指には、ローチェの指輪が光っていた。

「ローチェさんも、クラングさんも・・・フレイのために、命を懸けたんですよね・・・」

指輪をしている方の手を引き寄せて、指輪を人差し指と中指で撫でた。
そして、意を決して空を見上げた。
大きく息を吸い、手をぎゅっと握り締める。

「フレイ!!」

空で戦っているシオンとフレイに向かって、声限りに叫んだ。
思わず二人はイルを見下ろした。

フレイの腕に巻かれていた黄色い布は取れていて、服はところどころシオンの攻撃によって破れてしまっている。
シオンは傷を負った腕を片手でおさえて肩で息をしていた。

「フレイ、私が知っているフレイはどこへ行ったんですか!?あなたは自分より人のためを思う、そんな人だったでしょう。
だからこそテヌートたちはみんなあなたのために行動し、犠牲になった人たちもフレイを信じて生きてこられたんですよ!?」

生気のない赤い目を向けられ、イルは一瞬言葉を失いそうになったが必死に続けた。

「考えましょう。テヌートたちに影響を与えない方法を・・・みんなが安心して暮らせる方法を・・・。
フレイだって分かっているでしょう、人間を滅ぼして得る平和なメルディナなど、間違っているって・・・」
「無理だよ」

イルの訴えは、フレイのトーンの低い声にかき消された。
フレイのあまりの変わりように、シオンとイルは同時に息を呑んだ。

「そんなの無理だよ。それこそ二人とも、分かってるでしょ?ぼくがこうして存在しているだけで、テヌートたちは使命に目覚めている。
そして、このまま時を刻み続けても人間は争いをやめることはない。ここで、ぼくを封印するしか人間を滅ぼさない方法はないってことも」
「フレイ・・・なんで、分かってくれないんですか・・・」
「分からないのはそっちだよ。ぼくは全部分かってる。分かった上で、ここまで来たんだ。あと少しなんだよ、邪魔しないでくれる」
「・・・・・・」

イルは、がっくりと肩を落として下を向いて目を閉じた。
無意識に、バイエルの頭を抱きしめていた。

「どうしよう・・・もう、どうしたら・・・」
「・・・・・・うーん」

その時、バイエルがぎゅっと目をさらに強く瞑って小さく声を上げた。
苦しかったのか、とイルがとっさに手を緩めた瞬間、バイエルはゆっくりと目を開けた。

「・・・あれ?イル・・・?」
「バイエル・・・!目を覚ましたんですか!どこも痛くないですか?大丈夫ですか?」
「うん・・・フレイは・・・?」

目を覚ますや否や、バイエルはフレイの姿を探し始めた。
イルは悲しそうな表情で空を見上げ、その視線を追いかけてバイエルも空にフレイを見つけた。

シオンの剣の攻撃を受け流してから、フレイはバイエルを見た。

「バイエル。目が覚めたんだね」
「フレイ・・・!」
「せっかく分けてあげた力を自分から捨てるなんてね。そんなにぼくの言う事を聞くのが嫌だったんだ」
「・・・・・・!」

フレイの言葉に驚いたバイエルは、がばっと身を起こして立ち上がった。

「フレイ・・・ち、ちが・・・」
「何が違うの。バイエルは、イルと戦わないことを選んだんだよ。ぼくがしてほしいことなら何でもするって言ったのにね」
「・・・フレイ・・・」
「変わっちゃったね、ほんと・・・約束したのに」
「・・・・・・。」

何も言えなくなってしまったバイエルから視線を外して、フレイはシオンにランフォルセを突き出した。
シオンも、ルプランドルをフレイに向け直す。

「テヌートたちをあまり待たせるわけにはいかないからね。そろそろ、決着をつけよう」
「・・・分かった」

シオンは静かにそれだけ言って、羽ばたいて後ろにさがった。
十分な距離をとり、お互いに剣の刃を向けてお互いを見つめた。

「フレイ・・・」
「シオン・・・!」

空中の二人を見上げることしかできないイルとバイエルは、悲痛な声を上げた。
しかし、シオンとフレイはそれに反応することはなかった。

二人は同時に素早く前に出た。

シオンが振り上げた剣を受け止めるべくフレイは剣を横に構える。
それを寸前で止めて斜め上から斬りかかろうとしたのを、フレイは読んでいた。

「うわっ・・・!!」

ランフォルセより剣身が短いルプランドルは、フレイがとっさに身を引いたことによって空を切り、
その隙を突いてフレイはルプランドルをなぎ払った。

そのまま肩を押さえつけられ、シオンは飛ぶこともできずにバランスを崩した。
フレイに押さえ込まれたまま地面に二人とも落ちてきた。

シオンの翼が地面で砕け散った衝撃で激突は免れたが、フレイの持つ剣の先はシオンの喉元に突きつけられていた。

「・・・・・・!!」

少し力を入れればシオンの喉が掻き切られる状況。
一瞬の出来事に、イルもバイエルも声を上げることもできなかった。

二人が落下した直後にシオンの手から離れたルプランドルが硬い石の床に転がり、無機質で大きな音を立てた。

「・・・・・・こんなに強かったんだな、フレイは。俺の負けだよ。初めて剣で負けた」
「・・・・・・。」

フレイを地面から見上げて、苦笑しながらシオンは降参したように両手をあげた。
色んな人たちに、ごめん、と心の中で謝って、シオンはゆっくりと目を閉じた。

しかし、フレイは剣に力を込めることはなかった。
しばらく何も言わず全く動かずにシオンを見下ろしていたが、やがて小さく肩を振るわせ始めた。

「・・・・・・っ」

赤く光るフレイの目から、大粒の涙がこぼれた。
目を見開いたままなのに、目からは涙が落ちて止まらなかった。

「え・・・」

頬に弾けた涙の感覚を覚えて、シオンは再び目を開いた。
剣は突きつけられたままだったので顔は動かせない。

「おい、フレイ・・・?」

ついには、しゃくりあげ、顔を歪めて赤い目をさらに赤くしてフレイは泣き出した。
何が起きたか分からなかったが、シオンの耳にはフレイの絞り出すような涙声が聞こえてきた。

「消えたい・・・いなくなりたい・・・!この世界からも、みんなの記憶からも、今すぐ消え去りたいよ・・・!」
「・・・・・・」

剣を持つ手まで震え始め、フレイはランフォルセをシオンの顔から少しずらした。
左手で涙を ぐいっと拭って、シオンの上に乗ったままランフォルセを両手で握り締めた。

「ぼくが最初からいなければよかったんだ・・・ぼくがいたから、テヌートのみんなの人生を狂わせたんだ・・・。
ごめんね、みんな・・・・・・シオン、本当にごめん。・・・ぼく、自分で・・・自分を封印するから・・・」
「なっ・・・・・・」

シオンが驚いてフレイに手を伸ばしたと同時に、フレイはランフォルセを自分に向けた。

「やめろ、フレイ・・・!!」

フレイは首から斜め下に向けて剣を振り下ろした。
形振り構わずランフォルセの刃に向けて伸ばされたシオンの手は、フレイの体を斬りつけた刃に当たった。

信じられない、という様子でイルとバイエルもその光景を見ていた。
バイエルはフレイに向かって駆け寄ろうとしたが、自分をフレイが斬るまでに間に合わなかった。

しかし。

「な・・・んで・・・?」

確実に斬ったはずなのに、フレイの首も肩も、問題なく動いていた。
体から剣を抜き、ランフォルセは地面にガラリと音を立てて落ちた。

斬った右肩を左手で押さえつけたが、何より、血の一滴も流れてこない。

「・・・やっぱ、そんなことだろうと思った」

いつの間にかフレイの下から抜け出していたシオンが、肩を押さえているフレイの手に手を重ねた。
ランフォルセに当たった左手からは、とめどなく血が流れ落ちている。

「フレイにはその剣は使えないよ」
「そんな・・・そんなはずない、エリーゼからもらったときに、確かにぼくの手の中で剣の姿になった・・・。
ランフォルセを使って白蛇を封印できるのは、ぼくだけのはず・・・!」
「うん。そうだったんだけどな」

フレイの肩がちゃんと動き、怪我をしている様子すらないことを確かめてからそっとシオンはフレイから右手をはなした。

「ランフォルセを使って白蛇を封印するには、命を使う。フレイには、もう・・・その「命」がないんだよ」

途中で言い出しにくそうにしたが、いくらか小さな声でシオンはそう言った。
そのやり取りをしている間に、バイエルも二人の近くまで駆け寄ってきた。

「・・・シオン、どういうこと?」
「光の石エールを使って白蛇を呼び出す。ランフォルセを使って白蛇を封印する。どっちも、使う者の命を消費するんだ」
「そ、それじゃあ・・・」

バイエルは、フレイの首から下がっているエールのペンダントを見た。

「母さんが言ってた。大きなもの、強い力を作るには大きな代償が必要だって。
そして、それを生み出す方法と同時に封じる方法も作らなければ、それは存在できないんだってさ」
「・・・そんな」

フレイは地面に両手をついて、手を強く握った。

「みんなの前からいなくなりたかったのに・・・自分一人で、決着をつけて消えようと思ってたのに・・・」
「・・・ほんと、フレイらしいよなあ」

苦笑交じりの声で、シオンがそう言った。

「何で全部一人で抱え込むんだよ・・・一言でも俺に言ってくれたら、絶対こんなことにはさせなかったよ。
少なくとも、フレイ一人で悩んで苦しませるようなことはしなかった。お人よし過ぎるからこんなことになるんだぞ」
「・・・シオン・・・」
「ごめんね、ごめんね、フレイ・・・!」

突然、バイエルがフレイの服にすがりついた。

「ぼく、フレイのために何でもしたいって、本当に思ってたんだよ!今も思ってるよ!
ぼくがそんなこと言ったから、ぼくがフレイのこと止めなかったから・・・フレイが悩んでるって、分かってたのに・・・!」
「・・・バイエルは何も悪くないよ」

フレイはバイエルの頭を抱きかかえた。
そして、頭の上から言い聞かせるように囁いた。

「バイエルは何でも分かっちゃうんだね。ぼくが一人で消えたいと思ってたことも、分かってたから言うこと聞いてくれたんだよね。
イルと戦わないことを選んでほしいってぼくが思ってたから、自分で戦わないことを決めたんだよね。
・・・嬉しいよ。自分で正しいことを判断して、それをできるようになってくれて。ぼくがいなくても、もう大丈夫だね」
「やだよ!!」

フレイの腕の中で、バイエルは泣きじゃくりながら首を振った。

「いやだ、フレイがいなくなるなんて絶対にいやだよ!!フレイのためだったらどんなことでもするから
いなくならないで・・・!!フレイがいない世界なんてやだ、お願い、いなくならないで・・・」

バイエルのことをさらに強く抱きしめて、そのままフレイはバイエルを抱え上げた。

「・・・バイエル、もう一つだけお願いしていいかな」

返事をする代わりに、バイエルもフレイの背を強く抱き返した。

「ぼくたちテヌートが引き起こした戦争によって、その争う心によって白蛇が存在しようというのは間違ってる。
でも、人間はどうしても争い、他の生き物を思いやらずに地を破滅に追いやる存在なのかもしれない。それは分からないんだ」
「そう、今はまだ結論は出せない」

シオンが、床に落ちていたランフォルセを両手で拾い上げながら言った。
フレイはバイエルをそっとおろし、シオンの方を見た。

「判断するには「時」の力が必要なんだよ。・・・でも俺は、人間はそんな生き物じゃないって信じたい」
「ぼくも。白蛇による地の浄化は、必要ない世界であってほしいって思ってるんだ・・・ね、バイエル」
「ほれ、イルもちゃんと聞いとけよ」
「・・・・・・。」

イルは、3人の後ろで泣き出すのをこらえて話すために声を出すことすらままならない状態だった。
肩と背中をそっと支えて、シオンはイルの耳元で小さく、がんばれ、とだけ言った。

「白蛇が封印されても、その封印はいつか解ける。白蛇を完全に滅ぼすのも、今はまだできない。
ランフォルセがその力を手に入れるのにも「時」の力がいる。時が流れる必要があるんだ」
「・・・どういうこと?」
「バイエルには、白蛇の封印が解けたときに正しい判断をしてほしいんだ。メルディナは白蛇の浄化が必要な世界かどうか。
必要なければ今度こそ白蛇を完全に消し去るように、聖玉を受け継ぐ人たちを導いてほしい」
「・・・・・・。」

ゆっくりと、バイエルは頷いた。
それを見てフレイは嬉しそうに微笑み、バイエルから離れていった。

「・・・シオン、お願いしていい。ぼくは、もう自分一人で消えることすらできないみたいだから」
「フレイがそうしてほしいなら、いいよ。俺にしかできないことみたいだし」
「まっ・・・待ってください・・・」

涙声になるのを必死にこらえながら、やっとイルは声を出した。

「ごめんなさい、急がないといけないのは分かってます・・・でも、シオン・・・」

イルは両手をシオンに差し出した。

「・・・治しても、いいですか」

シオンの左手からは血が流れ続けている。
痛みも忘れていたが、ランフォルセを右手だけで持ってシオンはイルに手を差し出した。

「・・・・・・」

イルは両手でシオンの手を上下から包んで、その怪我を治した。

「ありがとう。喧嘩ばっかしてたけど・・・楽しかったよ、イル」
「いっぱい振り回しちゃってゴメンね。バイエルをお願いします」
「・・・・・・はい」

消え入りそうな声で返事をして、イルはシオンから手をはなして後ろに下がった。

シオンはランフォルセを両手で構え、フレイと向き合った。
目を閉じて、一度深呼吸をしてからフレイを真っ直ぐに見据えた。

「・・・じゃあな」

片手でイルに向かって手を振った。フレイも一緒にイルを見て少しだけ頭を下げて笑った。

シオンはランフォルセを握り締めて剣を後ろに引いた。
そして、そのままフレイの胸を貫いた。






白蛇は、ひとたび封印された。

白蛇が封じられた地、セレナードの南に位置するカノンの町があった場所はイードプリオルの泉の水の底に沈み、大きな湖になった。
その湖はレッジの湖と呼ばれ、川と繋がらない不思議な湖として霧深い森の奥にひっそりと存在している。

カノンの町がなくなったためそこに住んでいた少数のテヌートたちは各国に散り、別の地で新たに村を作るものもあった。
フレイの願いどおりに人々からフレイへの記憶は消滅し、同時に白蛇に関する記憶もなくなった。

癒しの司として聖墓キュラアルティに存在することになったイル、そしてバイエル。
メルディナの各国の人に別れを告げて、二人はキュラアルティにやってきた。

「・・・これで、私がやるべきことは終わりましたね」
「イルは終わりにするの?」
「私はもういいです・・・終わりにします」
「・・・そっか」

大きな扉を閉ざし、イルは扉に両手を添えたまま下を向いて息を吐き出した。

「ビアンカ様から頂いた聖玉でのランフォルセの封印も終わり、あとはロイア様に渡した紫苑の伝承書が伝わっていけばいい。
光の石エールも必要な時が来るまで太陽と月の二つの光に分けてセレナードとバルカローレの王家に託されて・・・。
あとは、私はここ聖墓キュラアルティに存在していることに意味があります。メルディナにかかわる気はもうありません」
「うん。・・・いいと思うよ」

バイエルは、奥の壁にかけてある大きな水の鏡、ジェイドミロワールの前まで歩いていった。

「・・・ぼくは、もう少しだけやるべきことをやってみる。白蛇が再びこの地に現れた時に・・・ぼくにはランフォルセは使えないけど、
それを扱える勇者を探し出して必ず正しい道に導く。今度こそ、フレイが望んだ世界にしてみせるよ」
「どうやるんです?」
「癒しの司に許された奇跡の力、ぼくは自分に使うよ。イルは「テヌートが人間になってほしい」って願ったでしょ。
そのおかげで、テヌートは白蛇が封印されても、未来に滅ぼされても一緒に消滅することはなくなった」
「・・・ええ」

イルは目を細めて、手にはまっている指輪を見た。

「テヌートも、地上に人の姿で生まれたからには白蛇と全てを共にするべきではないと思いましたから・・・。
・・・それで、バイエルはそれをどうやって使うんですか」
「もっともっと遠い未来になるけど、ぼくはもう一度メルディナに生まれる。シオンのママも同じことをするんだって。
そのときに、ぼくはシオンのママの子供として生まれてくるって。そしたらぼく、シオンやアルスの弟になるね」

ジェイドミロワールに映し出されたどこかの平原を見たまま、バイエルは ふふっと笑った。

「・・・となると、バイエルは私の義理の弟ってことになるのかな」

軽く首を傾げて考えたが、よく分からなかった。
そしてイルもジェイドミロワールの前まで歩いてきた。

「癒しの司として、メルディナを見守っていきましょう。私たちはその役目を自分で選んだんですから」
「うん。シオンとフレイも、一緒にね」
「・・・・・・そうですね」






メルディナにおける白蛇の誕生にかかわった人たちからの記憶は消え、
紫苑の伝承書に残された言葉だけが白蛇を伝説として伝えていった。

メルディナに訪れた平和は、この先も平和が続くのか、続いてもいいのかを試されるための平和。
その疑問に答えを出さなければいけない日が来るまで、白蛇の封印がいつか解かれる日が来るまで。












― 星空に輝く白蛇   完 ―










    





inserted by FC2 system