ばっ、と姿を見せたのはカイだった。一人の供もつけずに息を切らせて走ってきた様子である。

「か、カイさん!?」

息を整えるためにしゃべらずに何度か呼吸を繰り返していたが、フィルの前にいるシェリオを見つけて あっ、と声を上げた。

「これは、シェリオ・ソルディーネ殿?」
「え、ええと、カイさんってことはもしかして・・・」
「私はコンチェルト国の皇太子カイです」
「げげげ・・・は、はじめまして・・・」

カイを上目遣いで見つめたままそっと頭を下げる。お辞儀が終わるまでシェリオを見ていたカイだったが、ぱっとレックに視線を移した。

「レック、ちょっと来てほしい」
「な・・・なにかあったんですか?」
「確認してほしいことがあるんだ・・・本来ならばコンチェルトで話すべきなんだが、ここセレナードの王宮にもジェイドミロワールはある。とにかく来てくれ」
「えっ・・・ええと」

なんか急がなきゃいけない様子だということを悟ったレックは、少し悩んでからシェリオの肩に顔を寄せた。

「シェリオ、俺が帰ってくるまで絶対にフィルと一緒にいてほしいんだけど」
「・・・フィルと?そりゃ構わないけど・・・」
「絶対だぞ。離せって言われても離すな。騒ぎが大きくならないように・・・暴れたら押さえ込んで」
「な・・・?!」

何が起こるんだよ、と言いたかったが絶対だぞ、と言い残してレックはカイの方に行ってしまった。残された二人はポカーンと誰もいない空間とその後ろにある壁を見つめた。

「・・・おいフィル、どういうこと?」
「その・・・」

フィルはもじもじと後ろで手を組む。

「・・・ぼく、たまに意識が飛んじゃうことがあるんだ。その間に周りの人は苦労してるみたいで・・・」
「なんだそりゃ・・・まあいいや。まさかこんなところで会えると思わなかったから驚いたよホント」

フィルに歩み寄って、シェリオは手を伸ばした。手を取ろうとしたが、フィルがその手をぱっと引っ込める。

ん?と思ってフィルの顔を覗き込もうとするも、フィルの顔は伏せられてしまっていて表情が見えない。まさか、とシェリオは素早くもう片方の手を伸ばしてフィルの左腕を掴んだ。

「はっ・・・離せよ!!」

フィルが叫んで全力でシェリオを振りほどく。つかまれていない方の右手がシェリオの顔に飛んできた。

「いでっ!!」

額を手のひらでベシっと押されてひるんで手を離してしまい、フィルはシェリオから素早く飛び退く。シェリオはそのまま壁に背中をぶつけてしまった。

「・・・あれ、お前はいつものあいつじゃない・・・?」

殴られたおでこをさすっているシェリオを見下ろしながら、フィルが小さくそう言った。言われている意味はよく分からなかったが、よっこらせとシェリオが立ち上がる。

「お前・・・フィルじゃないな。ついさっきまでフィルだったのに、お前は誰なんだよ?レックが言ってたのはこのことだったんだな・・・」

低くそう言うシェリオに怯えてか、フィルは後ずさって間合いを取った。

「何となく話が見えた。・・・お前か。フォルテを殺したのはお前だな?!」
「!!」

フィルは赤い目を見開いて、数歩後ろに下がった。タイミングを見計らって、シェリオは一歩踏み出すとともに両手を前に出して魔法を打ち出した。

「ファイアー!!」
「うわっ!!」

走って逃げ出そうとした瞬間だったため、シェリオが放った魔法はフィルの左肩に当たった。そのままバランスを崩して床にどさっと倒れたところをシェリオが押さえつける。

「このっ・・・動くなっ・・・!!」
「うう〜っ・・・離せ・・・!」
「離すかっ・・・!レックに絶対に離すなって言われてるからな・・・おい、お前は誰なんだよ・・・っ!?」

左手を後ろ向きに捻られてうつ伏せの状態で肩を床に押さえ込まれていてフィルは身動きが取れない。シェリオの問いかけにもひたすら暴れるだけで返事はなかった。

「俺には分かるんだぞ!お前はフィルじゃない!!ついさっきまでいたフィルはどこ行ったんだ・・・!」
「・・・ちくしょう、離せってば・・・!!」

このままじゃ誰かが通るかもしれないな、とシェリオが思った瞬間にフィルが胸の下敷きにされていて動かせなかった右手を体の下から引きずり出した。

その右手を開くとその手の中が光り輝き、氷のような刃が出現した。

「なっ・・・なんだそれ?!」
「このっ!!」

押さえ込まれた状態で必死に上体を起こし背中にいるシェリオめがけて刃を突き刺した。しかしとっさにシェリオはフィルから離れてその攻撃は何とか避けた。

素早く転がるように立ち上がったフィルは、刃をシェリオに向けたままゆっくりと下がる。

「・・・来るな。それ以上動けば、この城の中の誰かを凍らせる。・・・永久に凍らせるぞ」
「どういうことだ・・・そのナイフはなんなんだよ・・・?」

十分距離をとったと判断し、手から氷の刃を消して一気に走り出した。

「あっ、おいっ!!」

シェリオも手を伸ばして追いかけたが追いつけず、廊下の突き当たりの大きな窓のガラスを破ってフィルは城の外に飛び出していってしまった。ガシャーン、と大きな音が辺りに響き渡る。

窓に駆け寄りガラスの破片が残る窓枠に手をかけて外を見たが、そこには城に従事している人たちが行き交う庭が広がっているだけでフィルの姿はどこにもなかった。

しばらく呆然と窓の外を眺めていたが、廊下を歩いてくる人の声にはっと我に返った。

「・・・ど、どうしよう。レックに絶対に離すなって言われたのに・・・あいつどこ行ったんだろ・・・」

割れたガラスのことをなんて説明しよう、とか、逃げた先で何か起きたらどうしようとか、色々なことが頭をよぎったがとにかく今はフィルの父親とレックのところに行くのが先決だと判断し、 シェリオがいる方向に近づいてきて窓ガラスが盛大に割れているのに気づいた人たちに心の中で謝ってから体勢を立て直して大急ぎで走り出した。






「カイ王子!レック!!」

シェリオは廊下で何人もすれ違い追い抜かし、ぶつかりそうになりながら走り続けた。丁度二人が扉から出てくるところを発見し、大声で叫ぶ。

「シェリオ?・・・フィルは?」
「ごめんっ!!」

相当走ってきたはずだが特に息を切らす様子はなくシェリオは思い切りレックに向かって頭を下げた。

「どうしたんだ・・・まさか・・・」
「必死に止めたんだけど・・・なんか氷のナイフみたいなので刺されそうになって、結局逃げられた・・・」
「さ、刺されそうになった・・・!?」

カイとレックはぎょっとして顔を見合わせた。

「ま・・・待てよ、フィルの剣はこの部屋に置いてあるはずなんだけど・・・」
「近くに武器が置いてあったのか?」

二人が口々に尋ねるが、シェリオは首を振った。

「・・・ううん、なんか魔法みたいな力でどこからともなく取り出したって感じだった。このファラを聖玉から環にするときみたいに」
「・・・ん?」

シェリオが首から提げているファラを指差すと、カイが興味深そうに顔を寄せた。

「それは・・・火の聖玉ファラ?なるほど・・・研究の材料にしてみたいな」
「け、研究ってなんの・・・?」

壊されたら大変だ、とシェリオは思わずファラを引っ込めた。シェリオの行動にカイは残念そうにしていたが、それどころじゃない、と手を叩いた。

「フィルが逃げるところを見た者は?誰か途中で通らなかったか?」
「いいえ・・・フィルがガラスを割って行ったところは俺から大分離れたところだったから誰か見てたかもしれないけど、攻防してるところは多分誰にも・・・」
「そうか・・・・・・えっ、ガラス割ってった?」
「は、はい」

迷惑をかけてしまった、とカイは片手で頭を抱えた。

「・・・まあ責任は親である私が負うが・・・今頃あちこち破壊して回ってないだろうな」
「いつもこういうときのフィルって、どこで何してるんだろう・・・」

日は暮れているので外はすっかり暗く、探しに行くにもどこを探せばいいか分からない状況だった。

「・・・あのフィルってしょっちゅう別人になって逃げ出そうとするんですか?」

うーん、と考え込んでいる二人の横からシェリオが言った。すると、急にカイが嬉しそうにシェリオの肩を叩く。

「別人?そう思う?私たちもそう思ってる。あれは気まぐれや病気じゃなくて、フィルとは違う誰かが憑依してるとかそんな感じだよな!そう思ってくれるか、よかったよかった」
「・・・いや、憑依してるほうが問題あると思うんですけど」
「癒しの司を殺したのは絶対にフィルじゃないって、そう思うかっ?」
「そりゃ・・・まあ・・・」
「よしよし。じゃあ3人で手分けしてフィルを探しに行こうじゃないか」

両手でシェリオとレックの肩をそれぞれ叩き、そしてドンッと背中を押した。と、同時に。

「あっ・・・!カイさん、レックくん!それに・・・シェリオ!?」
「ん?」

固い床の音をカンカン、と立てながら走ってきた人物はアリアだった。相当急いで走っていたらしく、息が切れている。

駆け寄ってきたアリアは、シェリオの上着の袖を両手でぎゅっと握って下を向いて息を整えている。

「アリア・・・?どうしたんだ?」
「・・・はあ、はあ・・・」

息をするのに必死で、たまに呼吸を止めてまた深く呼吸をする、を繰り返している。どうしたんだろう、と思いながらもレックが二人の様子を見て ああ、と声を上げた。

「そういやアリア王女はシェリオとは知り合いなのは当然ですね。一緒に戦った仲なんだし」
「はあ、はあ・・・レック、くん、私に敬語使わなくて、いいよ・・・」
「・・・・・・そう言われても」

途切れ途切れにそう告げられ、レックは反応に困って頭をかいた。アリアの様子を気にしながら、袖を引っ張られているので動けないシェリオがレックに向かって笑った。

「はは、アリアはそういうの苦手だよな。俺たち歳も近いんだし、それでいいんじゃん?」
「そういうもんなのかな・・・・・・ってかアリア王女、何をそんなに急いで・・・」

やっと息が整ってきて、アリアが顔を上げた。横でカイも扇を口に当てながら様子を気にしている。

「どうしよう・・・」

シェリオの緑色の目を見つめながらアリアが小さく呟いた。さっきから様子が変だとは思っていたが、アリアの目に涙がうっすらたまっているのを見てぎょっとする。

「ど、どうしたんだよ?」
「・・・どうしよう・・・シャープが・・・」

シャープ姫に何かあったのか、と一同に緊張が走った。また下を向いてから一呼吸を置いて、静かに口を開く。

「・・・シャープが、いなくなっちゃったの」

アリアの言葉に、その場にいた全員が凍りついた。しかし誰も何も言わず、アリアの説明を待った。

「侍女たちに護られてたんだけど、突然何者かが連れ去ったって。今も捜索してるけど、どこにもいないって・・・」
「な、何者かが・・・」
「連れ去った・・・」

その可能性を考えたくなかったが、アリア以外の3人は同じことを考えていた。そんなことは知らないアリアは、どうしよう、と言いながらシェリオの服を引っ張り続ける。 パニックに陥っていてそのまま泣き縋ってしまった。

「わっ・・・私、なにが、あっても・・・一生シャープの傍にいるからって・・・何がきてもっ・・・今までと・・・同じように、 絶対に、守るからって・・・!私の、大切な、お姫様って・・・・・・っ、約束したのに・・・約束したのに・・・・・・!!」
「おい・・・落ち着けってば」

ガクガクと揺さぶられながらも、泣きじゃくるアリアに落ち着かせるように声をかける。両腕は袖を引っ張られているので動かせなかった。

「・・・カイさん、シャープ姫が結婚する相手って、セレス王子ですよね・・・」
「そう聞いてたけど・・・今はそれどころじゃないって感じだよね」
「・・・ですね」

自分たちよりアリアのことをよく知っているであろうシェリオが落ち着いた様子なので、カイとレックはそのことについては今はあえてきかないでおくことにした。

シェリオは、ここで泣いてても仕方ないだろ、報告を待てないなら探しに行こう、とアリアを説得している。 そのやり取りをしばらく見ていたが、やっとアリアは落ち着いてきてシェリオの袖から手を離して涙だらけの顔をぐいっとぬぐった。

「・・・ゴメン、なんか取り乱しちゃって・・・ここで泣いてても仕方ないよね、探しに行かなきゃ」
「よしよし」

まだ涙声ではあったが、少しいつもの調子を取り戻したアリアにシェリオは安心して頷いた。落ち着いて周りの状況が見えるようになったらしく、辺りを見回す。

「シャープは中庭の廊下を歩いてる時に連れ去られたんだって・・・みんなで庭に下りてみる?」
「外か・・・暗いし、離れ離れになったら連絡取りづらいからみんなで行った方がいいかな」

そう言いながらシェリオがカイとレックの方を見た。二人もシェリオと目を合わせて頷く。

4人が歩き出した時、あっ、とカイが小さく声を上げて立ち止まった。カイの前を歩いていたレックが振り返る。

「カイさん?どうしたんですか」
「あ・・・シャープ姫を探すのも大事だけど・・・」
「そうだった・・・フィルを探さないといけませんよね・・・」

早足で階段を下りていってしまうアリアとシェリオには二人の会話は聞こえていなかったが、 カイがついてきていないと気づかれたらアリアにフィルがいないことの説明をしないといけなくなる。

「レック、二人と一緒にシャープ姫を探してきて。私は部屋に戻ってからフィルを探してくる」
「え・・・カイさん一人でですか?俺も一緒の方がいいんじゃ・・・」
「うーん・・・どちらかはあの二人と一緒に行動した方がいいと思うんだ。既に手は打ってある、任せといてくれ」
「はあ・・・」

自信ありげに頷かれて、レックは曖昧に返事するしかなかった。 凶暴な状態のフィルと、非力なカイの二人だけになったらどうなっちゃうんだろうか・・・と心配になり何度か後ろを振り返りながらもレックはシェリオとアリアを追って階段を下りていった。

それを確認してからレックと二人で出てきた部屋にまた入った。

そこはセレナードの王宮にいくつも備えられている来賓用の部屋だったが、一国の王子を迎えるための非常に広い部屋で中には数人の召使達が常に待機している。

しかしその者たちに特に命令を与えることもなく、部屋を真っ直ぐに進んで自分の荷物をあさった。

「えーと、確かこの指輪だったな・・・」

ケースにはまったいくつかの指輪の中から一つを選んで取り出して右手の人差し指にはめる。パチン、と音を立ててケースを閉じてカバンの中にしまって立ち上がった。

幾らかウキウキしながら部屋を小走りで出て行った。何をしているんだろう、と部屋を掃除していた人たちはカイの行動を一部始終見届けて、後姿を眺めていた。

「フィルが逃げ出したのはあそこの窓か・・・中庭にいたシャープ姫がさらわれたとなると・・・」

割れたガラスの周りには人だかりがしていて、すでに片付けや原因究明が始まっているようだった。頭の中で城の中庭の構造を思い出して、歩いていた方向を右に変更した。

指輪がはまった手を前に出して、何かを探るようにあちこちに腕を向ける。巨大なランプの後ろに誰かがいる、と手を出したまま裏側を覗こうと身を乗り出すと。

「うわっ・・・!」
「・・・えっ?」

ランプの向こうにいた人物もこちらに向かってきていたようで、前に出していた手に胸の辺りがぶつかった。パンチしちゃった、とカイは慌ててよろけた目の前の人物に駆け寄る。

「し、失礼いたしました・・・大丈夫ですか?」
「ん〜・・・・・・ごめん、前見てなくて・・・」



    


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