「紫苑の伝承書を渡してもらえる?」
「あ、ああ・・・」

クレールは、シオンから本を受け取った。
そのまま後ろに振り向き、床を指差した。

「わ・・・」

床から椅子を出したときのように透明な床から薄い箱が出現した。
しゃがんでその箱を拾い上げ、蓋を開いた。

「この本は・・・破り取られていたページがあったでしょう?」
「そういえば、破れているページがあるとビアンカ様が仰っていましたね・・・」
「母さん、もしかしてその紙が?」
「ええ」

クレールは箱から破られた本のページを2枚取り出した。
そして紫苑の伝承書にその紙を重ねると、茜の伝承書と藍の伝承書を重ねたときのように本全体が輝いた。

光が収まると本の上に置かれていたページは消えていた。

「これで、この本は元通りになったわ・・・」
「ど、どういうことなんだ?どうして2ページ破り取る必要が?」
「誰がそのページを破ったんですか・・・?」

紫苑の伝承書の表紙を撫でているクレールに、シオンとイルは畳み掛けるように疑問をぶつけた。
しばらく本を見つめていたクレールだったが、ゆっくりと本のページをめくり始めた。

「・・・このページを破ったのは、過去の私です。私も迷っていたの・・・試してみたいという思いもあったのよ・・・」

クレールの言葉の意味がわからず、シオンとイルは顔を見合わせた。

「このページがあれば、大いなる存在を呼び出そうとする人はいなくなるかもしれない。だから、私が破ったの。
ここに書かれていたのは、大いなる存在を作り上げようとした理由と、それを封じる方法」
「理由と・・・方法?」
「あの・・・何て書いてあるのでしょうか・・・?」
「・・・・・・。」

目的のページにたどり着き、クレールは指で文字をなぞりながらそれを読み上げ始めた。

大いなる存在。
それは13番目のホロスコープ、蛇使い座のオフィウクスに宿る力すなわち白蛇である。

私たちは、人間に成り代わる尊い存在を創り出そうと試みた。
無から命を創り出す、神の領域を目指した。

しかし、それは不可能だった。人間は人間であり、神にはなれない。それでも神にしか成し得ない所業を目指し続けた。

人々が争う時、その心は大きな力を持つ。
そして個々を修復することなど不可能、全てを無に帰すべきであると悟った。

争いを止めぬ命の力の得て、私たちはついに白蛇を創り出した。

しかし、白蛇は単独に存在し得えない。
無から命を創り出す、それはやはりできないことだった。

そこで私たちは、人の一人を、仮の種族に作り変えた。
この白き民をメルディナで繁栄させ、大いなる存在、白蛇の依り代とした。

大いなる存在が目覚めるとき、白き民の中の白蛇もまた目覚める。
白蛇の力を得た白き民は、白蛇の意志の元、争いを止めぬ悪しき種族を滅ぼし絶やすだろう。

そして全てが終わったとき、白き民もまた消え去るだろう。
真の平和が訪れたメルディナに在るのは、天地自然の理の中の命のみである。

「・・・こういうこと。テヌートはみんな、私たちが作り上げた仮の命でありいずれ滅ぶ種族なのよ」
「そ、そんな・・・」
「テヌートはみんな、作られた人間だったんですか・・・!?」

分からないことの方が多かったが、理解した部分にシオンとイルは驚愕した。

「こっちのページは、白蛇を封じる方法。もちろん、大いなる存在が目覚めなければ必要ないのだけれど・・・」
「でも、急がないとテヌートたちが呼び出そうとするんじゃ・・・」
「・・・そうね。急がないといけない。この二つのページに書かれていることを全て伝えたら、イードプリオルの泉の近くまで二人を移動させてあげる」
「わ・・・分かった・・・」

シオンは、クレールの少し寂しそうな横顔を見ながら静かにうなづいた。



クレールから伝えられたことを、シオンは必死にフレイに話し続ける。

「フレイ、テヌートは白蛇を生み出すためだけの仮の生き物なんだ。
大いなる存在である白蛇が呼び出されたら、みんな白蛇の意志の元にしか行動できなくなる。
テヌートたちはこのままじゃ、人間を白蛇の力を使って殺し始める。そうしたら、メルディナからは人間はいなくなるんだ」
「・・・そんな・・・・・・。」

フレイは一瞬目を伏せて、口の中で小さく呟いた。

「人間を全員殺したら、今度はテヌートは人間ではなく白蛇の姿になる。白蛇っていうのは、人間を絶滅させるための存在なんだ」
「・・・・・・。」
「テヌートたちがフレイに抱いていた希望はそんなんじゃないだろ?メルディナに戦争を起こさせようとして、
天授力を持つ人間を殺そうとして、どれだけの犠牲が出た?フレイにとっても、大切な人が何人も死んだだろ・・・」

アルスのことを思い出して、シオンは涙がにじみそうになったのをこらえた。
フレイも、ラスアやローチェとクラング、そのほかのテヌートたちの顔が頭によぎった。

「モデラートがセレナードの急襲に遭って滅びたのは、王子であるフレイにとってどうしようもなく辛かったことだと思うよ。
その歴史自体が誤り伝えられていることも、やりきれないと思う。・・・でも、もうモデラートという国はない。
テヌートも、カノンに暮らす人以外にも、各地にたくさんいるんだ。何も知らない人たちまで巻き込もうって言うのか・・・?」
「・・・・・・」
「・・・白蛇が呼び出されたことによって、外にいるテヌートたちも、もうその力に呼応し始めてる。
リムも、白蛇に反応して苦しそうだった・・・俺がサビクにファシールを預けてきたからひとまずは大丈夫だろうけど、
今も、どんどんテヌートの間で覚醒が広がっていってる」
「・・・・・・」
「・・・なあ、フレイ」

何も言わないフレイに、シオンは切に語りかけた。
悲しそうなシオンの呼びかけに、フレイは額を手のひらで覆って下を向いた。

「・・・・・・ははは」

そして、突然肩を震わせて笑い始めた。
話していたシオンや横にいたイルはおろか、バイエルまで驚いてフレイを見つめた。

「フレイ・・・?」
「はははは・・・笑えるね。そんな言葉でぼくを説得しに来たつもり?そんなこと、最初から知っていたし全て承知の上だよ」
「・・・・・・!?」

フレイの体がふわりと浮き上がった。
手に持っていたランフォルセの柄を握って、薄っすらと笑みをたたえてシオンを見下ろした。

「争いをやめない命たちを浄化する力・・・それが白蛇の力。メルディナを滅ぼそうとしている人間という生き物なんて、必要ないんだよ。
人間が存在する限り、真の平和は訪れない。それならば・・・人間を全て、消し去るしかないよね?」
「なっ・・・」
「シオン、きみが何者だろうと蛇遣い座のオフィウクスとなったぼくの力に敵うはずはない。白蛇の意志の邪魔をする者には、消えてもらうよ!!」
「!!」

そう言ってフレイはランフォルセを抜いてシオンに向かって斬りかかった。
シオンはとっさにルプランドルを横に構えて剣を受け止めた。

「フレイ!!」

突然の攻撃に驚いたイルは声を上げた。
すると、剣で押し合いをしたままフレイはちらりとイルを見やった。

「・・・バイエル」

階段の上に立ったままだったバイエルは、その声に反応してフレイを見た。

「さっき言ったよね。聖地カノンの侵入者は許さないって。イルと遊んであげて」
「うん」

バイエルは小さく頷いて、階段をゆっくりと下りてきた。
シードを両手で握り締めて、イルは身構えた。

「ば、バイエル・・・待ってください、私は・・・」
「いくよ、イル」

そう言ってバイエルは片手を上に向けた。

「サジタリウス、力を貸して」

白い光に包まれてバイエルの手の中に出現したのは、金色の弓だった。
それを構えて、イルの方を向いた。

「カウス・メディア」
「わっ・・・!!」

イル目掛けて、白い光の矢が一直線に飛んだ。
とっさにイルはシードを前に振り下ろした。

「あっ・・・」

シードの先端の宝石部分に直撃した光の矢は、砕け散ってしまった。
杖を持っているイル自身も、それに驚いた。

「・・・これが、地の杖の力・・・!?」

バイエルは むっとした様子で、一歩後ろに下がった。
そして、再びサジタリウスを構えた。

「カウス・アウストラリス!!」
「えっ・・・!」

サジタリウスに光が集まったかと思うと、白い光の矢がいくつも様々な方向から飛んでいった。

「リフト!!」

イルはシードを石の床につき立てた。
すると、イルの周りから地の力が吹き出した。

イル自身も目をつぶっていてよく見ていなかったが、その魔法はバイエルの光の矢を全て打ち消していた。

「そんな、ホロスコープの力を防げるなんて・・・」

サジタリウスを力なく握ったまま、バイエルは手を下ろした。
そのまま、サジタリウスを手から自分の体の中に戻した。

それを見て、イルは恐る恐るバイエルに歩み寄った。

「バイエル、もうやめましょう・・・?嫌でしょう?フレイに命じられたとは言っても、シオンや私と戦うなんて・・・」
「・・・フレイがしてほしいことなら、嫌じゃない。フレイのためだったらぼくは何だってするよ」
「ば、バイエル!」

近づいてきたイルの手を振り払って、そしてそのまま手のひらをイルに向けた。

「アルデバラン!!」
「うわっ!?」

何かにぶつかられたような大きな衝撃を受けて、イルは後ろに吹っ飛んだ。

「ぼくとフレイが一緒にいるのを邪魔しないで」
「待っ・・・」

イルが立ち上がるよりも先に、今度は壁にもたれているイルの腕に右手を向けた。

「アクベンス」

バイエルの手から三日月の形をした白い光の魔法が飛び、イルの腕を壁に縫いとめた。
必死に腕を動かそうとしても、壁に突き刺さった白い光は外れる様子がない。

「待ってください・・・!」
「いやだ」

左手を振り上げ、バイエルのその手には槍の先端のような鋭い光の魔法が現れた。
イルはあきらめずに必死に言った。

「バイエル!・・・ねえ、ホロスコープは・・・あの人形は、もういないんですか?」
「え?」

イルの疑問に、バイエルは思わず手を止めた。

「・・・いないよ。ホロスコープの人形たちは、この力を持ち運ぶための仮の存在だったんだもん。
フレイが白蛇の力を手に入れた今、ホロスコープは力だけになってフレイが全部持ってる。
この力も、ぼくがフレイから分けてもらったから使えるんだ」
「で、でも・・・」

今までは人形のホロスコープを手から出して、そのホロスコープに指示を出していた。
しかしバイエルはかつてホロスコープが使っていた力を直接使っている。

「ぼくはテヌートじゃないけど、ホロスコープを統率する天授力を持ってたからこの力を扱えるんだよ。
力を分けられたテヌートが思い通り使えるようになるまでは、フレイから力を分けられたテヌートたちにぼくが教えてあげる」
「・・・・・・。」

バイエルの表情を読み取ろうとして、イルは必死にバイエルを見つめた。

リンゴを勝手に食べてしまったことを謝ったこと。
アルスが、バイエルが笑ったと言って大喜びで伝えにきてくれたときのこと。
一緒にセレナードに向かい、その途中で何度も助けてもらったこと。

フレイの言う事だけを聞く人形になってしまったわけではないという希望を捨てないため、バイエルと一緒にいたときのことを思い出した。
そして、自由になっている方の手からシードを手放した。

「可愛かったのに・・・ホロスコープ、もうみんないなくなってしまったんですね・・・」
「・・・・・・?」

わざわざシードを床に置いたことに、バイエルは戸惑った。

「バイエルの大切なお友達だったのに。いなくても大丈夫になったなんて、最初に会ったときより本当にずっと成長しましたね」
「イル・・・?」

イルから伸ばされた手を頬に感じて、さそり座のスコーピオの力をまとっている手を停止させた。

「はじめは本当に心配したんですよ。人形だけが友達だなんて。買い物の仕方も知らないなんて・・・。
それが今は、自分の意思でフレイについていこうとしている。身も心も強くなって、私は本当に嬉しいですよ」

イルは下を向いたまま微笑んだ。

「・・・さっきバイエルは自分で言いましたね。私と戦うのは平気だと。シオンと戦うことも、フレイに命じられたら従うんですね」
「・・・・・・。」
「・・・でもね」

壁に突き立って残っていたキャンサーの三日月形の魔法が消えて、イルの左手が自由になった。
イルは立ち上がり、バイエルの頭に手をのせた。

「・・・私は、嫌です。私はバイエルとは戦いたくありません。バイエルが私と戦うことを選んでも、私は戦いません。
バイエルを傷つけるようなことはしたくないんです。・・・このことを分かった上で、それでもフレイの命令に従うかはバイエルが決めて下さい」
「イル・・・」

イルは覚悟をしたかのように笑って、目を閉じた。
バイエルはイルの手を振り払おうとしたが、なぜかそれができなかった。

「・・・イル・・・」

手が震え、イルの名前を繰り返し呟くがその声も震え始めた。
泣きそうな顔になって唇をかんで、ついには頭を抱えてバイエルはその場にしゃがみこんでしまった。

「・・・ば、バイエル?」
「いやだ・・・フレイのために戦いたい・・・戦い・・・た・・・い・・・」
「・・・・・・!」

苦しそうに胸をおさえて、絞り出すようにバイエルはそう繰り返す。
イルは慌ててバイエルの様子を見ようと屈んだ。

「どうしたらいいの!?ねえ、分かんない・・・ぼくは・・・戦いたくないの・・・?ぼくはフレイのために、戦いたいはずなのに・・・!」
「バイエル!?」

千切れそうな強さで服を掴んで、胸のリボンはバイエルの手の中でぐしゃぐしゃになっている。
イルがバイエルの肩に触れようとしたとき、バイエルの手から白い光があふれ出した。

「わ・・・!?」

今までに見たことのない量の光にイルは思わず手を引っ込めた。
光はさらに膨れ上がり、バイエルの体を中心に爆発した。

「うああああああーっ!!」

バイエルの叫び声が辺りに響き、白い光は四方八方に散らばってそして消えていった。
イルの目の前で起こったその出来事を、シオンとフレイは空中で戦う手を止めて見ていた。

「な・・・なんだ、今の・・・?!」
「バイエル・・・!」

剣が交差した状態の二人が見つめる先で、イルがバイエルをゆすり起こしていた。
両肩を持って、何度もバイエルに呼びかけている。

「バイエル、バイエル!どうしたんですか・・・?しっかりしてください!!」

苦しかったせいかバイエルの片目には涙が流れたあとがある。
だが目は強く瞑ったままで、バイエルはイルの呼びかけにも反応せずそのまま全く動かない。

「おい、イル!バイエルは大丈夫なのか!?」

シオンは思わずイルに向かって叫んだ。

「分かりません・・・でも息はしています・・・」
「大丈夫だよ」

横からフレイが言った。

「ぼくが与えた白蛇の力を捨てたんだよ。そのショックで気絶してる」
「白蛇の力を・・・?」
「ぼくの言うことを聞きたかったんだろうけど、イルとは戦いたくない。その思いがぶつかって、戦うための力を捨てたんだ」

フレイの口調は淡々としている。
ちらりと倒れているバイエルを見やり、そして握っているランフォルセに力を込めながらシオンと向き合った。

「結局・・・バイエルも使えない子だったみたいだね。まあ、ホロスコープを集めさせて白蛇を呼び出したらもう用はなかったんだけど」
「えっ・・・」
「そのためにバイエルをラベルの城まで探しに行ってつれて帰ってきたんだから。ホロスコープを統率できる天授力がなければ、
テヌートでもないバイエルにぼくが構う理由なんてない」
「・・・おい、フレイ・・・」

シオンもルプランドルを持っている右手を強く押し返し、そのまま後ろに下がった。

「バイエルはフレイにあんなに懐いてたんだぞ・・・家族になってあげるって言ったんじゃなかったのかよ・・・?」
「ぼくの言うことだけ聞いてくれるように手懐けようと思ったんだけどね。途中で色々あったし上手くいかなかったよ。・・・さて」

ランフォルセを持った手を前に出し、刃の先を片手で弾いた。

「向こうは戦えなくなったけど、こっちは決着を付けられるよね。ぼくと戦わないわけにはいかないでしょ?」
「・・・・・・。」
「ぼくはここから出て、テヌートたちに争う命を浄化するこの力を分け与える。
ぼくがここから出れば、白蛇の影響をテヌートたちはもっと強く受けて自分たちの使命を思い出すだろうね。
シオンはそれを、止めるためにここに来たんでしょう?」
「・・・そうだな」

シオンのその答えにフレイは緩く笑顔を作って、ランフォルセを両手で持ち直した。
ルプランドルを顔の前で構えて一呼吸置いてから、シオンはフレイに向かって剣を振り上げた。

再び、剣と剣が打ち合う音が空に鳴り響きはじめる。
空中を自在に動けるフレイが後退すればシオンが羽ばたいてそれを追いかけ、
シオンが上空にさらに舞い上がれば、フレイは下から魔法を撃って牽制する。

それをシオンは剣で弾き飛ばし、剣を振ると同時に風の魔法を打ち出した。
しかしフレイが体の周りに張った防御の魔法で、その攻撃は完全にかき消されてしまった。

剣と魔法の激しい戦いを、イルはバイエルの頭を膝に乗せたままどうすることもできずにただ見上げていた。

「バイエル・・・どうしたらいいのか、私も誰かに教えてほしいです・・・」

バイエルの頬を撫でながら、小さく呟いた。

「シオンの母上・・・癒しの司クレール様は、フレイが白蛇の力を手に入れる前にフレイを止めてほしいと仰ったんです・・・。
もしも白蛇が呼び出されたら、テヌートたちが人間を滅ぼす行動を開始する前に封印するしかなくなるから、と・・・」

下に向けてフレイが放った魔法が、イルが座っている場所から少し離れたところに激突して大きな音を立てた。

「そして、シオンが負けるようなことがあったら・・・もう本当に、どうしようもないんです。
こうなる前に何とかすべきだったのに、今なら何とかできるのに、私には何もできないなんて・・・」

そのとき、ふと自分の手の甲が目に入った。









         





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