「ああ、ごはんおいしい!幸せー」 先ほどまでの生きているのかよく分からない状態から一変し、食べ物を口に入れた瞬間に眠気はすっかり吹き飛んでいた。 パンを口いっぱいに頬張り、本当に幸せそうである。 フルートの宿屋の1階の食堂に二人は降りてきて食事を取っていた。 大きな宿屋で、他の泊り客たちもある人は楽しそうに、ある人たちは眠そうに食事タイムを過ごしている。 しばらく咀嚼に専念していたが、ふとアリアは向かいに座っているシャープの前に置かれた皿を見た。 「あれ?なんで食べないの?」 「あ、いえ・・・私はもう、お腹いっぱいなので」 「えっ!」 アリアの驚きの声に、テーブルについたばかりの若いカップルが視線を向けた。 周りの反応を気にしながら、シャープは大きなマグカップに口を寄せる。 「・・・あの、あまり朝は入らないんです・・・」 「昨日はいっぱい食べたじゃない。って言っても私の半分ぐらいしか食べなかったけど」 「・・・昨日は、森を歩き続けて何も食べていなかったので・・・」 「あれで空腹時の食事だったの?ちゃんと胃袋お腹に入ってる?」 「入ってます・・・」 カップに入ったオニオンスープを一口飲んで、ほう、と息を吐き出した。 お皿の上にはパンが二つとウィンナーが残っているが、それ以上はもう食べないらしい。 アリアは皿に手を伸ばして、シャープの方に中身を見せるように傾けた。 「もう食べないなら、もらっていい?」 「どうぞ・・・」 ありがと、と頷いて自分の方に皿を引き寄せた。 それと同時に手に持っていたクロワッサンをぽいっと口に放り込む。 思わずシャープはその光景から目を逸らした。 「どしたの」 「いえ、アリアさんを見てたらすっかりお腹いっぱいになりました」 「へえ?それは便利な胃だね。じゃあこっちの目玉焼きも頂きまーす」 「・・・どうぞ・・・」 まだ食べるのか、とシャープは項垂れた。 さらにパンを二つおかわりして、食べ終わったお皿がどんどん積み上がっていく。 周りのお客さんたちの驚きの声も聞こえてくるが、アリアは全く気にする様子もなく食べ進めていった。 「今日フルートの町を出発するのに、食べなくて平気?チャージしておかないと」 「ええ、大丈夫です・・・」 「貧血で倒れるよ〜、シャープ軽かったもんね。カンタンにさらわれちゃうぞ」 「えっ・・・」 「あはは、お姫様は私が守ってあげるから安心しなさい」 「どうも・・・期待してます」 思わず笑顔になりながら、シャープはぺこりと頭を下げた。 「さて、次の町に行くまでに必要なものを揃えておかないとね」 二人は食堂から自分たちの部屋に上がってきた。 アリアは自分の荷物を整理を始めた。 「シャープの荷物は大丈夫?準備が出来たらすぐ行くからね・・・って・・・」 「はい?」 自分の少ない荷物を置いてシャープのカバンに近寄った。 そして、その中身を見て驚いた。 「・・・服ばっかりだね・・・鏡なんて、必要?」 「身だしなみを整えるのに必要じゃないですか・・・?」 「うわ、服何着入ってるの。昨日のドレス以外にも入ってるの!?ええー・・・?」 アリアがなぜ驚いているのか分からないという様子で、シャープはきょとんとしている。 「・・・これは本格的にお姫様だ。何で一人で家出しようなんて思ったかな・・・」 悩んでいても仕方ない、と思いなおして立ち上がった。 自分の荷物の方に戻って、大きめのビンを二つ持ってきてシャープに片方を手渡す。 「これは何ですか?」 「飲料水を入れるビン。出発する時に入れた分は全部飲んじゃったから、新しく入れないといけないの」 手早くシャープの荷物の大量の服を押し込み、そのカバンも背負った。 「あ、自分で持ちますから・・・」 「そんな、スプーンより重いもの持ったことのなさそうなお姫様にこんな荷物持たせられないって。 私は大丈夫だから、そのビンだけ持っててね」 「は、はい」 申し訳なさそうに頷くのを見て、アリアは満足そうに笑った。 「あーもう、素直で可愛いな!全力で守ってあげるから期待しててね」 「あ・・・ありがとうございます・・・」 真っ赤になって声は今にも消え入りそうになっている。 「あ、それとね」 「はい?」 忘れ物はないか、と部屋の中を見回してから扉を開いた。 アリアの後ろからシャープもついていき、二人で部屋から出る。 「道中の食べ物を買ってから、ハープの町に向かうよ。数十キロの道のりだけど、歩けるかな?」 「大丈夫です、歩きます」 「よしよし、じゃあがんばろー」 大きめの扉が勢いよく閉められて、鍵がガチャン、と音を立てた。 「この辺りが食べ物屋さんだね、シャープも好きなもの買っていいからね」 「ハープの町まではどれぐらいかかりそうですか?」 「うーん、しっかり歩けば数時間ってとこかな。外で1回ご飯にするからその分を買うよ」 「はい」 フルートの市場にやってきた二人。 お昼までには少し早い時間だが、たくさんの店が並び買い物客たちでにぎわっている。 野菜、果物、乳製品などを売っているお店が連なっている場所は、お客さんも多い。 「すごい、こんなに種類があるんですね・・・」 シャープは物珍しそうに、陳列されている商品を一つずつ眺めている。 缶詰を一つ持ち上げて、手の中でクルクルと回転させたり、コンコンと叩いて様子を見ている。 「その缶詰が食べたい?」 「え、これは食べ物なんですか?」 「中にツナ・・・えっと、サカナが入ってるんだよ。缶切りで開けて食べるの」 「かんきり?」 「知らないのか・・・」 缶詰も缶切りも知らないことに驚きながら、買い物カゴの中にそのツナ缶を放り込んだ。 「そ、それ買うんですか?」 「シャープに食べさせてあげる。庶民の味だよ、おいしいから」 ついでにパンも次々とカゴに入れていき、店番のおじさんのところまで歩いていった。 シャープは、そのパンの個数に驚いた。 「ちょっとアリアさん、1、2・・・5個も買ってどうなさるんですか?」 「歩いたらお腹すくよ、シャープが2つで、私は3つでいいかなって」 「こんな大きなパンを!?私は1つで十分ですよ!」 一つも食べきれるかどうか・・・と、握った手を口に当てておろおろしている。 アリアは気にせずにハムやチーズも買いあさり、小さめのカゴだが中身はいっぱいになった。 「私の荷物も多いけど、アリアさんの食べ物も・・・」 十分多いなあ、とため息をついた。 アリアが会計をしている間に出口の近くの商品を眺めてみると、 大きなビンに入ったドライフルーツやお菓子が並んでいてシャープにとってはとても珍しく興味深かった。 その間にアリアは会計を済ませ、紙に包まれたパンをさらに紙袋に詰めていた。 そして荷物を持っている手で一緒に抱えた。 「はい、お待たせー」 「お帰りなさい」 「じゃ、次はお水を探しに行こうか。買ってもいいけど、おいしい水を探したいよね」 そう言いながら、シャープの荷物を背負っている方の手でシャープの手を握った。 それにビックリして思わず手を離そうとしたが、アリアにしっかり握られていて離せなかった。 「どうしたの、手ぐらいつなぐでしょうが。迷子になったらどうするの」 「あの、でも・・・」 「恥ずかしい?友達同士、手はつなぐのは普通だよ。どうしたの、顔が赤いけどー?」 顔を覗き込まれて、シャープはますます顔を赤らめた。 何とか意識しないように、呼吸を落ち着かせようとする。 「わー、お姫様ってみんなこうなのかな?エスコートして差し上げますからね」 「いえ、あの・・・はい・・・」 握られている手がどうしても気になってしまうので、何とか話題を逸らそうと考えた。 「と、ところで・・・水はどこでくむんですか?井戸ですか?」 「うーん、井戸でもいいけど、湧き水探しに行かない?そこらの森のどこかにきっとあると思う」 「そ・・・そうですか・・・」 相当アバウトな意見に若干不安になったが、一応頷いた。 市場から見える町の外には森が広がっていて、確かに湧き水の一つや二つはありそうである。 二人は、その森の中に入っていった。 「そっち、どうかな?あったー?」 「細い川はありました、でも湧き水はないですね」 そこはすぐ近くに市場があるとは思えないぐらいの深い森で、かなり深く木々が生い茂っている。 森の中を流れている川はいくつかあるものの、湧き水は見つからなかった。 「この川の水でもいいかな、綺麗だしね」 川に向かってしゃがみこんだアリアだったが、シャープは慌ててアリアの肩を叩いてそれを止めた。 なあに?と、アリアはシャープを見上げる。 「待ってください、あっちの方はまだ探してないですから、私がもう一度探してきます」 「向こうにありそう?」 「それでも見つからなかったら川の水にしましょう。行ってきますから、待っててください」 「うん、分かった」 アリアからビンを受け取って、シャープは森の奥に走っていった。 しばらくシャープの後姿を見送っていたが、ふと不安になった。 「・・・一人で行かせちゃったけど、大丈夫だったかな。ダメな気がする」 しかし、ここで待っていてと言われたからには動くと二人とも迷子になる可能性もある。 アリアはおとなしく、荷物を葉っぱの上に置いて待っていることにした。 その時。 「もしもし」 「わ?!」 人の気配などなかったのに、突然肩を叩かれて驚いた。 アリアが振り返ると、そこには青い髪の青年が立っていた。 驚かせたことを申し訳なく思っているのか苦笑して、アリアの顔をじっと見ている。 青年は肩にかかるくらいの長めの髪を後ろで緩く結んでいて、黄色いスカーフを首に巻いている。 黒くて長い服を着ており、背はアリアよりも高いようだ。 「な、なんですか?」 変な人だったら大変だ、と身構えてアリアは青年に尋ねた。 青年は安心させるようにアリアから手を離して上体を起こした。 「さっき、市場でパンとかチーズとか、たくさん買ってた子だよね?」 「はあ・・・そうですけど・・・」 ずっとあとをつけられていたんだろうか。 もしかしてナンパだろうか、などと色々な考えがアリアの頭をよぎっていった。 「一人で全部食べられるの?すごい量だったけど」 「友達と二人で食べる予定ですから・・・まあ、私がほとんど食べることになると思うけど」 「あはは、そうなんだ。すごいね」 「ははは・・・」 馴れ馴れしい態度の意図が全くつかめず、とりあえず合わせて愛想笑いをしておいた。 しかし、青年は純粋に笑っているようだった。 「今は、一人なの?」 「・・・え?」 突然の問いに、アリアは思わず青年の顔をじっと眺めた。 よく見るとかっこいい人だったが、何者なのかは分からない。 アリアは、誘われてもきっぱりと断ろう、と心に決めた。 「いえ、友達と二人でこの森に入りました」 「どうしてその子と一緒にいないの?」 「・・・・・・。」 詳しく話す必要はないだろう、と結論付けて簡潔にいうことにした。 ずっと見下ろされていたので、アリアも立ち上がりなるべく目線の高さを合わせる。 「手分けして、綺麗な水を探してるんです。それで、ご用は何なんですか」 「用?あ、そうだったそうだった」 青年は、手の後ろで持っていた剣を差し出した。 それは、いつもアリアが持ち歩いている愛用の剣だった。 青年の手の中にある剣を見て、アリアは目を丸くする。 「はい、これ。さっきのお店の棚に立て掛けたまま忘れてたよ」 「え・・・!う、うそ・・・ありがとうございます・・・」 「ははは」 剣を忘れてきたという事実にも驚いたがそれよりもまず、 失礼な態度をとったかもしれない、ということに落ち込んだ。 「いいえ。大切なものなんだね」 「はい」 「女の子が持つには勇ましい気がするけど・・・やっぱり、魔法より剣の方が好きなんだ?」 「え・・・えーと、そうですね・・・私、剣術がすごく性にあってて」 「そっか、好きならそれを頑張ったらいいよ」 剣を受け取って、アリアは深々とお辞儀をした。 メルディナ大陸の国々では、きちんと教育を受けられる人たちは大抵の男性は剣、女性は魔法を習う。 しかしアリアはその剣をとても大事に持ち歩いていた。 「そういえば、綺麗な水を探してるって言ってたね」 「あ、はい」 「この森に流れている川は、いくつかの湧き水から成り立ってるんだ。あっちの方に確かそのうちの一つがあったと思うよ」 「そうなんですか・・・」 シャープが向かっていった方向だ、と少し安心した。 その方向を見ながら、帯剣ベルトに剣をさした。 「じゃあ私もそっちに・・・あ!」 「なに?」 その方向に行こうとして地面においてある荷物を抱え、そうだ、と青年の方に振り返った。 「あの、お名前、教えてもらっていいですか?」 「ぼくの名前?」 「いつかちゃんと、お礼がしたいです。私は、アリアといいます」 「アリアちゃんか・・・可愛い名前だね」 かわいい、と言われてちょっとだけアリアは赤くなった。 青年は、それを見て微笑みながら片手を腰に当てた。 「ぼくは、チェレスター。チェレス、でいいよ。」 「チェレスさんですね!分かりました、また会えたら絶対にお礼しますから!」 「あはは、ありがとう。じゃあ、早く友達に湧き水の場所のことを教えてあげて」 「あ・・・そうだった、じゃあ失礼します!」 くるりと向きを変えて、森の奥の方へ走り出した。 チェレスはその後姿に軽く手を振った。 「うん、気をつけて。シャープによろしくね」 「はーい!」 木々の間にその姿が消えるまでチェレスは手を振り続けていた。 |