「どうでしたか?」
「ぷはっ・・・んー、何もないわね。ただの湖よコレ」
「そうですかぁ〜・・・」

ここは、とある森の中にある大きな湖。その水面から顔を出したのはヴァイオレットだった。

ザバッ、と水から上がって髪や服をぎゅっと絞っている。 水に入るためかいつものチャイナドレスではなく薄くて黒いワンピースのような服だが、腕を覆っているいつもの白い手袋はしっかりとはめたままだ。

服を着替えはじめたヴァイオレットの様子を、湖のふちに座っているカリンが見上げた。

「ほんとに、よぉ〜く探しました?
結界に守られているらしいですから〜、目で見るより気配で探らないと〜・・・」
「私が泳ぎが得意なのはよーく知ってるでしょ?いつもボーっとしてるアンタと一緒にしないで」
「うふふふ〜、ヴィオったらぁ、私の活躍に妬いてるんですね〜」
「だっ、誰が!絶対にアンタなんかに負けないんだからね!!」

ヴァイオレットが声を荒らげても、カリンは微笑んだまま水面を眺めている。

「アメンボとかタガメとか、いないかなあ〜・・・」
「なんでこんな子に、アッシュさまは大事な任務を任せたりしたのかしら・・・」
「それは当然、適任だったからですよ〜。成就まであと20日です、自動的に任務完了です♪」
「私もそっちの勉強した方がいいの・・・?」
「あら、習いたいですかぁ?」
「・・・結構よ、そんな陰湿で残酷なの」
「残念、楽しいんですよ、うふふふ〜」

ヴァイオレットのずぶ濡れだった髪はいつの間にか乾いており、それは手際よくいつものお団子頭に結い上げられた。

いつもの服に手早く着替え、カリンの隣にしゃがみ込んで一緒に湖面を見下ろす。

「情報を集めて、ランフォルセがこの湖の中に沈んでいるってことは分かったけど・・・中をいくら探しても影も形もないし、気配すらしないっていうのはどういうこと? どうする、もう1回人間から「聞き込み」する?」
「・・・・・・」

そのヴァイオレットの発言に、カリンは突然黙ってしまった。返事もなく反応もないことが気味が悪く、ヴァイオレットは目を細める。

「・・・なによ、気持ち悪いわね。急にどうしたのよ」
「いいえ〜・・・あの、今「人間」って・・・?」
「え、なにが?人間は人間でしょ?何度も使って情報を聞き出してきたじゃないの。なんなの?」
「その・・・私たちも、人間なんじゃ・・・?どうしてそんな言い方・・・」

今度はヴァイオレットも黙ってしまった。しかし嫌悪の表情ではなく、驚いたような視線をカリンに向けている。

「・・・あら?え、そうよね・・・なんで今、私そんなこと言ったのかしら・・・・・・まさか」

ヴァイオレットは手を後ろに回して背中をさすった。

「・・・カリン、アンタ・・・ノームパッチちゃんと入れた?この前の、ローリエから渡されたヤツ・・・」
「・・・・・・」

カリンは無言で正面を見つめている。ヴァイオレットは思わずカリンの肩をゆすった。

「ちょっと、どうしちゃったの?入れる・・・でしょ、入れないなんて選択肢、ないでしょ?アンタこそ全然わかんないわよ、どうしちゃったのよ、カリン・・・」
「・・・・・・レンが」
「え?」

俯いてしまったためくぐもった声が聞こえる。カリンの肩からそっと手を離して、耳をすませた。

「レンが・・・一人だけ、パッチを入れていたのを・・・見たんです。私たちには配られていなかったのに。それを入れてからすぐ・・・レンは・・・」
「・・・処刑、されたんだったわね。そんなの、疑問を抱いたからでしょう?バカよねあの子も。 私たちはアッシュさまの言うとおりにしていれば、それでいいのに。それだけでいいのに」
「ど・・・どうして、そんなことになったのか・・・ずっと、考えてて・・・それから私、パッチを入れるのが・・・怖くなって・・・」
「・・・ちょっと、カリン?」

嫌な予感がして、ヴァイオレットは身を強張らせる。

「なんで、疑問を抱くとローズマリーにならなければいけないの?レンが何か悪いことをしたの? わ、悪いことって、なに?・・・私たちって、なに?アッシュさまの言うことをきかなきゃいけない理由って、な」
「カリン!!」

疑問の言葉が止まらなくなってしまったカリンの口を、ヴァイオレットは がばっと思い切りふさいだ。 息はできるように口の前に空間は作られているが、いつになく必死な様子のヴァイオレットにカリンは目を白黒させている。

「・・・・・・!」
「ダメよ、カリン!!なんてこと言うの、アッシュさまに聞かれたらどうするの!? わ、私だって、報告しなきゃならないじゃないの・・・絶対に、扉をくぐったらそんなこと言っちゃいけないわ」
「ヴィオ・・・」

そっと口から手を離されたが、カリンは怯えた様子でヴァイオレットを見つめた。 それを見てヴァイオレットは苦笑するように息を吐き出す。

「・・・大丈夫よ、私は言わない。聞かなかったことにしてあげる。でも、メイプルに知られでもしたらそのままみんなに広まっちゃうわ。 そうしたら・・・どうなるか、言うまでもないでしょ」
「・・・・・・」

カリンは目線を落として悲しそうに頷いた。

「・・・ごめんなさい、ヴィオ・・・どうしたんでしょうね〜、私・・・帰ったらすぐに、パッチ入れますから〜・・・」
「そうした方がいいわ・・・考えちゃダメよ、疑問持っちゃ、ダメ」
「・・・はい〜・・・・・・」

いつもの調子に戻ったかな、とヴァイオレットはカリンから目線を外して立ち上がる。そして手を合わせて湖の上にかざした。

「えいっ・・・と」

手を開くとそこには白く輝く空間ができており、そこから1メートル近くはある巨大なサカナが次々と飛び出す。 ドボン、ドボン、と大きな音と水しぶきを立てて魚たちは湖の中に消えていった。

「あら〜・・・?どうしてここにマグノリアを入れるんです〜?」
「ランフォルセが本当にここにあるんだとしたら私たち以外の・・・人間に、先に持ってかれちゃったら困るでしょ。この湖に入る者がいたら、食べてもらわないと」
「うふふふ、こわ〜い」

顔の前に握った手を当ててくすくすとカリンは笑う。 ヴァイオレットは湖の中をしばらく見つめていたが、先ほど着ていた黒い服を畳んで手に持つとカリンの肩を叩いて立つように促した。

「さ、一旦アッシュさまのお屋敷に戻るわよ。確かマグナフォリスは・・・」
「森を抜けたところですね〜、よぉーし、私のマグノリアに任せちゃってください」
「え・・・カリンのマグノリアって・・・」

勢いよく立ち上がり、カリンはバッと両手を大きく広げる。 二人の上に巨大な光る空間が出現し、そこから周りの木々と同じ高さはあろうかというサイズのカマキリが現れた。 ドン、とそれは着地して周りに風を起こし湖面も風にあおられて波立っている。

「・・・・・・」

ヴァイオレットは、口の中で ないわ、と小さく呟いて首を振った。

「さ、ヴィオ、乗ってください〜」
「イヤよ・・・小さくても気色悪いのに、そんな大きいなんてグロすぎでしょ・・・あ、動いてる、目が・・・間接が・・・」
「んも〜、こんなに可愛いのに〜・・・ね〜」

カリンはカマキリに駆け寄って腕をさすっている。そして腕のカマに両手をかけてぶら下がってヴァイオレットに呼びかけた。

「ほら〜、運んでくれるって言ってますよ〜」
「いいわよ・・・私は歩いていくから・・・」
「・・・・・・」

そう言って歩き出してしまったので、カリンはぽつりと呟いた。

「・・・昔は、おいしそうって言ってたのに」
「・・・・・・は?」

カリンの言葉に反応してヴァイオレットが振り向く。見ればしっかりとカマキリに抱っこされており、ヴァイオレットは見るんじゃなかったと少し後悔した。

「・・・なによ、私がなんて言ったって?」
「だから・・・初めて私のマグノリアを見たとき、おいしそうって・・・レンも言ってました・・・」
「そ・・・そんなこと、私言った・・・?」

カリンは寂しそうにこくんと頷く。顔をしかめて思い出そうとしたが、見上げたときにカマキリと目が合ってぞっとして後ずさってしまった。

「し、知らないわよそんなの・・・逆に食べられちゃいそうじゃない」
「でも・・・」
「とにかく私は歩いて帰るわ!私はソレに乗るつもりはないから、一緒に帰りたければ降りなさい」
「・・・む〜・・・」

頬を膨らませて不満そうに唸ったが、渋々カマキリの腕からするりと降りる。あら降りるのね、とヴァイオレットは意外そうに目を見開いた。

「木だって切りながら進んでくれるからラクチンなのに〜・・・」
「いや、それはいいから、早く戻しなさいよ」
「ん〜・・・」

振り返り、口元に人差し指を当ててカマキリを見上げる。カマキリは自慢のカマの掃除をちゃかちゃかと行っており忙しそうだ。

「・・・この子も置いていきます。いっぱ〜いふえて、森に来る人を食べちゃってくださいね〜」
「ああグロい・・・」
「ヴィオも人のこと言えませんよ〜」

あははは、と笑いながら二人は森の出口へ向かって駆けていった。取り残されたカマキリはそれを気にする様子はなく、反対側にのしのしと歩き出した。






「フィルくーん」
「・・・わ」

目の前の書類に集中していたフィルは、突然後ろから抱きつかれてよろめいた。 両肩の上に腕をのせられ書類が見えなくなってしまい、フィルはあきらめたように振り返る。

「なんですか、ニヒトさん・・・」
「あそぼ」
「・・・・・・」

腕を振り払い、眉間を手で押さえた。大分自分より年上のはずだが、どう育ったらこうなるんだと呆れて首を振る。

「シェリオから聞いたんですけど、もうすぐ神殿で祈祷のお時間なんでしょう?着替えもあるでしょうし、皆さんニヒトさんを探してらっしゃると思うんですけど」
「えー・・・行きたくない」
「ワガママ言わないの!!」
「ぅえ〜・・・」

ニヒトは面倒くさそうに、今度はフィルの頭に顔をのせてきた。これが世界の神官の頂点に立つ最高神官かと思うと泣けてくる。

カイが一人でバルカローレに行ってしまってから、フィルはシェリオに家に招かれていた。

ソルディーネ家はメヌエットの中でも由緒正しい家柄だったが、次期当主の予定だったエバがいなくなってしまい、ニヒトは最高神官に選ばれたため跡を継げず、 元はニヒトに保護されるように引き取られたシェリオが当主をつとめている。

セレナードでの話し合いが一段落し、今はフォルテもこの家に来ていた。

「何読んでるの?」
「え・・・いや、別に・・・」
「そういや昨日、フィルくんが一人で出かけるの見たけど、どこに行ってたの?」
「・・・えと、ちょっと散歩に」
「ふーん・・・まあいーや、ねえ遊ぼうよ〜」
「・・・・・・ちょっとだけですからね」

こうやってシェリオもニヒトを甘やかしたんだろうか、と思いながらも重い腰を上げる。ニヒトはカードゲームが好きなようで、トランプを棚から取り出した。

わーい、と無邪気に喜ぶニヒトに苦笑しながら手際よくフィルは札を配る。迎えの人が来るまで遊んであげるか、とゲームに集中することにした。

とは言ってもババ抜きなので、戦略も何もあったものではない。しかしニヒトはそれでも終始楽しそうで、フィルは小さな子供と遊んでいる気分だった。

「ちょっと待って、混ぜるから」
「はいはい」

手札をシャッフルし、そっとフィルの前に5枚のカードを差し出す。多分コレがジョーカーだろうなと思いながらもたまにそれを引いてあげていた。

そんな遊びにしばらく付き合っていたが、やがて部屋に向かってドドドドという大きな足音が近づいてきた。

「ニヒトさん!やっと見つけた!!」

部屋に駆け込んできたのはシェリオだった。手には重たそうな神官の衣装が握られている。それを見てニヒトは嫌そうな顔をして身を縮こまらせた。

「えぇ〜・・・やだ、行きたくない〜・・・」
「遅刻ですよ遅刻ッ!!出発予定時刻を30分も過ぎてます、身支度は道中やりますから早く出て!!」
「フィルくんと遊んでるのに〜・・・」

と嫌がるニヒトを はい、と両腕を掴んで立ち上がらせ、無理やり扉の外に押しやる。 慣れたもんだなあ、とフィルはその様子を感心して眺めていた。今や最高神官にこのような態度を取れるのはシェリオだけだろう。

ニヒトが召使たちに囲まれ連れて行かれるのを息を切らせながら見送り、ようやくシェリオはフィルに向き直った。

「はー・・・どんだけ大勢に迷惑かけるか、全然わかってくんないんだもんな・・・」
「ははは・・・ゴメン遊んじゃってて・・・」
「いーよ、ニヒトさんがどうせ無理言ったんだろ?ホントでっかい子供だよ・・・」
「あははは」

やれやれと首を振るシェリオにフィルは思わずふき出す。そしてテーブルの上のカードを片付け、端にやっていた書類を集めた。

「なあ、フィル・・・」
「ん?」

シェリオは少し言いづらそうにフィルの頭に口を寄せる。

「・・・ずっと、見張られてるんだけど・・・あれって、フィルと一緒に来た人たちだよな?」
「あ、うん・・・」

部屋の扉は少し開いており、そこからする人の気配にシェリオは気づいていた。

「まだ疑われてんの?フォルテを殺したとか、シャープ姫をさらったとか・・・」
「ううん、その疑いはみんなのおかげでほとんど晴れたよ。でも・・・」
「でも?」

フィルはシェリオに向かって書類を差し出した。字がびっしりと書き込まれているその紙は、報告書のようでシェリオは目を丸くする。

「・・・なんだ、これ・・・朝7時15分・・・食事の様子・・・会話した人、会話の挙動・・・あ、俺の名前もある・・・。もしかして、フィルがとった行動・・・か?こんなに細かく・・・」
「うん・・・まだ試験的なんだけど・・・ほら、前にシェリオの前でも起こったでしょ。
ぼくが突然豹変してどこかに行っちゃうっていう事件が」
「あー・・・」

あの時は何がなんだか分からなくて、それでもレックに言われたとおりにフィルを逃がさないために床に押さえ込んで、 ナイフみたいなので刺されそうになって・・・と、シェリオは一連の出来事を思い出した。

「あったなあ・・・あのとき、フィルは、フィルじゃなくなってたな」
「・・・だよね。シェリオなら分かるよね。・・・ぼくではない誰かが、ぼくの体を使って何かをしてる。それと、この前の婚約式の途中でいつの間にかいた「アッシュさまのお屋敷」・・・。
全部を繋ぎ合わせると恐らく、ぼくは「アッシュ」って人に体をのっとられてるんだと思う」
「・・・・・・」

書類に向けられているフィルの視線は非常に鋭い。シェリオは腕を組んで、テーブルに寄りかかった。

「のっとられてる、か・・・じゃあ今ここにいるフィルが、突然「アッシュ」になる可能性は?」
「あると思う。前兆なんてなく、いつも突然だから・・・でも、この報告書のおかげで少しわかってきた」
「?」

書類をテーブルに広げて指でなぞり、シェリオもそれを目で追う。時間が書かれている欄を見ると、それは真夜中だった。

「見張りは全部で12人。みんな父さんが連れてきてくれた信頼できる人たちなんだけど、ぼくのことを24時間見張って、いなくなったら手分けして探して、 建物の外に出てしまったら声をかけたりせずにあとをつけて何をしていたかだけ見てほしいって言ってあるんだ」
「12人もいるのかよ・・・」
「1日中の見張りをお願いしてるからね〜・・・今ぼくは普通だけど、それでも話しかけないようにお願いしてある。 必要があったら、合言葉を言ってから話しかけるようにって。ぼくの方から話しかけるときもそう」
「ふーん・・・俺はどうすればいい?」
「え、シェリオに合言葉?」

書類を指差したまま、フィルは目をきょとんとさせる。

「シェリオは分かるからいいでしょ」
「あー、うん、まー・・・」
「で、ぼくを尾行してもらった結果、かなりの時間ぼくは外に出てることが分かった。深夜、時間をかけてあちこちに出かけては・・・「光の柱」を作ってた、って」
「光の柱・・・!?」

シェリオは、以前レックやアリアと調べた光の柱のことを思い出した。 目の前でメイプルとヴァイオレットが自分たちで出した動物たちを切り裂いてからいなくなってしまったことは衝撃的だったため、その光景ははっきりと記憶していた。

「あれを・・・作ってたのが、フィル・・・というか、フィルを操ってた奴だって・・・!?」
「そうだったみたい・・・最近、そのぼくの体を使って行動することが段々慣れてきたのか、慎重になってきたみたいで・・・ぼくに気づかれないようにしてるみたいだね・・・」
「だから真夜中を選んでるってことか・・・?この日は、夜だけで3回も・・・」

夜中に人目につかないように外出したことが書類に記されていた。二つは扉から、一つはなんと窓からだったようだ。

「・・・ぼくもやられっぱなしじゃイヤだから、こうやって調査してるんだけど・・・父さんが・・・」
「父さんって・・・カイ王子か?」



    


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