エバとエバの中にいるフォルテと話していたが、夜遅くなったということで話し合いはお開きとなった。 シェリオだけは部屋に残ってエバと話し合いの続きをしているようだったが、フィルはカイと共に部屋に戻って眠りについた。

癒しの司との話し合いにレックは呼ばれていなかったが、フィルたちが部屋に戻ったとき既にレックはベッドに入っていたため、寝るときにフィルはレックを起こさないように注意した。

そして次の日。

結局王宮内のどこを探してもシャープ姫は見つからず、深夜の捜索作業はなされなかった。 婚約式前夜の姫が行方不明になるなどとても公にはできないため、王宮内でもそのことを知る者は少なく捜索は今も秘密裏にのみ行われている。

フィルは王宮内をある程度自由に見学する許可を与えられたためレックと共に各部屋を見て回っていた。 美術室だけでもいくつもあり、展示されている品も絵画や彫刻などの美術品から骨董品まで様々で、とても一日で見て回れる量ではなかった。

フィルはフォルテとエバと話したときのことをレックに説明をしていた。

「ってことで、癒しの司がどうして聖墓キュラアルティに存在していないといけないかは自分でも覚えてないんだって。どうにかしてフォルテさんの体が元に戻せたら分かるんだろうけどね」
「ふーん・・・でもシェリオが癒しの司と友達だったとはなあ・・・」

目の前の巨大な絵画を何気なく見上げながらレックが呟くように言った。

「でもさ・・・そのエバさんって、シェリオをかばって死んじゃったんだろ?なんで生きてんの?」
「・・・・・・。」
「シェリオはエバさんにそのことは聞いてた?どうして生きてるのかって」
「・・・・・・ううん、それは言ってなかったね・・・」
「ま、いっか・・・再会できてよかったな、命の恩人に。シェリオにももう1回会えたらいいけど」
「え?会えるでしょ?」
「あー・・・うん、そうだな」

レックは急に頭の後ろで組んでいた手をぱっと離した。

「えっと・・・あ、そうだ。カイさんは?食事の後いなくなっちゃったけど」
「父さんはニヒトさんのところに行ってるみたい。なんか色々道具を持ってったよ」
「・・・道具?なんの?」
「大きな本ぐらいのケースと、薬が入ってそうなチューブ数本と、紙でできた大きな箱が一つ・・・」
「何をする気だ・・・」

最高神官のところに何の用があるのか、そんなアイテムを大量に持参してどうする気なのか。色々考えてみたが二人には分からなかった。

何気なく前にある大きな絵から同時に目を逸らして隣のカラフルな装飾が施されたツボが入ったケースの正面にゆっくりと歩く。

国宝級のスゴイ職人が作り、祭りの時に展示された後王家に献上されたもの。・・・というような説明書きがある。まるで博物館のようにほとんどの展示品に展示の由来が書かれていた。

特に興味を示さず次の展示品を見ようと視線を変えたとき、ガラスケース越しに見える扉の奥に人が現れた。

「あ、いたいた。フィルくん」
「セレス・・・王子・・・」

セレスは手を振りながらいそいそと二人に近づいてきた。

「どうしたんですか?」
「シャープ姫が見つかったとか?」

フィルとレックの質問に、セレスは若干肩を落として首を振る。

「ううん、まだ見つからないんだ・・・恐らく、城の中にはいないんだろうね」

何らかの事件に巻き込まれたのか、もしかして誘拐か。しかし犯人がいるとすれば連絡が一切ないのも不気味な話だ。

「・・・今日が婚約式のはずですよね。もしかしてマリッジブルーってヤツなんじゃ・・・」
「こらレック、失礼でしょ」
「だってさあ・・・」

二人のやり取りを気にしない様子で、セレスは手に持っていた丸まった紙の束を開いた。

「あのねフィルくん、実はお願いがあって来たんだ」
「・・・おねがい?なんですか」
「ここだと人が来るかもしれないから・・・ぼくの部屋に来てくれる」
「は、はあ・・・」

フィルがぎこちなく頷くと、レックは自分を指差して首をかしげた。

「じゃあ俺は遠慮した方がいいのかな・・・」
「ううん、レックくんも一緒においでよ。いざとなったら頼みたいことがあるし」
「・・・いざとなる?」

何を頼まれるんだろうとひたすら不安になりながら、二人はセレスの後をついていった。






「では、はじめます。まずは包丁とリンゴをしっかりと持ってください」
「はーい。・・・えっと、できました。ちゃんと持ったよ」
「・・・ニヒト様、利き手はどちらですか?」
「私?右だよ」
「じゃあ包丁は右手で持つ!リンゴが左手です!」
「えー・・・決まりがあるの〜・・・?」

ここは最高神官ニーベルリヒトのためだけに用意されているセレナードの王宮の中にある貴賓室。そのだだっ広い部屋の中心に、まるで料理番組のセットのようにキッチンが作られている。

小さなキッチンを数十人の召使が取り囲んでいて、その中心にはエプロン姿のカイとニヒトがいた。

「まず包丁を少しだけリンゴの皮に刺します」
「こう?」
「・・・突き立てるんじゃなくて、このように包丁を当ててください」
「力の加減が難しいなあ・・・」

リンゴのむき方を教えるという約束のとおり、カイはニヒトの部屋まで教材一式を運び込み婚約式が始まるまでの時間を利用してのリンゴむきレッスンを行っていた。

危なっかしいニヒトの包丁の持ち方に、周りの人たちははらはらしっぱなしである。 ニヒトが包丁を持ち替えるたびに落としたり手を切ったりしそうになって、世話係の側近である神官の何人かは声にならない悲鳴を上げたり卒倒しそうになっている。

「なるべく深く刺さり過ぎないように包丁を傾けて、親指で皮を引き寄せるように動かします。包丁を動かそうとするのではなくリンゴを回す感じで」
「へえー・・・なるほどー」

カイのお手本を見てニヒトは珍しそうに声を上げる。そして自分もそのようにむいてみたい、とウキウキしながら手の中にあるリンゴを見つめた。

「えいっ・・・あ」
「・・・・・・!!」

ザクっと音がして、勢いよく包丁がリンゴの中に滑り込んだ。さらにその包丁の刃の部分がニヒトの手のひらに直撃したのだった。

無言で3人ほどが周りでパタリと倒れた音がした。衛生班もすぐに立ち上がって救急箱を開けながら駆け寄ってくる。

しかし。

「あれ?切れてない」

確かにザックリといっていそうな勢いだったが、ニヒトの手からは一滴の血も出てこないばかりか皮にも何の影響もなかった。足元には半分になったリンゴが転がっている。

「カイ王子、なんかしたの?最初に塗った滑り止めのせい?」
「・・・今回は怪我をせずにすみましたが、注意深く行ってください。リンゴは柔らかいので力を入れなくても切れるんです。今の力の10分の1ぐらいから試しましょう」
「10分の1かあ・・・」

足元のリンゴはいつの間にか回収されており、カイは次のリンゴをニヒトに渡した。

今度は切るというより触るようにリンゴに包丁を入れる。そしてカイがやっていた動かし方を思い出しながら親指でリンゴの皮を引っ張った。

「・・・あ!どう?できてるよね!」
「は・・・はい、よそ見しないで」
「コツが分かっちゃったかも〜。すごい?」
「すごいですすごいです、手元をちゃんと見て」

嬉しそうにカイの方を何度も見るニヒトにハラハラする。周りの人たちの視線にヒヤヒヤもしている。

何回か独り言を口にしながらもニヒトの手の中でリンゴが何回転かして何度か皮が床に落ちて、それでも今度は力加減を間違えて手を切りそうになることはなく、ついにニヒトは下まで皮をむききった。

「できたー!ねえ、できたよ!」
「おおお・・・初めてにしてはかなり上出来です。今日初めて包丁を握ったとは思えません」

カイはニヒトの手からリンゴを回収し、次に包丁を回収しようとしたがはしゃいでいるニヒトは包丁を離そうとしない。

受け取ったリンゴはかなりデコボコで皮が残っている部分も多かったが、それでも生まれて初めて包丁を使ったにしてはちゃんとリンゴとわかる丸さを残していた。

「・・・あれ?」
「わわわっ!!なにしてんの!!」

何を思ったか左手の人差し指に包丁の先を当てようとしていて、カイは夢中でニヒトの右手首を掴んで固定してもう片方の手で包丁を素早く取り上げた。

「なんか、指に包丁が当たらなかった・・・?」
「気のせいです気のせいです、とにかく初リンゴむき成功おめでとうございます!」
「・・・うん!」

自然と周りから拍手が起こった。先ほど手を切ったと勘違いして失神し、衛生班の手当てを受けていた人たちもその音で目を覚ました。

「じゃ、自分でむいたリンゴを食べてみます?」
「うん」
「それでは、今度はリンゴを等分して芯を取ってみましょう。まな板の前まで来てください」

カイがまたお手本を見せる。リンゴをしっかりと左手で固定し、丁度中心となる位置に包丁を入れた。 サックリと下まで刃が貫通し、左手を離すと ぱかっとリンゴが真っ二つになる。

そこからさらに半分にしていき、そこで手を止めた。

「ここまでやってみましょうか。丸いので気をつけて」
「もう大丈夫だよ。えい!・・・・・・あ」

勢いよく振り下ろされた包丁はリンゴをぐるりと回転させ、リンゴに刺さらなかった刃は代わりにニヒトの左手を直撃した。

今度こそ周囲から上がった悲鳴が部屋中にこだました。



「はあ、神経をすり減らした・・・まったく、私が作った薬がなければ今頃あの部屋は真っ赤だな・・・」

何とかニヒトへの講義を終えてよろよろと部屋を出たカイは珍しく憔悴しきっていた。

包丁を握らせる前に手と顔と靴に塗った透明の薬はカイが発明したもので、垂直かつ狭い範囲に集中した物体との接触を回避する摩擦を消滅させる働きがあった。

そのおかげで幾度となく起こったニヒトの己の手への斬り付けはなかったことになった。 薄くて丈夫な手袋を作って装備させるという案が最初に浮かんだのだが、素手と同じ感覚で包丁を持たせた方がコツをつかみやすいだろうと考えて薬を作った。

そのことを本人に言わなかったのは、手に包丁を突き立てても怪我をしないとわかった状態で練習させては緊張感が生まれないと思ったからである。

「・・・しかし、周りの人間には言っておくべきだったかな。何人が気絶したやら・・・」

ニヒトには今日の婚約式を執り行う仕事があるため包丁の練習にとれる時間は多くなかった。 しかしカイはできる限りのことをしただろうと疲れながらも満足していた。

レッスンのために持っていった道具を自作のカートに積み込みそれを引っ張って廊下を歩いている。 時刻は昼前、婚約式は午後3時から執り行われる予定で準備に忙しい城の人たちと何度もすれ違った。

「・・・あれ?そうか、この指輪は・・・」

調理をする前だからと外して、そして道具を片付けてから再びはめた指輪。それはカイの指の上で青白く輝いている。

「フィルがこの近くにいるのか・・・?レックと二人で美術室を回ると言っていたが・・・」

点滅する指輪の光を頼りにフィルがいるであろう部屋を探す。手をあちこちに差し出して強く光る方向を確かめた。

「あ、この部屋だ」

中からフィルの声がした。 驚いているような様子で、その声が遮られてセレスの声も聞こえてくる。

何の話をしているんだろう、とカイはべったりと扉にくっついた。通りかかる人が非常に不思議そうな顔をしている。

「・・・・・・えっ?!なになに・・・・・・えええ!?うそお?!」

もはや不審者だが、フィルのことなので周りは全く見えなくなっていた。



「どうしよう、とりあえずは父さんに相談を・・・」

先ほどのカイのように部屋からぐったりした様子で出ようとしたフィルの前を歩いて、レックが代わりに扉を開けた。 セレスも扉を支えようと手を伸ばしたが、扉の向こうに空間ではなく顔があって滅茶苦茶驚いた。

「うわあああっ?!」
「話は聞かせてもらった!!」

扉が開くと同時にカイがそう言い放った。

「い、いつからそこにいたの・・・?父さん、その大荷物は・・・」
「てっきり今日の婚約式は延期なのだと思っていた・・・しかし、そういうことならば私が、全力でサポートしようじゃないかっ!!」
「・・・・・・。」

部屋から出てきた3人はカイのテンションについていけていない。

「最高神官ニーベルリヒト殿がいらしているときに婚約式の延期は許されない・・・そして、シャープ姫の行方が知れないことを公にできない今、密かに代理を立てるしかないでしょうね」
「は・・・はい・・・」
「シャープ姫の代わりにフィルを婚約式に・・・その点について、私は賛成です」
「・・・なんで?」

各国からの来訪者も大勢ある中、理由も知らせずに婚約式を中止にすることはできなかった。 そのため花嫁のシャープの役をフィルにやってくれないかとセレスに頼まれたのである。

どうして自分が、他の女性がいいのではないかと驚いて反論したフィルだったが、 事情を知る者の中でシャープにすり替われる人が少なく、髪はカツラで誤魔化せるが赤い目の色だけはどうしようもないためフィルに決まってしまったらしい。

それならばシャープの父親のリアンではいけないのか、となおも食い下がってみたが、 セレスよりも背の高いリアンはシャープの花嫁衣裳が入らないという理由で却下された。

もっと他に、なんとか他の女性を・・・と悪あがきをしているところにカイがやってきて話を聴き始めたらしい。 レックも呼ばれたのは、式の途中で何かあったときのサポートに回ってもらうためだ。

「大丈夫だろう、どうせ服で体のほとんどは見えないんだから。しゃべることもないだろうし」
「それならぼくである必要はないでしょ・・・?」
「これ以上シャープ姫失踪の事実を広めるわけには行かない。そうですよね、セレス王子?」
「え、ええ・・・まあ」

セレスはぎこちなく頷く。

息子を花嫁の身代わりに貸してくれとどう頼もうか考えていたのだが、まさか父親がこんなに乗り気だとは思ってもみなかった。

「でもセレス王子、カイさん・・・さっきも言ったんですけど、やっぱ姫がいなくなったことをちゃんと広めて、大勢でさがした方がいいんじゃ・・・?」
「それは・・・ね・・・そうできない理由があって・・・まあ、見当違いかもしれないんだけど一応・・・。そのことは今は置いておいて、婚約式を乗り切ろうということになっていてね・・・」
「・・・・・・??」

自然と4人で歩き出している。カイが先頭を歩いており、それに3人が何となくついていっている。

レックは不満そうに腰に手を当てて首をかしげた。

「俺たちには言えない理由、ですか?」
「母上に直接・・・・・・いや、うん、そうだね。今はもうちょっと待ってほしい。何とか今日を乗り切りたいんだ、フィルくん、どうか承諾してくれないかな」
「・・・・・・。」

あきらめたようにがくっと肩を落とす。目にも力が入らず半分しか開いていない。

「・・・分かりました、もし父さんがダメって言ったら断ろうと思ってたんですけど・・・。なんか父さんがノリノリだし、バレないって保証があるなら・・・いいですよ。やります」
「ありがとう、フィルくん」

ほっとしたようにセレスは微笑んだ。

「やるからにはしっかりやるぞ!私が最高品質のカツラを作成しよう」

セレスの横では、この場の誰よりもやる気がある人が意気込んでいた。

「今からですか・・・?カイさん、婚約式は夕方の3時からですけど・・・」
「4時間もあれば十分だ、私が作業をしている間にフィルは式の段取りの説明を受けてなさい。それにドレスを着て歩くのはなかなか大変だぞ、ましてや式で着るドレスなんて一人で歩くのすら苦労するからな」
「・・・そうなんだ・・・」

カツラだのドレスだの、普段の生活では全く縁のないものの名前を聞くだけで既にフィルは疲れていた。 ついにカイの部屋に辿り着き、カイはどこかウキウキしながら部屋に入っていった。先ほど言った最高品質のカツラを作るのが楽しみでしょうがないらしい。

「・・・じゃあ、フィルくんはお借りしていきます。打ち合わせがありますので」
「分かりました、衣装合わせの時間までにはカツラを仕上げておきます」
「ええ、では・・・」

今からどうやるんだろう、とその場にいた人間は思ったが笑顔で扉が閉められてしばらく立ち尽くしてしまった。



    






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