「レンにも、扉が開けられたのですか・・・?」
「鍵なんてかかってなかったよ。アッシュ様のお屋敷では中に入ろうとする人なんていないから、誰も中がどうなってるんだろうだなんて思わない。 中に入ってみたいだなんて思わない。・・・だって、そんなことを考える者はみんな処刑されてしまっていたでしょ。そんな行動を起こす前に消されてしまう」
「そ・・・それは・・・」
「カリンだって、ずっとそんなこと考えもしなかったでしょう?アッシュ様の言うことだけを聞いていればいいって、それだけを考えてたでしょ。 ・・・でも、ぼくにはなんとなく、記憶のようなものがあったんだ。人間は、親から幼い姿で生まれ、育っていくものだって・・・いきなり、世界に出現したりはしないって。 そのことを思い出したとき、ぼくは自分の「はじまり」はどうだったか、考えたんだ。親なんていたか、いつからアッシュ様のお屋敷にいるんだろうか、って・・・」
「・・・・・・」

俯いてしまったカリンに、ついにレックが心配そうにしゃがみ込んで顔を覗き込んで話しかけた。

「・・・カリン、大丈夫か?レンと同じことを、疑問に思うのか・・・?」
「はい・・・・・・私も、記憶というものがあまりありません・・・思い出す過去は、すでにアッシュ様の命令を聞いて行動する毎日、 あとは・・・虫のお世話をして呪いの実験をする日々・・・それだけです・・・」
「虫・・・ですか」

いろんなことを思い出して、ちょっとレックは鳥肌を立てる。それでもカリンの肩に置いた手は震えないように気をつけた。

「レック・・・やっぱり、私・・・人間ではなくて・・・自分が人間だと、思い込まされていたのでしょうか・・・そう考えるともう、何もかもが怖い・・・。 人間と同じように、顔もあるし、手足もあるし、言葉も話すのに・・・自分という存在が理解できなくて・・・怖くてたまらないです・・・」
「カリン・・・」

どこからかさらわれてきたんじゃないのか、そこで暮らしているうちに記憶がなくなったんじゃないのか、その可能性をレックは口にしようとしたが、 目にいっぱいためていた涙をこぼしついに泣き出してしまったカリンを見て何も言えなくなってしまった。カリンの握られた両手が目に当てられ、その端から涙が流れ落ちていく。

「私・・・どうしたら、いいのか・・・アッシュ様のお屋敷に帰って、パッチをあてたら、この気持ちすら消えてしまうのかもしれないって・・・考えるだけで、怖いです・・・っ」
「・・・・それなら、帰らなきゃいい」
「・・・・・・えっ」

膝を床についてカリンの正面に回っていたレックが、きっぱりとそう言った。

「自分が何者なのか知りたいと思うのは、人間だからだ。それが分からなくて怖いって泣くのは、人間だからだ。カリンがどのように存在するようになったかなんて、 大した問題じゃない。今ここにいるカリンがそう思って生きてるってことは、カリンという人間がここにいるっていう何よりの証拠だ。そうだろ」
「・・・そう、なんでしょうか・・・」
「レグルス・・・」

レンはいつもよりも目を見開き、レックの横顔を見つめる。

「い・・・・・・」
「い?」
「・・・いいことを、言うね・・・」
「・・・・・・レン、お前な」

この状況で、とレックはがくっと項垂れた。そしてよいしょと立ち上がり、今度はカリンの頭をぽんぽんと叩く。

「アッシュ様のお屋敷に帰るとずっと見張られちゃうなら、もう帰らない方がいいだろ。レンもそう思うよな?」
「うーん・・・確かに帰らなければパッチをあてずにすむしアッシュ様にお会いすることもないけど、分からないよ。 アッシュ様の命令どおりに動かなかった人なんて見たことないから・・・カリンが帰らないなんて、誰も考えもしないんじゃないかな。 だから、みんながどういう行動を取るか、全然想像がつかない」

そう言うレンに、ちょっとレックは不安になった。

「・・・あの、みんなって、誰・・・ということになるんだ?アッシュ様以外に、具体的に誰がいるの?」
「アッシュ様と、執事のローリエ。ヴァイオレットとメイプル、そしてぼくと、カリン。あと、大勢のマグノリアたち」
「マグノリア・・・?」
「こういう奴のことだよ」

そう言うと、レンは両手を広げた。手と手の間の空間が白く輝き、そこから一羽の鳥が現れて4人の間で大きく羽ばたき、風が起こる。

「はっ・・・!?今、どこから・・・!?」

レンが出したのは鷹だったようで、暗い部屋を旋回してからレンの元へ戻ってきた。

「はい・・・こういう、生き物のことです」

カリンも両手を上に向けた。手の上が青く輝いたかと思うと、ポンッと音がして1メートル以上はある巨大な茶色くて鎌のような手の虫が現れる。

ドン、と床にその虫が降り立つよりも早く、レックは後ずさった。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――ッ!!」
「どうなさいました?」
「ど、ど、な、なにを、で、まっ・・・」
「ご存じないですか?これはタガメっていう水生昆虫で」
「いいいいいッ!!そういうことじゃない!!早く、何とかしろそれ!!しまって!!こっ、こっち向いてない!?」
「こんなに可愛いのに〜・・・」

巨大な虫はレックの方に頭をくるりと向けて手足を動かしている。途中で椅子やテーブルにぶつかりながらもレックは一瞬で壁際まで避難したが、 それ以上は下がれないため両手を壁につけて何とか距離をとろうとした。

「しまうといっても、一度出すともう、消すしかないんですよ〜・・・」
「・・・え」

そう言いながらカリンはしゃがんでタガメを撫でる。その光景がもう直視できないレックだったが、それでも消すしかないという言葉は何とか認識できた。

「け、消すって、まさか殺すしかないってこと?」
「そうですね〜・・・私の部屋にいる子達をここに移動させただけですので〜」
「戻せないの?」
「戻せないです」
「大きさを変えることはできる?」
「できますよ」
「じゃあ早くそうして!!」
「大きく?」
「小さく!!」
「かしこまりました〜」

カリンは両手をタガメの背にかざした。するとみるみるうちにその虫は小さくなっていき、手のひらに乗るぐらいのサイズになったのだった。 それを確認したレンがしゃがんでいるカリンの頭を見ながら言った。

「・・・レグルス、もう大丈夫だからおいでよ」
「ほんとか・・・?」

床からカリンが虫を拾い上げたのが見えたので、まだそこにいると思うと近寄れない。ずっと黙っていたベルがついに動いて、レックに歩み寄った。

「レグルス・・・いや、レック?お前、虫苦手なの?」
「いいだろ苦手だって!」
「いや悪いとは言ってないけど・・・そんな逃げるようなことか?」
「ベルは平気なのか?!あ、あんな、あんな規格外のサイズの虫、平気なのかよ!?食われるかもしれないぞ?!」
「え・・・カリンさん、その虫は人を食べたりしますか?」

くるりと振り返ってベルが尋ねる。手の上に虫を乗せたままつんつんと片手でつついていたカリンは、ベルの方を見てにっこり笑った。

「タガメは肉食ですので。そもそも地上での任務のときに邪魔者を食べていただくために作ったマグノリアなんです」
「・・・レグルス、ゴメン。俺も怖いです」
「・・・ほれ見ろ」

それでももう安全なサイズにはなったかと、ベルはカリンの方に歩いていった。レックも恐る恐るその後に続く。

「ええと・・・つまり、マグノリアってのは・・・二人がどこからともなく出して命令をできる動物ってことでOK?」
「そんな感じかな・・・」

レンが出した鷹は足元に立っている。レンの足に擦り寄っていて、大分なついている様子だ。

「動物がぼくたちになついていないとマグノリアにはできないんだ。大事に世話をして信頼させないといけない」
「へ、へえ〜・・・・・・あれ?」

まだ十分にカリンやレンと距離をとったまま、レックは何かを思い出したように声を上げる。

「・・・レン、お前、体から鳥が出せるんだよな?」
「出せるよ、育ててた分だけだけど」
「この鷹、もっと大きいサイズにできるのか?カリンの・・・その、出した虫みたいに」
「できるよ」
「ということは、それにつかまったら空が飛べる?」
「飛べるよ」
「ならもっと早く言ってくれよ・・・今日、カイさんが作ってくれた羽であんな危険な飛行をしなくて済んだのに・・・!」

恨みがましそうにレックが言う。

「いや・・・そのときはまだちゃんと思い出してなくて」
「そうなの?」
「カリン、トンボ出したでしょ。あれを見たらなんとなく思い出してきたんだ」
「そうだったのですか〜」
「おい、あのトンボもカリンが・・・!?いや、まあそうだろうな、あんなバケモンみたいな虫・・・なんで出したんだよそんなの」
「空を飛ぼうと思いまして、私が着地した後はどこかに飛んでいってしまいました」
「不法投棄するなよ・・・」

ベルの後ろに隠れていたのだが、ようやくレックはカリンの前に出てきた。

「とりあえず・・・もうめちゃめちゃ遅い時間だし、明日も聖獣探したり色々忙しいからホントに寝ないと。 ミラが俺の身代わりになってくれるのは決まってるけど、時間は有限だ。・・・カリン、あとどれぐらい時間がある?」
「え・・・」

一瞬問われた意味がわからなかったが、レックの表情を見て理解して小さく頷く。

「さ、最後に蝶の様子を見たとき、あと20日ほどでした・・・ですが、相手の衰弱具合によっては短くなる場合も・・・」
「・・・それ、止めることはできるのか?」
「私の部屋に帰って・・・解呪を施せば滅びの進行は止まりますが、そこから回復するかは本人次第です・・・」
「・・・・・・」

今すぐにでも止めてもらいたかったが、カリンを帰すとどのような事態になるかが予測できない。 これは、もう一つの呪いの解き方を採用すべきだとレックは判断した。

「・・・わかった。明日になったら・・・呪いの方法や種類、解き方を専門家に伝えて遠隔で何とか解いてもらおう」
「どうやって?」

尋ねたのはレンだった。鷹を椅子の背もたれにとまらせて3人の方へ帰ってくる。

「カリンが呪ったなんて知れたら、危ないんじゃない?」
「・・・そこは、うまく明かさないようにしないとな。大丈夫、多分俺が言ったら何とかなる雰囲気だろうから・・・うん。カリン、それでもいい?」
「はっ、はい・・・あの・・・」
「じゃ、そろそろ寝よ」

解散、と言わんばかりにレックが伸びをする。

「すみません、ちょっと窓を開けてもいいですか」
「いいけど・・・どした?」
「この子を・・・あ、あの池なら。えいっ」
「・・・え?」

バルコニーから下を覗きこみ、両手を前に振り下ろした。そして可哀想な虫はそのまま王宮の庭の中央にある池に落下していったのだった。 思わず窓に駆け寄りそうになったが、レックは結末はあえて見ないことにした。改めて気持ちを切り替えて、パンパンと手を叩く。

「さ、さてと・・・ベッドが一つしかないんだよな・・・バカみたいにデカイソファが二つあるけど」

どうやって寝たもんかとレックは頭を悩ませる。男3人なら問題なかったのだが、女の子がここに加わるとなると話が変わってくる。

「あの・・・私はテーブルの下とか、その下・・・あ、ここには隙間がない・・・」

カリンはしゃがんでベッドの下に手を差し入れようとしたが、そこにはスペースがなかった。おろおろと部屋の中を見回す。

「ソファの裏とか・・・」
「・・・そんなとこで寝かすわけないだろ。人間はそんなとこで寝ません」
「ですが・・・」
「よし決めた。レンとカリンがベッドで。二人なら間も空けられるだろ」
「・・・おいレグルス、俺は?」
「ベルはそっちのソファで」
「・・・・・・まあ、いいけど・・・」

元はこの部屋で寝ようとはしなかったわけだし、とベルは文句を言うのをやめた。ソファも十分ふかふかしているし、寝心地は悪くなさそうである。

「じゃ、寝るぞ。人が起こしに来ると思うから、ノックが聞こえたらすぐに目を覚ましてカリンとベルはベッドの後ろに隠れるように」
「起きてそんなすぐに動けるか・・・?」
「ど、努力します・・・」

それぞれ何かしらの不安を抱えながら、それぞれ横になった。レックはクッションを枕にしてシーツを1枚体に掛け、 ベルが寝るソファは肘掛が柔らかい素材だったのでそのまま頭を置いた。椅子に置かれていたひざ掛けらしき小さ目の布に包まる。

「おやすみ、カリン」
「お・・・おやすみなさい、レン」

「寝坊するなよ、ベル」
「はいはい。おやすみ」

近くにいる者同士で声を掛け合って、レックが目を覚ましてからかれこれ1時間以上が経過していたがようやく眠ることができたのだった。






「アッシュ様!」
「・・・うわ」

窓から中庭にいる子供たちを見下ろしていたアッシュは、廊下の遠くから響く聴き慣れた声に顔を引きつらせた。

「メイプル・・・」
「アッシュ様がせっかく地上への扉を開いてくれたのに、みんなメイプルちゃんと一緒に行こうとしないんですよー!みんな怠け者!だらけ者! メイプルちゃんが一番偉いですよね!?」
「・・・・・・」

メイプルは両手を腰に当てて力説している。

「メイプル、お前・・・」
「しかも!どこを探してもレンもカリンもいないの!それにヴィオも二人でランフォルセ探しに行こうって言っても、 アッシュ様に会ってもう1回命令をもらって来いとか言うんですよ!みんな、マグナカルテットとしての自覚が足りないッ!!」
「・・・ん?カリンもいないのか?」
「いませんよ。昨日から見てないです。アッシュ様、まさかカリンにだけ何か秘密の命令を与えたりしてないですよね・・・!?」

メイプルの剣幕にアッシュは思わず窓枠から手を外して少し後ずさった。

「し・・・していない・・・カリンには、神聖光使を消すようにとしか言ってないし、その1回以降は一度あと・・・1ヶ月だとか報告を受けただけで 俺からは何も指示は与えていない」
「・・・ほんとに?」
「ああ」

いぶかしげにメイプルは頬を膨らませて首をかしげる。

「じゃ、カリンはどこに行ったんです?」
「分からん」
「ローリエなら知ってるかな・・・ヴィオがダメでレンもいないなら、カリンと二人で行こうと思ったのに」
「・・・・・・メイプル」
「なんですっ?」

名前を呼ばれたことが嬉しかったのか、目をキラキラさせて両手を組んで頬の横に当ててアッシュに向き直った。その様子に、アッシュは疲れたような表情で目を細める。

「・・・シャープ姫を凍らせるという任務がまだだろう」
「えっ・・・ごめんなさい、そんな命令・・・あ、与えてくださってたんですか・・・?」
「・・・・・・いい、改めて命じる。シャープ姫を凍らせて来い。それがお前の使命だ、必ず遂行してこい」
「はーいっ!!お任せくださいっ!!」

びしっと手を額に当ててメイプルは至極嬉しそうにポーズを決めた。そして、足取りも軽く廊下をパタパタと走っていくのだった。

「・・・・・・」

しばらくその後姿を見ていたが、庭にいる子供たちが一箇所に集まってきているのを確認してアッシュもその場から離れた。


    


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