恐る恐る目を開くと、大木のようなネコの手をチェレスが魔法を帯びた両手で受け止めていた。 薄水色に光る魔法の力で、ネコの手を押し返している。

「水よ、蒼き力を我に示せ」

握っていた手を開いて、静かに魔法を詠唱した。

「スコール」

静かな口調とは裏腹に、チェレスの両手に光が集まり凝縮された水の魔法の力が一気に放たれた。 ネコは 自分の腕と魔法が直撃し、その衝撃で地面にドシン、とひっくり返った。

「・・・・・・!」

シャープは、その魔法の威力に唖然とした。 すっ、と手を下ろして、チェレスはさらにネコに近づいていった。

「可愛いネコちゃんなのにね、可哀想に」

ネコが動かなくなったのを見て、遠巻きに見ていた人たちが恐る恐る戻ってくる。 だがチェレスはそれを見て、手を振って叫んだ。

「みんな、まだ来ちゃいけない・・・あっ!!」

チェレスが背を向けたと同時にネコはぐるりと素早く身を起こして体勢を立て直し、シャープに向かって突進した。

「シャープ!!」

一番近くにいる自分が狙われると思っていたチェレスは、急いでシャープに駆け寄った。 シャープは突然のことに体がまったく動かなかった。

「えっ・・・」

ネコの鋭く白い歯が、不気味に赤い口の中が、視界いっぱいに広がる。

「きゃああっ!!」

しかし、次の瞬間に感じた衝撃は地面にぶつかったものだけで痛みはなかった。

「・・・・・・?」
「危ないなあ・・・油断大敵だよ、お姫様」

両肩から手を離されて、空を背にしているチェレスを見上げ、ようやくかばわれたことを理解する。 何か言わないとと思う暇もなくチェレスは立ち上がってネコを見上げた。

チェレスの肩から、血が流れ落ちている。それを見てシャープは青ざめた。

「そ、それ・・・」
「ん?こんなの平気だよ。ほら、危ないから離れて」

チェレスは青くて丸い宝石を取り出す。それはチェレスの手の上で光り、鎖がついた鏡の形になった。

「・・・水よ、奏でよ優美なる旋律・・・」

チェレスから走って離れていたシャープにはそれ以上の詠唱が聞こえなかったが、見たことのない魔法だった。

鏡に向かって水の力が渦を巻いて集まりひときわ強く輝いたかと思うと、 その光は槍のように一直線に鏡から飛び、ネコの体を貫通して空に向かって消えていった。

魔法の衝撃で周りの空気が震えている。 顔を腕で覆っていたシャープは、振動が収まってからようやくそっと手を下ろした。

「い、今のは・・・」

巨大なネコは全身から強い光を発して、ゆっくりと倒れ、そのまま消えてしまった。周りから驚きの声が上がっている。 シャープは今度こそ安全かなと判断して、チェレスに駆け寄った。

「あ、もう大丈夫だよ。大きな浄化獣だったね」
「浄化獣・・・?」
「獣の姿をした、光の力でできている白蛇が使役する・・・生き物、かな?」
「は、はくだ・・・そ、そんなことより」

シャープは血が流れているチェレスの腕に両手をかざした。手に意識を集中して、回復魔法を詠唱する。

「・・・地よ、慈しみて癒しの力を与えよ」

シャープが立っている地面の周りが淡く輝いてその光がシャープの手に集まった。 チェレスの傷を光が包み、痛みが弱まった腕をチェレスは見つめる。

「シャープ・・・回復魔法、使えるの?」
「初めて使いました・・・先日、習得本を読んだんです」
「読んだだけでいきなり使えちゃうなんてすごいねえ」
「・・・それは移動魔法をろくに知りもせず使った私に対する嫌味ですか」
「はは、素直に褒めてるのに」

腕を軽くさすって、曲げ伸ばしをして うんうんと頷く。むすっとして、シャープはチェレスから視線を外した。

「これで貸し借りなしですからね」
「はいはい、ありがとねー」

周りにいる人たちに囲まれると面倒だと判断したチェレスは、 シャープの手を引いて町の奥に早足で歩いて広場から遠ざかっていく。

「ちょっと、今度はどこに連れて行く気ですか!」
「どこって、だからさっき言ったじゃない。図書施設だよ」
「なんでですか、聖水なら神殿に・・・」
「いーからついておいでって。お姫様が一人でこんな大きい町のあちこちを歩くなんてホント危ないんだからね」

先ほどの騒ぎの場にいた人は周りにもういないことを確認して、チェレスは歩くスピードを落とす。 それと同時にシャープはチェレスの手を振り払った。

「やめてください、自分の身ぐらい自分で守れますから!」
「へえ〜、さっき助けてあげないと危なかったのに?」
「う・・・」
「あー、シャープをかばったときにあのネコちゃんにかじられた肩、痛かったな〜。 本気でかまれてたら腕がなくなっちゃってたかもしれないなあ〜」
「・・・・・・」
「なーんちゃって。そのことは貸し借りナシだもんね。ほら、行こうよ」
「あ、ちょっと!」

また手を握られ、慌てて振り払おうとするも今度はしっかりと掴まれていて振りほどけなかった。 せめてもの抵抗に、チェレスから顔をぷいっと背けて歩くことにした。






大きなお屋敷のような佇まいの、ハープの町の図書施設に二人は到着した。 チェレスは施設の人に何かを告げて入り口に立っていたシャープのところまで戻ってきた。

「何してたんです?」
「ん、聖水を作れる人がここにいるはずだから探してもらってるんだ」
「聖水を作れる方・・・?」

水を聖水に変える力を持つ人は、生まれつき人が持つ聖なる力「聖心力」が強い人のみ。 聖心力が強い人は神殿で働く神官になる人が多い。

「神官様がここに?」
「行くって言ってたんだけどなあ・・・風邪薬の調合、本見なくても大丈夫?」
「え・・・だ、大丈夫だと思いますけど・・・」
「おさらいしておいた方がいいかもね。薬の調合の本はこっちだよ」
「あ、はい」

思わず普通に返事をしてしまった、とシャープはとっさに不貞腐れた顔を作っておいた。 それに気づいたチェレスはシャープと反対方向を向いてくすくすと笑う。

シャープは1冊の本を本棚から選んでパラパラと中をめくった。そこにチェレスが顔を出して覗き込む。

「調合はクレール様が得意だったよね」
「ええ、母上はよく薬の作り方を教えてくださって・・・あ」

思わずまた和んでしまったのに気づいて きっ、と本に視線を戻す。

「リアン様は薬というより、道具を作る方がお好きだったかな」
「父上は・・・そうですね・・・」

父のことを思い出して、シャープは文字を目で追っていたのをやめた。

「私にも、色んなものを作ってくださいました」
「どんなの?」
「時間が経つと色が変わる絵の具や、熱くない火を入れたランプとか・・・色々です」
「すごいねえ・・・」

シャープがさらにページをめくったとき、二人に図書施設の職員らしき人物が近づいてきた。 それにチェレスが気づいてシャープから離れていき、なにやら会話をしている。 何を話しているのかな、とシャープは気になったが気にしていないフリをして視線は本に落としたままだった。

「え、もういない?」
「はい、先ほど移動されたとのことで・・・」
「ああー・・・そうなんだ」

図書施設なので大きな声で会話することはできず、二人は小声で話している。 何とか聞き取ろうとしたが、断片的にしか聞こえてこなかった。 しばらくして話が終わったようで、うーん、と考え込んだ様子でチェレスが歩いてくる。 なんなんだろう、とシャープは身構えた。

「ごめん、シャープ」
「な、なんですか」
「ここにはいないんだって」
「なにが・・・?」
「聖水を作れる人。もうハープの神殿に移動しちゃったんだってさ」
「そうなんですか・・・」

じゃあここにいても仕方ない、とシャープは本を閉じた。係の人たちに軽く頭を下げて、二人で図書施設を出る。 そこでまたチェレスが普通に隣を歩いていることを思い出して ばっと距離をとった。

「もう、ついて来ないで下さい!」
「はは、忙しいね」
「一人で行けますから。はい、さようなら」
「あーあ、冷たいなあ。アリアちゃんの居場所だってぼくが教えてあげたのに」
「・・・正確な居場所ではないでしょう。私は自分の力でアリアさんのところまで来たんです」

つかつかと町の広場へ続く道を早足で歩いていく。 それを追いかけずに、チェレスは頭の後ろで手を組んで大声で言った。

「風邪薬の調合に必要な聖水、神殿に入らないともらえないよねー」
「・・・・・・?」
「ハープの神殿って大分古めかしくてね〜・・・掟がね〜・・・」
「・・・どういうことですか」

聞こえよがしなチェレスの言葉に、イライラしながらシャープは振り返った。 こっち向いた、とチェレスは嬉しそうに組んでいた手を離す。

「そ、神殿は女人禁制だよ。・・・シャープ、入れないよ神殿の中に」
「!!」

衝撃のあまりシャープは口をぱくぱくと動かすが声が出てこなかった。 その様子に笑いそうになりながらチェレスが近寄ってくる。

「だから、アリアちゃんと一緒でもムリでしょ?ぼくが一緒に行ってあげるよ〜」
「・・・・・・」

うんざりした様子でシャープはのろのろと歩き出した。

「・・・もう、好きについてきたらいいじゃないですか・・・でも」
「でも?」

振り返ることもせずに、静かに口を開く。

「・・・あなたは私の敵ですからね。アリアさんを殺そうとしたあなたを、私は許しませんから」
「・・・・・・。」






結局チェレスに案内されて、ようやくハープの町の神殿にたどり着いた。 とても大きな建物で、壁も柱も白い石でできている。 白い服を着た神官やその見習いたちが列を組んで出入りしていた。

「・・・大きいですね」
「シャープ、神殿に来るのは初めて?」
「いいえ・・・セレナードのいくつかの神殿には行きましたが、他国のは知らないです」
「ああ、セレナードの神殿はここまで大きくないものね。でもメヌエット国の首都のグロッケンの 最高神官がつとめておられる神殿はもっともっと大きいよ」
「へえ・・・」

幅があり扇形に広がっている大きな階段を二人で上り、その両端に立っている僧兵の一人に近づいた。

「すみません、門番の方」

チェレスが声をかけたのは法衣を動きやすくしたような服装で帯剣している僧兵の男性だった。 二人に深々と頭を下げて、なんでしょうかと聞き返してくれた。

「こちらの方はセレナード国の王家に連なる家のお姫様なんだけど、 ちょっとぼくが神殿に用があるから、預かってもらっててもいい?」
「え・・・ちょっと、チェレス!」

じゃあお願いね、とシャープを押し付けてとっととチェレスは中に入って行ってしまった。 僧兵の男性はシャープを見下ろしておどおどしている。

「あの・・・すみません、友人が風邪をひきまして、薬を作るために聖水が必要なんです・・・」
「そ、そうですか」
「セレナードの神殿と違って、ここは女性が入れないんですね。神官も女性はおられないのですか?」
「こ・・・ここは、そうですね。他の神殿には増えてきたようですが・・・はい・・・」
「・・・・・・?」

なんか様子がおかしいな、とシャープは首をかしげる。

「・・・あの、困らせるようなことをしてしまったでしょうか」
「い、いえいえ!とんでもありません!こ・・・高貴な方と接する機会に恵まれておりませんでしたから・・・」
「そんな。申し訳ありません私などの相手を押し付けてしまって」
「は・・・ははは・・・」

僧兵の青年は湯気が出そうなほど顔を赤くしている。シャープの顔をまともに見られていない。 これ以上話しかけたら迷惑だろうか、とシャープは青年の顔を見るのをやめて階段を見下ろした。 月の形の飾りがついた帽子をかぶり直して、服の中に入ってしまっていた髪をするりと引き出す。

気づけば時刻はお昼過ぎになっていた。 アリアを置いて宿屋を出たのが正午ごろだったので、2時間近くが経過している。

通常は聖水は道具屋、雑貨屋にも置かれているため神殿に直接聖水をもらいにくる人はあまりいない。 チェレスが中でどうやって聖水をもらっているのか気になったが、神殿に入ることができないのでおとなしく待つしかなかった。

「・・・あ」

複数人の声が聞こえて振り返ると、遠くにある神殿の入り口から人が出てくるのが見えた。 遠くてよく見えないが、4人ぐらいいるようだった。

「あれ、ハープの神官の方の服装と違いますね」
「え、ああ、そうですね。あの方はハープの神官ではないので」
「違うんですか?」

目を凝らして見ていると、向こうもシャープに気づいたようでこちらに向かって歩いてきた。 服装からして、周りにいる3人は護衛で真ん中にいる青年が神官のようだ。 位の高い神官だろうか、と考えているとどんどん彼らは近づいてくる。

「こんにちは、お嬢さん。いいお天気ですね」

茶色の髪の青年がにこやかにシャープに声をかけた。 青い帽子をかぶっており、手には黄色の丸い宝石がついた長い杖を持っている。 周りの人たちも頭を下げ、シャープも軽く頭を下げた。

「ええ・・・本当に」

笑顔を向けて、ゆるく頷く。

「神官様でいらっしゃいますか?」
「はい、メヌエット国王の命令で、各地の神殿を巡礼しているフォルテと申します」

メヌエット王国はコンチェルトの東にある大きな国。シャープは町の広場で見た看板のことを思い出した。

「あ、あの・・・メヌエットの・・・その、ご不幸があったようで」
「ええ・・・」

シャープの言葉に、フォルテの顔が翳った。

「偉大な王を失って・・・国民の方々もさぞ悲しんでおられるでしょうね・・・」
「そうですね・・・ノール様は、本当に誠実でお優しい方でした」

フォルテは遠くを見ながら、穏やかに言った。そして、一呼吸置いてからシャープを見る。

「失礼ですが、お名前をお尋ねしてもいいですか」
「あ・・・申し遅れました。私はシャープと申します。セレナード国のトランの町の領主、ラベル家の者です」
「セレナード・・・?」

驚いてフォルテは聞き返した。

「ずいぶんと遠いところから・・・ここには、お一人で?」
「いいえ・・・今は二人で来ています」
「お二人で?・・・あ」

護衛を待たせていることに気づいたフォルテは、シャープともう少し話したいということを伝えた。 3人はフォルテとシャープにそれぞれ頭を下げてから階段を下りていった。

「あの・・・大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ、先に宿の手配を頼んだんです。ええと・・・シャープ姫、とお呼びすべきでしょうか」
「シャープ、で構いませんよ」
「じゃあ、シャープさんにしますね」

その言葉に承諾の意味を込めてシャープは頷いた。

「メヌエットではどのようなお仕事をされているんですか?」
「普段は、王宮で王にお仕えしています」
「王宮・・・グロッケンにある王宮で?神殿ではないんですね」
「ぼくの家系は代々、宰相をつとめているんです。父が亡くなってからはぼくがその仕事を継ぎました」
「さ・・・宰相?」

シャープは目を丸くした。









  





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