式の進行について教えられたフィルは、その順番を紙に書いて何度も確認して覚えようと必死だった。 セレスは「黙って隣で立ったり歩いたりするだけでいい」と言ってくれたが、請け負ったからにはちゃんとこなしたいと思ってしまったのである。

着替える時刻まであと少し。 ドレスを着る前にあんまり食べ過ぎない方がいいかもとフィルは昼食をとらなかったが、貧血で倒れたらどうするんだとレックに言われてしまった。

というわけで、式の進行の復習をしながらレックが食事を持ってきてくれるのを待っていた。紙の束を丸めて持って覚えたことを思い返そうとしたとき、ふとカイの顔が頭に浮かんだ。

「・・・父さんはちゃんと間に合うのかな。リアンさんの部屋に行ったきり帰ってこないけど・・・」

ベールで髪はほとんど見えないのかと思っていたが、シャープが着る予定だったドレスは背中部分にあまり装飾がなく、長い髪が引っかからないようにということを考慮したデザインだった。

つまり、髪はお客さんたちの視線に晒される対象の一つというわけである。途中でズレてバレたらなどと不安になるが、考えたくもない。

父さんだからズレ対策も万全にしてくれるだろう、と信じるしかなかった。

「おーい、持ってきてやったぞ」
「あ、開いてるよー」

扉をノックする音が聞こえ、レックの声に返答した。部屋に入ってきたレックの手の上には、布がかぶせられた皿がのっている。

「ムリすんなよホント。花嫁の替え玉になって数時間で何でもカンペキにこなせるわけないだろ」
「だって・・・シャープ姫が帰ってきたときのためにも、素晴らしい式だったって伝わってほしいし・・・」
「まあ、歴史的に大事な日だけどさ」

机の上に皿を置き布を取ると、サンドイッチが現れた。ほら、と皿を傾けてフィルに見せる。

「ありがと・・・じゃあ、いただきます」

と、フィルがさらに手を伸ばしたとき。

「できたぞフィル!!サイズは絶対大丈夫だなんだけど、ちょっと試しにかぶってみて」

せっかくご飯を食べられると思ったのに、大きな紙で包まれたカツラを持ったカイが登場してしまった。

「あ・・・食事中だったか、すまない。じゃあフィルは食べてていいからかぶせるね」
「・・・はい、どうぞ」

ゆっくり食べたかったな・・・と思いながらも、それどころではないことも理解していた。もしもサイズが合わなかったりしたら、それこそ時間がない。

紙をばさっと取り除けて出てきたふんわりとしたロングヘアのカツラは、確かにシャープの髪質と同じようだった。 それを後ろで整えてからフィルが座っている椅子の後ろに回り、そっとフィルの頭にのせてみる。

「・・・ぶふっ」
「ちょっと」

正面に回って顔を観察していたレックが思わず噴出した。

「い、いや、ゴメン、やっぱ・・・カイさんはスゴイわ」
「え、いい感じ?ちょっとレックおさえてて、私も見たいから」
「はいはい」

今度はレックがフィルの後ろに回ってカツラごと頭をおさえて固定する。フィルの髪が見えている状態だが、サイズや前髪の長さは問題ないようだった。

「うん、いいね!じゃあもう本格的にかぶせちゃおうか」
「・・・え、着替えの最後でいいんじゃないの?」
「そうはいかないだろう、大丈夫大丈夫、フィルは食べてていいから」

そう言ってカイは一緒に持参した道具をガチャガチャと取り出す。テープやらピンやら、横目で見ていたフィルはその多さと複雑さに自然とため息が出てしまった。

その少し開いた口に自らフルーツサンドを押し込む。

「よくこんなカツラがすぐに作れたね・・・」
「薄い色の髪でよかったよ、透明な繊維に着色しただけだから。 でもやっぱり色の詳細はサンプルと何度も見比べないと出せなかったから、リアン殿とララシャルちゃんから頭髪をちょっと頂きました」
「・・・あー、なるほどね」

ブラシで髪をとかされながら、サンドイッチを咀嚼しながら頷いた。

「実は衣装係の人が数名入れ替えになって、事情を知らない人が加わることになったんだよね」
「へ?」
「つまり、着替えの時は既に「シャープ姫」として着付けてもらわないといけないってこと。この部屋を出たらもうフィルはシャープ姫だぞ」
「うそ・・・」

メイクの途中でバレたらどうしよう。そこで説明して口止めするにも時間がかかってしまう。 先日、少しだけ話したシャープの口調や仕草を必死に思い出そうと試みた。

「髪が短いからいいけど、横の髪は後頭部でまとめるぞ」
「はあ・・・」
「前髪も全部隠すよ、おでこ失礼しまーす」
「・・・お好きに・・・」

レックも手伝いながらシャープの髪が取り付けられていく。 着替えの時に髪もセットする予定だからこのカツラはみつあみじゃなかったんだ、とフィルは納得しながら二人の作業を横目で見ていた。






廊下に誰もいないことを確認してから、薄いワンピースのようなドレスだけを着てフィルたちは着替えの部屋に向かった。

声を出さない方法はないだろうかと考えていたが、着替えは思っていたよりもずっとスムーズで係の人たちは全く無駄がなく、 違和感はないかこれでいいかという確認の返事だけを求められた。そのため、フィルは頷いたり気になる部分を指差すだけで済んだ。

結婚式ではないにしてもその衣装は豪華絢爛で、 ドレスには巨大な宝石のブローチがいくつもつけられ腕が重くなるほどのブレスレットや首が痛くなりそうなティアラを飾り立てられた。

シャープはピアスをしていたがフィルはピアス穴が開いていないため、セレスが途中で持ってきた大きなイヤリングで代用された。 光の聖玉エールのレプリカのブローチが最後の最後につけられて着替えは終了。

大丈夫か、とレックが途中で聞いてくれたが、心配しないで、とだけ答えた。 衣装の重さと驚くほどの歩きにくさに大丈夫とは言えなかったためである。よろよろと立ち上がったフィルを、カイも不安そうに見上げていた。

今日限り一生味わわないであろう化粧の違和感も今は忘れて、婚約式の手順を何とか思い返しながら衣装の部屋を後にした。

「控えの間・・・と、遠い・・・」

レックにドレスの後ろを持ってもらっているが、衣装の総重量はすり足に近い歩き方でないと前進できないほどのものだった。

「にしても、あんなに近づかれてたのにフィルだって気づかれなかったな」

周りには事情を知る人しかいないので、レックはのほほんと言った。

「シャープ姫以外の人であるわけがないと最初から思い込んでいるから疑いもしないのだろう。元が可愛いから今のフィルはさらに可愛いぞ。来客者の誰も気づかないだろうな」
「だといいけどね・・・」

口紅の味が気持ち悪いのでなるべく口を開いていなかったが、一応返事はする。 ごてごてに飾られて化粧品を塗りたくられた状態で可愛いと言われても複雑な気持ちだったが今はもう婚約式を成功させることだけをなるべく考えるようにしていた。






ついに始まった婚約式。結婚式と違ってこの式は王宮内の大広間で行われる。

各国の来賓、数百人が見守る中セレスとフィルは別々の扉から登場した。

一直線にひかれた大きな緋色の絨毯の先には低い階段があり、その頂上には最高神官の正装をしたニヒトが式を執り行うために待っている。

婚約指輪を今日の主役の二人に渡すための役は花嫁の父親でもあるリアンで、その隣には特別に用意されている3倍ほどの高さの椅子の上に座っているララシャルがいる。

幼児がこのような場に呼ばれて列席することは通常まずないのだが、なぜか他の客に混じって拍手をしている。

静々とニヒトの元に近づく二人を見て、ララシャルは小さな人差し指をフィルに向けた。

「しゃーにい?しゃーにい!!」
「こらララシャル、静かにしていなさい」

拍手にかき消されてララシャルの高い声は周りの人には聞こえていなかったが、ララシャルは不思議そうに、そして少し嬉しそうにフィルを指差している。

「なんで?あれ?しゃーにい、なんで?」

リボンを床につけてクッションにして、ララシャルは椅子から飛び降りた。そのまま素早くフィルに近づいていってしまった。

「しゃーにい!いいの!!」
「・・・ララ!?」

足元までやってきたララシャルに、フィルは心底驚いた。

このまま飛び掛られて衣装やカツラに異変が起こって替え玉だとバレたらどうしたらいいのか。 ララシャルに自分がシャープでないことが分かって怒り狂われ攻撃されたらどうしたらいいのか。

しかしこんな格好と状況では逃げることもできず、ドレスを持ってくれている二人の少女にララシャルを追い払ってもらうこともできず、 フィルは 頼むから何もしないでくれ、とララシャルに全力で念を送るしかなかった。

「しゃーにい?あのね、ララね」
「ララシャル!!」

やっとリアンがララシャルを回収しに来てくれた。指輪の箱の確認をしていたせいでララシャルがいないことに気づくのに遅れたようだ。 いわゆる、少し目をはなした隙に、というヤツである。

「ララシャル、大人しくしていられないならクレールのところに行ってなさい」
「うー・・・やーだー」
「ならいい子で座ってなさい」
「しゃーにいとこくーのー・・・たーいの・・・」
「やれやれ・・・」

ララシャルが駆け寄ってきた事件は周りの人も小さな子の登場に少し笑いが起こっただけで終了した。 音楽に合わせて徐々にニヒトのところに近づいて、やっとこさフィルはひとまず目的地に到着した。

拍手と音楽がやみ、セレスとフィルはニヒトと向かい合う。

ニヒトが言うことに はい、と答えて、婚約指輪を交換して、それさえ終われば後は花嫁は椅子に座れる。 ブーケを置くための小さなテーブルに白い小さな花束をそっと横たえた。

改めて顔を上げてみると、ニヒトは白くて長いマントと金ぴかの刺繍が施されたローブを着ていて、 初めて会ったときのグシャグシャのヨレヨレのお兄さんとはまるで別人だった。ぼくも化けてるけどこの人も相当化けてるな、とフィルはしみじみ思う。

「二人は今日ここに結婚の誓いを立てます。異議のある方は今、申し出てください」

いつもとは大分違う口調でニヒトが言った。客席からは一言も、物音さえもしなかった。

「セレスティア・ヴィフ・ファルゼット、シャープ・クァルトフレーテ・ラベル、今より結婚の時まで両者の変わることのない永久の愛を誓いますか」

ニヒトがそう言うと、打ち合わせの通りにゆっくりとした一呼吸を置いてから二人は同時に答えた。

「「はい、誓います」」

その瞬間、辺りから自然と拍手が起こった。リアンの隣の隣の席にいたカイは、どういうわけか泣いている。

「うううー・・・ぐすっ・・・」
「ちょ・・・ちょっとカイさん?なんで泣いてるの!?泣く理由が一つもないでしょ・・・?」
「なんか・・・感動した・・・フィルが永遠の愛を誓ったよ・・・」
「・・・やめてくださいよ、相手 男性ですよ・・・その感動はもうちょっととっときましょうよ・・・」

拍手ができないほど感動してきて唇が震える。カイはハンカチを取り出して両手で目頭を押さえた。

その様子を見ながら隣にいるレックはため息をつく。

拍手が自然とおさまり、リアンがニヒトに近づいていって小さな二つの箱を開けて差し出した。中には銀色のリングがそれぞれ1つずつ入っていた。

フィルは手袋を外してブーケの隣に置き、その間にセレスがニヒトから指輪を受け取る。そして、セレスの手によって自分の指にリングがはめられるのを眺めた。

セレス王子のせっかくの婚約式が、お姫様じゃなくて男であるぼくと指輪交換だなんて可哀想だな。結婚式までにシャープ姫を絶対に探し出さないと。

そう思っているうちに指輪は装着され、フィルの番になった。ニヒトから指輪を渡されて差し出されたセレスの手を持つ。

男性に指輪をはめることになるとは。いや違う、ここにいるのはシャープ姫だ。今指輪交換をしているのはシャープ姫だ。 この手は自分のではなくシャープ姫の手、これはシャープ姫の指・・・。

今度はそう思いこむことにした。そうでないとなんだか虚しさが増す気がした。

「・・・ふう」

無事にセレスの指にも婚約指輪が入った。これでようやく座ることができる。

ドレスの裾をまとめて持ってもらってぐるりと半回転して客の方を見て、一礼をしてから低めの椅子に腰掛ける。

「・・・・・・。」

父の方を見てみると、なぜかハンカチで涙を拭っているので・・・少し疲れた。

ここまで来れば後は祝辞を述べられるのをひたすら聞いていればいい。ニヒトも指輪交換が終わったので二人の護衛に挟まれて席に着いた。

フィルが座るのをサポートしていたセレスもフィルの隣に座ると、最初に祝辞を述べる男性が近づいてきた。どこかの国の偉い大臣らしいが、フィルは知らないおじさんだった。

そのとき。

「・・・・・・あれ?」

突然、フィルの視界が揺らいだ。勝手にまぶたが重くなり、目の前が真っ暗になる。

「・・・・・・。」

どれぐらい目を閉じていたのか自分では分からないが、目を再び開けてからフィルは顔をしかめた。 眩しさに目が慣れるまで瞬きを繰り返し、そして落ち着いてから目前の光景を認識する。

「・・・・・・なんだこれ」

フィルは幾分低い声で小さくそう言った。それを聞いていたセレスが、スピーチ中のおじさんからフィルに視線を移した。

「どうしたの?」

二人だけが聞き取れるような小さな声でセレスが尋ねる。フィルは横目でセレスを見た。

「・・・おい、これ、なんなの?うわ・・・すげえ服・・・動けない・・・」
「・・・??」

セレスが小さく首を傾げる。その様子を少し遠くから見ていたカイが、フィルの異変に気づいた。

「もしかして・・・」

たまにフィルの身に起こる、謎のあの現象か。暴れ出したり、逃げ出すかもしれない。カイは周囲の人間に悟られないように指輪をそっと外し、別の金色の指輪に付け替えた。

「こんなに人がいるなんて・・・なにしてんだこれ・・・」

フィルは立ち上がろうと力を入れたが、服の構造が分からない上に頭も重くて動くのをあきらめた。

「ねえ、どうしたの、フィルくん?」
「・・・なんでもない」

不思議そうに何度も声をかけているセレスに、フィルは小さくそう言った。

「・・・あれ?なにもしないな。ふーん・・・そっか」

カイは指輪をしている手にもう片方の手を添えていたが、フィルの様子を見てそっと手を離した。ため息をつくような仕草をしただけで大人しく座っているようだ。

祝辞はまだまだ続きそうで、カイはのど渇いたなあなどと考えながら体の力を抜いた。









―第三章に続く―




    






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