レックは、ずっと不服そうな表情を浮かべたまま馬車に揺られていた。左右に護衛の青年に挟まれ、向かいにも二人の従者が座っている。 ガタゴトとたまに大きく揺れる馬車にたまにわざと大きくため息をついて不満をあらわにするが、 一緒に馬車に乗っている人たちは淡々とした様子で視線も動かさず、レックに声をかけることもなかった。 レックはセレナードの北のバルカローレ国行きの船が最も多く出ている大きな港がある町に向かう馬車に乗せられている。 かれこれ2時間は経過しているが、一度小休止を挟んだだけで馬車はひたすら北に向かっていた。 「おい」 腕も足も組んで下を向いたままのレックは、低い声で周りの人に呼びかけた。 誰が呼ばれたのかも分からないので誰も声は発さず、またレックも特定の誰かに呼びかけたわけではなく、 誰とも目を合わせることなく話し出した。 「・・・ばあちゃんを連れてくことないだろ。そのほうが俺が素直に行くと思ったんだよな。 恥ずかしくないのかよ、そんな卑怯なやり口。俺はちゃんと大人しく連れて行かれてるから、 計算どおりだよな、よかったな」 めいっぱい皮肉を込めて言うが、全員レックを見ているものの誰も何も言わない。 ますますレックはいらついて、足を組むのをやめて両膝に手をバン、と置いた。 「あーもう!!俺の気持ちも考えろ!!なんなんだよ!!もー!!」 と、やけになって叫んでも、誰も反論もしてくれない。 それでもレックは頑張ってぶつくさと聞こえるように愚痴をこぼしたが、それでも反応はなかった。 なんだかもう虚しくなってきて、今度は両手で顔を覆った。 「ちくしょー・・・知るかよそんなこと・・・なんだよ、もー・・・」 そのとき、頭の上から声が降ってきた。 「申し訳ありません」 「へっ」 顔をばっと上げて周りを見回すが、もう誰もレックの方を見ていなかった。それぞれ無表情でまっすぐ前を見ているだけである。 「・・・ちょっと、今の誰?」 「・・・・・・」 「おい!」 言わない気だな、とレックは頬を膨らませてまた腕組みをする。 だが先ほどより幾分か機嫌は直っていた。 あきらめて大人しくしてるか、と改めて馬車の中を見回し、ふと窓の外に視線を移すと、道の脇の草むらに布のようなものが見えた。 レックは目を見開き、隣に座っている青年の腕をバシバシ叩いた。 「お、おい!ちょっと止めろ!誰か倒れてる!!」 低い天井の馬車の中で立ち上がり、御者にも声をかける。 「おーい!止めろ!!止めろってば!!」 そのまま扉を開けて飛び出さんばかりだったため周りの人は焦り、 一人はレックをおさえてもう一人は御者台に向かって指示を出した。 すぐに鞭を振るう音が聞こえ、ゆっくりと馬車は停止した。 少しおくれて、レックが乗っていた馬車の前を走っていたもう一台も止まる。 今度こそレックは外に飛び出し、大分後方になってしまった先ほど人が倒れていた場所に走った。 その後ろをあわてて護衛たちも追いかけていく。 レックは息を切らせて深い草むらを見回しながら速度を落とした。 確かこの辺りだった、と腰を落として目線を低くする。 「あ・・・」 数メートル先に、紫色の布が見えた。最初は助けないとという一心だったが、もしかして死んでるのかも、と恐る恐る近寄っていく。 「・・・・・・!」 確かに見間違えではなかった。うつ伏せになって、黒い髪の子供が倒れている。 生きてるかな、とレックはしゃがみこんだ。伸ばされている方の手をそっととり、体温を確かめる。 「つ、冷た・・・!!」 氷かと思うほど冷たい手だった。そのとき、丁度レックを追いかけてきた二人の護衛がそばまでやってきた。 「ど・・・どうしよう、すげえ冷たい・・・」 「・・・・・・」 もちろん護衛の青年たちにもどうすればいいかなど分からず顔を見合わせている。 髪の毛や服にはほとんど汚れがないようだったが、とんでもない死体だったら・・・と思いつつ、レックは冷たい手を引っ張って肩を押してひっくり返してみた。 「ん・・・?」 目を閉じているその顔には外傷がほとんどなく、見た感じは冷たくはなさそうである。そっと頬を触ってみると、手とは違ってとても暖かかった。 その体温にレックは顔を輝かせる。 「おい、死んでないぞ!・・・よいしょ」 膝の下に手を入れて肩を抱いて抱え上げた。それを見た護衛の青年は、えっ、と声を上げる。 「・・・どうなさるんですか?」 「は?倒れてたんだから助けるに決まってるだろ!見捨てる気か?!何考えてんの!?」 「あー・・・それではここから最寄の村に・・・」 「ダメ!!」 レックはお姫様抱っこしている手に力を込めてそっぽを向いた。 「この子は連れてく。俺が面倒見る。・・・いいだろ、俺はちゃんとバルカローレに行くんだから」 「・・・・・・」 二人の青年はまた困ったように顔を見合わせた。やがてあきらめたようにため息をついて、頭を下げる。 「・・・かしこまりました。では出発しますので、お戻りください」 「よーし!」 座席に戻ってからレックは回収した子供の状態を確認したが、最初に触った右手は肩まで氷のようにカチコチだった。 しかし、もう片方の腕は異常はなく、やわらかく暖かい。倒れているときに触らなかった右頬は少し冷たかったが、もう片方はまるでカイロのようにホカホカ。 凍死したにしては不自然だし、そもそも倒れていた場所は凍死するような気候ではない。 何とか意識が戻らないかとレックは冷たい箇所と暖かい部分の境目をさすり続けた。 船に揺られている間も頭を膝にのせてたまに肩を叩いて呼びかけ、また船から下りて馬車に乗せられるときもしっかり抱えて同じ席に乗り込んだ。 そうこうしているうちに、ついにレックが連れ去られた目的地であるメルディナ大陸の一番北にある島国、バルカローレの首都カドリールの王宮に到着した。 大勢の上品な身なりの大臣やら貴婦人やらが出迎えの列を作っており、そこをレックは誰の顔も見ることなく誰にも声をかけずに、 拾った子供を抱っこして歩いて王宮内に入っていく。 抱っこしているのは誰なんだろう、と小さな声がいくつも聞こえてきたが全て無視である。 レックを出迎えた偉そうなおじいさんたち、レックは知らなかったが元老院の最高地位にある人が、案内されて歩いた奥の大きな部屋で待っていた。 「お帰りなさいませ、レグルス様」 「・・・誰だよ、レグルスって。俺はレック。いいから、ばあちゃんはどこだよ」 「カンナ様は神聖光使様のお部屋に居られます。レグルス様にはまずご説明を」 「・・・・・・。」 やけになってまたわめき散らしそうになったが、もうバルカローレまできてしまったのだから、とレックはイライラを制して大人しく従うことにした。 「まず、レグルス様のお部屋は3階にございます。案内係、レグルス様をお部屋に」 「・・・すぐ帰るんだからお部屋なんかいらねーよ」 不貞腐れながらもレックは司祭の格好をしたおじさんの後ろをついて歩いた。さらにレックの後ろからついてきた前を歩く人と同じような服装の青年がレックに声をかける。 「・・・その、お人は誰ですか?具合が悪いのでしたら救護室にお連れしますが」 「ん・・・ありがと。でも俺が拾ったからには俺がちゃんと面倒見ないといけないから」 「ですが・・・階段を上りますので、その間だけでも私が替わりましょう」 「・・・・・・」 どうしようかな、と少し迷ったが、せっかく申し出てくれているし正直何時間も抱っこしたり寄りかからせたりしていたため少々疲れていた。 素直に預けることにし、今から案内されるであろう自分の部屋という場所にとりあえず寝かせよう、と考える。 「うん・・・じゃ、お願い。この子すごく軽いから、落とさないようにだけ気をつけて」 「かしこまりました・・・わ、本当に・・・」 軽い、と青年は驚いている。見た感じの年齢はレックより2、3歳ほど下の子供だがとても軽く、ここに来るまでの間もずっと胃に何も入っていないのかもしれない、 目が覚めたら早く何か食べさせたい、とレックは考えていた。 せっかく生きているところを助けたのに、寝ている間に飢え死んでしまっては大変である。 広い階段を上り、これまた広い廊下を歩き、さらに大きな扉が開かれ、その部屋の中を見てレックは呆然とした。 「なにこれ・・・ひっろ・・・」 「こちらがレグルス様のお部屋でございます。長旅でお疲れでしょう、今食事をお持ちしますのでそれまでごゆるりとおくつろぎくださいませ」 「い、いや、あの・・・」 おじさんはレックを部屋の中に入れ、自分は外に出て一礼をして扉を閉じてしまった。 「この方はどのようにいたしましょう」 「あー・・・うん」 子供を抱っこして連れてきてくれた青年がレックに声をかける。しかしレックはまだ部屋の豪華さに圧倒されてしまっていた。 「あのさ・・・この部屋にあるの、全部俺が使っていいの?」 「はい、このお部屋のものはすべてレグルス様のものです」 「だからそのレグルスって・・・まあいいや、それならあのバカデカいベッドも俺が使っていいんだよな。じゃ、その子をあれに寝かせよう」 二人で部屋の奥まで行き、そっとベッドに横たえた。しかし身じろぎどころか何の反応もしない子供に少し不安になり、口元に手を持っていく。 そこからは確かに呼吸をしている空気の流れを感じて、さらに皮膚の暖かさも伝わり、安堵した。 「では、私はこれで」 「え、行っちゃうの?」 「レグルス様の案内が私の役目でしたので」 「・・・はー、うん、わかった・・・運んでくれてありがとー・・・」 「・・・失礼いたします」 レックの様子を見て少し残念そうにしながら、青年も深々と頭を下げて出口に向かう。扉の前でまたお辞儀をして、扉を開いて部屋から出て行った。 取り残されたレックは、改めて部屋を見回した。 天井には何キロあるのか想像もつかない巨大なシャンデリア、植物を模した彫刻が施された机の上には金ぴかの燭台、宝石が埋め込まれた銀で縁取られた巨大な姿見、 壁には何枚か風景画が飾られており、窓も飾り棚も豪華絢爛で、なんだか息苦しくなる。 「こんなので絆されると思ったら大間違いだぞ・・・早くばあちゃんとコンチェルトに帰るんだ」 最初の目的を見失うな、と自分に言い聞かせる。 レックがこんなところへ来ることになってしまった発端は数日前。ジェイドミロワールによる連絡がバルカローレから入ったことだった。 カイから聞かされた連絡の内容とは「バルカローレ国がレックを必要としている、すでに祖母のカンナはバルカローレへ到着した、すぐに来るように」という レックの意思を無視した非常に一方的な内容であった。 そんな遠い国がどういう理由か知らないが自分を必要としようが応じるつもりはなかったが、祖母が連れ去られているとなれば話は別である。 祖母をコンチェルトに連れ戻すため、レックはセレナードにまで迎えに来た人たちと共にバルカローレへ向かうしかなかった。 要人扱いされてこんな豪華な部屋をあてがわれても決意が揺らぐことがあってはならない。部屋に何か仕掛けられていないか異状はないか、調べることが先決だった。 「・・・にしても広い部屋だな・・・」 あまりに広すぎて落ち着かない。部屋の端から端までは、普通の大きさの声で話しても聞こえないぐらいの距離がある。 床や額縁の裏、ベッドの下などを調べきり、特に何も見つからなかったのでどっかりとベッドに腰を下ろした。 「・・・ん」 その衝撃でなのか、道中拾った黒髪の子供がわずかに身じろいだ。目を覚ますかもしれない、とレックは期待して子供を見下ろす。 「・・・あ、手が暖かくなってきてる・・・起きるか・・・?」 ぎゅっと強く目をつぶり、うーん、と小さく声を上げてから、うっすらと目を開いた。レックは目を輝かせて頭をなでながら呼びかける。 「おおー!!大丈夫か、よかった、生きてたんだなー!!」 「うぅ・・・」 軽く頭を振って、薄目を開けた状態で周りを見回した。そして、自分を覗き込んでいる人物に気づいて不安そうに尋ねる。 「え…ここ、どこ…?」 「えっと、道で倒れてたから連れてきたんだけど・・・ここはバルカローレ国のお城の一室だよ。 カチコチに凍っててすごく冷たかったから死んでるんじゃないかって心配してたんだぞ。お前、名前は?」 話しているレックの様子をずっと観察していたが、その様子はずっと怯えているようだった。急に色々言ってゴメンな、とレックはまた頭をなでる。 「ぼくは・・・レン・・・」 「レン?そっか・・・家は?家族の人が心配してるだろ、連れてってあげるよ。」 「家・・・?」 「住所、覚えてない?家はセレナードだろ?船に乗せてつれてきちゃったからさ」 「セレナード・・・?」 「・・・・・・あら?」 どうも思った答えが返ってこないと気づいて、レックはとりあえず話題を変えることにした。 「えっと・・・そうだ、とりあえず腹減ってるよな。食事を持ってくるって言われてるから、そろそろ来ると思う。催促してくるからちょっと待ってて」 「あ・・・・・・」 レックはパッとベッドから離れて出口の扉まで走っていく。そして扉を開けようと手を伸ばしたとき、扉がコンコンとノックされた。 「レグルス様、お食事をお持ちいたしました」 「うわ、ナイスタイミング。開けるぞー」 開かれた扉から、大きなワゴンにのせられた大量の料理が部屋に運び込まれていく。テーブルに皿やナイフとフォークなどが並べられ、湯気を立てた料理が順序良く置かれた。 「・・・すごい量だな」 「レグルス様の身辺の管理は特に厳しく承っております。お口に合わないようでしたらすべて作り直させていただきますので」 「全部?バカだろ・・・」 思わず本音が漏れてしまった。この大量の食物を無駄にするなど、レックには考えられないことである。それほどまでしてこの国に自分を縛り付けておこうとしていることがわかって少し不気味だった。 「給仕をいたしましょうか?」 「・・・いーよ、一人でやるから」 「かしこまりました。外に数名を待機させておきますので、御用の際は何なりとお申し付けくださいませ」 「はいはい、いただきます」 手で外に早く出て行くように促す。扉が閉められる直前、召使の男性がくるりと振り返った。 「お食事の後、詳しい説明があります。それまでどうぞおくつろぎくださいレグルス様」 「だから誰だそれは・・・」 自分のものではない名で呼ばれるたびにいらいらすると共に脱力する。やっと部屋から人がいなくなり、レックはレンがいるベッドへ駆け寄った。 「ほら、なんかおいしそうなのが来たぞ。とりあえず食べようぜ、レン」 「・・・・・・」 レンはまだ警戒している様子だったが、料理が置かれているテーブルをじっと見つめながらそっとベッドから降りる。 椅子を引いてやり、本来はレックが座るのであろう場所、料理の真正面にレンを座らせた。 「・・・・・・!」 先ほどまで無気力だったはずだがテーブルを見下ろして料理を見回しているレンの視線はとても熱く、やっぱりお腹すいてたんだなとレックは納得する。 「全部食べたっていいよ。どれから食べる?・・・これ?」 指差されたステーキを二つのフォークで皿に移した。それに直接口で食いつこうとしたので、レックはレンの頭を手のひらで止める。 「・・・ストップ。これとこれを使って、肉は小さく切ってから食べなさい」 「・・・・・・。」 薄々、普通の子供と何か違うことを察していたレックはレンが異様な食べ方をしそうになってもそこまで驚くことはなかった。 年齢は自分より少し下ぐらいに見える少年だったが、どうにも違和感がある。さて食事の間になにを尋ねるかなとレックは頭をかいた。 ほらこうやって、とナイフで肉を切るところを見せるとレンは納得したように頷く。左手にフォークを持たせると、それに肉を刺してレンは食べ始めた。 器用に左手だけで食べているが、右手はだらんと伸ばしたままで動かそうとしない。それを見て、レックは少し遠いところから質問しようと考える。 「レン・・・どうして草原で倒れてたのか、覚えてる?もしかして空腹で行き倒れた?」 「倒れてた・・・」 もぐもぐ、と肉を咀嚼しながらレンは思い出すように視線を宙にさまよわせた。 「ぼく、倒れてたの?」 「うん。怪我もしてないみたいだし血も出てないのに倒れる理由って腹減りぐらいかなー・・・って」 「・・・・・・」 何かを思い出そうとしているようで、天井を見上げてからぎゅっと目を閉じた。それでも もごもごと口は動かしたままである。 「今は食べることに集中して、無理に思い出さなくても」 「ぼく・・・分からないんだ」 「ん?」 いつの間にかレンの赤紫色に光る目がレックをしっかりと見つめていた。 「ぼくは何をしてるのか、何のために生きてるのか、理由が知りたくなったんだ。でも、それは考えてはいけないことだった。だからずっと考えないようにしてた。 ・・・そのあとのことは、思い出せない。疑問に思った後のことが分からない・・・」 「・・・??」 レンは至極真面目に深刻に話してくれていることは分かったのだが、言っている意味は全く分からなかった。 「ええと・・・つまり、どうして倒れてたのか、覚えてないってこと?」 うん、とレンはこくりと頷く。そっか、とレックも小さく何度も頷いた。 「んで、家も分からない、家族のことも覚えてない・・・こりゃ、俺が責任取るしかないよな」 「・・・えっ?」 レックは大きく頷き、レンはどういう意味だろうと顔を上げる。 「責任って・・・?」 「まあ・・・俺が連れてきちゃったんだし、面倒見るってあの人たちに啖呵も切っちゃったし・・・帰るところがないなら、 とりあえず俺と一緒にいるってことでも構わないよな、レン?」 「・・・・・・」 肉をまた口に入れてから、レックのことをほけーっと見つめた。そして、何も言わずに首を縦にゆっくり振る。 「よーし!決まり!」 レンの頭を軽くぺしぺしと嬉しそうに叩いた。そしてレンの隣に椅子を持ってきて座り、自分も食事を始める。 「それでは心置きなく、いただきまーす」 |