ですね」
「・・・・・・確かに、そりゃ無理だな」

シャンソンはぽりぽりと頬をかいた。

「私が解読した部分によりますと・・・「白蛇」が復活するのは封印から500年の月日が流れた時。時の力が光と闇を呼び覚ます。光の力を受けて白蛇は真に蘇るなり・・・とのことです」
「・・・500年の月日って言われても・・・どれぐらい経っていたんだっけ?」
「そうですね。伝説が正しく伝わっているならば・・・」
「ならば?」

解読した部分をまとめた紙をとんとん、とまとめる。
ペンをペン立てに置いて、シャンソンを見上げた。

「今年で499年目です」
「え」
「来年で500年が経過することになります。誰かが封印を解けばもちろん復活は早まりますが、いずれにしても来年で白蛇の復活は確実のようですね」

淡々と言うカイに、シャンソンは慌てた。

「ちょ、ちょっと待て、そんなことに・・・そんなことになったら、一体どうしたらいいんだ?」
「そのことについても書かれております」
「あ、そうなんだ・・・」

立ち上がり、手に持っていた紙をシャンソンに寄せる。シャンソンは自分でも分かる言語で書かれた解読文を覗き込んだ。

「白蛇と闘い得るのは勇者と四人の賢者のみ。第13代セレナード国王と月の瞳を持つ姫との子が水の賢者となり世界を導くだろう。光を蘇らせてはならない。光あるところに闇はある。 光と闇が重なれば、時は無限を越えた力で人類を絶望へ導く・・・なんだこれ?」
「箇条書きですけど、読み終わったのはこの項目です。リアン殿の解読分にもこれはなかったので」
「意味が分かるような分からないような・・・つまり、どうすればいいんだ・・・?」
「あともう一つ、この項目です。「王家の双子が白蛇となり賢者となりて勇者と戦うだろう」。この意味がよく分からないんです。これは解読されている部分なのですが、意味が分からない」

封筒に紙をしまって、カイはため息をついた。分からないことがあるのが気に入らないらしい。

「王家の双子とは誰のことでしょう・・・今のところ、どこの国の王家にも双子はいません。父上はどこかでお聞きになったことはありましたか?」
「さあ・・・メヌエットの王子も確かカイと2、3歳差だったと思うが双子ではなかったな。バルカローレの神聖光使も双子だったら偉いことだから大ニュースになるだろうし・・・」
「そうですね、あの国は面倒な伝統に縛られた国ですから・・・王子が生まれるたびに毎回ひと悶着起こしてますし、父上からも何か言ってあげればいいのではないでしょうか」
「わ、私が?」

バルカローレとはメルディナ大陸にある4つの国のうちの一つで、最も北に位置している。そこでは「神聖光使」と呼ばれる女性が皇帝として国を治めており男性は王位を継がないことになっていた。

「他国が口出しすることじゃないだろう、あの国寒いから行きたくないし・・・」
「まあそれはいいのですが、他にも文字自体を読めた箇所を全てまとめておきました。これをさらに各国でまとめればかなりの情報量になるかと思います」

カイは封筒に印で封をして扉を開けて隣の部屋で待機していた者たちにそれを渡した。

「それで、だから私たちはどうすれば・・・」
「勇者と賢者についてのことがまだ分かりきっていないので私は解読に尽力するのみですが、白蛇にはその者たちしか太刀打ちができないのです。誰が賢者か分かるまでは我々には何も出来ません。 白蛇が復活するのも確定事項、滅ぼされるかはまだ分からない。そんな感じです」
「そんなかんじって・・・」
「ですから父上は必要以上に気に病まず、ご報告差し上げるまでお待ち下さい。ほら、孫たちと遊んできたらどうですか!」
「・・・孫たちって・・・」

シャンソンは肩を落としてどんどん元気をなくしていったが、さあさあ、とシャンソンの背中を押して部屋から出してフィルとレックがいるであろう部屋がある方へ向かせた。

「ちょっと、カイ・・・」
「私はもう少し研究を続けます。申し訳ありませんが晩餐の時間までしばしお待ちを」
「おーい」

扉をバタン、と閉じるとシャンソンの声もそこで途切れた。しぶしぶフィルの部屋へ素直に向かったシャンソンの足音を聞いて、カイは再び机に向かった。

「・・・・・・これは」

封筒に入れなかった、解読された文章が書かれた紙を一枚机から拾い上げた。そこにも細かい文字でなにやらが大量に書かれている。

「・・・白蛇と勇者の対峙より前、コンチェルトの町、村は全て白き獣により滅ぶだろう。こんな予言、父上には見せられない・・・それに」

顔の横に流れてきた肩までかかる髪を一まとめにして、今度は奥の部屋に入っていった。そこは古書の解読のための部屋とはまた違った、道具を設計するのに使う作業場だった。

淵に段差のある広くて大きな机と、武器にすらなりそうな非常に長い物差しや分度器が置いてあり、その下にはカイがすでに設計したと思しき道具の設計図がいくつも広がっている。

小さな机の上にはガラスの容器と様々な色の液体が入った瓶が所狭しと並んでいた。

「事前に分かっているならば私が何とかしないと。白蛇の力のことをもっとよく理解して、それに対抗できる道具を作るんだ。コンチェルトは私が必ず守ってみせる・・・」

袖をぐいっとまくって、大きな白い紙に色々と書き込んだり線を引いたりと作業を開始した。






「お父さん、ただいま」
「お帰り、学校は楽しかったか?」
「うん」

非常に忙しい毎日を送っているカイだったが、フィルと過ごす時間は必ず作っていた。一日のどこかで会話をするために時間を割き、食事は一緒にとるようにしている。

王宮内でフィルの自室というのは存在していたが勉強のための私室というだけで寝起きをし時にはカイと二人で朝食をとることもあるカイとの親子の部屋がフィルの生活の拠点である。

学園から帰ったら必ずその部屋に挨拶に来るのがフィルの習慣であり、親子の決まりだった。

「もうフィルもそろそろ中等科か・・・今日の授業で分からないことはあったか?」
「ううん、大丈夫。宿題もそんなに多くないからね」

肩掛けカバンから薄い本を取り出した。そして今日の宿題であろう部分のページを掴んで見せる。

「父さんが手伝おうか」

ちらりと見えた問題集の中身にカイが嬉しそうにそう言うと、フィルが苦笑した。

「お父さんがやったら一瞬で終わっちゃうよ。ダメダメ、手は出さないでよ」
「はいはい」

勉強のための机はフィルの部屋にもあるのだが、広い二人用のこの部屋にもフィルのための机がある。最近は学園から帰宅したらこの部屋で宿題をするのがフィルの日課になっていた。

「レックも真面目にやってるか?」
「うん、剣術でクラスで一番って褒められてたよ。おばあちゃん・・・カンナさんも大会を見に来てた。学術もまあまあなんじゃないかな、遊びたい盛りだからねー」
「フィルもだろ」
「ははは、そうだね」

二人ともそれぞれ、フィルは宿題、カイは持っていた本を見下ろしながらくすくす笑った。

しばらくして、カイが二人分の紅茶を入れて持ってきた。ありがとう、と言ってフィルがそれを受け取り口をつける。

「・・・お父さん、セレナードで白蛇が復活したんだってね」
「そうだな」
「白い獣が各地で暴れてるって。その獣は「浄化獣」って呼ばれてるみたいだよ」
「そうみたいだな」
「・・・ぼくに、何かできないかな」

口元はティーカップに隠れて見えなかったが、フィルの赤い目は じっとカイを見ていた。本から視線を外して、カイは思考を一巡りさせた。

「そう思うのは正しいことだし いいことだね。素晴らしいことだよ。でも浄化獣への対策は国を挙げて行っているし私も協力してる。だからフィルは勉強に励みなさい」
「でも・・・」
「学校の行き帰りの護衛もしっかりしないとな。それと万が一の時に・・・」
「・・・・・・!?」

カイが立ち上がり引き出しから何かを取り出そうとしたとき、突然フィルが左手で肩を抑えて机に倒れこんだ。

「お、おい、フィル!?どうしたんだ?!」



    






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