「バイエル、そんなに急いでどこに行くんですか」

城の中を一人で走っているバイエルに、イルが声をかけた。

「部屋。イルはどこに行くの?」
「私は今日の治療が終わったので、姉上の部屋に挨拶にでも行こうかなと」
「治療って、怪我治すやつ?」
「そうですよ」

バイエルが急ぎ足で歩くのに合わせてイルも隣を歩いた。

「お部屋に急ぎの用事ですか?私とお散歩にでも行きません?」
「アルスが待ってるんだ、外で」
「外で?二人だけでどこかに行ってはだめですよ?」
「庭で遊んでたの」

イルが今のところバイエルの保護者になっているので、バイエルの外出許可はイルが出している。
もっとも、ここ数日間はイルはローチェに猛アタックを繰り返していてバイエルにはあまり構っていなかったが。

「じゃあ3人で行きませんか、城下町で何か食べ物買ってあげますから」
「ほんと?」

バイエルは ぴたっと止まった。

「私が買ってあげられるぐらいの量に限りますが・・・」

その時二人の後ろから走っている足音が聞こえた。

「アルス!」

二人が振り返ると、息を切らせて走ってくるアルスの姿が見えた。
アルスは側まで駆け寄ってきて、両肩で息をついた。

「バイエル君、はい、これ・・・」
「あっ、どうしたの?取れたんだ」
「うん・・・また風が吹いてきて、それで落ちてきた・・・かな」
「ふーん」

差し出された竹とんぼを受け取った。

「アルス、今から三人で城下町に散歩にでも行きませんか。今日はパン屋が多分安いと思うんです。
何か二人に買ってあげますから」
「えっ、いいんですか」
「アルスにバイエルのこと最近任せきりだったので・・・お礼とお詫びを兼ねてます。でも・・・」
「?」

急にイルの声が小さくなった。

「その、バイエル・・・もう少しだけ、セレナードに帰るのは待ってくれませんか・・・」

申し訳なさそうに言うと、バイエルは目をきょとんとさせた。

「なんで?」
「な、なんでと言われると困るんですけど・・・・・・」

その様子を見てアルスは思わず笑ってしまった。

「ふふっ・・・」
「えっ?」
「この前、みんなが噂してるの聞いちゃいました。イルさん、あの今牢屋に入ってる人にすごく親切にしてるって」
「・・・・・・!!」

イルは急に真っ赤になって目を見開いた。

「え、あ・・・その、みんなって・・・?」
「イリス様やビアンカ様が話してましたよ。地下牢の番兵の人たちから聞いたらしいです」
「・・・・・・」

絶対に誰にも言うなって言っておいたのに・・・と、イルは恨めしく思った。

「・・・え、ええと、はい、その通りです・・・」
「??」

がっくりとうなだれるイルを見てバイエルは首をかしげた。

「そのー・・・あのねバイエル、私・・・実はこの国に好きな人がいるんです。
だからまだ、その人が安全に過ごせるようになるまでコンチェルトにいたいんですよ・・・」

イルは両手を意味なく胸の前で動かしながら言った。

「ぼくだってフレイに会いたいのに」
「そっ・・・それは・・・・・・はい、すみません自分勝手で・・・」

イルはバイエルの正論にさらに落ち込んだ。

「でも、その人・・・殺されちゃうかもしれないんですよ・・・だから助けてあげたいんです。分かってくれます・・・?」
「殺されちゃうの?」
「・・・あの、フルートの町にバイエルと行ったことがあったでしょう。あの時捕まった女性なんですよ・・・」
「うー・・・・・・?」

バイエルはその時のことを頑張って思い出そうとした。

「あ・・・二人いたね」
「そうですそうです、バイエルも活躍してくれましたよね」
「タウルスの下敷きになった人?」
「・・・いえ、そっちはお兄さんのクラングさんです」

イルは苦笑して頭を抱えた。

「とりあえず今、そのお二人を助命・・・・・・殺さないで下さいって、頼んでいるところなんです」
「ふーん」
「もうちょっとですから、お願いします」
「・・・・・・。」

バイエルは下を向いて むっとした顔で黙った。
はらはらしながらイルはそれを見守っていたが、やがてバイエルはゆっくり顔を上げた。

「・・・・・・うん、分かった。」
「ほんとですか!」
「でも大丈夫になったらすぐに行きたい」
「はいはい、約束します!ありがとうございますっ!」

イルは飛び跳ねそうなぐらい喜んで、出入り口の方にうきうきと歩いて行った。
バイエルとアルスはそれを見て顔を見合わせてから、イルについて行った。



「何がいいですか?」
「あれ」

バイエルが指差す先を見ると、ポップコーンの屋台が立っていた。

「ポップコーンですか・・・城下町のお店も色々ありますね・・・」

イルはポップコーンを買おうとしている人たちの列の後ろに並んだ。

「アルスも好きなの探してきてください。遠慮しないで下さいね」
「あ、はい・・・」

アルスは立ち並ぶ食べ物の店をきょろきょろと見た。
パン屋、果物屋、菓子屋など色んな店が所狭しと建っている。

アルスはお気に入りのパン屋さんの方に歩いて行った。

「あ・・・あった」

そこにはアルスのごひいきなメロンパンが3つ並んでいた。
これにしよう、と心に決めてからまたイルとバイエルの方に戻っていった。

「決まりました?」
「はい、あそこの・・・」

と、アルスが振り返ってパン屋を指差した時、そのパン屋の奥から悲鳴が聞こえた。

「えっ?」

悲鳴は複数人のものになり、徐々に大きくなって近づいてくる。
そして、そのパン屋を中心にその場にいた人たちが散り散りに四方八方に走って逃げ始めた。

「ど、どうしたんでしょう?」
「いたたっ・・・バイエル、離れちゃいけませんよ」

イルは逃げていく人にぶつかられ、バランスを崩した。
アルスも不安そうに騒ぎの方向を見ている。

こちらに向かってくる人たちが、何かを叫んでいるのが聞こえた。

「た、助けて!」
「逃げろー!!」
「お、大きなサソリがっ・・・!!」

何人かにまたぶつかり、ポップコーンを買おうとしていた人たちも一緒に逃げ出してしまった。
ポップコーン屋のご主人は驚きながらも、若干残念そうにしている。

「イルさん、今・・・大きなサソリって・・・」
「ええ、聞こえましたけど・・・サソリがいるからって、大勢で逃げ出すようなことじゃないと思いますけど・・・」

とイルが言った瞬間、3人の後ろにあるポップコーン屋台の側面に、白い光が飛んできた。
そして、そこには深い穴が開いてしまっていた。

「な、な、な、何ですかこれ!!」
「槍みたいな物が刺さったみたいですね・・・」

あと少し逸れていたら、3人の誰かに当たっていた。
それを見てついにポップコーン屋のご主人も走って逃げ出してしまった。

辺りにはほとんど人の気配はなく、遠巻きに見ている人たちや隠れている人以外は誰もいない。
さっきまでとても賑やかで人通りが多かったとは思えない静けさだ。

「うわっ!!」

今度は店が並ぶ場所の後ろの段差になっている石造りの壁に光が突き刺さった。
その光が飛んできた方向を見ると、確かに大きな白いサソリがいた。

あまりに大きいので、長い尻尾と二つのハサミがなければサソリだと分からないほどだ。
頭から尻尾の先まで、2メートルぐらいはある。

「・・・スコーピオだ」
「えっ」

バイエルが呟いて、アルスとイルは声を揃えて驚いた。

「あれ・・・ホロスコープなんですか」
「確かに白いし、目も赤いけど・・・」
「スコーピオ、ぼくの中に帰ってきて」

両手を広げて、バイエルはスコーピオに近づいた。
しかしスコーピオは声には反応したが、他のホロスコープと同じで目は見えていないらしくバイエルをきょろきょろと探している。

そして、しばらくするとまたよろよろと前に向かって歩き始めた。
少し進むと屋台があり、壁にぶつかって立ち止まった。

「スコーピオ・・・」

バイエルが近づこうとした瞬間、スコーピオは尻尾の先から光の矢のような魔法を出して屋台を破壊してしまった。

「・・・うわあ」

イルは無意識にアルスの肩をきつく抱いて震え上がった。
あの魔法がもし自分たちに当たったら危ないのだが、屋台の修理費も危ない。

「ば、バイエル・・・早く何とかして下さい!」
「そんなこと言ったって・・・」

バイエルが振り返った瞬間、スコーピオの魔法が3人の方に飛んできた。

「アリエス!!」

バイエルは素早くアリエスを出して屈み、後ろの二人を防護壁で守った。
アリエスの目の前には透明の壁ができており、スコーピオが乱発してくる光の矢を全て受け止めている。

「アリエス・・・」

壁を出し続けているのが辛そうなアリエスを見て、バイエルは立ち上がった。
スコーピオの魔法が途切れたのを見計らい、バイエルはアリエスを手の中に戻した。

「キャンサー、出てきて」

再び手のひらを上に向け、キャンサーを出した。
スコーピオにキャンサーの姿は見えているらしく、驚いて少し後ずさった。

バイエルが手を前に振り下ろすと、キャンサーはハサミから三日月の形の魔法を打ち出した。
目にも留まらぬ速さでその魔法は飛んで行き、スコーピオの尻尾に当たりそのまま地面に突き刺さった。

尻尾を封じられ、攻撃ができなくなったスコーピオにバイエルは素早く駆け寄った。

「スコーピオ、ぼくだよ」

額の部分にある星の模様に手をかざすと、暴れるように動かしていた尻尾が大人しくなった。
キャンサーの魔法が消えて尻尾が自由になっても、スコーピオは攻撃をしてこなかった。

「戻っておいで」

バイエルがそう言うと、スコーピオはバイエルの手の中に吸い込まれていった。
そして今度はキャンサーにも振り返り、キャンサーも手の中に戻した。

「ふう・・・」
「お、お疲れ様ですバイエル・・・」

よろよろしながらイルはバイエルに近づいていった。
周囲のスコーピオによって破壊された有様をなるべく見ないようにして、バイエルの手を引っ張った。

「は、早くここから離れないと・・・」
「まだ何も食べてない」
「そ・・・そうですけど・・・」

周りを見ても、店舗は無事だがほとんどの屋台が半壊状態だ。
そもそも、人がいなくなってしまったので営業中の店がない。

「人が来ないうちに、ここから立ち去りたいんですが・・・」
「スコーピオも戻したのに?」
「・・・その、スコーピオが出てきたせいなんですけどね・・・」

しかし、約束したことだし修理代も払わなければならないだろう、と意を決したイルは人々が集まってくるまで待つことにした。

すると、しばらくして逃げ出した人々が集まってきた。
イルたちの方から見えなかっただけで、遠くからかなりの人が見えていたらしい。

だがなんと、お店の人たちは何事もなかったかのように営業を始めた。
スコーピオがいなくなったのを確認している人たちもいる。

アルスがほしがっていたメロンパンを売っているパン屋さんも戻ってきた。
が、そのパン屋の屋台は半壊状態だ。

イルは、そのパン屋の店主におずおずと近づいた。

「あの・・・大きなサソリが、この屋台を壊してしまいまして・・・」
「大変だったわねえ、あなたたち怪我はない?」
「あ、はい・・・それで、屋台の修理費を」
「どうしてあなたが?」
「・・・・・・え」

どうして、と尋ねられると困る。
バイエルのホロスコープが暴れて壊し、そのバイエルの保護者が自分だからなのだが、どこから説明すべきか分からなかった。

「また作ればいいのよ。」
「そ、そんな」
「じゃあ何か買ってってちょうだい」
「は・・・はい」

商品は箱に入っていて無事だったらしく、パン屋のおばさんは瓦礫をよけてから台の上にパンを並べた。

「アルス、どれがいいんでしたっけ?」
「ええと・・・このメロンパンで」
「1つかい?」
「あ、二つお願いします」

イルがそう言って、お金を渡すとまだ温かいパンを袋に入れて渡してくれた。

「またおいでよ」
「はい、ありがとうございます・・・」

イルは複雑な気持ちでパン屋に背を向けた。

「いい人でしたね」
「え?あ・・・ああ、そうでしたね」
「心の底から悪い人なんて、そうそういないと思います。早く平和になるといいですね」
「・・・そうですね」

少し笑ってイルは顔を上げた。
コンチェルトが平和で、セレナードとバルカローレが戦争中だということも忘れてしまいそうだった。

その間、バイエルは無人のポップコーン屋さんの前で待っていた。

「おじさん、どこに行っちゃったんだろ」

バイエルは商店街の奥の方を眺めていたが、ポップコーン屋のおじさんは姿が見えない。

「イル、これ食べてもいいの?」
「だ、だめですよ!これはお店のものですからね!」
「でもお店の人がいないよ?」
「い・・・いなくても勝手に食べちゃいけないんです」
「ふーん・・・」

透明のケースの中にたくさん入っているできかけのポップコーンを見つめて、バイエルは力なく頷いた。

「食べたいのに・・・」
「バイエル、おじさん戻ってきたよ!」
「え?」

アルスがバイエルの肩を叩いた。
見ると遠くからポップコーン屋のおじさんが走ってきている。

「やあお客さん、ごめんね!」
「おじさん、これ食べたい」
「はいはいちょっと待ってね〜」
「あっ、あのっ・・・」

イルがおじさんに向かって言った。
スコーピオはこの屋台の壁にも穴を開けてしまっていたからだ。

「この屋台の修理費、お支払いしますから・・・」
「修理?ああこの壁か。平気だよ最近繁盛してるから、すぐに直っちゃうって」
「でも・・・」
「どうしてあんたが払ってくれるんだい?これ買ってくれたらいいんだよ」
「・・・・・・。」

おじさんはポップコーンを がさがさと かき混ぜ始めた。
ポンポン、と激しくポップコーンが膨らんでいっている。

「1つでいいのかな?」
「い、五つ下さい」
「そんなにかい?じゃあサービスだ、はいっ」
「・・・・・・。」

小さめのゴミ袋のような透明な袋に、それはそれは大量にポップコーンが詰められた。
口の部分を軽く捻って、おじさんはイルにそれを差し出してくれた。
料金と引き換えに、イルはポップコーンの袋を受け取った。

「どうも、ありがとうございます」
「おいしいからね、またおいで」
「はいっ」

バイエルに巨大なポップコーン袋を渡し、3人は王宮の方向へ向かって歩き出した。

「おいしいですか?」
「・・・ん」

大量にポップコーンを頬張ってしゃべれない様子だが、バイエルは歩きながら頷いた。
アルスもメロンパンをちぎって口に入れている。

「・・・本当に、いい人ばっかりですね」

イルは空を見上げながらため息混じりにそう言った。
もぐもぐと咀嚼しながらアルスはイルを見上げた。

「この世界が、いい人でいっぱいになって平和に暮らせる日が来たらいいですね」

そう言うイルを見つめ、アルスも笑って頷いた。









         





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