「レン、海に行かない?」
「メイプル・・・」

人通りは全くないが、いくつか家が立ち並ぶ石畳の道。はちみつ色の髪の少女が花壇の前で佇んでいた黒髪の少年に声をかけた。

レンと呼ばれた少年は、驚いて振り返った。

「う、海に?どうして、海には用がなければ近づいちゃいけないんじゃなかった?」
「いいの」

メイプルは笑みを浮かべたまま後ろに手を組んで首を横に振る。レンの横まで歩いてきて、空を見上げながら明るく言った。

「レンは海に近づいていいんだよ」






建物が並ぶ場所から出てすぐの場所に、海は広がっていた。静かに波が打ち寄せてきては、次の波に覆われて消えていく。

海から風が吹いてきて、メイプルの花の形の髪飾りを揺らした。

「レンとしゃべるの、久しぶりだね」
「そ・・・そうだね」

レンはどぎまぎしながら、自分の髪の間からそっとメイプルを覗き見た。メイプルは少し目を細めて、傾き始めた太陽に照らされる海面を眺めている。

「海って綺麗だよね」
「うん・・・」
「あの海の向こうにさ」

レンの前につかつかと歩いて行き、両腕を広げた。逆光でメイプルの体の輪郭が輝いて見える。

「消えていったんだよね。悪い子が。ローズマリーになって」
「ローズマリー・・・・・・」

レンは頭から少し飛び出ている髪のひとふさを掴んだ。途中まで指を通し、そしてそのままぎゅっと髪を握り締める。

「メイプル・・・悪い子って、本当に悪い子だったんだと思う?」
「・・・え?」

少しだけ驚いたような声色の返事が聞こえてきた。しかし表情はメイプルの顔が陰に隠れていて見えない。

「おかしいと思わない?ぼくたちは、なんのためにアッシュ様の命令を聞いているのか・・・少しでも逆らう者はローズマリーにならないといけないのか・・・そもそも、この国はどうやって・・・」

さっ、と メイプルが人差し指を立ててレンの口の前に置いた。思わずレンは口をつむぐ。

いたずらっぽく笑って、メイプルはくるりと振り返り歩き始めた。

「それを考えるのは悪い子だよ。レンだってわかってるはずだよね?」
「で、でも・・・」
「何も考えなければいいのに。今のままでいいのに。レンも悪い子になっちゃったんだ」
「メイプル・・・!?」

右腕を横にすっと上げて手を開くと、手の中に薄水色の光と共にナイフのようなものが現れた。氷のように透明なその刃をレンに向かって真っ直ぐ向ける。

メイプルはその刃越しにレンを見てくすっと笑った。

「・・・アッシュ様のご命令。レンをローズマリーにして処刑すること」
「そっ・・・そんな・・・」
「余計なことを考えなければよかったのにね」

逃げようと走り出したレンの腕を素早くつかんで、レンの肩に刃を突き刺した。

「う・・・わ・・・ああ・・・」

バキバキ、何かが割れるような音を立てて刺された箇所を中心にレンの体が凍結し始める。

「・・・この「凍結の牙」で刺された者の時は凍りつく。海の向こうに流れ着けばローズマリーになる。今までレンだってこうやってたくさんの人を処刑してきたじゃない」
「待って・・・助けて、メイプル・・・!!」

半分凍ってしまった顔を思わず手で覆い、メイプルに向かって手を伸ばした。足は固まって動かせなくなり、がっくりと膝をつく。

レンの肩を掴み、顔を近づけて無邪気に笑った。そして、完全に凍ってしまったレンの体をガン、と海に向かって蹴り飛ばした。

「・・・さようなら、レン」

大きな波が寄せてきて、レンは海に転がるように消えていった。それをしばらく見つめていたが、何かを思い出したようにポン、と手を叩く。

「さっ、アッシュ様に褒めてもらおっ!」

ついさっきの残酷な行為はなかったかのように明るく嬉しそうに振り返り、足に引っかからないようにスカートを少し持ち上げながらウキウキとメイプルは海から離れていった。






「おい、フォルテが殺されたってどういうことだよ!?」

セレナードの王宮の中。フィルは中庭での事件以来ずっとレックと行動を共にしていたが、特にフィルの様子がおかしくなることはなく夜を迎えていた。

しかし穏やかな時が流れていた王宮内に、突然なにやら怒号が響き始めている。

「殺したって誰が!?そいつはどこにいるんだ?!」

廊下をフィルとレックは並んで歩いていたが、その廊下から見回しても叫んでいる人の姿は見えない。曲がったところにいるのだろうが、それでもその声ははっきりと聞こえていた。

「・・・なんか、すごい剣幕だな。誰だろう」
「行くのやめとこうよ・・・」

フィルはレックの服を引っ張ったが、そのままレックは進んで行ってしまった。 やだなあ・・・と思いながらも角を曲がると、白い短い髪の青年が数人の大臣に詰め寄っているのが目に飛び込んできた。

思わずレックの後ろに隠れそうになったが、姿を見せた二人に青年は視線を移した。

「ん?」
「は、はじめまして・・・」

目が合ってしまったので、フィルは恐る恐る頭を下げた。レックも どうも、と会釈をする。

すると青年は二人の方に歩み寄ってきた。

「ここにいるって事は・・・もしかして明日の婚約式に招待された人?」
「そ・・・そうです、コンチェルト国の王子、カイの息子のフィルです」
「俺はフィルの護衛のレックです」
「へー・・・」

青年は腕を組んで二人をまじまじと見つめた。見られているときに改めて青年をフィルも見上げたが、彼の髪が白いことをようやく認識した。

「えっ・・・テヌートの・・・?じゃあ・・・」
「はじめまして、フィル。俺はシェリオ。一応・・・ソルディーネ家の当主ってことになってる」
「あ・・・!」

フィルは両手を口に当てた。

「おじいさまから聞いたことがある・・・テヌートの、最後の生き残りの・・・?!」
「はは、まあ俺の髪を見りゃテヌートだってことは分かるよな。よろしくな二人とも」

握手するためにシェリオが手を差し出して、レックがその手を握った。そして次にフィルがシェリオの手を握る。

そのとき、二人が同時に顔を上げた。驚いたように見詰め合っている二人を、横からレックが不思議そうに見ている。

「・・・おい、どうしたんだ二人とも・・・?」

レックの声に、二人は ぱっと慌てて手を離した。

「ええと・・・シェリオ・・・はじめまして」
「おう・・・フィル、はじめまして」
「どうしたんだよ・・・?ってか敬語じゃなくていいの?」

まだどぎまぎした様子で、レックの問いかけにシェリオは聞こえていない様子だったが軽く頷いている。

「本当にいいの?俺は平民のごく普通の人間だよ?ソルディーネ家の御当主様にフランクに接するぞ?」
「え、あ、どうぞ・・・」

何か聞こえていなさそうな反応だが、歳も近そうだしいいか、と頭の後ろで手を組んだ。

「それで・・・さっきの人たちに何を怒ってたの?」

シェリオが詰問していた大臣と思しき人物達は、いつの間にか逃げるようにいなくなってしまっていた。そのことに気づいたシェリオは、まったく、と廊下の曲がり角をにらみつけた。

「癒しの司フォルテと知り合い?」
「まあ・・・一緒に白蛇と戦ったしな」
「・・・・・・え!?」

フィルとレックは同時に声を上げた。

「シェリオ、白蛇と戦った賢者の一人?!あ、それ、火の環ファラ!?」
「そ・・・そうです」
「すっ、すごい!このお城は今、白蛇と戦った賢者だらけだ!」
「賢者だらけって・・・」

首から提げているファラをさすりながら、テンションが上がっている二人を見てため息をつく。

「・・・ってことは、癒しの司フォルテが殺されたって知ったら怒るね・・・」
「そりゃあな。この事件の詳細も全然知らないから、本当は明日ここに来る予定だったのが予定を早めて夜のうちに来たんだ。聖墓キュラアルティからエバが来るって聞いたから」
「聖墓キュラアルティ?」
「エバ?」
「いや・・・まあ、そのうち説明・・・・・・ああっ!!」

シェリオが、フィルとレックを見て突然叫んだ。何事かと思ったが、シェリオの視線は二人の背後に向かっていた。

「ニヒトさん・・・!なんで一人でフラフラ出歩いてんの!?」
「あ〜・・・シェリオくん?元気だねえ」
「ほら、もう!!ボタンが一つ掛け違ってるって!!」

二人の間を走り抜けて行ってしまった。見れば、シェリオより少し背の高い金髪の青年が眠そうに目をこすっている。

「・・・だ、誰だありゃ?」
「髪の毛がボサボサだね・・・服もヨレヨレだし・・・」

うわあ、と若干引き気味に様子を見ている。 シェリオにボタンを留めなおされている人物は、くせがついてぐるんぐるんの金髪にパジャマのようにしわくちゃの服を何枚か重ねて着ていて靴のかかとは踏まれていた。

どう見てもこの王宮に相応しい人物とは思えない風貌である。

「いくら王宮の中でも最高神官ともあろう人が、一人でうろついてちゃダメだってば!!俺が戻ってくるまで部屋で待っててって言ったじゃんか!見張りは何してたんだ・・・!?」
「あははー・・・だって退屈なんだもの。明日は近くの神殿に行かないといけないから休み時間少ないし、シェリオくん全然帰ってこないし。ねえ、晩ごはんは何か知ってる?」
「ニヒトさんは部屋で待ってりゃいいの!!外出時に何かあったら俺がどうなるかわかんないんだぞ!?」
「ははははー、そんなことないって、大丈夫大丈夫」

シェリオは噛み付きそうな勢いだが、全く気にしていない様子。そして二人のやり取りを聞いて、フィルとレックは固まっている。

「さ・・・」
「最高神官・・・!?」

顔を見合わせて目を瞬かせる。
最高神官とは、メルディナの4国の各地方にある神殿の神官の全ての頂点に立つ人間のことで、生まれつき持つ「聖心力」が最も強い人物が選ばれて就任する。

聖心力が強い人間が水に触れると水は浄化されて聖水になると言われていて非常に重んじられており、その中でも一番偉い神官ともなると国王よりも立場が上と見る人までいた。

「・・・紹介しとくか。この人はニーベルリヒト最高神官。俺はニヒトさんって呼んでる。最高神官ってのは知ってのとおりの最高神官だよ。・・・でもこんな人なんだ、夢を壊して悪いけど・・・」
「そんなぁー、シェリオくんひどいなあ」
「・・・だったら髪をとかす!!ポケットを得体の知れないゴミでいっぱいにしない!!」

そう言ってポケットに突っ込まれているニヒトの手をシェリオが引きずり出すと、紙切れだか石ころだか、全くよく分からないものが繋がっていっぱい出てきて床に散らばった。

思わずフィルとレックは目を逸らしてしまった。

「・・・ええと、シェリオはニヒトさんと一緒に暮らしてるんだ・・・?」
「まあな・・・ニヒトさんの世話係は星の数ほどいるんだけど、俺にやれって言うことも多くて、家にいるときは大抵俺が世話してるんだよ。神殿の訪問の時は神官たちに任せてるけど・・・」
「だってシェリオくんが作るムニエルは本当においしいんだもんねえ」
「・・・へいへい。とにかくもうすぐ晩メシだから、それまでは大人しく本でも読んでてってば」
「ええー、つまんない」
「ワガママを言わない!!」
「はあい」

しゅんとしたニヒトが頷いたのを確認してから、キョロキョロと広い廊下を見回す。 知っている顔を発見してその人にニヒトを連れて行ってほしいと頼むと、その人物は相当驚いているようだった。

ニヒトがのろのろと近づいて行くとすぐに人だかりができて、その人たちの中心を歩いてニヒトは部屋に戻っていった。

「最高神官って・・・話にはよく聞く人だったけど・・・」
「あ・・・あんな人だったんだな・・・」

人のカタマリを見送りながら、二人は複雑な表情を浮かべている。

「俺のことをソルディーネ家の養子に迎えたいって言ってくれたのはあの人で、さらに自分は家を継げないって理由で俺を当主として認めてくれたものすごく世話になった恩人なんだけど、 常に俺がそばにいないとなんもできない人でさ・・・服も半分は俺が着替えさせてやってるんだよ。ボタンもうまくとめられないし裏返して着るし、髪も俺がとかさないと起きたときの状態で放置だし・・・」
「・・・なんかお母さんみたいだね」
「だよな・・・エバの父さん・・・あ、ニヒトさんはソルディーネ家の前の当主の弟なんだけど、その人と大分年が離れてたから俺とは5歳しか差がないんだよ。だからお兄さんって感じかな・・・」
「世話の焼けるお兄さんだね」
「ホントだよ、ったく・・・」

ガミガミ言っているときもなんだかんだ言ってイヤではなさそうな様子だったのを、フィルは分かっていた。 当のシェリオも何となく自分でもそう感じているようである。

「あのー・・・」

そのとき、レックがおずおずと口を開いた。

「・・・余計なことだとは思うんだけど、疑いは晴らしておいたほうがいいかなと思って・・・」

そうレックが言うと、フィルも何の話をしようとしているのかが分かって神妙な顔つきになる。そして、フィルもシェリオに向き直った。

「癒しの司フォルテを殺した人間は・・・フィルだって言われてる」
「・・・そう、ぼくが疑われてるんだ」

二人がそう言うと、シェリオは二人をきょとんと見つめた。フィルよりもシェリオの方が少し背が高く、若干見下ろされている。

「でも、ぼくは絶対にそんなことしないし、第一 癒しの司さまがいる場所への行き方も知らない」
「俺もフィルのお父さんのカイさんも、フィルは犯人じゃないって信じてる。けどさっきシェリオが誰が犯人なんだって聞いてたから・・・」
「うん・・・一応、そういう話になってるって事だけは知ってて・・・」

顔色を何度も伺いながら話す二人を目を丸くして見ていたシェリオだったが、急に かくん、と首をかしげた。

「・・・誰だそんなこと言い出したの?フィルはそんなことしないだろ?」
「・・・・・・へ?」

拍子抜けして聞き返す。

「な、なんで?」
「なんでって。フィル、俺が分からないと思う?」

当然のように言われて、フィルはレックを少し気にしながら首を左右に振った。

「え・・・ちょっと、どういうこと・・・」

そのとき、廊下の曲がった先から誰かが走ってきた。足音だけがバタバタと聞こえている。その足音が近づいてきたと思うと、廊下の角でそれは止まった。

「レック、そこにいるのか!?」



    






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