「・・・ローチェさん」
「・・・・・・。」

また今日も、イルは地下牢にやってきた。
薄暗く湿っぽい地下牢には似合わない笑顔をたたえてイルはローチェがいる牢屋を覗き込んだ。

「今日は何なんだ」
「ええとー・・・その、また新しい本をお持ちしました、よかったら読んでください・・・」
「・・・・・・。」

半ばあきらめた様子で、ローチェはイルから本を数冊受け取った。
辞典や図鑑のような本ばかりだ。

「・・・私にこれを読めと?」
「そ、その・・・私が一番気に入っている本なんですが・・・」
「ふーん・・・・・・勉強熱心なんだな」
「いや、そういうわけでは・・・」

二人が鉄格子越しに話していると、隣の牢の奥からクラングもやってきた。
イルはクラングの方にも ぱっと明るい笑顔を向けた。

「クラングさん!クラングさんにもこれ、どうぞ」
「紙とペン・・・?」
「はい、お暇でしょうから趣味の絵画でもと思いまして・・・」
「どうもありがとう」

クラングは笑って紙の束を受け取った。

「そっちの壁の方にも今度、またお花持ってきますねローチェさん」
「・・・いらないって言ってるだろ」
「ローチェさんはお花が似合いますよ。女性の部屋は飾らないと!」
「・・・・・・。」

ローチェは呆れて頭を抱えた。

「・・・私達に構うなって何度言っても分からないみたいだな・・・」
「えっ・・・いえ、私はお二人に楽しく過ごしてもらいたくて・・・」
「二人とも死刑になるんだから楽しく過ごしてどうするんだ!」
「あ、それがですね!」

せっかくローチェが声を荒げたのにイルは全く感知せず嬉しそうに手を叩いた。
クラングはその様子を見ているが、たまらなく可笑しいようで笑いを噛み殺している。

「・・・お前な」
「お二人の・・・その、審議なんですけど・・・もう10日は経っているでしょう?難航してるんですよ」
「なんで?」

ローチェは驚いて思わず聞き返した。
イリスを殺そうとする者は理由の如何にかかわらず死刑と決まっているからだ。
審議に数日掛かること自体がおかしい。

「それは・・・その、私やビアンカ様、それに姉上も国王に・・・助命を申し出たからで・・・」
「・・・はっ?」

ローチェは緑色の瞳をきょとんとさせた。
クラングもイルを見たまま驚いている。

「お前と・・・ビアンカって、あのメヌエットのビアンカ王子・・・?」
「そうです、訳あってコンチェルトにいらっしゃるんですが、私に力を貸してくださるということで」
「生きていたのか・・・」

口元に手を当ててローチェは考え込んだ。
思考が少し進んだところで、もう一つのことを思い出した。

「・・・姉って、お前の姉か?!」
「お前じゃなくて、私はイルっていう名前が」
「お前の姉って、要するにコンチェルトの予言者・・・イリスだろう?!」
「はい」
「ど、どうして・・・」

ローチェは持っている本を取り落としそうになるぐらい呆然として脱力した。

「・・・いいか、もう一度だけ言うぞ。私とクラングは、天授力を持つ者を消すことが目的だ。
その目的を達成するまで、永久にその機会を狙う。つまりここから私達が出られて自由になれば、
すぐさま一番近くにいる天授力の持ち主、お前や予言者イリスを殺しにかかる・・・分かってるのか?」
「・・・・・・」

ローチェが説明し終えると、イルは泣きそうな顔で下を向いた。
それを見てローチェは慌てた。

「な、泣いたからって何も変わらないんだからな!私達に構わないのが、お前にとって最善だって分からないのか?!」
「そんなの関係ありませんっ!!」

イルは突然叫んだ。
ローチェもクラングも、その勢いに思わず気圧された。

「私、ローチェさんに好意を持っています!ローチェさんには死んでほしくないんです!
ローチェさんのお兄さんであるクラングさんも同じです。クラングさんは私に最初から優しく接して下さいました。
私はどうしても、お二人を助けたいんです・・・好きな人を助けたいと思うのは、ごく当たり前のことでしょう!?」
「・・・なっ・・・」

イルの全力の告白にも、ローチェはただ戸惑うしかできなかった。
今にも落ちそうになっている本を抱えたまま、牢屋の奥に引っ込んだ。

「ろ、ローチェさん?」
「うるさい!!何も言うなっ!!」
「私の気持ちはご迷惑でしょうか・・・私、今まで女性を好きになったことがなくて・・・」
「黙れって言ってるんだ!!出て行け!!」

ローチェは壁の方に顔を向けたまま全力で叫んだ。
しばらくおろおろしていたが、見張りの兵士達に挨拶してからイルは牢屋からそそくさと出て行ってしまった。

「・・・・・・。」

イルの方には決して顔を向けなかったが、ローチェは顔が真っ赤だった。

「・・・なんなんだ、あの馬鹿・・・」

目をつぶって軽く首を左右に振った。
その時、隣の壁の向こうから嬉しそうな声が聞こえてきた。

「・・・ローチェ、よかったねぇ」
「な、なにが」
「本当は嬉しいんだろ?いっつもその男勝りな性格が災いして、男共が怖がって寄ってこなかったもんね」
「嬉しいわけ・・・」
「でも、忘れるなよ」

急に無表情になり、クラングは小さな声で言った。

「俺たちの、ブラムさんからの指令は、未来予知夢の天授力を持つ予言者イリスを殺害すること。
そして天授力を持つ者を探し出し、全て消し去ることだ。情に流されることがあっちゃいけない」
「・・・・・・分かってる」

ローチェは、静かに頷いた。

「死刑だと思ってたけどこのままじゃどうなるか・・・そういえばローチェ、髪はまだ平気?」
「あ・・・」

自分の茶色い髪を引っ張って目の前に持ってきた。

「大丈夫・・・クラングは?」
「俺もまだいける。でもあと、持っても数日だ。それまでに死ぬか殺すかどっちかしないと」
「・・・・・・。」

ローチェは目を逸らしてまたゆっくりと頷いた。
そして、クラングは壁から離れていった。
その気配を感じて、ローチェはイルから渡された本の一つを膝の上に置いてめくってみた。

花の図鑑だったらしく、青い花の絵とその説明が載っていた。
それをローチェは無感情に眺めた。



「・・・あの二人は、もしかしたら・・・」

地下牢の窓も鉄格子で、地面と同じ高さにある。
コンチェルトの王宮内からは簡単に行くことができない壁で覆われた中庭に、その窓はあった。

そして、どうやってそこに入ってきたのか、イリヤがずっと地下牢での話を聞いていたようだ。
中庭の草むらの上に座り込んでしばらく考えた後、立ち上がってから持っていた剣を支えにして、軽々と高い壁を越えた。



壁を越えた先の、今度は城に入れる人なら自由に出入りできる別の中庭にイリヤは降り立った。
中庭の中に入ったのではなく、さらに一段高くなっている壁に着地した。
もう一段降りれば、中庭の芝生の上に到達する。

しかし、そこまで降りようと思ったときにイリヤは中庭にいる人物を見つけてそれを中止させた。

「・・・あれ、アルスとバイエル?」

そこにはイリヤが呟いた名前の通りの人物が二人いた。
他に中庭に用がある人はいないらしく、そこにいるのはその二人だけだ。

イリヤが上から見ているのには気づいていない様子で、二人で何かを持って遊んでいるようだ。

「アルスったらあんなおもちゃで遊ぶんだ・・・バイエルに合わせてあげてるのかな・・・」

それにしては、アルスの方が楽しそうだけど・・・

と、イリヤは口の中で呟いた。

「アルス、これなんて名前?」

バイエルが手に持っている木のおもちゃを指差して尋ねる。

「ビアンカ様は、確か・・・たけとんぼ、って言ってたと思うよ」
「たけとんぼ?これどうするの?」
「こうやって・・・飛ばして遊ぶんだってっ」

と言うと同時に、アルスは両手をすり合わせて竹とんぼを空高く飛ばした。
綺麗に舞い上がったそれは、しばらく宙を舞った後またアルスの手に戻ってきた。

「すごーい」
「バイエル君も飛ばしてみなよ!」
「うん」

バイエルも、アルスと同じように竹とんぼを飛ばした。
その竹とんぼは二人の数メートル先に落ちてきた。

「・・・ふーん、ビアンカ様あんな物作ったのか・・・」

イリヤは のほほん、と足を抱え込むように高い壁に座り込んだ。

「あれがなんの役に立つんだろ・・・」

二人はどっちが長く飛ばせるか、正確に真上に飛ばせるかなど色々競っているようだ。
大分コツを掴んできたバイエルが、ついにそれはそれは高く飛ばした。

「あっ!バイエル君すごーい!」
「飛んだねー」
「でも遠くに飛んじゃ・・・・・・うわっ!!」
「わっ!!」

二人が身をかがめると、一陣の大風が吹き抜けた。
イリヤも慌ててバランスを崩さないように体勢を直した。

アルスとバイエル、そして壁の上にいるイリヤの3人が目を開けて見ると。

「あっ・・・あんなところに・・・」

バイエルが思い切り飛ばした竹とんぼは、中庭の中でも一際高いセコイアの木の上に引っかかってしまっていた。

「どうしよう・・・」

アルスは30メートルほどもある木のてっぺんを見つめた。
高い壁の上にいるイリヤも、少し見上げるような位置にその竹とんぼは引っかかっている。

しばらくアルスと一緒に木を見つめていたバイエルだったが、急に手を振り上げた。

「タウルス、出てきてっ」
「え?」

アルスは驚いて振り返った。
バイエルの足元に出現したタウルスは見る見る大きくなり、二人の背を余裕で越す大きさになった。

「うわわ・・・」
「いけっ!タウルス!!」

どしん、とタウルスは木に激突した。
木全体が大きく揺れ、大量の葉が落下してきた。
しかしお目当ての竹とんぼは落ちてこない。

「タウルス、もう一回っ!」

タウルスは数メートル後ろに下がってから、また猛烈な勢いで木に向かって突進した。
地面が揺れるほどの衝撃が木に伝わるも、落ちてくるのは硬い葉っぱだけだった。

「あ、あの、バイエル君・・・」
「ダメか・・・タウルス、戻って」

タウルスはバイエルの声に反応してくるりと振り返り、光の玉になってバイエルの手に吸い込まれた。
バイエルはまた手のひらを上に向けた。

「キャンサー、出てきて!」

次に出てきたのは巨大なカニだった。
アルスは仰天して目を丸くさせた。

「な、なんだこれ・・・」
「キャンサー、あの辺を切って」

バイエルはキャンサーの横から木の頂点より少し左を指差した。
そしてキャンサーを二回ぽんぽん、と軽く叩いて後ろに下がった。

キャンサーのハサミが光り、三日月の形の白い魔法が空に向かって飛んでいった。
アルスは思わず頭を抱えて屈んだ。

「うわっ!!」

光は木のてっぺんより少し右に逸れた。
竹とんぼの代わりに、大きな枝が一つ落ちてきた。

「きっ・・・木が・・・」

アルスは、片手では持てないほどの大きな枝を目の前にして愕然とした。
しかし後ろでは再びキャンサーに命令を出そうとしているバイエルがいる。

バイエルに慌てて駆け寄り、右手を掴んで下ろさせた。

「アルス?」
「待ってバイエル君っ!その・・・これ以上やったら、木がなくなっちゃうよ・・・」
「でも、あれ取れないよ」
「うん・・・・・・」

アルスはゆっくりとバイエルの腕から手を離した。
それと同時にバイエルはキャンサーの方にもう片方の手を差し出した。

「キャンサー、戻ってきて」

白いふっくらしたカニのぬいぐるみは、バイエルの手の中に吸い込まれていった。
それを何気なく見つめていたアルスだったが、困ったように視線を左右に動かした。

「その・・・ぼくがとってきてあげるから」
「とってくる?あ、それならぼくが行ってくる」
「え?・・・そ、そうじゃなくてっ」

バイエルは中庭の出口に向かって走り出してしまった。

ビアンカは二人に、5つの竹とんぼを渡していた。
しかし5つ持って遊びに行く必要がなかったので残りの3つは部屋に置いてきており、
バイエルはそれを取りに部屋に戻ろうというわけだ。

「バイエルくーん!待ってってば!!」

必死に後ろから呼びかけるが、バイエルは走って中庭から出て行ってしまった。

「・・・・・・。」

その様子も、イリヤは壁の上から見ていた。

「バイエル、走ったりするんだなあ・・・初めて見た・・・」

一人中庭に残されたアルスは、おろおろしながら中庭の出口を見ている。
そして、周りをぐるりと見渡した。

中庭には元々人がいなかったし、出口以外の方向は壁に閉ざされているのでその場所には誰もいない。
牢屋の窓と繋がっている本来入れない方向の壁の上にいるイリヤを除いては。

アルスは周りに人がいないのを確認してから、高い木を見上げた。

「・・・・・・?!」

イリヤは我が目を疑った。
驚きのあまり、壁から落ちそうになった。

「・・・あ、アルス・・・・・・?」

そしてイリヤがまだ驚いているうちにアルスは一目散に中庭から走って出て行った。

「今のは・・・な、なんだ・・・・・・?」

そのアルスの手には、木に引っかかっていたはずの竹とんぼが握られていた。









         





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