「・・・こ、これだ」
「どうしたの?フレイ」
「あ、ううん・・・」
フレイはふるふると何度も首を振った。
「これ何の本?王様が貸してくれたの?」
「そう、シオンにね・・・」
「何が書かれてるの?」
「ぼくにはあんまり読めないんだ・・・ほら」
ぱらりとめくったページは、フレイにもバイエルにも分からない文字が並んでいた。
「ほんとだ・・・つまんない」
バイエルは手からカプリコーンを出した。
そして床に下ろしたカプリコーンの角をとんとん、とつついて遊んでいる。
角を触られているカプリコーンの反応が楽しいらしい。
一方フレイは、両手で本を持ってページを一気にめくり始めた。
「えーと、破れてるページ・・・・・・あ、あった、ここの前のページ・・・」
指で文字をなぞってみたが、さっぱり読めなかった。
顔をしかめてから、フレイは部屋に落ちていた紙を拾い上げて、服からペンを取り出した。
「・・・フレイ?」
「ゴメンね、ちょっと・・・待ってて・・・」
フレイは何度もペン先と本を見比べながら、そのページを白い紙に書き写し始めた。
「なにしてるの?」
「・・・・・・。」
バイエルに一瞬顔を向けたが、フレイは何も言わずにまた下を向いた。
「・・・・・・?」
フレイが一瞬笑っていたような気がして、バイエル少し首を傾げた。
「なにしてたんですか、突然いなくなって・・・」
「あー、これ、置いてきちゃったことに気付いてさ」
シオンは小さな箱をコンコン、と叩いた。
「いきなりいなくなるから、私また誰もいないのに話しちゃったじゃないですか・・・」
「ほら、この返しの角度がポイントなんだよ。それでこっちの疑似餌をくっつけてだな」
「・・・ホント人の話聞きませんね」
吐き捨てるように言ってイルは腕を組んだ。
「大体、今から釣り行っていつ帰るつもりなんですか?」
「えーと・・・いや、セレナードの川でも是非釣ってみたくて・・・」
「答えになってません」
「・・・うるせーよ」
二人とも不貞腐れてしばらく何も言わずに歩いた。
「・・・あ、絶好のポイントを発見」
「そりゃよかったですね。退屈な時間の始まりですね」
「ならついて来るなよ!」
「私の話を聞かないからでしょうが!!」
川が曲がっている場所の、丁度よく置かれた岩の上にシオンは腰掛けた。
木々に阻まれてはいるが、すぐ近くにセレナードの城が見えている。
「・・・こんなところに川があったんですね」
「静かにしてろよ、魚が逃げる」
「・・・・・・。」
心に怒りを溜めながら、シオンを睨みつけて黙った。
「・・・よし、今だっ!!」
僅かな竿への手ごたえを感じて、シオンが釣竿を勢いよく引っ張った。
すると見事に20センチほどの魚が引き上げられた。
「よっしゃー、やっぱ釣れるなっ!」
「・・・この短時間で・・・剣より釣りの方が向いてるでしょ。釣り人に転職したらどうですか?」
「漁師ってこと?うーん・・・それもいいかもな。アルス連れて船旅でもするかな」
「・・・船旅ですか」
持ってきたバケツに水を入れてさっきの魚を放し、再びシオンは釣り糸を川へ投入した。
「・・・そういやさ、イル」
「なんです?」
急に穏やかな口調で語りかけられ、イルは内心慌てた。
「なんか何度も俺に話そうとしてただろ。何かタイミング悪くて聞けなかったけど・・・なんだったんだ?」
「・・・・・・。」
無視され続けていた気分だったため、一応聞こえていたことに驚いた。
「え、ああ、その・・・セレナードのどこかにある、テヌートだけが暮ら・・・」
「おっ!!きたきたっ!!」
「・・・・・・。」
これは絶対に聞いてもらえないパターンだ、とイルは肩を落とした。
しかしシオンはかかった魚にすっかり気を取られている。
しばらく魚とやり合っていたが、前を向いたまま、シオンはイルに向かって叫んだ。
「ち、ちょっと、これでかい!イルも手伝ってくれっ!!」
「はあ!?私がですか!?」
「この辺握って!無理矢理引っ張るなよ、糸が切れるから!」
「そっ、そんな、私には無理ですって」
「大丈夫、魚が疲れるまでだからな・・・それ、引っ張れ!!」
「だから無理・・・・・・分かりましたよ、もうっ!!」
魚の方に竿を進ませては、また引っ張るの繰り返し。
イルは竿をシオンの手と交互になるように持って、必死に引っ張り続けた。
そしてついに。
「うわっ・・・!」
「でかっ!」
50センチはあろうかという巨大な魚が釣り上がった。
突然水面から魚が顔を出したため、勢い余ってイルは後ろにひっくり返った。
「わわ、重すぎる・・・!えーと、たもたも・・・」
両手で釣竿を持ったまま、たも網を探した。
依然、魚は水面で激しく跳ね回っている。
「こりゃ直接入れるか・・・よいしょっと」
釣竿を誘導して、近くに置いてあったバケツに直接魚を入れて釣竿を地面に置いた。
バケツに歩み寄って針を外そうとしたところ。
「ちょっと!!」
「へっ?」
シオンの肩をバシっと叩いてイルが叫んだ。
イルの帽子は後ろに転がっている。
「私が後ろに吹っ飛んだのに魚が先ですか!?」
「だ、だって、釣り上げたらバケツに入れて水入れて・・・」
「ちらとでも様子を見ようとしないなんて・・・少しは心配しなさい!!」
「え、あ・・・だ、大丈夫?」
「遅いわっ!!」
なんかやたら怒ってるな、と思いシオンはたてつかないことにした。
それでも手は動かして、慣れた手つきで巨大魚の口から針を外した。
バケツの中に水はないため、魚はバタバタ暴れている。
「そんな怒るなよ・・・無事釣れてよかったじゃん、イルのおかげだよありがとな」
「・・・今の私役に立ったんですか?」
「そりゃそうだろ。手伝ってもらえなかったら釣れなかったって。これはホントだぞ」
「え・・・あ、ああ、そうなんですか・・・・・・なら、いいです」
「・・・・・・?」
道具を入れていた小さなバケツに水を汲んで、魚が入ったバケツに2回水を入れた。
ようやく魚は暴れるのをやめて、水の中を静かに泳ぎ始めた。
「・・・どーしたんだよ?」
「いいえ・・・・・・あれ?」
「ん?」
イルが顔を上げて見た視線の先を、シオンも目で追った。
遠くから、何かが猛烈な勢いで走ってきている。
「・・・あれ、もしかして」
「バイエルの・・・ホロスコープみたいですね・・・」
逃げるわけにもいかないので、とりあえず身構えてそれが近づいてくるのを待った。
「カプリコーン、止まって!」
二人の目の前まで走ってきたのは、白いヤギに乗ったバイエルだった。
ものすごい速さで走ってきたのに、バイエルの指示を聞いた途端ピタリと足を止めた。
「ど、どうしたんだ?すげーなそのヤギ」
「カプリコーンは足が一番速いんだよ・・・あ、そうじゃなくて」
「どうかしたんですか?」
バイエルはカプリコーンの方向を変えさせた。
そして、セレナードの王宮の方を指差した。
「さっきジェイドミロワールでコンチェルトから連絡があったんだって」
「コンチェルトから?なんだって?」
「メヌエットの軍に、コンチェルトの城が急襲されてるって」
バイエルの言葉に、シオンとイルはしばらく反応ができなかった。
「それからもう連絡が取れないんだって。だから早くシオンに伝えてって言われて来たの」
「・・・・・・」
シオンは肩を震わせながら目を見開いた。
「な、なんで・・・?メヌエットが?訳分かんねえ・・・それ、本当か・・・?」
「シオン、とにかく早く何とかしないと・・・」
「何とかってどうすんだよ?!ここがコンチェルトからどんだけ離れてると思ってんだ?!空でも飛ばなきゃ無理・・・・・・」
そう言った瞬間、シオンは空を見上げて黙った。
「・・・シオン?」
「・・・・・・できるかもしれない。コンチェルトに、今すぐ行けるかもしれない」
「ええ?!」
「バイエル、ホロスコープを貸してくれ。イルの分も。早くセレナードの王宮に戻りたいから」
「うん」
バイエルは両手を上に向けて、それぞれの手からレオとタウルスを出した。
シオンの手の指示を見て、イルはタウルスによじ登った。
そしてシオンはレオに乗ろうとしたが。
「いだっ」
シオンが触ろうとしただけでレオは さっと後ろに下がってしまった。
その結果、シオンは何もない場所でずっこけた。
「レオ、お前なあ・・・!今は緊急事態なんだよ、乗せてくれたっていーだろ!!」
「シオン、カプリコーンなら大丈夫だから乗っていいよ」
「・・・うん、ありがとう・・・」
じろりとレオを見ながら、バイエルが降りた後にカプリコーンにまたがった。
普通のヤギとは違い、ポニーぐらいの大きさである。
「カプリコーン、走ってくれ!あっちに!」
カプリコーンに見えるように王宮を指差すと、カプリコーンは軽い足取りで、しかしすごいスピードで走り始めた。
「た、タウルス、シオンのあとを追ってください!」
イルもタウルスに指示を出した。
するとタウルスも前に向かって突進を開始した。
「・・・・・・。」
二人がホロスコープに乗って行ってしまったのを見て、バイエルとレオはぽつんとその場に残された。
「・・・あ、バケツに魚が入ってるよ、レオ」
そのまま放っておかれたシオンの釣り道具と、先ほど釣り上げたばかりの大きな魚が入ったバケツが地面に置かれている。
「持ってってあげよ。レオ、これ口に入れて。食べちゃダメだよ」
レオはしばらく目の前の道具と魚をじっと見ていたが、バイエルの指示に素直に従って口の中にそれら全てを入れた。
バイエルはレオに乗って、早足で王宮に向かった。
「シオン!た、大変なんだよ!!」
あっという間に王宮に着いたシオンを迎えたのは、トルライトだった。
シオンはカプリコーンから降りた。
「トルライト様・・・今、バイエルが知らせに来てくれたんですけど・・・ど、どういうことなんですか!?」
「ぼくにもサッパリ分からないんだ。ただ、ジェイドミロワールの係の者が「メヌエット軍が襲って来た」と告げられただけで・・・」
「そっ・・・その後は、なんか言われました?」
「もう連絡が取れないんだ。でもとにかく、シオンはコンチェルトの王宮剣士なんでしょ?知らせなきゃって思って」
「ありがとうございます・・・」
失礼かな、と思いながらもトルライトを見下ろしてシオンはトルライトの肩に手を置いた。
「本当にありがとうございます、トルライト様。俺、今からコンチェルトに帰ります。」
「帰るったって、今から・・・?連絡が取れるまで、待った方が・・・」
「ごめんなさい、コンチェルトには弟がいるんですよ。一刻も早く帰らないと」
「どうやって・・・・・・あ、シオン!!」
シオンは廊下の奥に走って行ってしまった。
「・・・・・・シオン・・・・・・ん?」
トルライトが、シオンがやってきた方向を見ると今度は別のものが走ってきた。
それは突進するタウルスに乗ったイルだった。
「わああああ!!」
タウルスに指示を出す方法が分からず、そのままの勢いでイルとタウルスは壁に激突した。
ドーン、と大きな音が城内に響き、タウルスとその横に転げ落ちたイルは目を回している。
「あ、あのう・・・大丈夫・・・?」
焦点が定まっていないイルを抱え起こし、トルライトは心配そうに顔を覗きこんだ。
ぼーっとしていたがすぐにイルはトルライトに気付いて頭を覚醒させた。
「あ・・・!す、すみません、ありがとうございます、えーと、シオンは!?」
「あ、あっち」
「分かりました!!」
「・・・・・・。」
力なくトルライトが指差した方向に、イルは全速力で走って行った。
またその場に残されたトルライトは、まだ目を回しているタウルスを何となく撫でていた。
「あ、フレイ・・・」
シオンが使っていた部屋の前まで走ってきたが、その部屋の前にはフレイがいた。
「シオン・・・あ、あの」
「フレイ、ちょっと俺コンチェルトに大急ぎで帰らないといけないんだ。今から」
「コンチェルトの城が襲撃されてるんだってね・・・・・・だ、大丈夫かな・・・」
「メヌエット軍が・・・ロイアが、なに考えてんのか分からねえけど・・・とにかく、俺は行かないと」
「ど、どうやって?だって何日もかかるでしょ?今から馬を飛ばして乗り継いでも・・・それにメヌエットを通ることになるし・・・」
「うん、分かってる」
シオンはフレイの横を通って、部屋の中に入った。
そして布に包んであった藍の伝承書を開いた。
「シオン!」
ぜーぜーと息を切らせながら、イルが走ってきた。
「お・・・置いていかないで・・・くださいよ・・・もう・・・」
「あ、わりーわりー・・・それで、ちょっと今、集中して欲しいんだけど」
「無茶言わないでください・・・」
息が切れて肩で息をしているのに、集中などできるわけがなかった。
「一刻を争ってんだよ。しろ」
「・・・・・・はいはい」
両膝から手を離して、イルはあきらめたように体を起こした。
思わずフレイはイルを支えた。
「ありがとうございます・・・」
「う、うん・・・あの、シオン・・・一体どうするの?」
「・・・あった、このページ・・・」
シオンは藍の伝承書をめくって、片手を置いた。
「風の移動魔法。これ、使ってみる」
「移動・・・」
「・・・魔法・・・?」
フレイとイルが交互に口を開いた。
「頭に強く思い浮かべた場所に、風の魔法で移動するんだ。手を繋いでたら一緒に行ける」
「わ、私も一緒に・・・?」
「何も考えてないととんでもないところに飛ぶし、違うところに吹っ飛んだら死ぬかもしれないけど・・・」
それを聞いて二人はぎょっとした。
「そ、そんな魔法を!?シオン、使えるんですか・・・?」
「使ったことはない。けど、もうこれしかないだろ」
「え・・・」
「危ないよシオン、その・・・心配だろうけど、今すぐセレナードを出るより連絡を待った方が」
「嫌だ。俺は一刻も早くコンチェルトに戻りたい。イルが行かないなら俺は一人でも行く」
「シオン・・・・・・」
フレイから離れて、イルはシオンに歩み寄った。
「・・・分かりましたよ。私も一緒に行きます。連れてってください、その移動魔法ってやつで」
「イル・・・」
フレイは不安そうに二人の方に手を伸ばした。
「あ、あの・・・」
「心配してくれてありがとうございます、フレイ。またセレナードには来ますから」
「フレイ、またな!色々世話になったけど、ちゃんとお礼しに来るからさ。じゃあなっ!」
何もできずただ立ち尽くしているフレイの後ろに、バイエルが走ってきた。
「ど・・・どうしたの?シオンの道具と魚持って来たよ・・・?」
「あ、バイエルありがとな。魚は食っちゃっていいぞ、ちゃんと焼いたらな」
シオンは片手で藍の伝承書を持ち、イルと片手を繋いだ。
「イル・・・いいか?」
「はい、ちゃんと集中してますから・・・どうぞ」
「よし」
シオンは本を閉じ、そして目も閉じた。
「・・・風よ、願いし彼の地へ我らを届けよ」
シオンの声に答えるかのようにどこからともなく風が吹いてきて、薄い緑色の光が二人を包んだ。
そして、風が収まると共に、二人の姿も消えてしまっていた。
「・・・・・・あ」
思わずフレイは声を上げた。
バイエルは驚いた様子で、シオンたちがいた場所とフレイを交互に見た。
「フレイ、シオンは?イルは?消えちゃったの?」
「・・・・・・風の、魔法を・・・いきなりこんなに使えるなんて・・・」
「・・・フレイ?」
「ううん、とにかくぼくたちはトルライト様のところに行こうか・・・報告をお待ちしよう、ね」
「うん・・・・・・」
バイエルの顔も見ずに歩き出してしまったフレイを不安そうに見上げながら、バイエルはフレイの足取りに合わせてついて行った。
―第六章に続く―
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