そこから、イリヤが顔を出した。

「イリヤさん!」

アルスが声を上げた。

「もう怪我はすっかり良いんですか?」

顔だけを出したままでイリヤは あはは、と笑った。

「うーん、もうほとんど以前と変わらないかな。後頭部だけまだ少し痛いけど」
「あら・・・」
「でも平気だよ。それで、ちょっとバイエルを誘いに来たんだけど」
「バイエルは男ですよ?」
「知ってるよ!」

イルがじとっ、とイリヤを見てイリヤは慌てて手を振った。

「そうじゃなくて、これからフルートの街に用事があるんだけど一緒に行かないかなって」
「・・・ぼくだけ?」

サラダをバリボリと咀嚼しながらバイエルは首を傾けた。

「アルスもイルも、暇だったらおいで」
「あ・・・」

アルスが残念そうに肩を落とした。

「ぼくこれから勉強の時間なので・・・」

アルスは王宮の近くのタン・バリンという学校に行っている。
そこで基本的な科目を習い、イルにも勉強を教わる時間もある。

「そっか・・・イルは?」
「私は特に用事はありませんけど」
「じゃあ一緒においでよ」
「バイエル、行きますか?」
「・・・うん」

バイエルは こく、と頷いた。

「なにをするの?」
「姉上のお供ですよね?」
「うん。フルートの街も楽しいからさ」
「そりゃあイリヤは楽しいでしょうけど」
「それじゃまた迎えに来るから。用意しておいてね」

イリヤはまた顔を引っ込めていなくなってしまった。
アルスががっかりしてため息をついた。

「あーあ、一緒に行きたかったな・・・」
「もう二度と行けないわけじゃないんですから、勉強も大事ですよ」
「あ、はい・・・そうですね」

その間もバイエルはもくもくとひたすら食べ続けていた。



コンチェルトの城から出発した一行の内容は、思ったより大人数だった。
イリヤとイリス、バイエルとイル、そしてイリスの護衛が10人ほど。

イリスは車椅子ではなく、イリヤの手を持って歩いていた。
後ろからついてくる護衛の一人は、イリスのための車椅子を押して歩いている。

フルートの街へ続く道を、その十数人は歩いていた。
前にはフルートの街並みが見え始めており、あと少しで到着だ。

ホロスコープを出さずに珍しく自分の足で歩いているバイエルは、横を歩くイルに問いかけた。

「なにをするの?」

部屋にいた時と同じ質問だった。

「姉上の予言の内容を、フルートの人に伝えに行くんですよ」
「なんで?」
「何で・・・と言われると困りますけど・・・」

その会話を聞いてイリヤが歩きながら振り返った。

「今年は豊作だ、とか冬はどれくらい寒くなる、とかそういうことを教えるんだよ」

天気予報のようなものらしい。

「去年は冷害が早く分かっていたから助かったって言われたしね」
「ふーん・・・」

バイエルはいつもの調子で頷いた。

「こっち来て、段差があるから」

イリヤがイリスの手を引いて、足元の状況を教えている。
その様子をバイエルは後ろから興味深そうに見ていた。

「・・・目が見えないの?」

今度はイリスに呼びかけたらしい。
イリスはバイエルの声に反応して、少し歩く速度を遅くした。

「え?」
「目が見えないの?」
「うん、そうだよ」

振り向かないが、イリスは目を閉じたまま笑った。

「最初から?」
「なに?」
「生まれたときから見えないの?」
「・・・・・・。」

イリスは困ったように黙った。
その様子を見てはいるが、イリヤも何も言わなかった。

しばらくして、イリス自身がそれに答えた。

「・・・ううん」

イリスはゆるやかに首を横に振った。

「昔は、見えてたよ」
「何で見えなくなったの?」

小さい子特有の知りたがりが、とにかくバイエルに疑問を湧き出させている。
イリスは苦笑して話し始めた。

「・・・夢でね」
「ゆめ?」
「私の天授力、夢でもらったの」

バイエルの頭は疑問符でいっぱいになった。
イルが、イリスを気にしながら説明を付け加えた。

「姉上は、両親がいなくなる少し前に夢をご覧になったんですよ。
未来を予見する力を授かるかどうか、という夢で・・・」
「うん」

イリスは小さく頷いた。

「メルディナを正しく導く未来を見る力を受け取る勇気があるか。
大きな代償があるがその力を受け継ぐか・・・そう言われたの」
「誰に?」
「誰だろうね」

微笑みながら、バイエルに振り返った。
その笑顔を見て、バイエルは はっとした表情になった。

「・・・・・・。」
「私は、はい、と答えたの。そして、夢から覚めたら・・・」

イリスは、ずっと何も言わなかったイリヤを見上げた。
実際、イリスの目には映ってはいないが。

「イリスは目が見えなくなっていたんだ。
イリスの天授力の、未来を夢で見る力の代償は、今の世界を見る力がなくなることだったんだよ」

淡々と言いながら、イリヤはイリスを引っ張って歩き続ける。
いつもの軽そうな様子はどこにもない。

「・・・そんな力なんて」

イリヤは唇を動かしてそう言ったが、その声は隣にいるイリスにかすかに聞こえただけだった。

「・・・イリヤ?」
「さ、着いたよ。フルートの街」

一同が目を上げると、フルートの街が広がっていた。
木やレンガでできた建物が立ち並ぶ、城下町に比べると少し大人しい街だ。

既にフルートの迎えの人が立って待っていた。
イリスは車椅子に座り、護衛全員とフルートの街の偉い人らしき人に案内されて奥の方に行ってしまった。

「1時間と少しかな、自由時間は」
「お話しに行ったの?」
「そうですよ、じゃあ私たちは少し街を見て回りましょうか」

そう言ってイルはバイエルの手をひょい、と持った。
バイエルはしばらくイリス一行の後姿を見送っていたが、やがてその注意は周りの建物に移った。

イリヤもイリスたちを見ている間、手を頭の後ろに組んでいたがそれを勢い良く振り下ろして、
道行く人を眺め始めた。

「・・・また」

とイルが言いかけた瞬間、イリヤは通りすがりの女性の方に歩いて行ってしまった。

「そこのお嬢さん、ちょっと時間もらっても良い?」
「こ、こらっ!」

声をかけられた女性は嬉しそうにイリヤの話を聞いているようだ。
イルはまったく、と呟いてからバイエルの手を引っ張った。

「バイエル、行きましょう!あんな人間になっちゃダメですよ!」
「・・・・・・。」

しかし、バイエルの視線は別の方向に向いていた。
店の裏に、何か大きな何かが動いているようだ。

「・・・バイエル、何を見てるんです?」

バイエルはイルに手をつかまれているので移動するためにはイルの手を引くことになった。
イルはバイエルの動きに合わせて後ろから歩いた。

「・・・うあ?!」

イルは店の裏にいた生き物に思わず驚きの声を上げた。
幅が1メートルはある、ハサミとコウラが真っ白なカニがいた。
そんなバケモノのようなカニは、イルは見たことがなかった。

「な、何ですかこれ?!図鑑でも見たことありませんよ?!」
「・・・キャンサーだ」
「へ?」

ぼそっとバイエルが言った。
きょと、とイルはバイエルを見下ろす。

「やっぱり目が見えてないみたい」
「え?え?」

バイエルの言動にいちいち反応しているが、バイエルは気にしていないらしい。
キャンサーに近寄った。

「キャンサー、ぼくの中に戻っておいで」

バイエルが両手を差し出そうとしたので、イルはバイエルの手をとっさに離した。
キャンサーはバイエルの声に反応したが、歩く方向が分からない様子で
店の後ろの壁をよじ登ろうとしている。

「・・・タウルス、出てきて」

バイエルは手のひらを上に向けてタウルスを出した。
タウルスはバイエルの足元に着地し、本物の牛ぐらいのサイズまで巨大化した。

「うわ?!何ですかこれは!」

またイルは叫んだ。
キャンサーにはタウルスの姿は見えているらしく、驚いて後ずさっていく。
壁をよいしょ、とよじ登って裏の林に逃げ込もうとしている。

「タウルス、壁を壊して!」
「えっ?」

バイエルの声に応え、タウルスは地面を蹴って壁に突進した。
そして、数メートル先の壁に猛烈な勢いでぶつかった。

「うわああ?!」

イルは思わず顔を手で覆った。

ドーン、と大きな音を立て、そして壁はガラガラと崩れ落ちた。
キャンサーは、その瓦礫の下敷きになってしまった。

「キャンサー、大丈夫?」

自分で指示を出してやったことなのに、バイエルは心配そうに瓦礫に近づいた。

その時、その崩れたレンガの山のキャンサーのハサミが突然振り払うように動いた。
ハサミからは白い光の魔法が三日月の形になって回転しながらバイエル目がけて飛んできた。

「あっ」

バイエルがバランスを崩した時、タウルスが ぴょん、と飛び上がってその攻撃を受けた。

「タウルス!」

タウルスは魔法の衝撃で飛ばされ、イルの横に倒れた。

「わっ・・・だ、大丈夫ですか?」

イルは自分の天授力でこの得体の知れない生き物も癒せるのか分からなかったが、
魔法が当たったタウルスの横腹に手をかざした。

「治るかな・・・」

イルがタウルスのお腹をさすっていると、バイエルが ととっと走ってきた。

「イル、ぼくの中に戻すから」
「あ、はい」
「タウルス、ぼくの中に戻って」

バイエルが両手を広げると、タウルスはバイエルの体の中に消えていった。

するとまた瓦礫がガラっと動いて、中からキャンサーが姿を現した。
他のホロスコープと同じく丸っこいが、巨大なカニというだけでイルは少し怖かった。

キャンサーはハサミを動かして、また光の魔法を放った。
イルはとっさにバイエルを自分の方に引っ張った。

バイエルの頭上を魔法は飛んで行った。
自分に見えるホロスコープがいなくて無作為に攻撃をしたらしく、店の裏の林の木まで数本犠牲になっている。

「危なかった・・・」
「・・・・・・。」

不思議そうにイルを見下ろしていたが、片手を地面についたままバイエルはもう片方の手を上にした。

「アリエス、出てきて」

バイエルの手から、アリエスが出現した。
キャンサーやタウルス同様、かなりの大きさになっている。

「この大人しそうなヒツジで・・・どうするんですか?」
「アリエスなら、キャンサーに勝てる」
「・・・ええ?」

バイエルはキャンサーをじっと見つめ、攻撃のタイミングを計っている。
キャンサーがハサミを振り上げた瞬間、バイエルは手を前に振り下ろした。

「アリエス、走って!」

アリエスはキャンサーに向けて走り出した。
そして、キャンサーが魔法を放った瞬間に防御の魔法の壁を出現させた。

「うわ・・・」

イルはさっきから驚きの声ばかり上げている。

アリエスの防御壁はキャンサーの魔法を反射した。
至近距離で跳ね返され、キャンサーは動きも遅いため避けることができずに自分の魔法をまともに食らった。

キャンサーはレンガの山の上にどさっと倒れた。

「キャンサー、ぼくの中に戻ってきて」

その声に反応して、キャンサーは少しだけ身を起こした。
そして、バイエルの体の中に光となって吸い込まれていった。

「・・・・・・。」

イルは、タウルスの壁を壊すほどの突進の威力と、林の木をあっさり切断してしまったキャンサーに驚いていた。
アリエスはバイエルの足元に、安全な大きさになって座り込んでいる。

「バイエル、今のは一体・・・?」

アリエスを体の中に戻しながら、バイエルは立ち上がった。

「パパとママからもらった、ホロスコープ。家からいなくなっちゃったんだけど、
ぼくを探しに来てくれてるみたい」
「ば、バイエルを探しに?」
「でも、目が見えないみたいだから最初はちょっと乱暴なんだ」

ちょっとのレベルじゃないぞ、と思ったがイルはあえて言わなかった。

「そうなんですか・・・というか」

イルはようやく、今までの光景がすっかり見世物になってしまっていたことに気づいた。
街の人たちが、わらわらと集まってきている。
あちこちからざわざわと話し声がし、指をさしてくる人や驚いている人がいる。

「・・・これは、ちょっとまずいですね、どうしましょう・・・」
「なんで?」
「何でって、バイエル、お店の壁を壊しちゃったじゃないですか!」

店から林に行くまでが、とてもスムーズな構造になってしまっている。
イルはこのまま町人につかまったらどうなるか分からない、と焦った。

「バイエル、空を飛んで逃げられるようなホロスコープはいないんですか?」
「いないよ」
「そーですか・・・」

がくっとイルは肩を落とす。

「今いるのは、アリエスとタウルスとキャンサーだけだもん」
「・・・じゃ、とりあえずお店に入りましょう」

店の人に事情を説明しよう、と若干くらくらしながらもイルは店に入っていった。
バイエルは、集まっている人たちをしばらく見ていたが、イルに呼ばれて中に入った。









         





inserted by FC2 system