「だ、誰?あ、誰でもいい!お願い助けて!!」
「ど・・・どうしたの?」
フレイを見上げたその子供は、突然抱きついてきた。
「2匹の、犬が追いかけてくるんだ!!噛み殺されちゃうよ〜!!」
「い、犬?」
そんな凶暴な野犬がいるのか、と思い目を上げてみると、木々の間から大小2匹の白い大きな犬が姿を現した。
全身は真っ白だが、目だけは赤く光っている。
確かに凶暴そうで、牙を剥き今にも飛び掛ってきそうな体勢だ。
フレイはお腹にしがみついている子供をそっと引き剥がした。
「ぼくの方に引きつけるから、しゃがんで頭を隠してて。いい?」
「・・・・・・」
完全に怯えた様子だったが、体を震わせたまま頭を抱えて小さく小さくしゃがみ込んだ。
それと同時に、フレイは前に走り出した。
背中の剣、ランフォルセを鞘から抜かずにそのまま振り上げた。
大きな犬の方がフレイに飛び掛ったが、素早くそれを体勢を低くして避け剣の柄で後ろからどん、と押した。
その犬は地面に叩きつけられたが、もう片方の犬がフレイの足に噛み付こうとしていた。
それも避けようとしたが、何かに気付いた様子で動きを止めた。
「あ、危ないっ・・・!」
手と腕の間からその様子を覗き見て、思わず声を上げた。
しかしフレイは犬の頭を剣でポン、と叩いた。
すると、なんと光を発しながら犬はその場から消えてしまった。
「・・・消えちゃった」
自分がやったことだが、フレイもぽかんとその様子を見つめた。
「す、すごーい!助けてくれてありがとう!!」
「・・・え、あ、ううん」
またお腹に抱きつかれ、フレイはよろけた。
そして剣を背中にさし直した。
「どうして?どうして?あんな凶暴なの一撃で倒しちゃうなんて!」
「いや、柄で押しただけの犬が消えちゃったから、叩いてみようかなって・・・」
何気なくやってみた行動だったが、フレイ自身もまだ理解しきっていないようだった。
だが今起きたことの考えをまとめようとする前に、もっと知りたいことがあったことを思い出した。
「あ・・・そうだ、きみ・・・えっと、名前は?」
「トルライト!きみは?」
「え・・・ええと、フレイ・・・フレイ・エコセーズ、だよ」
「フレイ!フレイすごいんだね!すごく強いんだね!」
「えー・・・いや、そんなことないんだけど・・・あの、ちょっと聞きたいことが」
「トルライト様ー!!」
お腹にくっついたままのトルライトを見下ろし、
早速質問しようと思ったが木々の間から聞こえてくる大きな声にさえぎられた。
「トルライト様!いつの間に馬車から抜け出されたのですか!!」
青年が二人大慌てで走ってきた。
剣を提げていて、見た目は高貴な様子である。
「だって退屈だったんだもん、ずーっと座ってたらおしりが痛くなっちゃう」
「まったく・・・・・・あっ?あなたは?」
トルライトがしがみついている人物に、ようやく注意が向けられたらしい。
フレイはトルライトがいるので深くお辞儀はできなかったが頭をなるべく下げた。
「フレイといいます・・・」
「あのね!フレイがさっきぼくのこと助けてくれたんだよ!フレイが助けてくれなかったらぼく死んじゃってた!」
「ええっ!?」
青年たちは思わず大声を上げた。
「な、なにがあったのですか?」
「えっとね、馬車から降りて森に入ったらすぐに大きな白い犬が追いかけて来てね、走って逃げたけど行き止まりで、
そこにフレイがいたからフレイが助けてくれたんだよ」
「白い犬・・・?」
「そうだったのですか・・・トルライト様を救って頂きありがとうございます」
「え・・・いえ・・・」
二人は深々と頭を下げた。
「では、王宮に戻りましょうトルライト様。皆が心配しておりますよ」
「ええ〜・・・」
依然フレイにくっついたままで、フレイのお腹に顔を埋めた。
「やだ・・・」
「我侭を仰られては困ります、予定が詰まっているのですから」
「あ、そうだ」
トルライトは顔を上げ、フレイを見た。
「さっきフレイ、なにか聞こうとしてたよね?一緒に行こうよ」
「えっ・・・?」
「フレイも一緒に帰ろ。帰り道にお話しようよ、退屈なんだもん」
青年は顔を見合わせたが、トルライトの様子を見て仕方なく頷いた。
「では・・・ご同行願えるでしょうか?」
「い、いいですけど・・・王宮って・・・?」
「それでは、馬車はあちらに待たせてあります。おいでください」
「は・・・はい・・・」
ようやくトルライトはフレイから離れたが、今度は手をぎゅっと握って歩き始めた。
馬車に乗り込んだフレイだったが、ランフォルセは座るのに邪魔だし剣なので外の部分に置いてある。
座席にはトルライトとフレイしかおらず、向かい合って座っていた。
「マラカ、ちゃんとお勉強済ませて待ってるかな」
「・・・マラカって?」
「ぼくの妹。今日はぼくだけ領主の訪問で出かけて、マラカはお留守番なんだ」
「・・・・・・領主の訪問?」
フレイは、改めてトルライトに根本的な疑問を投げかけることにした。
「・・・あの、きみは・・・一体誰なの・・・?」
「トルライトだって、さっき言ったじゃない。トルライト・ハンク・ファルゼット。セレナードの王子、だよ」
「せっ・・・セレナードの・・・」
思わず目を見開いて、体を硬直させた。
ついさっき見た、モデラートの城の有様や牢屋の中にいたリオーズのことを思い出した。
「フレイは、どこから来たの?」
「え?」
「テヌートが住んでる地方から?どこで生まれたの?」
「ええと・・・うん、南の方・・・」
まだ頭が混乱しており、上の空で大雑把な答えを返した。
「あの、モデラートの・・・こと、なにか・・・」
「・・・・・・?」
様子がおかしいことをトルライトは察したらしく、フレイの横に移動して座った。
「どうしたの?モデラートは、100年前にセレナードの領土になったから、モデラートっていう国はもうないよ?」
「・・・・・・」
「知らないの?フレイ、知らなかったんだよね?」
知らないことが絶対におかしいことだと思い、フレイは必死に首を横に振った。
「し、し・・・知って、ます・・・」
「知らなかったんでしょ?だから泣いてるんでしょ?」
「・・・・・・!」
目から勝手に涙が溢れていることに、フレイは自分で気づいていなかった。
「フレイは、どこから来たの?」
さっきした質問と、同じことを言った。
しかし、泣き始めてしまったフレイからの答えはなかった。
「ゴメン・・・っ、こんな、急に・・・泣いちゃって・・・」
「ううん」
トルライトの方がかなり小さいのに、フレイの肩をぽんぽん、と手を伸ばして叩いた。
「悲しい時は、泣きたいだけ泣いた方がいいんだって。お父様が、言ってた」
何とか泣き止もうとしたが、涙は止まらずしばらくフレイは静かに泣き続けていた。
トルライトはそれ以上何も言わず、フレイの横にくっつくように座っていた。
セレナードの王宮に着き、トルライトは大勢の召使に囲まれて城の中に入っていった。
フレイは置いていかれそうになったが、トルライトがちゃんと取り成してちゃんと城に入ることができた。
広い来客用の控えの部屋に案内され、さらにトルライトから剣を返された。
少し待ってて、とだけ言われてその部屋にひとり残された。
モデラートを攻め滅ぼした仇である国の一室に、自分が存在していること自体にフレイは違和感を感じた。
「・・・ぼく、どうしたんだろう・・・」
ランフォルセをテーブルに立てかけ、フレイはぽつりと呟いた。
自分の身に起きたことに混乱はしていたが、これまで見てきたことから大体の状況は掴めた。
「ついさっきから・・・100年も、経ってる・・・そんなことって・・・」
馬車の中で散々泣いてしまったので、下を向いてももう涙は出てこなかった。
その代わり、どうしようもない無力感に襲われた。
「モデラートの王宮のみんなも・・・ミュートさんとネウマさんも、バイエルくんも・・・エリーゼも・・・
ぼくのことを、ずっと待っててくれてたんだろう・・・ずっと待ってて・・・でも・・・」
高い天井を見上げ、そして目を閉じた。
「全部、100年も昔に終わっちゃってたんだ・・・ぼく一人だけ、100年後に来ちゃったんだ・・・。
この世界で、ぼくのことを知ってる人は誰もいない・・・ぼくは・・・これから、どうしたらいいんだろう・・・」
どうすればいいのか、サッパリなにも浮かばず、眠るわけでもなく目を閉じたままフレイは動きを止めた。
それから、どれだけの時間が流れたか分からなくなった頃、突然扉がノックされた。
返事をしようとして扉の方に顔を向けたが、それと同時に扉は勢いよく開いた。
「おまたせー」
そこに立っていたのはトルライトだった。
隣にトルライトよりさらに小さな青い髪の女の子も立っている。
後ろには数人の護衛がついているようだった。
「あ・・・はい」
フレイは反射的に立ち上がった。
トルライトの横の女の子は、フレイを見るなりトルライトの後ろに隠れた。
「マラカ?どうしたの?」
「トル兄様・・・護衛にしたいって、この人・・・?」
「そうだよ、ぼくのこと助けてくれた、すごい剣の使い手なんだから」
「・・・・・・。」
そんなことない、と否定したかったが二人の様子を見てフレイは発言ができなかった。
「・・・だって、テヌートだなんて一言も仰らなかったじゃない・・・」
マラカはトルライトの服を握り締めてトルライトを見上げて訴えた。
「テヌートはセレナードとの交友を裏切った野蛮な国民ですのよ?王宮にあげることも、私賛成できません!」
「こら、マラカ」
トルライトはマラカを服から離して頭をなでた。
「テヌートの人たちと仲良くしないといけないって習ったでしょ?王女であるマラカがそんなことじゃどうするの。
セレナードの国民みんながテヌートといがみ合ってたら、また戦争が起きるよ。そんな態度はとっちゃいけません」
「・・・・・・。」
「フレイはぼくの命を救ってくれたんだよ。今すぐにでも護衛長にしたいぐらいなんだから」
「・・・あ、あの」
二人のやり取りを黙って見ていたフレイが、ようやく口を開いた。
「あの、護衛って・・・?どういうことですか・・・?」
「あ、そうそう」
トルライトは部屋の中まで歩いてきた。
テーブルには大きな剣が立てかけてあるが、全く気にしていない様子だ。
「実は今月から、ぼくのとっても優秀だった護衛の一人が田舎に帰っちゃって減っちゃうんだよね。
それで、フレイさえよければ是非、その役目をやってくれないかなって頼みに来たの」
「えっ・・・・・・」
「だって、家とか、行くところとか・・・ね・・・」
ないでしょ、とトルライトは小さく小さく呟いた。
「・・・・・・?」
「部屋も一つ空いてるから。イヤだったら、今から2秒以内にイヤだって言ってー」
「え、あの、そんなっ・・・」
「はい終了。みんな、フレイは今日からぼくの護衛です。異議がある人も今から2秒以内に言ってね」
トルライトは振り返って他の召使たちやマラカを見て微笑んだ。
しかし、誰も何も言わなかった。
それから、2年の歳月が過ぎた。
フレイもすっかりセレナードでの生活にも慣れ、毎日をトルライトの傍で過ごしていた。
最初はテヌートを毛嫌いしていたマラカも、フレイにだけは懐くようになってきた。
というのもセレナードでは100年前にセレナードとモデラートが統一される戦争が起こった原因が、
国境近くのテヌートの暴動でそこから戦争に発展したと伝えられているためだ。
フレイは、実際にはセレナードからモデラートが急襲されたということを知っていたが、
あえてそのことは誰にも言わなかった。
たまにモデラートの国の人たち、100年前の人たちのことを思い出すことはあったが、
なるべく泣かないように気をつけていた。
それよりも新しい世界で精一杯生きようと、フレイは心に決めていたのだった。
「ついに、今日だ・・・」
朝からどうにもフレイは落ち着かなかった。
長い間事情があってセレナードには軍の最高位であるカペルマイスターがいなかった。
それが、今日ついにフレイがその地位に就任することになったのである。
「ぼ、ぼくのために式が執り行われるだなんて・・・こ、これからも頑張らないと・・・」
いくつもの剣術の大会で優勝し、その時に送られたトロフィーがフレイの部屋には飾られている。
それらを意味もなく取り出し、またしまい、服を片付けたりコップを出したりととにかく落ち着かない。
カペルマイスターの就任式の服は用意されているのを着ればいいだけなのだが、
まだ着替えをしてもらうにも早く何も手についていない状態だ。
「・・・お、落ち着いて・・・何を言うか、ちゃんと覚えてないと・・・うう・・・」
半ばパニックになりフレイが頭を抱えた時、突然扉がノックされた。
フレイは飛び上がって、大急ぎで扉に駆け寄った。
「す、すみません、すぐ行きます!!」
「あ・・・あの、フレイ様」
「・・・あれ?」
そこにいたのは城に従事している役人の一人だった。
フレイもよく知っている、連絡係だ。
「な、なに?どうしたの?」
「いえ・・・その、実は・・・フレイ様に、面会を希望している人が来ておりまして・・・」
「ぼくに?面会って、王宮の人じゃなくて?」
フレイは普段から王宮に仕える人やトルライトと同行した先の人となら知り合いは多かったが、
モデラートで暮らしていた時と同じく城の外の人間との人間関係はほとんどなかった。
「・・・ぼくに用がある人なんてそうそういないと思うけど・・・どこにいるって?どんな人?」
「一応、控えの間でお待たせしております。テヌートのようです」
「テヌート・・・?名前は?」
「名前は・・・」
就任式の緊張感もいくらか吹っ飛び、フレイは客人の控えの間に急いだ。
部屋の扉の前にいる係の人に取次ぎを頼み、そっと扉を開けた。
「あの・・・お待たせしました、フレイ・エコセーズです。何かぼくにごよ・・・」
ご用ですか、と言おうと思ったが部屋の中の人物の異様な風貌に発言が止まってしまった。
武器を持って待ち構えているとか、そういった悪意は感じなかったがとにかく通常ではなかった。
「・・・ぼ、ぼくに・・・何のご用ですか・・・?」
「お待たせしましたって、本当に全く」
「・・・・・・?」
部屋の中にいた客人は立ち上がり、フレイの方に歩いてきた。
頭に布を巻いていて、さらに白い髪の毛のせいで顔がよく見えない。
「100年間待ちましたよ、フレイ。こんなところで何をしているんですか」
「・・・・・・!!」
その人物は、頭の布をとった。
前髪を両サイドに分けると、そこにはフレイと全く同じ顔が現れた。
「ジェミニ・・・!!」
フレイは驚きの余り、声にならない叫びを上げた。
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