その人は、ボサボサの金髪をさらに手でぐしゃぐしゃにしながら空いている方の手で眠そうに目をこすっている。 荘厳な王宮の広いホールに似つかわしくないその人は、カイの顔を半開きの目で見て あっと声を上げた。

「あれ、キミは・・・コンチェルト国の、カイ王子?」

寝ぼけた声が聞こえて、カイはだれだろう、と顔を覗き込んだ。 改めて目の前の人を注視し、そして思わず後ずさる。

「え、え・・・!?こ、これは、最高神官ニーベルリヒト殿!?お一人ですか!?あ、大丈夫でした!?」

動揺しながらも手が当たったことを思い出して駆け寄った。ニヒトは何も気にしていない様子でこすっていた目から手を離した。

何気なくニヒトの手の行く先を目で追うと、もう片方の手になぜかリンゴが握られているのが見えた。

「・・・・・・あのう、それはなんですか?」
「え〜?リンゴだよ」

それは見て分かる、と言うわけにはいかなかった。

「な・・・なにか特別なリンゴなのですか?」
「普通のおいしいリンゴだよ」
「・・・なぜそれを持ち歩いていらっしゃるのですか?」
「ああ〜、それがさ」

ニヒトはリンゴを両手で包むようにして撫でている。なにしてんだろう、と思ったがやはり聞けなかった。

「シェリオくんが食事の時間になったのに帰ってこなくてさ。リンゴは皮むきたてが好きなんだけど、 皮をむいてくれるシェリオくんがいないとリンゴ食べられなくて。どこ行っちゃったか知らない?」
「・・・・・・。」

カイは普段から活性させまくっている脳細胞をさらにフル稼働させて考えた。 考えた結果、例え年上でましてや最高神官の地位にある人物であっても、ちゃんと言ってあげるべきことは言ってあげようと思ったのだった。

「・・・ニヒト殿」
「どしたの」

意味もなくリンゴを手のひらに乗せて片手で突きながらきょとんとして首をかしげた。

「今まで、何もかもやってもらっていたのかもしれませんが・・・自分でやる必要はなかったんでしょうが・・・ニヒト殿は最高神官として誰にもできないことをする力をお持ちです。 しかし、生きていく上で必要なことは人間誰でも同じはずです。リンゴのむき方ぐらいは習得するべきですよ」
「でもシェリオくんがやってくれるから」
「万が一ですが、シェリオ殿がいなくなったらどうするんですか」
「・・・・・・。」

他の人がやってくれる、という返答を予想していたがそうではなかった。リンゴをじっと見つめてなにやら考えている様子である。

カイよりニヒトの方が背が高く、下を向いているニヒトを見上げると顔を覗き込むことになった。

「・・・考えたことなかったなあ・・・シェリオくんが来る前は、別の人がやってくれてたし・・・」

カイと目を合わせることなく、ぽつりと言った。なんか子供みたいだな、と思いながらカイは上体を起こす。

「このメルディナで一番大切にされる存在でいらっしゃるし、そのためにこれからも日常生活を多くの人に支えられるでしょうけど・・・ やっぱりリンゴぐらいは一人で食べられるようになりましょう。」
「カイ王子が教えてくれるの?」
「え?」

また予測していなかった返答にカイはペースを乱された。最高神官の近くで包丁を持って立つことなどまず許されるはずがない。

「わ・・・私にはちょっと・・・」
「カイ王子の息子さん見たよ。すっごくいい子だった。私もカイ王子に育ててもらいたかったなあ」
「・・・物理的にそれもちょっと・・・」

カイが物心ついたころはニヒトは既に成長期真っ只中ぐらいで、時期的に無理である。

「セレナードには婚約式のために来たんでしょ?滞在している期間ぐらいあればリンゴはむけそうかな」
「一時間もあればむけますよ」
「滞在している間、私の部屋に来てほしいな。周りのみんなにも言っておくからさ、ね」
「ええー・・・」

今はシャープ姫がいなくなって婚約式どころではないし、フィルがいなくなってしまって気が気でない状況。 ニヒトのために今はとりあえずリンゴをむいてあげたかったが、そういう便利な道具は全部部屋に置いてある。

人通りの少ない物陰で会話しているので人目につかずニヒトと接していられているが、このまま廊下を通って自分の部屋までニヒトを連れて行くことはできなさそうだった。

もはやなんて言ったらいいやら、と頭を抱えているとニヒトが あっ、と人差し指を立てた。

「そうだ、頭がいい人に聞こうと思ってたんだ」
「・・・こ、今度はなんですか」
「あのさ、「空を飛ぶ少年」って知ってる?」
「そらをとぶ?しょうねん??」

急に何を言い出すんだ、と心で呟きながら話の飛躍についていこうと必死に頭の中を立て直す。

「知らない?私の家の近くの町ではよく目撃されているらしいんだ。ふわーっと飛んで行っちゃうんだって」
「・・・心霊現象ですか?だとすると専門外なんですが・・・」

私に専門はないけど、とも思ったがそれは言わなかった。

「違うよ〜、昼間は町に来るんだけど夕方になると突然空に浮き上がって消えちゃうんだって。カイ王子なら知ってるかなって思ったんだけど・・・」
「なぜそんなことを私にお尋ねに・・・?」
「えっとね、空飛んでみたいなって思って。その噂がホントなら、その飛ぶ方法で私も飛べるかなって思ってさ」

わくわくとそう語るニヒトの金色の目は、本物の金のようにキラキラしている。いよいよ本当に子供と話しているような気分になってきて、カイはため息をつきそうになった。

「・・・まあ、空を飛ぶものぐらいなら作れますが」
「作れるの!私にくっつけたら飛べる!?」
「くっつけるというか、私が昔に描いた設計図は乗り物でしたが・・・」
「それに乗れば飛べるの!作って作って!!」
「・・・作っても、あなたを乗せて飛ばすなんてとてもできないですってば」

どうも自分の立場を全く分かっていないようだった。 しかし、普段は近寄ることすらできない人物がこんなに日常生活すら事欠く器量と子供よりも純粋無垢な思考力の持ち主だということは思いもよらなかった。

今は色々事件が起こりすぎて何とかしなければならない状況ではあったが、自分のコンチェルト国の王子という立場があれば他の人よりも最高神官に接することを許されるかもしれない。 そして人間として必要最低限の能力を指導できるならしたい、自分しかできないなら尚更そうしたいとも考えた。

ニヒトを取り囲む多くの人たちにとりあえず話をしなければ、と思ったときにとても大切なことに思い当たった。

「・・・あの、そういえばニヒト殿」
「なに?」
「お一人でいて大丈夫なんですか?探している人は?・・・というか、どうやってここに?」
「あー」

リンゴをポンポン、と手のひらに移動させている。

「抜け出してきた。素早く動く魔法使って」
「・・・・・・なにしてんの」

これが我が子だったら正座させて理解するまでお説教というところだがそうするわけにもいかない。

最高神官さまがいないことに真っ青になっているかわいそうな人たちのもとに、早くかえしてあげなければ。しょっちゅうこんなことをしているならば、慣れっこなのかもしれないが・・・。

何にしてもこのままじゃいけないと思い、行動を起こそうとしたそのとき。

「・・・・・・あ、光った」

カイが先ほど部屋から持ち出してきた、カイの指にはまっている指輪の宝石が急にライトのように光った。青色にピカピカと点滅している。

「えっ、なにそれ?」

ニヒトは興味深そうにカイの手を見つめている。

「これは、息子が近くに来たら反応するようにできている指輪です・・・あ、白くなってきた」
「すごーい!見せて見せて」

大きなリンゴを床に直接置いてからカイの手を取った。食べ物を直接床に置いて・・・と小言が出そうになったがそれどころではない。

「ホントだ色変わってる〜、どうなってるの?」
「遠いと青く、近づくに連れて白色になっていきます・・・あ、近い近い・・・」

点滅しながらその光は水色を経てどんどん白くなっていく。

「てーっ!」
「た、助けてー!!」

フィルがカイとニヒトの横を走って通り過ぎていった。ものすごい勢いで走っていたため、扉の向こうを通過したフィルが見えたのは一瞬だった。

しかし、その姿はニヒトにも見えていたらしい。

「あれ?今のってフィルくん?助けてっていってたね」

のほほんとリンゴを拾いながらそう言うニヒトだったが、カイはあれがいつものフィルなのかそうでないのかを考えていた。

それに、フィルの後ろから何かもう一つ小さなものが走っていくのも見えていた。

「・・・なんだったんだろう今の・・・なんか、黄色いクラゲみたいなのに追われていたような・・・」
「行ってあげなくていいの?」
「え」

でも、いくら王宮内とは言えニヒトを一人だけにして置いていくわけにもいかない。せめてリンゴはむいてあげたい・・・そう思っているのがニヒトには分かったのかもしれなかった。

「行ってあげなよ、私は大丈夫だから」
「ですが、お一人にするわけには・・・」
「シェリオくんを探してるだけだから平気」

しかしシェリオは今、アリアやレックと共にフィルを探しているはずであり、すぐにニヒトの元に行けるとは思えなかった。

「見つからなくても大丈夫!カイ王子の指導をいただけるまで、リンゴは我慢するよ!」
「・・・・・・そうですか」

なんか違う、と思いながらも何か少し成長したような錯覚も起こったので素直に頷くことにした。そして何より、ニヒトの気遣いに感謝した。

「ではフィルを追いかけてきます。・・・そこの君、この方のリンゴをむいてあげてくれ」

ニヒトに礼をしてから、料理を運ぶために通りかかった女官二人を呼び止めてリンゴを指差した。女官はカイの顔に驚き、さらに後ろにいたニヒトを見て悲鳴を上げた。

その瞬間にカイはニヒトから離れて駆け出した。

「包丁の指導は後ほど伺います。ではっ!」
「うん」

手を無気力に振ってカイを見送っている間に、女性の叫び声に気づいた人たちに囲まれてしまった。 周りにいる人の誰かにリンゴをむいてもらえばいいか、と思って隣に来た召使にリンゴを差し出そうとする。

しかし途中でその手を止めた。

「生きていく上で必要なものは同じかあ〜・・・」

ニヒトの呟きは、ニヒトを護りながら歩く人たちの道をあけてくださいという大きな声にかき消された。皮をむけるような刃物は持っていなかったので、とりあえずリンゴに爪を立ててみる。

しかし当然、むけるはずはなかった。ニヒトの爪は、短く綺麗に切りそろえられて磨かれていたからだ。

「・・・私、多分 自分の爪も切れないな・・・」

今まで考えたこともなかったが、何となくそれが寂しい感じがした。






一方、先ほど少しだけ姿が見えたフィル。カイとニヒトのそばを通り過ぎる少し前、フィルは気づいたら大きな肖像画の前に立っていた。

どうやら歴代の国王の肖像画が飾られている部屋のようで、深い青の髪の色をした男性が椅子に座り机の上に手を置いた姿勢で描かれている絵がずらりと並んでいる。

たまに全然違う風貌の人もいたり子供だったりと、結構バリエーション豊かだ。古いのであろう方向の絵は絵の具や額縁も古めかしい感じになっている。

何気なくぼーっとその絵を眺め、全部で何人いるんだろうと考えようと頭を働かせた瞬間、眠りから醒めたように頭がしゃきっとしてなぜ自分がここにいるのかということに疑問を抱いた。

力なく立っていたはずだが、右手だけはぎゅっと爪が食い込むほど握り締めていることに気づく。右手をほぐすように左手で指を開いていると、背後に何かがいる気配がした。

「・・・・・・。」

誰かいるのかと問いたかったがなぜか訊けず、振り返ろうにも勇気が出ない。しかしそのままというわけにもいかないと考え、何度も何度も深呼吸して、意を決して勢いよく振り返った。

「誰っ!?」

だが、振り返っても誰もいなかった。振り返るとその部屋はものすごく広く、フィルは部屋の一番奥にいたようだ。

遠くに大きな扉があり、半分開いているのが見える。部屋の中は薄暗かったが、その扉から光が漏れてきていた。

ここは行き止まりだし、とりあえず部屋の外に出ようとその扉の方向に歩き出した。

「・・・おっ?」

前に進もうとしたが、体に不思議な反発する力を感じて押し戻された。歩くために前に重心をかけたがそのままゆっくりと元の位置に立つ。

なんだ今の、と足元に目をやってみると、そこには何かがいた。

「な・・・なにこれ?」

フィルの目の前で、長い紙切れのようなものが揺れていた。試しにもう一度前に出ようとすると、その紙切れがひとりでに折りたたまれて板状になり、フィルの体を押し返した。

紙切れを掴もうとすると、どこからともなくもう一枚紙切れが現れてバシっと手を弾かれる。

「いだっ」

思わず手を引っ込める。しかし、その紙切れは突然ベシベシベシと手のひらで叩くように連続攻撃を仕掛けてきた。

「うわっ、うわわわ・・・なんだなんだ・・・!?」

さらに後ろに下がり距離をとると、その紙切れが黄色いリボンであることと、そのリボンの先に小さな子供がいることが確認できた。

その間もリボンの猛攻は止まらず、顔や肩をひたすらペシペシ叩かれ続ける。口を叩かれて思わず口元を手で拭った。

「ちょっと・・・なにすんの!?こら!きみ、誰!?」
「うー・・・」

リボンを片手で握ると、その手にもう片方のリボンが巻きついてきた。そうしてリボンの動きが止まり、やっと改めてその子供を見下ろすことができた。

「とった!しゃーにいとった!!」
「・・・はあ?」
「ララの!ラーラーのー!!」
「な、なに言ってるのかぜんぜんわかんない・・・」

フィルを攻撃していたのは子供の帽子の左右の三日月の飾りからのびていた黄色のリボンで、舌足らずな口調でわめくのと同時にリボンに力が込められているようだった。

フィルの反応にさらに怒ったらしく、子供特有の高い声でなにやらまくし立てている。なんとか落ち着かせようと、とりあえず力任せにリボンを押し返して頭を撫でに行ってみた。

「は、はじめまして・・・?ぼくはフィルっていうんだ。キミは誰?どうして怒ってるの?」
「こえ、ララ。ララのしゃーにいとったの」
「・・・・・・??」

辛うじて「ララ」と聞こえたが、発音的には「やや」に近い。それ以外は何も分からなかった。

「ララ・・・っていうのかな?しゃーにいってなあに?」
「とったらわゆいの!!ララみたの!!わゆいわゆい!!」
「ひええっ!」

一旦落ち着いたのにまた火がついてしまったらしい。「わゆい」とは「悪い」だろうかなどと思ったが目の前の光景はそれどころではなくなっていた。

ララと名乗る子供の帽子のリボンは先程より力強く鞭のようにフィルのことを叩き始めた。みみず腫れとまではいかないが赤い痕になりそうなぐらいの強さで、さらに先程よりもテンポがずっと早い。

「ちょっ・・・と、これは逃げないと・・・!!」

フィルは心の中でごめんなさいと謝ってから、調度家具の燭台が置かれた絵の下にあるテーブルに素早く飛び乗り、 帽子をおさえて下を向いて攻撃をリボンに任せている子供の上を高く跳んで越えた。

「よっと・・・!」
「あー!!」

空中で一回転して体勢を整えてリボンつきの子供の背後に着地し、そのまま一目散に半分開いている扉めがけて走り、部屋と得体の知れない人物から逃亡したのだった。

背後から非難するような高い声は、子供とは思えないほど速いスピードで追ってきていた。

「なんなんだあの子は・・・!?」



    






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