レックの呼びかけに、返答はなかった。窓からは夜の冷たい風が吹き込んでくるだけで物音一つしない。 レックは片手をバルコニーの柵にのせて寄りかかっているレンの顔を覗き込んだ。

「・・・・・・え、寝ちゃってる」

小さく寝息を立てて、レンは立ったまま眠ってしまっている。こんなところで寝たら風邪をひく、と慌ててレンを起こそうと肩を叩いてから体を引っ張った。

「おーい・・・お、おおお・・・?」

体を柵から引き離して起こしたつもりが、なんとレンは立った姿勢のままでも目を覚ましていない。 寝たふりをしている様子ではなく、それでもなぜか倒れそうにもならずに寝入っている。

どの方向に倒れても大丈夫なように構えたまま、思わずその様子を観察してしまった。

「な、なんで倒れないんだ・・・?揺れもしないし・・・って、それどころじゃない、ベッドで寝かさないと」

背中を自分の方に押して倒れさせて受け止め、そのままレンの体を抱え上げる。ここに来るときに抱っこしていたときも思ったが、つくづく体重が軽い。

あれだけ食べたのにどうなっているのか、疑問に思いながらもベッドに運んだ。一度ベッドに置いてから靴を脱がせ、布団を掛けるために持ち上げる。

「・・・・・・・・・う・・・?」
「あ、起きちゃったか」

片目を手の甲でこすり、レンは眠そうな声を上げた。そのまままた寝るのかと思いきや、むっくりと起き上がった。焦点の合っていない目でレックを見つめている。

「・・・・・・」
「お、起こしちゃってゴメンな。そのまま寝てていいぞ」
「・・・寝るの?・・・レグルス」
「レ・・・・・・」

今日一日その耳慣れない名前でばかり呼ばれていたが、レンにまでそう言われてレックは戸惑った。 そして、そういえばレンの名前だけ聞いて自分からは名乗らなかったということを思い出す。 レンの世話を任せていた人たちから自分の名前を聞いたとしたら・・・と、レックは嫌な予感がした。

「レン・・・俺の名前、あの人たちから教えてもらったのか?」
「うん。みんな「レグルスさま」って呼んでたよ」
「・・・そーだね」
「レグルスって名前じゃないの?」
「いや・・・・・・」

どうしたらいいのか分からず、本気で考え込んだ。祖母のカンナがつけてくれた、レックという名前を貫き通すべきか。 レグルスという名前は、もしかしたら母がつけてくれたものなのだろうか。姉のキリエが自分をレグルスと呼んでいたということは、幼少時はその名で呼ばれていたのかもしれない。 これからレグルスと呼ばれることが多くなるのなら、レンにもそう名乗るべきなのか。レグルスではなくレックだと否定し訂正を求めた場合、レンにどう説明すればいいのか。

―考えに考えること数秒。

「・・・うん、ごめん。・・・レグルスでいいよ。多分、ばあちゃんもその名前を元につけてくれたんだろうし・・・」
「なにを?」
「いや・・・それより、大事な話をするから。ちょっと聞いてくれ」
「?」

レンに関する責任を取るとは言ったが、今後の自分の行動について説明しなければならなかった。

「さてと・・・起きてくれて丁度よかったな。レン、突然だけど俺は明日、どこかにいるっていう“聖獣”についての情報を集めに行かないといけなくなったんだ」
「せいじゅう?」
「そう、すごく大きな・・・えーと、体は白くて赤い翼がある獣・・・だったかな。それを探すの」
「ふーん・・・」

今度はレンが考え込んでしまった。レンが何と言うか想像がつかず、レックはレンの言葉を待つ。

「情報を集めるって、どうやって?二人だけで?」
「え・・・」

二人ということは同行する気だと分かったが、効率よく探そうとしてくれていると何となく分かり、思わぬ反応にレックは少し嬉しくなった。

「・・・えと、とりあえず聞き込み?カイさんが見せてくれた本があった村の近くまで行ってみて」
「もう少し、そのカイって人に詳しく聞いてから行動したほうがいいんじゃない?」
「う・・・ん・・・?」
「闇雲に外に出ても、大した成果は得られないと思うよ。時間が限られてるならなおさら慎重に行動すべきだと思う」
「は・・・はい・・・」

さっき目をこすっていたときはまるっきり子供の仕草だったのに、いつの間にか完璧に論破されて諭されてしまっている。

「・・・本当は明日の朝、ここを抜け出そうと思ってたんだけど・・・うん、分かった・・・カイさんにもう1回相談してみる・・・」
「それがいいと思うよ」
「ありがとう・・・ございます・・・」

ますますこの子はなんなんだ、とレックは少し不気味に思ってしまったが、 確かに今は自分には冷静なアドバイスも必要だったなと進言を有り難く頂戴することにした。

「じ、じゃあ、今日はもう寝るか」
「そうだね」

そう言って、レンはベッドから出ようと布団をまくる。矛盾した行動に、レックは目を瞬かせた。

「・・・どこで寝る気なんだ?ベッド広いから、並んで寝られると思うんだけど・・・」
「・・・・・・」

床に下りたところでレックにそう言われ、今度はレンがきょとんとする。

「・・・そこは、眠る場所なの?」
「お、おう・・・?ベッド、だろ?これが布団、これを体の上にかけるために体を横に倒して、目を閉じて眠る・・・だろ、普通人間は・・・」
「・・・・・・」

なぜ人間の普通を言葉で説明しているんだろうと自分でもよく分からなかったが、それだけ言い切った後は黙ってレンの行動を待った。 しばらくじっとレンや布団を見ていたようだが、何かに納得したようにまたベッドに戻ってきた。

「うん。分かった、ここで寝る」
「そ・・・そうか、よかった。おやすみ」
「おやすみ」

素直に隣に体を倒して丸くなってくれたので、レックは安堵の息を吐き出して布団をレンに掛ける。 レンが何者なのか、一緒にいて大丈夫か不安がよぎったが、それはセルシアとキリエを救った後に考えることにしようと考え、無理やり眠るための努力を始めた。



「レック?レックー・・・ダメだ、聴こえてないみたい・・・寝ちゃったのかな?」



次の日、朝早くにレックはレンに少し待っててと頼んで部屋から出てカイを探した。

連絡をあらかじめしてから来たのか突然の来訪だったのかは分からないが、 カイはバルカローレの王宮の中でも最も豪華な部屋に泊まっていたようで3人もの連絡係に取次ぎに取次ぎを頼んでようやくカイに会うことができた。

やっぱりここでもすごい扱いなんだな、と自分の立場をすっかり忘れてレックは納得する。 部屋に招き入れられ、部屋の豪奢さに圧倒されながらも時間がないことを思い出し、カイへの相談を開始した。

「あの、カイさん・・・」
「やあレック、おはよう。ゆっくり眠れた?」
「え、あ、はい・・・ええと昨日・・・あ、先にこのことを言った方がいいか・・・」

ここに来た理由の一つである助言をくれたレンについて先に説明した方がいいと思い立つ。 レックはバルカローレに来る途中でレンを拾ったこと、その体の半分が非常に冷たかったこと、彼はいまいち一般常識を理解していないこと、立ったまま眠っていたことなどを話した。

そのレックの話を、カイは終始興味深そうに聞き入っていた。

「ふーん・・・その食事のとき、手は使おうとしていた?」
「ええと・・・いや、確か直接口でいこうとしてましたね・・・あと、水を飲むときもコップを持とうとしなかったらしいです」
「足を使おうとした?」
「あ、あし?いや、椅子に座ってたので見てなかったですけど・・・」
「なるほど・・・」

なんで食事で足なんだ、とレックはカイの質問の意図が全く分からなかった。レックの疑問をよそに、カイは部屋の奥からガサガサと何かを引っ張り出す。

「ま、その子・・・レンのことはまた追々考えるとして、今はレックの悩みを解決しようか」
「な・・・なんですか、これ・・・」

カイの手には白くて短い髪の小さな人形がのっていた。手のひらにおさまるサイズで、重力に逆らわず手足を垂れているため、やわらかい素材でできているようだ。

差し出されていたのでレックはその人形を人差し指でつついてみた。

「・・・なにでできてるんですか?」
「えーとね・・・リアン殿が材料を用意したからなあ・・・確か、光の力を多く含む、鉱石から作った砂・・・だっけ?」
「光の力?」
「そ、これは光の力で作られた人形なんだ」
「確か、光の魔法って禁止されてた・・・んですよね?歴史で習ったことがあるんですけど・・・」
「うん、よく覚えてるね。でもその魔法にリアン殿は長けてらっしゃるんだよ。それがなぜか」
「なぜ?」
「・・・は、いま置いておくとして」
「気になるんですけど・・・」

肩を落としつつ、意味もなく人形をぷにぷにとつつく。石や砂からできているとは思えないほど、程よい弾力を感じる。

「この額の星マークを指で押してごらん」
「はい・・・」

カイが片手で持って人形をこちらに向けたので、レックは言われたとおりに人差し指を伸ばした。人形の額には赤い星の形の模様が入っている。

そこにレックの指が触れると、人形は強く輝きだした。

「な・・・っ!?」

眩しくて目を閉じたが手を引っ込めていいのかは分からず指はそのままだった。人差し指からはなぜか慣れた感触が伝わってくる。

レックは恐る恐る目を開けた。

「お、俺?!え、なんで?!」

目の前に、もう一人自分が立っている。指が服越しにお腹に触れていたので慌てて手を引っ込めた。

「これは触れた者の姿を映す人形。完璧にレックと同じ姿だね、よしよし成功みたい」
「俺で試したんですか!?・・・え、人形?触っても大丈夫ですか?」
「どうぞ。人形だから内臓はないし血は流れてないけど、触る分には人間と同じ感触だよ。やわらかいでしょ」
「・・・・・・」

内臓だとか生々しいことを言われると少し怖かったが、恐る恐る自分ソックリの目の前の人物に改めて手を伸ばす。 まず手を触ってみたが、自分の手より少しだけ温度が低いだけでまるで人間だった。

服や髪、頬などを触ってみたが、人形だからか特に反応はしなかった。目はどうなってるんだろう、ガラスとかだろうかとまじまじと覗き込んでみる。 さすがにそこは触るのはやめておいた。

「・・・これ、しゃべれるんですか?」
「一応ね。決められたことしかしゃべれないけど」
「決められたこと?」
「うん、挨拶とか言うべきことを教えておけば応対はできるよ。でも、自我は持ってない。リアン殿が、そこは気をつけて作ったって言ってたよ」
「自我を・・・なんで気をつけるんです?」

徐々に慣れてきて、人形の頭をわしわし撫でながら尋ねる。自分と同じ色の目は、撫でている自分を見つめていた。

レックの質問に、カイは少し考えてから腕を組んだ。

「その人形は、大昔の光の魔法の技術を合わせて作ったものなんだって。教えた言葉を話すもの、使用者の姿を映すもの。でもそれぞれの元の機能を、努力して削ったとリアン殿は言っていたよ」
「元の機能を・・・削る?それが、自我ですか?」
「そうなんだろうね。削るのには苦労したらしい。でも今出来上がったレックそっくりの人形は、レックの変わり身としてここに置いておくには最適なんじゃないかな」
「なるほど・・・!」

レックは目を輝かせ、人形の肩に手を回す。肩を組まれた人形は、ちらりとレックに視線をやった。

「昨日の説明だと俺はそこに建ってたり座ったりしていればいいだけで大したことを求められてないみたいだったし、頷いたり首を振ることを教えておけば俺としての応対は完璧ですね! 俺が部屋から出るための対策を練ってくれてたなんて・・・!カイさん、本当にありがとうございます!!」

人形の挙動を観察しながら、カイは頷く。

「うん、役に立ってよかった。でも廊下を歩いて部屋まで人形を持っていくには目立つから、一度もとの姿に戻してからもう1回姿を映した方がいいね」
「あ、そうか・・・戻すって、どうやるんです?」
「ふふふ・・・」
「・・・はい?」

なぜかカイは嬉しそうに笑い出した。

「この、人形に戻す機能は私が改造したんだよ!かつては合言葉を聞かせて初期化するという 姿を映した本人以外によっても発動するかもしれない不確かなシステムだったところを、私がもっと安全に便利に改良したんだ!」
「は、はあ・・・」

なにがなんだか分からないしよく分からない単語も飛び出したが、リアンに頼らず作れた部分を自慢しているんだろう、ということだけは何となく分かった。

「最初にレックが人形にかけた声が人形に登録される。その登録した人物の声で話しかければいいんだ。言葉は何にしようか悩んだけど、ストレートに「ありがとう、戻って」にしてみたよ」
「簡潔ですね・・・じゃあ、俺が今そう言えばいいんですか?」

こくこくとカイが頷くので、レックは当然ながら自分と全く同じ高さにある目を見つめ、息を吸い込む。 いいよな?と何となく目で合図をしてみたが、人形はレックを見つめたまま特に反応はしなかった。

肩に手をかけて、耳に口を近づける。

「・・・ありがと、戻って」

その声が耳に届いたのか、人形はまた強い光を発して見る見るうちに縮んでいった。空中に残った人形にレックは慌てて手を伸ばしてキャッチする。

さっきまで目の前にいた自分のそっくりさんは姿かたちもなくなっていた。

「よし、大成功!あー、もっと挙動が見たいな。レックの部屋に行って観察しててもいい?」
「構いませんけど・・・ちゃんとこれ、テストしたんですか?大丈夫なのかな・・・」

急に勝手なことをしたり暴走したりはしないのだろうかと、突然不安になってしまった。自分と同じ姿だからこそ、想像してしまう悪い状況が不気味である。

レックは人形を手に乗せたまま顔をしかめていたが、カイは安心させるようにレックの背を叩いた。

「平気、魔法の力だけでできているのならば私も不安だけど、私が手を加えた部分があるからね。 周囲に危害を加えようとすることは絶対にないよ。そんなことをするぐらいなら、自ら動かなくなるように壊れるようになってる」
「・・・それは」

それはそれで、怖い。
と思ったが、カイがあまりに自信満々に語っているので言えなかった。

「あと私が手を加えたのは、記憶に関するシステムなんだ。この人形の元になった技術では一度消えた記憶は完全に消えてしまったんだけど、 なんと一度覚えさせたことは3人までは人形に戻してもまだ覚えてるんだよ。4人目の姿を映した瞬間に一番古い1人目の記録は消えちゃうけどね。 例えて言うならアレかな、セーブデータを3つまでとっておける、でも4つ目を作るなら一つ消さないといけない、みたいな感じ」
「・・・すみません、全然分からないです」

カイの口から次々に飛び出す単語のほとんどの意味が分からず、レックは理解することを途中であきらめた。

部屋に戻る間に人形を誰かに見られてたずねられては厄介なので上着の中に隠しながら歩き、 その間もカイの語りは全く止まる様子を見せずレックはやれやれとゆるく頭を振った。



    


inserted by FC2 system