「ふふふふ・・・ご、ごめん、馬鹿にして笑ってるんじゃないんだよ。いいね。素晴らしい親子関係だよ」
「それは・・・どうも、ありがとうございます・・・」
「似ていると思ったけど、全然違ったかな・・・」

下を向いて笑いをこらえながら、セレスは小さくそう言った。言葉の意味を分かりかね、フィルは首を傾げる。

「フィルくんを連れ出して話したかった理由はね・・・フィルくんが、ぼくに似てるんじゃないかと思ったんだ」
「・・・セレス王子に?」

ますます意味が分からなかった。

「そんなすごい人が身近にいて、ましてやそれが父親だったら・・・自信をなくしたり劣等感を抱くかなって。実際・・・ぼくがそうだったんだ。劣等感っていうか、何もできない無力感っていうか」
「セレス王子が?お父様・・・王の、リタルド様に?」
「あ・・・ううん、そう思うよね。そうじゃないんだ」

セレスは顔から手を離してフィルに向き直った。

「もっともっと身近で、ぼくにとって唯一の家族、兄でもあり父でもあり、何よりも大切な人が・・・いたんだ」
「・・・・・・??」
「ぼくが一番近くにいたのに、ぼくはその人がひとりで苦しんでいる時に何もできなかった。助けになるどころか、その人を追い詰めた。その人はぼくを助けてくれたのに・・・ぼくは・・・」
「せ、セレス王子?」

ずるずると、背中を柱に預けたままうずくまってしまった。慌ててフィルもしゃがみ込む。

「ははは・・・かっこ悪いね。初対面のフィルくんに、ぼくは何を言ってるんだろう・・・ごめん・・・」
「い・・・いいえ・・・」

セレスは立てた両膝にのばした両腕を力なく置いて下を向いている。覗き込もうとしたが、青い髪に隠れてセレスの顔は見えなかった。

「何か話したくなっちゃったんだ・・・フィルくんを見てると・・・」

触っても失礼じゃないかな、と考えながらフィルはそっとセレスの頭に触れた。落ち着かせるように、なるべく優しく髪を撫でる。

「セレス王子」
「・・・ん?」
「その、大切な人は・・・王子に、なにか恨みごとを言っていましたか?」
「・・・・・・。」

セレスはゆっくりと顔を上げた。その目には、うっすらと涙がにじんでいた。

「悪いのはあなただって、言ってましたか?あなたのせいだって・・・怒ってました?」
「・・・・・・う、ううん」
「だったら・・・大丈夫ですよ。王子が気に病むことなんてないです」
「そうかな・・・」

しばらく見詰め合っていたが、やっと周囲の視線に気づいてセレスは慌てて立ち上がった。はたから見ると、フィルがセレスを泣かしているような図である。

「何を情けないことしてるんだろ・・・お、お詫びにちゃんとお城の中案内するからね。父上に目通りができる時間になるまでまだ少しあるから」
「え、ありがとうございます・・・」

お礼を言いながら、セレスを見上げる。

「えーと、まずは美術室に・・・」

廊下の先を見つめながら、服をパタパタとはたく。フィルもセレスの視線の先を追った。

「あ・・・!」

そのとき、二人の後ろから声がした。二人が振り返ると、大勢の女官を従えた水色の髪の女性が立っていた。

ゆったりとみつあみにしたとても長い髪の、赤い瞳のお姫様だった。

「シャープ・・・」

セレスが目を丸くして呟いた。シャープの後ろにいた女官たち全員が一斉にセレスに向かって礼をする。

それがあまりにも全員ピッタリだったため、フィルは少し驚いた。

「あらら、会っちゃったね・・・何してるの?」
「なにって・・・婚約式の衣装合わせに向かう途中ですよ。セレスこそ、こんなところにいていいんですか?」

二人の会話を聞いて、フィルは頭の中で整理をした。セレスと話しているこの人は、婚約式に出る。ということは、もしかして。

「・・・あのう、セレス王子・・・もしかしてこの人は・・・」
「あ、そうそう、紹介しよっか」

セレスはシャープの横に立って手のひらをシャープに向けた。

「こちら、シャープ・クァルトフレーテ・ラベル。ラベル家のご令嬢で、ぼくの婚約者だよ」
「セレス王子の婚約者・・・ぼ、ぼくは、コンチェルト国の王子、カイ・ストーク・ラナンキュラスの息子、フィルと申します。このたびは、ご婚約おめでとうございます・・・!」

フィルは緊張しながらも何とか頭を下げた。シャープは嬉しそうに微笑みながらフィルを見ている。顔を上げてからシャープと目が合い、フィルは思わず顔を赤くした。

「ふふ、はじめまして。セレナードにようこそ」
「は・・・はい・・・」

言ってもいいのかな、と一瞬考えたが言ってみることにした。

「実は、はじめましてじゃないんです。3年ほど前、ハイド家の舞踏会でシャープ姫をお見かけしたことがあって・・・」
「・・・・・・えっ」

シャープも、セレスも一緒に声を上げた。

「あ、あのパーティの折の騒動は・・・もしかしてご存知ですか?」
「え・・・騒動?いいえ・・・なんか物音は聞きましたけど、特には。なにかあったんですか?」
「・・・い・・・いえ、なにも・・・」

シャープとセレスがぎこちなく視線を合わせている。微妙な空気だったが、理由がわからないので追求しないでおいた。

「・・・あれ?そういえば・・・」

フィルはあごに手を当てて小さく言った。

「父上から聞いたことがあるんですけど、セレス王子とシャープ姫の母上は、同じ方・・・ですよね?なら、お二人は兄妹なんじゃ・・・?」

シャープの母でありラベル家の当主リアンの妻クレールは、かつてセレナード王妃だった人物である。フィルのためにカイがシャープについて調べていたときに、フィルはカイからその話を聞いていた。

「ああ、それならね」

セレスは明るく頷く。

「セレナードでは、片親が違う場合は兄妹でも婚姻が許されてるんだ。姉と弟はダメだけどね」
「え・・・そうなんだ・・・」
「そうだ、コンチェルトとセレナードの法律の違うところは学ばなかったのか?」
「・・・え?」

急にフィルの背後から聴き慣れた声がした。

「と、父さん?」
「かつてセレナードは一夫多妻制で、母方に子を住まわせる習慣だったために上流階級では兄妹という感覚が希薄だという理由で婚姻が可能であり、今は王族も妻は一人と決まったため 今回のようなケースは稀だが、異母兄妹の結婚として認められている。それとセレナードには婚約してから6週間、お互いに会わないという風習があるんだ。最近はあまりやらないみたいだけどね」

一息に説明を終えたカイを、みんなしてぽかんと見つめている。いつの間にかフィルの頭に手を置いているカイの後ろには、レックやアリアの姿もあった。

「カイ王子、よくご存知ですね・・・」

セレスも感心しているようだった。フィルは説明されたことを頭の中で整理して必死に覚えようとしていた。

そのとき、レックの後ろからアリアがひょっこりと顔を出した。

「カイさんとレックくんを案内してたんだけど、絵画の展示室に行くにはこの廊下が近道だからこっちに来たの。でも途中でお父様の使いの人と会って、連絡が入ったんだ。 お父様がお客さんをやっと帰せたからお話できるようになったみたいでね」

前半はセレスとシャープに、後半はフィルの方を向いて言った。

「だから、案内は中断してお父様のところに・・・・・・あれ?」

アリアは話を途中で止めて、フィルの様子がおかしいことに気がついた。

フィルが睨みつけるかのような視線で、シャープをじっと見ている。アリアの話など全く聞いていないような様子で。

「・・・フィルくん?」

フィルはシャープの胸についている朱色の宝石を指差した。

「それは・・・」
「え、あ・・・これですか?」

シャープは自分の胸元に視線を落とした。

「これは、光の石「エール」というラベル家の家宝なんですよ。婚約式のときにつけることになっていて、私にしか触れないので持ち歩くために身につけているんですけど・・・・・・きゃっ?!」

急にフィルがシャープに向かって手を伸ばした。どうしたのか、と考えるよりも早く、その手をアリアが咄嗟に掴んで止めた。

「こ、こらこら!胸に手を伸ばすなんてなに考えてるの!ダメでしょ!」

アリアがそう言いフィルは手をつかまれたままアリアに鋭い視線を向けた。それに一瞬怯んで、アリアは思わず手の力を抜いてしまった。

「離せっ!!」
「わっ・・・」

乱暴に振り上げられた手にアリアの手が振り払われる。

「フィルさん・・・?」

女官たちが素早くシャープを囲み、シャープはその真ん中でフィルに怯えた表情を見せた。フィルはその場を見回して、そして中庭に向かって駆け出した。

「フィル?!いだだっ、ど、どうしたんだー!?」

フィルに突き飛ばされてカイは壁にぶつかってから尻餅をついた。悲痛な疑問の声が掛けられるも、フィルからの返事は一切なかった。

一同はあっけに取られていたが、一人だけフィルを即座に追いかけ始めた人物がいた。

「おい、フィル!待てっ!!」

カイを踏んづけないようにぴょん、と一跳びしてからレックも中庭に駆けていく。混乱している皆に振り返って叫んだ。

「フィルのこと絶対つれてくるから、みんなは安全なところにいてください!!」
「え、え・・・」

何が起きているのか誰も分からず、小さくなっていくレックの後姿と、さらに小さいフィルの後姿を見つめていることしかできなかった。






「おい、フィル!!」

中庭の奥までフィルはひたすら走り続け、それでもレックは僅かずつだったが追いついていた。木でできたゲートにぶつかり、花壇に咲いている花も気にせず踏みつけてフィルは走っていく。

庭師の道具を管理するための小屋が見えてきたところで、フィルが振り返った。

「ついてくるんじゃねえよ!!」

相当な距離を全力疾走したため、フィルは息が上がっているようだった。ついに大きな壁の小屋を背にして、フィルは立ち止まった。

息が上がっているのはレックも同じで、フィルが止まったことに安堵して徐々にスピードを落としながらフィルに駆け寄った。

「来るんじゃねえっ!!」
「・・・おい、落ち着けって」

大声を出してフィルが威嚇してくる。フィルの声だったが、普段のフィルは絶対に言わないような言葉が飛んできた。

レックは手を伸ばしたが、バシンと派手な音を立てて手を払われた。

「たまに起こるあれだな?お前はフィルか?そうじゃないのか?」
「・・・・・・。」

フィルを見つめるが、すぐに視線は逸らされてしまった。その隙に、素早く一歩踏み出して、レックはフィルの頭を抱き込んだ。

「なっ・・・」

突然のことに、フィルは硬直した。振りほどこうとしたり叩こうとしても、近すぎて上手くいかない。

レックはフィルをあやすように、言い聞かせるように頭をぽんぽんと叩いた。

「フィル、いつものお前に戻れよ。本当に癒しの司を殺した犯人にされちまうぞ。・・・もしお前がフィルじゃないなら、フィルを返せ。フィルから出て行け」
「・・・・・・。」

フィルはレックの服をぎゅっと両手で掴んだ。

「フィルが癒しの司を殺しただなんて誰も思ってないし誰も思いたくないんだ。・・・多分、フィルがこうやってたまにおかしくなることが関係してるってことは、 俺もカイさんも何となく予測してるけど・・・それでも、フィルのことをみんな信じてる。みんなにフィルのことつれてくるって約束しちゃったんだよ。 だから、俺のためだと思って、なんとかいつものフィルに戻ってくれよ。俺たち、親友だろ?」

レックの服を掴んだままフィルは動かない。あまりに強くつかんでいるため、フィルの指先は真っ白になっている。

しばらくそのまま二人ともじっとしていたが、小さくフィルのしゃくり上げる声が聞こえてきた。

「・・・フィル?」
「レック・・・・・・」

レックが腕の力を抜くと、フィルが顔を上げた。フィルの赤い目から、大粒の涙がいくつも転がり落ちている。

「戻った?」
「レックっ・・・ど・・・ぅ、しよう・・・っ」
「あーもう、またすぐ泣くんだから」

フィルを芝生の上に座らせた。泣き声に混じって何か言っているようだったが、落ち着いてからしゃべれとレックが言うと両手を目に当ててフィルはいよいよ泣き出してしまった。

庭師のおじさんが遠くから二人を不思議そうに見ていたのに気づいたが、レックは 大丈夫ですから、と声を掛けてフィルが落ち着くまで待っていた。

みんな心配してるかな、とレックが考え始めた頃、数分間泣き続けていたフィルはやっと目をこすって涙を拭ってから顔を上げた。

「・・・大丈夫?」
「うん・・・」

よろよろと立ち上がるも、視線は地面に落とされたまま。

「どの辺から聞こえてた?」
「ぼくが癒しの司を殺しただなんて思ってない、って・・・」

服をぎゅっと握られた時、フィルはもう戻っていたのだろうか。大体あの時ぐらいだったのかな、とぼんやりと考える。

「たまにぼくの記憶が飛ぶのは・・・気づいたら別の場所にいることがあるのは・・・やっぱりぼく、おかしいんだ。なにか、大変ななにかを抱えてるんだよ・・・」
「・・・そうなのかもな」
「二重人格・・・なんじゃないのかな・・・」
「そうかもな」
「・・・レックは平気なの!?ぼくと一緒にいて・・・!」

まだ涙声の状態だったが、声を荒らげた。

「急にぼくがおかしくなって、危害を加えるかもしれないんだよ・・・?癒しの司を殺したのもぼくなのかもしれないし、レックや父さんにだって・・・」

とにかく歩こう、と走ってきた道を戻るようレックに促される。力ない足取りでレックの隣を歩き始めた。

「近くにいないでどうするんだよ。俺はフィルの護衛なんだぞ?」
「・・・・・・。」
「俺からだけは離れようと思うな。俺も離れないから。俺はフィルを守る。もう一人のフィルがいるんだとしても、そっちも守る。な、だから泣くなって」

レックの言葉を聞いているうちにまた涙が溢れそうになったのを堪える。遠くに見覚えのある廊下が見えてきて、こんなに走ってきたんだ、ということを実感した。

そして、踏みつけられた茎の長い白い花を見つけて、思わず目を逸らした。



    


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