次の日。
夢も見ることなくぐっすり眠っていたフィルは、物音でふと目を覚ました。

カーテンから漏れ出ている光を見る限り、もう日は昇っているらしい。半分しか開いていない目を動かして何気なく扉に視線を移すと、レックが部屋から出て行くところだった。

「・・・レック?」

ある程度の大きさの声量で声をかけたつもりだったが、レックは振り返ることはなかった。隣のベッドで眠っているであろうカイに話しかけようと体を布団の中で回転させる。

「父さん、レックはどこに・・・・・・あれ?」

カイが眠っていたであろうベッドも空っぽだった。

昨夜はフィルが一番最初に眠ってしまったのでカイがいつ寝たのかは知らなかったが、布団がめくれているので確かにここで寝ていたはずである。

いつまでも布団の中にいても仕方ないため、まだ覚醒しきってはいないがとりあえずフィルは起き上がることにした。

「今何時ごろなんだろう・・・お昼近そうだな・・・」

のどが渇いていたのでまずは水差しから水を一杯飲む。そして頭をしゃきっとさせるために顔を洗い、服を着替えた。

腰帯をぎゅっとしめ、靴を履いて外に出ようとしたとき。

「フィル、もう起きたか?」
「父さん!」

部屋にカイが戻ってきた。半分開いた扉から顔だけをのぞかせている。フィルは一気に話したいことが湧き上がってきて、カイに駆け寄った。

「あ、あのね父さん、昨日言えなかったんだけど・・・!」
「・・・すまないフィル、後でゆっくり話をしよう」
「え?」
「おいで」

手招きされ、素直にその後をついていく。歩きながら、昨日シャープに会ったことなどを話せるかなと思ったが、カイの様子からそれどころではなさそうだということを察した。

いつもより、カイの歩く速度がだいぶ速い。長い廊下を何度も曲がり、王宮の裏門のひとつに出る。

カイが立ち止まったため、その視線の先を見るとレックがいた。

「レック・・・?あれ、なにしてるの?」

レックは10人近い人たちに囲まれていた。全員身なりがよく、男女入り混じっている。だが、フィルが見たことのない人ばかりだった。

レックはフィルたちに背を向けており、目の前の人たちに何か話している。

「レック、どうしたの?」
「フィル・・・カイさんが連れてきてくれたのか」

振り返ったレックは、いつもより数段低い声でそう言った。視線が合ったのは一瞬だけで、すぐに目をそらしてしまったレックに心配になる。

「な、なにかあった?この人たち・・・誰?」
「・・・あのさ、フィル」

と言いかけてから、後ろにいる人たちをじろっと見上げた。 ちょっとフィルと話すから来るなよと小さな声で言い、フィルはレックに肩を押されて門の柱の後ろ側に誘導される。

「・・・俺、バルカローレに行くことになった」
「バルカローレに・・・?なんで・・・??」
「ばあちゃんが・・・」
「・・・?」

レックが言葉に詰まっているが、フィルは首を傾げて待った。一呼吸おいてから、レックは再び口を開く。

「・・・ばあちゃんが、バルカローレに連れて行かれたんだよ」
「カンナさんが・・・!?連れて行かれた!?」
「俺、ばあちゃんを連れ戻しに行く。絶対に一緒に帰ってくる。・・・だから、しばらくお別れな」
「そ、そんな急に・・・」

レックはくるりと向きを変えてフィルに背を向けた。突然のことに、フィルは言葉を失っている。

「ごめん。・・・でも、絶対に戻ってくるから。また一緒に学校行こうな」
「う・・・うん・・・・・・?」

背中越しに聞こえるレックの声にフィルは感情が追いつかないままぎこちなく頷いた。レックは待っていた人たちに囲まれてゆっくりと歩き出した。

遠ざかっていくレックを見ながら、カイに駆け寄る。

「父さん・・・なんで?レックに何かあったの?あの人たち何なの?」
「・・・・・・せめて、見えなくなるまで手を振ろう。私たちの親友に」
「・・・父さん・・・?」

遠い目をしながらレックたちに力なく手を振り始めたカイを見上げ、 そしてフィルも同じようにレックを見ながらその背に向かって手を振った。






「・・・お帰りなさいませ、アッシュさま」

フィルが光に包まれ、その光が収まるとローリエは深くお辞儀をしてゆっくり顔を上げた。 ローリエが笑顔を向けている先には、先ほどとは打って変わって不機嫌そうな顔をした人物がいる。

「何でこの部屋のこの場所にいるんだ」

フィルと全く同じ顔で、冷めた目でローリエを睨み付けているのはアッシュだった。

「ご機嫌斜めだね、何かあった?」
「質問に答えろ!!」

ローリエの胸元をネクタイごと掴んで引き寄せ、ローリエがバランスを失ったところで手を離してそのまま頬を平手で殴りつけた。

相当強い力だったようで、ローリエは何もない床に体を打ちつけて壁まで転がる。どん、と鈍い大きな音が部屋に響いた。

「いたたた・・・」

ローリエは壁にぶつけた背中を手袋がはまった手でさする。肘を床について上体を起こし、殴られた頬をなでてからよろよろと立ち上がった。

アッシュの冷ややかな視線を感じながらも、ゆっくりとコートの皺を伸ばして乱れた髪を直す。

「・・・あはは、砂が全部落ちる前に目を覚ましちゃったみたいでね・・・余計なことは何も言ってないよ」

いつもの笑顔をアッシュに向けるが、アッシュはローリエを横目で睨んだままだった。 血の味を口の中に感じて、軽くぺろりと頬の内側を舐める。

「もういい・・・出てけ」

アッシュはローリエから目をそらして、追い払うように手を振った。

「何かあったの?」
「・・・・・・」

これ以上怒らせたら可哀想だな、とローリエは肩をすくめた。

「・・・わかったよ」

取っ手を引っ張って大きな扉を開き、ゆっくりとローリエは部屋を出て行く。パタン、と静かに扉が閉まるまでアッシュは一切動かなかった。

「・・・・・・」

ローリエがいなくなったのを振り返って確認して、アッシュが現れた場所、フィルが消えた場所である部屋の中心、 床に魔法陣のような模様が描かれているところにしゃがみこみ、右手を床にかざした。

すると床に刻まれている模様が淡く光り、静かに手を持ち上げると手に吸い付くように床から円盤状のものが現れた。

立ち上がりながらさらに手を高く上げると丸い板の下部分も床から姿を見せる。それは、アッシュの背より少し低いぐらいの大きな砂時計だった。

しかし、上下のガラスの容器の中にはどちらにも砂は全く入っていない。 アッシュが砂時計の中心部分を軽く握るとパキッという硬い音がして本来砂が落ちる細い部分が氷のようなもので覆われた。

手を離して、今度は両手で砂時計の木の枠を持ち、乱暴に足で扉を開けて部屋から出て行った。



つかつかと広い廊下を歩くアッシュだったが、前を歩いてくる人物を見つけてぎょっとした。

「あら?アッシュさま」
「ば・・・ヴァイオレット・・・」

急ぎ足だったのを止めて、アッシュは思わず後ずさった。

「ローリエとの話はもう終わったんですの?」
「・・・ローリエと?」
「神託の間の近くでさっきお会いしたじゃありませんか」
「・・・・・・」

あいつ、と心の中で舌打ちをしてまた歩みを進める。しかしヴァイオレットも隣を歩いてついてこようとしていた。

それなら何か尋ねようと思ったが、どう尋ねたらいいのかとまた頭を悩ませる。

さっき会った時、俺とローリエは何を話してた?俺はどんな様子だった?・・・なんて、不自然だよなと頭を振った。

「アッシュさま、私と一緒に庭の池を見に行きません?」
「・・・行くか。俺は忙しい、見て分かるだろうが」
「え?お忙しいの?」
「・・・・・・はあ」

説明するのも面倒だ、とアッシュは目を細めてさらに歩くスピードを上げた。それでもヴァイオレットはめげずに何とか一緒に歩こうとする。

いくつかの階段を足早に降り、建物の外に続く最初から開いていた大きな扉を通った。左右にはさまざまな花が植わっている花壇が広がっており、その間を進む。

が、その途中でまたもう一人に声をかけられてしまった。

「あら〜?アッシュさま?」
「・・・・・・げ」

薄紫色の髪の少女、カリンだった。立ち止まってしまったアッシュを逃すまいとヴァイオレットが腕にくっつく。

「お褒めくださいな、私のマグノリアたちの働きで、ば・・・ばる・・・えーと・・・」
「・・・バルカローレ?」
「あ、そうそう。それです〜」

カリンのおっとりした動作を見ながら、ひっついたヴァイオレットを腕から振り払う。残念そうなヴァイオレットの声がしたが無視して歩き始めた。

「待ってくださ〜い、アッシュさま」
「・・・はいはい、ちゃんと言ったことやってきたんだな。よくやったな」
「わぁい、ありがとうございます〜」

嬉しそうにふわふわと笑うカリンを追い越しながら、ヴァイオレットはむすっとしている。

「アッシュさま、私には?」
「なにが?」
「褒めていただけませんの?」
「・・・お前にはランフォルセを持ち帰るようにっていう命令を出しただろ。それができたのか?」
「う・・・いいえ、それはまだ・・・」

ヴァイオレットは胸の前で片手を握って言葉に詰まった。

「で、でも、新しい情報はお持ちしましたわ!ランフォルセを持ち出すと大陸が水に沈むと・・・」
「・・・それがなんだ」

アッシュは立ち止まり、砂時計をどん、と石畳の上に置いた。

「今がどうなろうと・・・未来がどうなろうと・・・無意味だ。お前たちは俺の命令に従ってりゃいい」
「・・・はい、そうでしたわね」

自分に言い聞かせるように、何度もヴァイオレットは頷いた。

「いけませんわね・・・余計なことを考えてしまって。下に行ったせいかしら」
「・・・・・・」

ヴァイオレットは考えを振り払うように目を閉じてゆるく首を振る。 しばらくヴァイオレットを見やっていたが、アッシュは突然辺りに聞こえるように手を叩いた。

「おい!できてるか、早く持って来い!」

アッシュの声に反応して、あちらこちらの植物のかげ、遠くの木の間から小さな生き物が顔を出した。 そしてアッシュの方に一斉に集まってきた。

それはアッシュやヴァイオレットの半分の背ぐらいしかない子供たちで、 動物の耳が生えているもの、しっぽがあるもの、肌の一部が動物の毛で覆われて模様になっているものがいる。 中には植物のツタが腕に絡まっていたり髪の一部が草だったり羽毛だったりしているものもいる。

ヴァイオレットはその子供たちを見て、あからさまに顔をしかめた。

子供たちは、口々にアッシュさま、アッシュさまと言いながら足元ではねている。 小さな手に砂のようなものを持っている子を見つけ、アッシュは両手を器のような形にして差し出した。

「つぶしてね」
「トキの実をね」
「水をあげてね」
「乾かしてね」
「育ててね」

あちこちから子供たちの高い声が聞こえてくるが、 アッシュはそれには全く反応せずに子供から直接砂を受け取り、砂時計の中にさらさらと流し入れる。

いくらかこぼれたその薄い金色の砂は空中で光って消えてしまった。

その様子をじっと見ていたヴァイオレットは、首をかしげる。 砂を握っては砂時計に入れる、の作業を繰り返しているアッシュにそっと尋ねた。

「アッシュさま・・・」
「なんだ」
「あの・・・その砂時計、なんですの・・・?」
「・・・・・・」

咎めるような目で見られて、ヴァイオレットは訊いたことを後悔した。

「・・・今まで一度も尋ねなかったよな」
「あ・・・その・・・」
「疑問を抱く者は?」
「ろ、ローズマリーに・・・なります・・・」

砂がついた手をパンパン、と叩いて砂を振り払い、外していた砂時計のふたを元通りに閉める。

「・・・双心の砂時計」
「そうしんの・・・すなどけい・・・?」
「これがあるから、扉を開けたしテラメリタを作れる。それ以外はもう・・・何も考えるな」
「は・・・はい、分かりましたわ・・・」

いつの間にか周りから子供たちはいなくなっており、アッシュは砂時計を抱えて元来た道を戻り始めた。 花壇の真ん中で、ヴァイオレットはとり残されてアッシュの後姿を見つめた。






レックを見送ったあと、フィルはカイとの朝食の間に自分の身に起こったことを話した。

見知らぬ屋敷の中で目を覚ましたこと、不思議な執事に出会い、シャープとも会ったこと。時間だと言われて元の部屋に戻され、気づいたら婚約式の召しかえの部屋にいたということ。

カイはたまに疑問を挟んだがフィルの話をしっかりと聞いていた。

話し終わるとカイは、リアン殿のところに行ってくると言い残していなくなってしまい、フィルはシャープからの伝言を預かっていたことを思い出して王宮内を走っている。

「ええと、アリア王女はどこに・・・あ」
「ん?」

神官らしき服装の男性二人と話している人物は、シェリオだった。走ってきたフィルに気づいて振り返り手を振っている。

「どした?・・・あ、ってことでよろしく。俺も夜には帰るから」

シェリオは今度は話していた二人に軽く手を振った。二人を見送ると、フィルの方に歩いてくる。

「ええと・・・なんのお話してたの?大丈夫だった?」
「あー、婚約式が終わったからニヒトさんが王宮から出て今日で大神殿に戻ったんだよ」
「うん・・・」
「でもここであったことが結構楽しかったみたいで、家に帰るだのやりたいことがあるだの、 ワガママ言ってんだよな・・・とりあえず今日だけは最後まで仕事しろって言ったからやってるみたいだけど、 あの調子じゃ完全に仕事も上の空だろうな・・・今日神殿に来る人はかわいそうに」
「ははは・・・」

ニヒトは今朝、メヌエットのグロッケンにある大神殿に大勢の僧兵たちと戻ったものの、 部屋を抜け出して王宮を好き勝手に歩けたことやカイに包丁の使い方を教わったことがたいそう楽しかったらしく 出発の時間ギリギリまで帰りたくないと渋っていたらしい。

説得してくれとシェリオが神官たちに泣きつかれ、ニヒトをなんとか王宮から出した。

神官の主な仕事は祈って聖水を作ることだが、懺悔を聞いたり相談を受けることもある。 最高神官の元まで話が来ることは稀ではあるが、ニヒトの元に誰が連れてこられるかは全て上位の神官たちの 話し合いと判断によって決められており、生活のスケジュールもほぼ彼らによって決定されていた。

「で、ニヒトさんは家に帰りたいって言うからそれは仕方なく承諾。俺がメシ作ることになっちゃったよ」
「へー、シェリオの料理食べてみたいな」
「お、食ってみる?時間があるなら今から・・・あれ、いや時間ないだろ?走ってたよな」
「あ、そうだった!」

思わずシェリオの話に聞き入ってしまっていたが、人を探していたことを思い出す。忘れてたのか、と思わずシェリオは苦笑した。

「アリア王女を探してて・・・お会いできるかなあ・・・?」
「アリアに?どこにいるんだろ、今日はまだ見かけてないけど」
「あと、できればセレス王子にも・・・」
「セレス王子とは昨日ずっと一緒にいただろ?」
「はは・・・まあ、いたんだけど、ずっと人が周りにいたから話せなくて・・・」

話しながらすれ違うだろうかと考えてフィルは歩き始める。シェリオもその隣を歩いた。

「話したいことって?俺が聞いても大丈夫な話?」
「シェリオに話せないことなんてあるかな?」
「なんじゃそりゃ」

フィルが肩をすくめてそう言うので、シェリオはふき出す。

「昨日ね、婚約式の途中で意識がなくなったんだ」
「・・・え?」
「で、気づいたら知らない部屋で寝てて、大きなお屋敷みたいなところの床で」
「な・・・なんだそれ?大丈夫だったのかよ」

頭の後ろで手を組んでいたシェリオは手を解いてフィルを見下ろした。

「うん・・・敵なのかは分からないけど、不思議な雰囲気の執事さんがいてね、その人と話したり、元気な女の子と会ったり・・・もう、ワケわかんなくて」
「執事?女の子?」
「執事さんに案内された部屋に、シャープ姫がいたんだ」
「え?!さ、さらわれたシャープ姫が・・・?」

大声を上げたことにしまった、と思って後半は声のトーンを落として聞き返す。

「無事だったのか?早く、アリアに伝えてやらないと・・・」

シェリオはシャープがいなくなったときにアリアが大泣きしてしまったことを思い出した。

「どこかに閉じ込められてたのか?牢屋みたいなところに・・・?」
「ううん、なんていうか・・・ごく普通に、生活してるみたいだった。その執事・・・ローリエって名乗ってたんだけど、ローリエがお世話をしてるって言ってたよ」
「なんなんだよ、その執事って・・・じいさん?」
「いや・・・シェリオより少し年上に見えたかな?すごく大人びてたしスーツ着てたからよく分からないけど・・・」
「そのフィルが行ったお屋敷ってのがどこにあるか分かれば助けに行けるな。景色とか地形とか、場所が分かるものは見た?」
「うーん・・・」

自分の身に何が起きているのか把握しきれないまま屋敷中を歩き回ったため効率のいい探索はできなかったが、ふとローリエに言われたことが頭に浮かぶ。

「あ・・・そうだ、ローリエが言ってた。ここは「アッシュさまのお屋敷」だって・・・」
「アッシュさま!?」
「し、知ってるの?」
「い・・・言ってた、この前急に光の柱みたいなところから現れた二人の女の子が・・・」
「女の子?ど、どんな?」

もしかして、とフィルはシェリオの言葉を待つ。レックやアリアと一緒にただやり取りを見ることしかできなかった二人の少女のことを必死に思い出す。

「一人は金髪でピンクの花飾りをつけた子で、もう一人はお団子頭の・・・」
「その子、ぼくも会った・・・!!「アッシュさまのお屋敷」で・・・」

これは本腰入れて話し合うべきことだと分かり、二人は無言で頷いた。

「・・・フィルの父さん頭いいよな、一緒に話を聞いてもらおう」
「うん・・・アリア王女もお呼びして、みんなで話そう・・・」



    


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