「・・・スピエさん」

苦しそうに呼吸を繰り返しているだけのスピエに、イルは小さな声で呼びかけた。
やはり反応はない。

イルは決心したように、両手をスピエの肩の怪我にかざした。

「・・・どうか・・・治ってください・・・」

イルの手が仄かに光った。
怖くて目を閉じていたイルだったが、しばらくしてちらっと片目を開いた。

なんと、スピエの肩の出血が止まっていた。

「・・・え?治っ・・・た・・・?」

イルは手のひらをスピエの肩に直接置いてみた。
しかし新しい血がにじむ様子もない。

「じ、じゃあこっちも・・・」

お腹や足も手をかざしてみたが、あっさりと治ってしまった。

「・・・・・・」

よかった、と安堵するのと同時に、どうもスピエの怪我が気になった。

「スピエさん!」

耳元で呼びかけてみるが、少し目を強く瞑っただけで目を開けるわけではなかった。
イルは、そっとスピエの肩に巻かれている包帯を解き始めた。

「・・・こ、この薬・・・!これじゃ、出血が止まるわけがない・・・一体誰が・・・!?」
「イルさん!」
「治ったのか!?」

扉を叩く音と共に、フォリアとエクラの声が聞こえてきた。
さらにその音に反応して、スピエが顔をしかめた。

「ど、どうぞ、入ってきてください」

スピエの様子を見ながら、イルは扉に向かって呼びかけた。
慌しくみんなが再び部屋に戻ってきて、フォリアはスピエに駆け寄った。

「姉さま・・・」
「・・・フォリア?」

スピエが目を覚ました。

「よかった・・・!!」

フォリアがベッドに縋りついた。
軽く握った両手の上に額をのせて下を向いている。

「姉さま・・・姉さま・・・っ」
「フォリア、泣かないで・・・」

フォリアの頭を優しく撫でた後、しかし状況が分からないらしくエクラに答えを求めて視線を移した。

「スピエ様は負傷なさってから意識を失い、それから屋敷にお運びいたしました」
「せ・・・戦況は?」
「今はそのようなことは気になさらないで下さい」
「で、でも・・・まさか、みんなを置いて私一人だけ逃げてきたと言うの?!」
「落ち着いてください、スピエ様」

今にもベッドから飛び出していきそうなスピエを、エクラは辛そうに頷きながら制した。

「現在はトランの軍は出撃しておりません。それについては詳しく後ほどお話いたします」
「・・・分かったわ」

スピエはフォリアの頭に乗せている手と反対の手でぎゅっとシーツを握り締めた。

「・・・それで、私はどれぐらい目を覚まさなかったの?」
「かれこれ、2週間ほどになります。良い医師を探し、薬も処方されたのですが改善が見られず・・・」
「あ、待ってください!!」

突然イルが口を挟んだ。
一同が驚いてイルを見た。
自分に視線が集まって一瞬怯んだが、イルは構わず発言を続けた。

「スピエさんの包帯の下の薬なんですが」
「薬・・・薬が何か・・・?」

スピエは自分に巻かれている包帯に視線を落とした。

「先ほど拝見したんですが、この包帯の・・・・・・いたっ!?」

スピエの肩の包帯を触ろうとした瞬間、イルの手に突然痛みが走った。

「な、何をするんですか!?」

エクラが素早くイルの手をパシッと払い除けたからだった。

「・・・不必要にスピエ様に触るな」
「な・・・説明をしようとしてるのに・・・」

手をさすりながらイルは恨みがましくエクラを見上げたが、何の効果もなかった。
仕方なくイルはスピエを指差して話を続けた。

「この薬、誰が処方したんですか?これでは出血が止まるはずがありません。血液の凝固を遅くする薬です」
「え・・・!?」

その場にいた人間全員が驚き、フォリアも顔を上げた。

「そんなはずないわ、この薬はカノンから来た一番優秀なお医者様が・・・」

フォリアが反論した瞬間、部屋に数名の屋敷の召使が駆け込んできた。

「た、大変です!!」
「どうした?」

エクラが扉の方に向かって歩き出したが、それを待たずにその人は叫んだ。

「し・・・侵入者です!謎の白い巨大な動物が屋敷内で暴れております!!」
「なにっ!?」
「・・・・・・。」

エクラやスピエたちは驚いていたが、イルは バイエルだ、と思わず視線を逸らした。



「何者だ!?」
「侵入者を捕らえよ!!」

屋敷の広間では大変なことになっていた。
タウルスがあちこちにぶつかり、壁から装飾品が大量に落下して大きな音を立てている。
バイエルはキャンサーとスコーピオに的確に指示を出し、城の護衛たちと攻防戦を繰り広げていた。

一方イリヤは同時に二人の剣士を相手に互角かそれ以上の戦いを見せている。

「イルはどこだ?答えろ」

ついに二人の剣を跳ね飛ばし、イリヤはそのうちの一人に剣を突きつけた。
何人も下敷きにしているタウルスの、更にその上からバイエルはその様子を見ていた。

「・・・なんか、いつものイリヤじゃない・・・」

その時、階上の扉が開いてフォリア、エクラ、そしてイルが走り出てきた。

「イリヤ!バイエル!私は無事ですからっ!」

下に向かって必死にイルが叫んだ。
それをイリヤは剣はそのままでぽかんと見上げた。

「あ、ああ・・・なあんだ、イル無事だったのか・・・」
「どうやってここまで来たんですか!?」
「えーと・・・あはは、ゴメンね〜・・・」

剣を突きつけていた相手に決まりが悪そうに笑いながら、イリヤは剣を下ろした。
それでも可哀想な相手の剣士はしばらく動けずにいた。

「・・・・・・ぼくの中に戻っておいで」

何となく状況を察してか、バイエルもホロスコープたちを体の中に戻し始めた。

「とにかく説明してほしいな。そのイルをさらった人と、そちらの可愛いお嬢さんに」
「えっ・・・・・・」

階段の上にいるフォリアは思わず顔を赤らめた。



「私のために・・・本当にすみませんでした」

スピエのベッドがある部屋にイリヤとバイエルも通されて一通り説明された。

「そうだったのか・・・いきなりイルをさらうから、てっきり・・・」
「それよりも、どうやってここまで来たんですか?エクラさんが走らせた馬に、ついて来られるとは思えないんですけど・・・」
「おじさんからもらったガラス玉を辿って来たんだよ」
「ガラス玉?・・・あれ、そういえばここに入れていたはずですが・・・」

イルとバイエルが話している間にイリヤはスピエのベッドの横まで歩いていった。

「西トランの領主、スピエ・デコラ・トリアングさん。お目にかかれて光栄です」
「え・・・ええ・・・」
「無事で本当によかった。その美しいお顔に怪我でもなさったら・・・・・・いたっ!?」

さり気なくスピエの頬に触れようとしたイリヤは、エクラに髪を引っ張られてよろけた。

「な、な、なにするの?!痛い!痛いって!!」
「・・・スピエ様に気安く触るな」

イリヤのひとまとめにしてある髪をそのまま掴んでいるエクラはイリヤに向かってすごんだ。
エクラから思わず目を逸らし、手をひらひらと振った。

「あー・・・はいはい、なるほどね・・・痛いからはなしてください・・・」
「・・・・・・。」

しばらく怒った様子だったが、エクラはそのままイリヤの髪から手を離した。
いつもの調子を取り戻しているイリヤは、今度はフォリアに向かってお辞儀をした。
そして顔を上げてから、乱れた髪を手で整えた。

「お姉さんが無事でよかったね。お姉さん想いの素敵な妹さんだね・・・それに、とっても可愛い」
「・・・そんな・・・」

フォリアは顔を真っ赤にしてイリヤを見つめている。
イリヤはさり気なく、フォリアの手を両手で軽く持ち上げた。

「こんな風に出会えたのも、君がぼくをここまで導いてくれたのかもしれない・・・もしよければ、この後・・・いたたたっ!?」

また髪を引っ張られ、イリヤはフォリアから離れた。
髪を引っ張っていたのは今度はイルだった。

「本当に見境がないんですから・・・!!綺麗な女性とくれば早速口説くのはいい加減にやめなさいっ!!」
「い、痛い痛い!!抜けちゃうって!!」
「・・・・・・。」

綺麗な、と言われてフォリアはさり気なく照れていた。

「とにかく、スピエさんのお怪我が無事に治ってよかったです。私を連れてくる方法が多少強引でしたけど・・・」
「あ・・・すみませんでした・・・エクラ」

ベッドに入ったまま頭を下げたスピエが、エクラにも謝るように促した。

「・・・すまなかった」
「本当にそう思ってます・・・?」
「・・・・・・。」
「・・・いえ、いいんですけど・・・」

イルはイリヤの髪を持ったままバイエルの方に向かって歩いていった。

「じゃあ、私たち先を急ぎますので、これで失礼しますね。ゆっくりと体を休めてください」
「あ・・・待ってください」

声を上げたのはフォリアだった。

「なんです?」
「無理矢理来て頂いて、姉さまを治して下さったのに何のお礼も・・・」
「いえ、いいんですよ」
「そういうわけにはいきません!何でも仰ってください」
「な、なんでもと言われても・・・」

イル、イリヤ、バイエルの3人はお互い顔を見合わせた。

「ねえねえ、じゃあ今日一日フォリアちゃんとデートさせてっていうのはどうかな?」
「・・・髪の毛全部引っこ抜かれたいんですか」
「・・・・・・ごめんなさい」

二人がそんなやり取りをしている間に、バイエルだけがフォリアに向かって振り返った。
そして、フォリアの足元を指差した。

「・・・返して」
「え?」

一同が声を揃えて聞き返した。

「カプリコーン、返して」

フォリアの足元には、小さな白いヤギがまとわりついている。
フォリアはしゃがんで、それを抱き上げた。

「コキアを・・・?」
「前にタウルスは返してくれたよね。カプリコーンも返して」
「・・・・・・はい、分かりました・・・」

フォリアは名残惜しそうにカプリコーンをバイエルに手渡した。
今まで視線が合っていなかったが、その瞬間カプリコーンは目が見えるようになったらしくバイエルの顔をじっと見つめた。

「カプリコーン、ぼくの中に戻っておいで」

バイエルがそう言うと、カプリコーンは光になってバイエルの体に吸い込まれていった。
その様子をスピエ、フォリア、エクラとその他大勢の城の人たちは不思議そうに見ていた。

「あなたなら大丈夫だと思うけど・・・コキアを可愛がってあげてね」
「うん」






「久々ですね、ここに戻ってくるのは」
「そうですね・・・ずっと兄貴たちとあちこち行ってたから・・・」

森の中を歩いているのは、サビクとブラムの二人だった。
鬱蒼とした森の木々の間から、僅かに光がところどころに差し込んできている。

「メヌエットの状態の確認もできましたし、ラスアとリムがバルカローレから帰ってくる日時も把握できたし・・・」
「バルカローレに藍の伝承書があるといいですね」

そんな話をしながら、二人は森の中の開けたところに辿り着いた。

「このカノンのみんなも頑張ってくれましたね。あともう少しです」
「でも・・・ほとんど総動員させることになりますよね・・・みんなちゃんと動いてくれるかな・・・」

サビクは不安そうに足元を見下ろした。
しかしブラムは目を閉じて首を横に振った。

「大丈夫ですよ。カノンの、テヌート全員の希望がありますから。命を懸けて従うはずです」
「え・・・でも・・・」
「さ、王子直々の命令を、出しに行きますよサビク」

ブラムが、なんといつも被っている布を頭から取り払った。
その横顔を見て、サビクは声にならないほど驚いた。

いつもブラムと一緒に行動してきたサビクだったが、ブラムの素顔を見るのは初めてだった。

「さ、サビク、行こうか。サビクもちゃんとみんなに説明してね」
「え・・・ブラムさんっ・・・いや、王子・・・?!」
「落ち着いて。全てはぼくたちにかかってるんだよ。頑張って」
「・・・・・・」

サビクの両肩に手を載せて自分の言葉を言い聞かせるブラムの両目は布からいつも覗いていたとおりの赤色だった。
しかし、そこにはフレイとまったく同じ顔があった。

「ブラムさん・・・」

サビクを置いたままカノンの町に向かって歩き出したブラムの後姿を呆然と眺めた。
カノンの奥からは、王子だ、と騒ぐ声が聞こえてくる。
しかしサビクの頭はまだ整理しきれていなかった。

訳が分からず、なぜか片方の目からだけ涙がこぼれた。









         





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