「・・・すみません、お店の裏の壁を壊してしまって・・・」

そこは食器屋さんだった。
入ったときにそれだけでイルは動揺したが、先ほどの戦いの振動で商品が割れたりはしていないらしい。

「イルが壊したんじゃないよ?」

謝るイルに、バイエルが尋ねた。

「いーんですよ、じゃあバイエルも謝りなさい」

頭を下げているイルは、その姿勢のままバイエルを促した。
バイエルは店主のおじさんを上目遣いで見上げながらイルを見習って少し頭を下げた。

その二人を見て、おじさんは笑い出した。

「あははは、裏の壁を壊したって?」
「え、ええ・・・」
「この子が?」
「まあ・・・そうですけど」

実際に壊したのはタウルスだったが、説明が複雑になるのでそういうことにしておいた。
しかし、それを聞いてまたおじさんは笑い始めた。

笑っているおじさんをバイエルは不思議そうに見つめている。

「冗談は よしてくれよ、ははっ、お嬢ちゃんすごいねえ」

おじさんはバイエルの頭をわしわしと撫でた。

「良いんだ、あの壁は裏の林に薪を取りに行くのに邪魔だったから取っ払おうと思ってたんだから」
「え」
「壊してくれたんならお礼しなきゃなあ。ほら、これ持って行きな」

棚の一つの段から巾着袋を取り出した。
そして、イルに向かって差し出す。

イルはおどおどしながらそれを受け取った。

「あ、ありがとうございます・・・?」
「じゃ、お客さんも増えてきたからまたな。もう壊しちゃいかんよ」
「・・・あ、はい」

おじさんについていけず、イルはワンテンポ遅れて頷いた。
本当にバイエルが壊したと思っているのか冗談だと思っているのかも分からなかった。

そして、良く分からないままバイエルを連れて店から出てきた。

「それなに?」

イルはまだ考えの整理がつかないのに、バイエルは全く気にしていない。
もらった巾着を指差して尋ねた。

「・・・なんでしょうね・・・」

と言いながら、巾着の紐を解いた。
中には、綺麗な小さいガラス玉がたくさん入っていた。

「わ・・・綺麗ですね」
「うん」
「・・・・・・。」

ここで、イルはバイエルに言わなければいけない、と思い立った。

「バイエル」
「なに?」
「・・・さっきの、あのホロスコープでしたっけ?」
「うん」
「あれを使って、あんまり物を壊しちゃいけません」
「・・・・・・」

イルの顔を見上げて、バイエルは黙っている。
不貞腐れているのではなく、理由が知りたい様子だ。

「・・・人の物、壊しちゃいけないのは分かりますか?」
「うー・・・」

バイエルなりに必死に考えているらしい。

「う・・・ん」
「だから、そのタウルスでしたっけ?体当たりさせて良いのはやむを得ない時だけにしなさい」
「やむをえない?」
「どうしようもない時、ですよ」

またバイエルは少し考えていたが、こくこくと頷いた。

「うん」
「そもそもそのバイエルのホロスコープっていうのは、特別なものなんですから良く考えて使わないと」
「そうなの?」
「そうですよ、そんな生き物どこにもいませんから」
「そうなんだ」
「・・・・・・」

当たり前だろうが、と思ったが常識をぶつけるのは やめておこうとイルは判断した。

「・・・そうです」
「ふーん」
「まあしばらくは私が一緒にいるから良いですけど・・・」

イルは腕組みをしてため息をついた。
そしてさっきの食器屋さんに視線をやった。

裏の壁は見事に崩れているが、店の中を見ているお客さんたちも気にしていないようだ。
やれやれ、と思った時、バイエルが近くにいないことに気づいた。

「ち、ちょっと!」

バイエルは少し離れたところに立っている果物屋さんの前にいた。
大きなリンゴを手にとって、まさに食べようとしている。

「あーっ!やめなさいー!!」

いつの間にそんなところまで歩いて行ったのかなど、考えている暇はない。
イルは全速力でバイエルに駆け寄り、手からリンゴを取り上げようとした。

しかし、わずかに間に合わなかった。

「・・・あーあ」

バイエルはガリガリとリンゴを噛み砕いている。
イルのバイエルに向けて伸ばした手は、力を失ってだらん、と垂れた。

「・・・?」

イルがガッカリしている理由も分からないらしく、バイエルはイルを見上げている。
そしてまた一口、リンゴをかじった。

「ダメでしょ!!」

イルは思い切り叫んだ。

「それは売り物です!勝手に食べちゃいけないんです!」

そんなことも分からないんですか!と言いたかったが、
そこで「そうか、分からないんだ」と気づいてようやく冷静になった。

「・・・お店で売っている物は、お金を払って買わないといけないんです」

疲れたように脱力しながらイルは言った。
バイエルは悪いことをしたことは分かったらしく、リンゴから口を離した。

「・・・すみません、この子がリンゴ食べちゃったので・・・おいくらですか?」

店の中に呼びかけたが、リンゴがたくさん置いてあるカゴの下に値段が書いてあるのを発見した。
イルは財布から80ビートを取り出して、店の中に入っていった。

「・・・・・・。」

バイエルはかじりかけのリンゴをじっと見つめている。
何かを考えているような表情のまま、動かない。

「・・・ふう、良かったお店の人が優しくて・・・」

イルが店から出てきた。
ほっと胸を撫で下ろしている。

「・・・バイエル、分かりました?」
「・・・・・・。」
「お店に置いてある物は、どんなにお腹が空いていても勝手に食べちゃいけないんですよ!
これが守れないと外の世界で生きていけないんですから」
「・・・・・・。」

イルが説明している間も、バイエルは動かなかった。
少しイルが不安になったときに、ゆっくり、何度かバイエルは頭を縦に振った。

「うん・・・」
「分かった?」
「ごめんなさい・・・」
「え」

バイエルが突然、素直に謝った。
そのことに驚いて、今度はイルが硬直した。

「な、なんて?」
「もう勝手に食べない。ごめんなさい」
「え、ええ・・・」

ぎこちなく頷き、バイエルの手を下から持ち上げた。

「で、でももうそのリンゴのお金は払いましたから、食べて良いんですよ」
「良いの?」
「どうぞ」
「ありがとう」
「え」

素直に感謝され、またイルは凍った。
何かが変わったバイエルを、イルは恐る恐る視線だけ下に向けて見つめることしか出来なかった。

バイエルは心なしか丁寧に、食べているようだ。
服が汚れる心配もなさそうである。

「・・・ふう」

少し安心したらしく、イルはバイエルを見て微笑んだ。

「ほら、食べ終わりました?」
「うん」
「芯は?」
「え?」

リンゴの蜜で手がベタベタしているが、その手にはリンゴの芯も皮もなかった。

「・・・食べた?」
「?」
「・・・バイエル、普通はリンゴは芯は食べないんですよ・・・」

せっかく安心したのに、イルはまた肩を落とした。
しかしうな垂れていても仕方ないのでイルはバイエルの手首を引っ張った。

「とりあえず、手を洗いましょうか・・・」

街の中心にある噴水に向かって、二人は歩き出した。



それからバイエルに色々な店を見せた。
途中で3回も空腹を訴えられたため、パンをその都度買って食べさせた。

そろそろ時間か、とイリスがいつも出てくる場所に向かった。
イリスが出てくるのを街の人たちも待っているらしく、建物の前には人だかりが出来ていた。

人ごみを掻き分けてイリスが出てくるのを扉の近くで待っているが、
辺りを見回してもイリヤの姿はなかった。

「・・・またどこかで女性にちょっかい出してるんだな」

もう、とイルは店が立ち並ぶ方向を睨みつけた。
バイエルは歩き疲れたらしく、花壇の縁に座っている。

「イリス様!」

扉が開いて、イリスが護衛に手を引かれて出てきた。
街の人たちも拍手と歓声でイリスを迎えている。

石段をイリスが降り始めた時、突然人ごみの中から数名がイリスに向かって走り出した。

「え?」

イルは顔を上げた。
周りの人たちが驚きの声を上げている。

何と、イリスの前に出てきた人たちの手には、剣が握られている。
男女一名ずつの剣士だ。

その内の男が、イリスに向かって剣を突きつけた。
護衛が歩みを止めたため、イリスは立ち止まった。
しかし目の前にある剣はもちろん見えていない。

家の中から護衛が数名イリスの前に出て剣を構えた。

「何者だ?!」
「天授力を持つ者には、消えていただく」

そう言って、護衛の一人の剣をあっさりとなぎ払った剣で弾いた。
鋭い金属音がして、飛んだ剣は人ごみの前に突き刺さった。

それをきっかけに、街の人たちは散り散りになって逃げ出した。

「なんなんだ!?」
「た、助けてー!!」

逃げ惑う人たちに、イルは数名ぶつかった。

イルはそっとバイエルの肩を叩いた。

「バイエル、あの者たちにならホロスコープを使っても良いです、姉上が危ないんです!」

イルがそう言っている間にも、相手は相当の剣の使い手らしく護衛が次々に倒されていっている。
イリスの左右には二人護衛が立っているが、状況はかなり悪い。

バイエルは花壇から降りて、両手の手のひらを上に向けた。

「タウルス、キャンサー、出てきて」

バイエルの手からタウルスとキャンサーが出現した。
その謎の生き物たちに刺客たちも気づいたらしく、2人ともこちらを見ている。

バイエルは、手を前に振り下ろした。

「切り刻め、蟹座のキャンサー!!」

キャンサーのハサミから、白い光の魔法が打ち出された。
その光はイリスの前にいた刺客の剣の刃に命中した。

バキン、と大きな音を立ててその剣は真っ二つに折れてしまった。
剣を持っていた男は、手にあまりに大きな衝撃が来たために剣の柄を落とした。

その瞬間、バイエルはタウルスに向かって叫んだ。

「タウルス!」

タウルスが突進し、横から男にどかんとぶつかった。
そして、彼はそのまま大きなタウルスの下敷きになってしまった。

「うわ、重そう・・・」

なんて考えている場合ではなかったが、イルは思わずそう呟いた。

「これは、もしかしてホロスコープ・・・!?」

女性の刺客がタウルスを見てそう言った。

「お前は、その天授力を・・・?」









         





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