必死に咀嚼しながらイルは顔を上げた。

「いつ帰るんだ?コンチェルトに」
「あー・・・」

次に食べるパンをちぎりながら、イルは考えた。

「1日目で返事を出すと思っていなかったので・・・でもなるべく早くで」
「なるべく早く?」
「明日でもいいです。ビアンカ様もシオンを呼んでましたから」
「ビアンカ様・・・」

シオンはメヌエットの川の近くで別れて以来会っていない、ビアンカの微笑を思い出した。

「何でだろ・・・?」
「多分なにか渡したいものがあると仰ってましたよ、ずっと魔法の道具とかを作っていらっしゃいますから」
「へえ・・・そんなものが作れるのか・・・」
「火の魔法については、コンチェルトではビアンカ様がもっとも長けていてみんなにも教えてるんですよ、それから」
「ふーん・・・とりあえず早く食べろよ」
「うう・・・」

ロイアがいなくなった部屋で、客人だけが食べ続けているのは不自然だ。
イルはまた大急ぎで手を動かし始めた。

しかし、料理が減っていく速度はやはり遅かった。






それから数日後。
シオンとイルはメヌエットからコンチェルトへ帰って行った。
ロイアに別れを告げ、少ない荷物を持ってカペルマイスターの退任式を手短に済ませて国を出た。

しかしイリヤは二人と一緒に帰ってはいなかった。

「・・・ふう、やっとついた」

イリヤはセレナード国に来ていた。
2日の一人旅の末、セレナードの首都シロフォンの街門を抜けて安堵の溜め息をついた。

「何か食べてから行こうかな・・・」

商店街に入り、辺りを見回し、適当にサンドイッチの店を見つけてそこで買い物をした。
パンにかぶりつきながらまた歩き始める。

時刻は昼頃になっていて、陽は大分高い。
周りの人たちは慌しいが、イリヤは黙々と歩き続けた。

イリヤがセレナードにやって来たのは、ロイアに頼まれたからだった。



「・・・で、どうしてイリヤはシオンたちと帰らなかったんだ?」

数日前、シオンがコンチェルトに向けて旅立った日。
メヌエットに残っていたイリヤにロイアは尋ねた。

「別に、突然シオンがいなくなったら困るかな、と思って」

イリヤは廊下の壁にもたれかかりながら言った。

「それは、シオンの代わりになるということか?」
「ははは・・・ぼくはシオンみたいなたくさんの人を動かす戦術は得意じゃないよ」

手をぱたぱたと振りながらイリヤは笑った。

「でもまあ、何かやることがあったらいいよ?ぼくも1週間ぐらいはこの国にいようと思ってたから」
「・・・一週間かけて女漁りをする予定だったんだな」
「それだけじゃないよ。それもあるけど」
「・・・はー、ある意味尊敬するな」

イリヤはいつもそうやって気ままに色んな場所に行ってはガールハントに忙しくしている。
もちろんそれだけではなく、剣術などの能力の高さから、王室のお使いをやったりもしている。
今回のシオンをコンチェルトに連れ戻しに行く特命大使となったイルの護衛も、王の命令ということだった。

ロイアは少し考えてから、歩き出して手招きをした。

「それなら、ちょっとこっちへ来い」
「なになに?」

イリヤは軽い足取りでロイアの後についていった。
ロイアは部屋の扉を開けてイリヤを中に入れた。

その部屋は文書がしまってある棚がたくさん置いてあり、中はかなり広かった。
テーブルがあり、奥では書類を整理している人や紙の束に何かをひたすら書いている人もいる。

「セレナードがメヌエットに攻撃を仕掛けているのは知ってるな?」
「うんまあ・・・メヌエットからは何かしたの?」
「まだだ。しようとも思ったんだが・・・」
「思ったんだ・・・」

ははは、と笑いながらイリヤは肩をすくめた。
ロイアは書棚から文書を取り出して机に広げた。

「これは?」
「セレナードに送った間諜からの報告だ」
「そんなもの送ってたの?な、何で?」

間諜とは、いわゆるスパイのことである。

「他の3国だって送ってるだろ・・・イリヤがそうかもしれないしな」
「ぼくが・・・はは、なるほどね」

あえて否定はせずに、イリヤは笑った。

「それで、その報告の内容は?」
「えーと・・・まず、バルカローレとセレナードの正式な戦争が起こりそうだということだな」
「・・・バルカローレとセレナードが?」

バルカローレとは、メルディナ大陸の北にある大きな島国。
メヌエット国の港から船で数時間の場所に位置している。

「どういう理由で?」
「バルカローレの神聖光使ライラの命令による、セレナードの王女殺害の報復だ」
「うわ・・・なるほどね」

神聖光使とは、バルカローレの皇帝のこと。
代々選ばれた女性が神聖光使の座につくことになっている。

「だが、その報告には別のことが書いてある」
「別のこと?」

イリヤは書類を覗き込んだ。

「セレナード国のマラカ王女をバルカローレに招いた。その使いがセレナードに来たわけだな」
「国同士の交友みたいな意味でってことだったのかな」
「表向きはそうだったんだろう。しかし、途中で王女一行は行方不明になった」
「船ごと?」
「そうじゃないところが、面倒なところだ」
「ふーん・・・?」

書類をめくり上げながら、イリヤは首をかしげた。

「船は確かにバルカローレのアインマールの港に到着し、その後に行方が知れなくなったらしい」
「ってことは、バルカローレの領内で何かがあったってことか・・・」
「しかしバルカローレに入れた間諜の話によると、そもそも神聖光使はそんな誘いはしていないということなんだ」
「えっ・・・?」
「マラカ王女の殺害が目的だった誰かが仕掛けた罠だったんだろう・・・そこで、イリヤに頼みたいことだ」
「う、うん・・・」

頬杖をついていた手を離して顔を上げた。
ロイアは文書の中から数枚を取り出して、イリヤに差し出した。

「これが、神聖光使が潔白だという証拠文書だ。もう文はまとめてある」
「へえ・・・」
「これをセレナードに持って行ってくれ。誤解も解ければおさまるだろう」
「なるほどね。いいよ」

イリヤが頷くと、ロイアは広い部屋の奥の方で立っていた人に文書を渡しに行った。
包装などをして、正式な公式文書にするためだ。

「道中気をつけろよ。最近動物に襲われるやつが多いらしいからな」
「動物かあ・・・まあ動物相手だったら問題ないんだけどね〜・・・」
「問題があるのは何なんだ?」
「そりゃ、決まってるでしょ」

イリヤは勢いをつけて立ち上がり、いつものように髪を肩の上にふわっと置いた。

「人間ほど恐ろしい動物はいないよ。それに比べたらどんな動物だって可愛いよ」
「・・・ああ、なるほどな」

ロイアは少しだけ表情を曇らせて頷いた。
それを見てイリヤは意地悪く笑った。
こういう顔が魅力的に思えて女たちはこいつに絆されるんだろう、とロイアは頭のどこかで考えた。

「でも、人間ほど素晴らしい生き物もいないよ。それもそう思うでしょ?」
「相変わらず、気障なセリフがどんどん出てくるな」
「お褒めの言葉ありがとう」

おどけて軽く肩をすくめたイリヤを横目で見ながら、ロイアは片手で眼鏡を直しながら首を振った。
そして、机に広がった書類をまとめ始めた。



その次の日、イリヤはセレナードに向けて朝早くに出発した。
2日間かかってようやく目的地に到着したのだった。

「うん、チーズとハムの組み合わせはやっぱりいいね。ベストマッチ」

出来立てのサンドイッチを堪能しながら、てくてくと歩いた。
シロフォンの中心にあるセレナード国の王宮を目指している。

「あ、あの子可愛いなあ・・・」

ふと目に留まった女性に声を掛けそうになった。
しかし、突然感じた気配にイリヤは上げた手を硬直させた。

「・・・誰・・・?」

静かに辺りを見回した。
しかし、町人が行き交うだけで特に怪しい人はいなかった。

「・・・身軽な方がいいって言ったんだけど、ダメだったかな〜・・・」

イリヤはロイアに護衛をつけると言われたのを断っていた。
自分が守られる側になるのが嫌だったし、何より大人数で行かない方が良いと思ったからだった。

「ま、渡すだけ渡しちゃおう。これがないと戦争になっちゃうし」

服の中に隠してある書類が入った薄い箱をぽん、と服の上から叩いた。
そして、少し早足で歩き始めた。



「やっとついた・・・西シロフォンってこんなに広いんだ・・・」

町に入ればすぐの場所だと思っていたイリヤは、少し疲れた表情で城壁に手をついた。

「素直に入れてくれるといいけど・・・どうかなあ」

つい先日、メヌエットの城にも入ることができなかった。
そのことを考えると、どう入ったものかなとイリヤは少し頭を悩ませた。

「まず交渉してみて、ダメなら侵入するしかないか・・・」

侵入経路を考えながら城を見上げた。
そうしながら歩いていくと、城門の近くまでやってきた。

その時。

「・・・すみません」
「ん?」

イリヤの後ろから急に声がかかった。
可愛らしい女性の声だった。

「どうしました?」
「あの・・・イリヤ・シュタークさんですか?」

どうして名前を知っているんだろう、と思いながらもイリヤは頷いた。

「うん、そうだよ。あなたは・・・うわっ!!」

突然、後頭部に激痛が走った。
何者かに背後から殴りつけられたのだと把握するまでに数秒かかった。

「・・・な、なに?!」

体勢を崩さないように身構えながら、イリヤは剣を抜こうとした。
その右手を、青い光が撃った。

「わっ・・・水の魔法・・・?」

頭の痛みで視界がぼやけていたが、どうやら数名に囲まれているようだった。
そう認識した瞬間、今度は背に強い衝撃があった。

「お、お前達は・・・?!」

どさっと地面に膝と片手をついた。
必死に顔を上げながらイリヤは周りの攻撃をしてくる者たちを見た。

その中の奥の方にいた一人が、イリヤに歩み寄った。

「メヌエットからの文書、こちらへ渡してもらいましょう」
「な・・・」

額から頬にかけて流れる血を感じながら、イリヤは目を見開いた。

「さもなくば死んでもらいます。どちらがいいですか?」

魔法を放つ準備をしているのが、イリヤは風の流れで分かった。
イリヤは目を閉じて、素早く剣を握り引き抜いて薙ぎ払った。

「ぎゃああっ!!」

最初に声をかけてきた女性に、その攻撃は当たった。
腹から真っ二つに切り裂かれたその女性は光を放って消えてしまった。

「えっ・・・消えた・・・!?」
「渡す気はないということですか・・・それなら仕方がない」

その人物は、一気にイリヤに間合いをつめた。
イリヤは目が霞んでよく見えなかったが、その相手の髪が白いのが見て取れた。

「・・・なんだ、ここに隠し持っていたのですか」

攻撃を受けたときに文書が入っている箱がずれてしまっていた。
その声の主は、イリヤの服から文書をさっと抜き取った。

「あっ・・・!」
「この人数の奇襲と、あれだけの攻撃によく耐えました。しかしこれ以上私たちの邪魔をされては・・・・・・なっ」

イリヤは剣を手の中で回転させて握り直し、相手の喉下に突きつけた。
額から流れる血が目にかかり、片目をつぶった。

「お前は何者だ・・・?名前は?」
「これはこれは・・・さすがですね」

書類が入った箱を揺らしながらその人物は笑った。

「立っているのもやっとの状態で・・・。敬意を表して、特別にお教えしましょう。私はブラムと申します」
「ブラム・・・?」

くらくらする頭を片手で押さえながらイリヤはその名前を復唱した。

「では・・・さようなら、イリヤさん」
「えっ・・・?」

ブラムと名乗ったその男はイリヤに片手をかざした。

「無意味に命を奪うのは、私がお仕えしている方も嫌がるんですよ。少々荒っぽくなりますが、どうぞ自分の国へお帰りください」

風が辺りに巻き起こり、イリヤを中心に渦を巻いた。

「まあ結局、これでは命の保障はありませんけどね」
「な、何を・・・!?」

緑色の光に包まれて、イリヤの視界が次第に薄くなっていった。

「コーダゲイル!」
「うわあああっ!!」

その魔法詠唱の声と共に風が勢いを増し、イリヤは光の中に消えてしまった。









         





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