ローリエの言葉の意味が分からず、フィルは聞き返した。

「・・・時間がない?」

フィルの視線を気にせずにローリエは扉から少し離れた壁にある大きな棚を開き、大量にあるティーカップを眺めてからフィルに振り返る。

「そう、本当はあと・・・30分か40分後ってところだったんだけどね。なにか、怖い夢でも見ちゃった?」

確かに怖い夢は見たような気がするが、答える必要はないと判断して何も言わなかった。 30分ってなんのことだろう、とは思ったがもうひとつの疑問をぶつける。

「・・・じゃあ、選ばせるって、なにを?」
「やっぱり・・・キミも、何かできることがあると思ったらしたいだろうからね。 ぼくが話してあげられることは多くないけど、ぼくと話したいか、それとも・・・」

棚からティーカップを選んで手際よく取り出していく。そのとき、ローリエの言葉の途中で部屋の奥から声が聞こえた。

「・・・どちらさまですか?」
「あ!」

カーテンで仕切られた部屋からおずおずと出てきたのは、シャープだった。シャープの姿を見つけてフィルは思わず駆け寄る。

「シャープ姫!ご無事だったんですね!!」
「え・・・あ・・・フィルさん・・・!?」

嬉しそうなフィルの後ろで、ローリエは悠々とお茶の用意をしていた。

「シャープ姫と二人だけで話したいか、ぼくも同席していいか。それを選ばせてあげるよ。あ、もちろんどっちにしてもお茶は出てくるよ。どうする?」
「・・・・・・。」

フィルはローリエを きっ と見やった。その鋭い視線をまったく気にすることなく、ティーポットの蓋を開けて中を確認している。

頃合いを見てティーカップに紅茶を注ぎ始めたのを見て、フィルはローリエに歩み寄った。

「・・・ローリエ・・・だっけ?・・・いいよ、お茶は大勢で飲んだ方が楽しいから」
「そう言ってくれると思った」

ローリエはにっこりと笑い、フィルにティーカップがのったお皿を手渡した。そして窓の外が見える大きめの丸いテーブルに誘導する。

シャープもおどおどしながらも二人に近づいて、ドレスを両手でまとめて椅子に腰掛けた。

「あ、あの・・・」

フィルとローリエが向かい合い、その間に座ることになったシャープは状況を飲み込めずにいる。 その間もフィルは頭に浮かぶ大量の疑問を整理するのに必死だった。

「フィルさんはどうやってここに?」
「シャープ姫はどうしてここに?」
「「・・・・・・。」」

二人の見事なハモりように、ローリエは思わず吹き出した。

「あはは、そうだよね。それが普通知りたいよね」
「・・・じゃあ、ぼくから話しますね」

笑っているローリエをじろりと見てから、シャープの方を見て話し出す。

「ぼくは、いつの間にかこの・・・お城なのかな?この建物の一室の床で寝てました。 ついさっきまでセレナードのお城にいたのに、目が覚めたらここに」
「えっ・・・」

シャープは驚いて口に手を当てた。

「わ、私は・・・その・・・」

気持ちを落ち着かせるため、紅茶を一口飲んだ。 フィルはそういえば敵か味方かも分からない人物がいれたお茶を飲むことになってたんだとそこで認識したが、 シャープが同じポットに入っていた紅茶を飲んだなら自分も飲んでも大丈夫かなと結論付けた。

言い出しづらそうに、シャープはフィルを見つめる。

「ぼくが、どうかしました・・・?」
「ええと・・・私も、セレナードの王宮内を女官たちと歩いていました。そのときに・・・」

フィルと視線を合わせないように下を向き、カップを両手で覆った。一呼吸置いてから、シャープは口を開く。

「・・・フィルさんが、私に声をかけました。腕をつかまれ、振り返ったら・・・意識がなくなって、気づいたらこの部屋のベッドで寝ていました・・・」
「ぼくが・・・!?」

そんなことはまったく身に覚えがなく、フィルは驚きのあまり思わず声を荒らげた。

「ご、ごめんなさい、背後から突然声をかけられたので・・・でも確かにフィルさんのお姿は拝見しました。 女官たちも名前を呼んでいました。私を呼ばれたときの声も・・・フィルさんのお声でした」
「・・・・・・。」

たまに起こる、意識が飛んでいるうちに様々なことをやらかす現象が起きたのだろうか。 フィルは思い切ってローリエに訊いてみることにした。

「・・・ねえ、原因は知ってるの?」
「なんの?」
「ぼくはたまに、意識がない間に色んなことをしてるみたいなんだ。最初は夢遊病かと思ったけど、多分そうじゃない。 父さんに暴言を吐いたり親友から走って逃げたり窓ガラスを割ったり・・・ほかにもたくさん。 これって、ぼくが今ここにいることと関係あるの?・・・答えてくれる?」

フィルが話している間、ローリエはじっとフィルの目を見ていた。 話し終わると納得したように何度か小さく頷き、ティーカップを置いた。

「そうだね・・・イエスかノーかでいえば、イエスだよ」

ローリエの返答に、フィルは目を見開いた。答えてくれる、教えてくれるならば、さらに何か分かるかもしれない。

「ええと、じゃあ・・・ここ、ここはどこなの?なんていう地方のなんて人の家?」
「ここは、アッシュさまのお屋敷だよ」
「アッシュさま・・・?」

自分が尋ねたときの答えと同じだ、とシャープは目を伏せた。フィルは、先ほどの女の子たちに囲まれたときに呼ばれた名前だと思い至る。

「その人は、今このお屋敷のどこかにいるの?」
「ううん、今はいないね」
「その人がシャープ姫をさらったの?ぼくのことも?」
「シャープ姫は、そうだね。でも、キミは・・・フィルくんは、そうじゃない」
「ぼ、ぼくは違う?じゃあ誰が?」

そのとき、すっとローリエが立ち上がった。 何事かとフィルは身構えたが、棚からローリエは小さなカゴを取り出してまた戻ってきた。

テーブルに置かれたそれを見てみると、中には丸いクッキーがいくつか入っていた。おいしいよ、とフィルにカゴを傾けて勧める。

「フィルくんは、さらわれたんじゃないんだよ」
「・・・え?どういうこと?」
「ここに来ることになっちゃってる・・・って感じかな、そうなってるんだよ」
「意味が分からない・・・」

フィルは頭をゆるく振り、力なく息を吐き出した。しかしローリエが食べているクッキーがおいしそうに見えて、思わず手を伸ばす。

「いただきます・・・」
「お行儀がいいね」
「・・・シャープ姫は、どうしてここに連れて来られたの?」
「それは・・・言わないでおくよ」
「・・・・・・。」

答えないのか、とフィルはあきらめたように頷き、シャープにも聞いてみることにした。

「シャープ姫は、ここでどうしていらっしゃるんですか?「アッシュさま」に会ったことは?」
「あ、はい・・・」

フィルとローリエのやり取りを緊張しながら聞いていたシャープは、突然振られて身を竦ませる。

「わ、私は、「アッシュさま」にお会いしたことはありません・・・でも、ここでは不自由はありません」
「・・・え?」
「縛られているわけでもないですし、監禁されているわけでもありません。 この城の敷地内をローリエさんとなら散歩させてもらえます。本もたくさんありますし・・・。 それと・・・ここに住んでいる人たちにピアノをお聞かせすることになっていて、練習してるんです」
「・・・・・・。」

想像していた「囚われのお姫様」の生活とだいぶ違うな、とフィルは思わず言葉を失った。シャープの声は、若干弾んでいた。

もしかして、と思ってフィルは尋ねてみる。

「・・・あの、もしかして、セレナードの王宮に帰りたくない、とか・・・そう思ってらっしゃいます? ここで暮らせるなら、もうここで暮らしたいですか・・・?」

セレスやアリアのために、セレナードの国のために、シャープを何とかして連れ戻したいと思っていたがシャープがそれを望まなかったらフィルとしてもどうしようもなくなる。

「婚約式も、多分・・・今日執り行われていて、結婚式の準備にも入ると思うんですけど・・・帰りたいって、思ってらっしゃるんでしょうか・・・みんな、あの・・・心配してて・・・」

上手い言い方が見つからず、フィルが率直にそう言うと、突然シャープが両手で顔を覆った。

「・・・です・・・」
「・・・え?」

どうしたんだ、と思う暇もなくシャープは肩を振るわせ始める。

「・・・・・・帰りたい、です・・・早く、皆さんに・・・アリアさんに、父上と母上に・・・お会いしたい・・・っ」

泣き出しちゃった、とフィルは大いに慌てた。

「ご、ごめんなさいごめんなさい!!そうですよね!!そ、そんなつもりじゃなくて!ええと・・・!」

どうしよう、と思わずローリエに助けてくれと視線を送った。 ローリエは泣いているシャープを無表情でじっと見ていたが、フィルと目が合ってまたにっこりと笑った。

「あははは、お姫様泣かせちゃったねフィルくん。いけないんだ」
「ちょ、茶化さないでよ!シャープ姫、ごめんなさい!帰りたいと思ってないわけ、ないですよね・・・!!」

触っていいのかなと一瞬戸惑ったが、シャープの背中をさすって顔を覗き込む。 手で隠れた顔は見えなかったが、指の間から涙が幾筋も流れ落ちていた。

そのとき、ローリエがカップに口をつける寸前に口を挟んだ。

「あのね」
「なに?!」

それどころじゃない、と思わず声が大きくなる。 ローリエは微笑んだまま、空になったティーカップを置いた。

「フィルくんは、そろそろ元いた場所に戻れるんだ。だから、伝言は頼めると思うよ」
「えっ・・・?」

フィルは驚いて動きを止め、シャープは目を拭ってから顔を上げた。 もともと赤い目が全体的に真っ赤になってしまっている。

「ぼくは帰れるの・・・?」
「そうだね。もうそろそろだよ。だからシャープ姫、ご家族にメッセージを伝えてもらったら?」
「え?えっと・・・」

いざとなると何を伝えてもらったらいいのだろう、とシャープは必死に考えた。

「そうですね・・・私は大丈夫だから、心配しないでと・・・アリアさんや父上、あとセレスにも。 私を探してくださった方々にも、どうぞ労いの言葉を・・・お願いします」
「・・・分かりました」

フィルはシャープの手を上から包んで、大きく頷いた。それを見届けてから、ローリエは立ち上がった。

「じゃ、行こうかフィルくん」
「どこに・・・?」
「最初、キミがいたお部屋に戻らないとね。じゃないと、ずーっと帰れなくなっちゃうよ」
「え・・・わ、分かった、行こう」

慌ててフィルはガタっと椅子から立ち上がった。そしてローリエの後ろに素直についていこうとしたが、その前に改めてシャープに向き直った。

「シャープ姫!」
「は、はい」

シャープも思わず ばっと立ち上がって背筋を伸ばす。扉を開けたローリエは二人に振り返った。

「・・・絶対に、助けに来ます。父さんなら絶対にいい知恵を貸してくれるはずです。それまで・・・待っててください」
「・・・・・・」

フィルの言葉に、感動して思わずまた泣きそうになったのを必死にこらえる。

「は・・・はい・・・お待ちしてます」

二人を順番に見て、ローリエはさらに大きく扉を開いてフィルを促した。

「行こう、フィルくん」
「・・・うん」

フィルが外に出ると、ゆっくりと扉が閉められる。最低限の音だけ立てた扉からローリエが手を離し、じっとフィルを見た。

「・・・なに?」
「すごくいい子なんだね、よく分かるよ」
「・・・ありがとう・・・」

何の話をしてるんだ、と思いながらも褒められたなら素直にお礼を言ってしまう。それを見てローリエは くすっと笑い、広い廊下を歩き始めた。

ローリエの背中を見ながらフィルはもっと訊けること、答えが得られそうな疑問を必死に考えた。

「・・・ねえ」
「ん?」
「キミ・・・ローリエは、このお屋敷の執事なの?」
「うん。アッシュさまもシャープ姫も、ぼくがお世話すべき相手だよ。庭の管理もぼくのお仕事」
「・・・・・・。」

ローリエの姿はコンチェルトの城にいる召使たちと特に変わりない。しかし彼が仕える「アッシュさま」の存在が非常に不気味だった。

「アッシュさまは、シャープ姫を帰す気はある?」
「ないだろうね」
「ぼくは帰せるのに?」
「フィルくんは帰さないわけにはいかないからね」
「・・・・・・。」

ローリエの言葉の意味が分からない。それでもそれは後で考えるとして、何とかしてもっと訊いておこうと思った。

「アッシュさまが何をしたいのかは言える?」
「それは無理かな」

それはそうだろうな、とフィルは肩を落とす。 ふと目を上げると廊下の向こうからフィルより少し年齢の低い子供たちが走ってきているのが見えた。

「・・・おっと」

フィルとローリエの横を5、6人の子供が駆け抜けていく。 二人のことはまったく見えていないようで、楽しそうな声が遠ざかっていった。

「あの子達は?シャープ姫の部屋に行く途中にも何度かすれ違ったけど・・・このお屋敷で暮らしてるの?」
「そうだね」
「ここは孤児院?」
「違うよ」
「さっき会った3人の・・・女の子は、アッシュさまの友達?」
「そんな感じかもね」
「ええと、じゃあ・・・」

必死に尋ねたいことを絞り出そうとするが、ついにローリエが歩みを止める。大きな扉のノブを引っ張り、あいている方の手を振った。

「さ、入って」

最初、目が覚めた部屋。一人で部屋を調べたときと様子は変わっていない。

わざとゆっくり歩いて、ローリエとまだ話そうと試みた。

「ローリエは、このお屋敷で働いてどれぐらい経つの?」
「うーん・・・忘れちゃったな」
「どうやってここに来たの?さらわれてきたの?」
「どうだろ・・・偶然、なのかな・・・よく分からない」
「ローリエとアッシュさまは、仲いいの?」
「・・・はは」

ローリエが突然、あきれたように笑い出した。

「急にどうしたの?ぼくのことばっかり訊いて。ぼくのことはいいじゃない」
「よくないよ。・・・ぼく、ローリエが人さらいの悪い奴に大人しく従うような人とは思えない。 ・・・つまり、ローリエは悪い人じゃないと思う。・・・違う?」
「・・・・・・。」

常に微笑んでいた目を少しだけ開いて、ふっとフィルから目をそらした。

「・・・悪いとされることを黙認し甘受する人間は、悪だよ。でもぼくは、もうこのままでいいんだ」

さあ、とフィルの両肩を持ってくるりと方向転換させる。見れば床の模様が違う部分が円を描いて光っていた。

その中心にフィルは押されて立たされる。

「ローリエは、自分の意思でここにいるの?」
「・・・うん」
「本当に?」
「・・・うん」
「助けてほしい?」
「・・・・・・。」
「・・・笑ってるのに、なんで悲しそうなの?」

もうフィルの言葉には答えずに、ローリエは後ろで手を組んで一歩下がった。

「・・・ぼくことは、もういいんだよ」

目を閉じて深呼吸し、顔を上げた。フィルと目が合ったが、すぐに逸らしてしまう。

「・・・ぼくは、息をしてるだけでいいんだ。・・・でも」

床からの光が強くなり、フィルの視界が白い光で埋め尽くされていく。その隙間から見えるローリエの顔をじっと見つめた。

「変えたいと思う人がいるなら、変わるのかも。・・・また会えたらいいね、フィルくん」
「・・・・・・!!」

光がさらに強まったかと思うとフィルの意識は遠のいていった。

「・・・お帰りなさいませ、アッシュさま」



    






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