「バイエルももう9歳か、早いものだな」
「そろそろ乗馬を教えてあげなくてはね」

セレナード国のトランの街の領主、ミュート・クァルトフレーテ・ラベルとその妻のネウマ、
そしてその息子のバイエルは、城の中のバイエルの部屋で誕生日を祝っていた。

大きな机にご馳走と、花束が活けられた花瓶と、白いショートケーキが置かれている。
バイエルは両親と向かいに座って、料理を見つめていた。

「パパ、ママ、もう食べていいの?」
「いいわよ、好きなだけお食べなさい」
「そのあとにプレゼントがあるよ」
「本当?なあに?」

サラダを口に運びながら、バイエルは目を輝かせた。

ミュートは部屋の奥から、大きな箱を持ってきた。
立方体の箱には、ふっくらしたピンクのリボンがかけられている。

バイエルは食事を中断して、ミュートに駆け寄った。

「パパ、これなに?」
「開けていいよ」
「うん」

箱を床に置いて、バイエルはリボンをほどいた。
そして箱を開けると、中には白いぬいぐるみがたくさん入っていた。

バイエルは嬉しそうにその中のひとつを抱きかかえた。

「バイエルはぬいぐるみが好きだっただろう?」
「うん!」
「でもそのぬいぐるみは特別だ。ホロスコープというんだよ」
「ホロスコープ・・・?」

両手を伸ばして目の前のぬいぐるみを見つめた。

「パパとママが長いことかけて作ったんだ、大事にしなさい」
「うん、大事にする!」

バイエルは嬉しそうにぬいぐるみを抱きしめた。



その日の夜、バイエルは自分のベッドに全部のぬいぐるみを並べた。
全部まるっこくて白いぬいぐるみだった。
ライオンやウシ、ヒツジなど、動物のかたちのものが多い。

「・・・これ、なんだろうな」

秤があったが、バイエルはそれが何なのかよく分からなかった。
その隣には弓矢もあるが、バイエルはとりあえず可愛い物だけを枕の側に置いた。

窓の外を何気なく見上げると、その日は満月だった。



「バイエル!バイエル、起きなさい!!」

バイエルがうとうとし始めた頃、突然城中が騒がしくなった。
そして、部屋にネウマが駆け込んできた。

「ママ?どうしたの?」
「バイエル、良く聞きなさい。この家はセレナード国によって襲撃されているの。」
「何で?!」
「私たちを処刑に来たの。私とパパが操る光の魔法は、法律によって禁じられているのよ」
「え、どういうこと、良く分からない・・・」

両肩をつかまれて言い聞かされているが、バイエルはすぐに理解できなかった。
しかしネウマは構わず続けた。

「私たちだけでは城を守りきれないわ。だから、今からこの城自体を封印します」
「封印?」
「この城の時間を止めて、誰も入ってこられないようにするの。
バイエルも巻き込んでしまうけど・・・許してね。パパかママが起こしに来るまで、良い子にしててね」
「えっ?!ママっ!!」

ネウマはそれだけ言うと、また大急ぎで部屋から出て行ってしまった。
部屋のすぐ側で刀がぶつかり合う音や人の声が聞こえた。

バイエルは怖くなって、ぬいぐるみを二つ抱えてベッドにもぐりこんだ。
ぎゅっと目をつぶって、ぬいぐるみを強く抱きしめた。

「な、なんで?パパとママ、何してるの・・・?」

そう呟いた瞬間、バイエルの動きが止まった。
バイエルの部屋の時計も動きを止めた。

その時、ラベルの城全体の動きが停止した。






それから、長い長い時が過ぎた。
バイエル、と呼ぶ声が聞こえた気がして、バイエルは身じろいだ。

混濁した意識の中で、バイエルはうっすらと目を開けて自分を呼ぶ人物を見た。

「バイエル、起きて。君を迎えに来たんだよ。ずっと独りぼっちにしてごめんね・・・」

そう聞こえた気がしたが、バイエルは起きることができなかった。
体が思ったように動かず、目もそれ以上開かなかった。



しかしある日、突然バイエルは目を覚ました。
バイエルがいた部屋には別段何かが起きたわけではなかったが、何の前触れもなく本当に突然目が覚めた。

パパとママに会いたい、とそれだけを思って、バイエルはベッドから降りた。
ぬいぐるみも全てベッドに置いたままで、部屋を飛び出した。

「パパ!ママー!」

バイエルは必死に呼びかけながら、広い城の中を走り回った。
100年近く経過していたにもかかわらず、バイエルは100年前と変わらない姿だった。

「バイエル!?」

階段の下に、父のミュートの姿があった。
バイエルは安心すると共に、大急ぎで階段を降りてミュートに飛びついた。

「パパ・・・!」
「バイエル、どうやって目を覚ましたんだ・・・?」
「何してるの?もう大丈夫なの?」

慌てて疑問を投げかけるが、ミュートはバイエルを受け止めたまま目を逸らした。

「パパ・・・?」
「・・・バイエルには本当にすまないと思っている。100年前、城に封印の魔法をかけることによって、
城への侵入者はすべて排除できたんだ。しかし年月が経って封印は解けてしまった。
このままではまた、この城は襲撃されるだろう・・・」
「・・・ぼく、また寝てなきゃいけないの・・・?」
「・・・・・・。」

辛そうにミュートはバイエルを見下ろした。
そしてしゃがみ込んで、バイエルと目線の高さを合わせた。

「・・・私もネウマも、バイエルだけはどうしても助けたいんだ・・・バイエルには何の罪もない・・・。
しかしこのままでは、バイエルもラベル家の人間だということで処刑されてしまう」

バイエルは紫の瞳を見開いた。

「・・・殺されちゃうの?」
「私たちはバイエルを守りたい。だから・・・」

ミュートがそう言った時、ミュートの後ろからネウマが歩いてきた。
悲しそうにネウマもバイエルを見下ろしている。

「バイエル、良い子ね。私たちの言うことをちゃんと守れるわね・・・?」
「う、うん・・・パパとママの言うこと、ちゃんときく」

ネウマは微笑んで、バイエルの頭を優しく撫でた。

「もうすぐ、ここにまたセレナードの軍がやってくるわ。優秀なカペルマイスターがいるんですって」
「・・・カペルマイスター?」
「もう時間がないわ。でもバイエルは何もしなくて良いのよ。この城から、絶対に出てはいけないわ」
「え・・・」
「パパとママは、頑張ってカペルマイスターたちと戦ってくる。だから、ここで待っていなさい。良いね」

ミュートは立ち上がった。
そのあとにネウマも続いた。

バイエルは後を追おうとしたが、ここにいなさいと言われたので動くことが出来なかった。
呼び止めるように手を上げたが何も言わずにその場に立っていた。

そしてその広間から、二人は出て行ってしまった。
バイエルはとぼとぼと、階段を上っていった。



どうして良いのか全く分からず、バイエルは階段をのぼったは良いもののそこで立ち止まっていた。
どれくらいそこに立っていたか分からないぐらい時間が流れた時、突然城の外で轟音がした。

「・・・あ!」

バイエルはさらに階段を駆け上がった。
そして、城の前が見える窓から外を見た。

「パパ・・・ママ・・・!」

ミュートとネウマは、セレナードの軍勢相手に魔法で応戦していた。
二人が同時に周りに放った魔法は、十数人の兵士を一度に吹き飛ばしていた。

見たこともない攻撃方法に戦意を喪失していた兵士たちの中、一人だけ二人に向かってくる者がいた。

「・・・・・・」

ミュートはその人物をじっと見つめた。
白い髪、緑の瞳の剣士だった。

「・・・貴方が、カペルマイスターか?」

その人物は、何も言わずに頷いた。
剣をまっすぐにミュートに向けている。

「はっ!!」

ネウマが両手から光の魔法を放った。
その魔法はカペルマイスターに向かって飛んだが、彼は剣をなぎ払って魔法を打ち消した。

「え・・・?!」

ネウマはそれを見て動揺した。
その瞬間、素早く駆け寄って彼はネウマの懐に入り込んだ。

危ない、と思った瞬間、ネウマは剣で胸を貫かれた。

「・・・・・・ママ?!」

窓から、バイエルは信じられない光景を目にして夢中で叫んだ。
しかしバイエルの声を気にする者はその場にはいなかった。

ネウマは口から大量に血を吐いてうつぶせに倒れた。
ゆっくりと顔を持ち上げてミュートに何かを言おうとしたが、溢れ出る血のせいで言葉にならなかった。

苦笑するようにミュートに笑顔を向けて、そのあとネウマは目を閉じて動かなくなった。
ミュートは辛そうにネウマを見ていたが、何も言わずにカペルマイスターと向き直った。

バイエルはもはやそれを見ていられず、その場にぺたん、と座り込んだ。
ネウマが刺された瞬間が頭の中で何度も繰り返されている。

「・・・うそだ・・・ママが・・・」

目を見開いたまま、何度も力なく首を左右に振った。

「カペルマイスター・・・名は?」

ミュートにそう尋ねられ、彼は静かに口を開いた。

「・・・ルシャン。ルシャン・キュラアルティだ」

そう言って、ルシャンは剣を握りなおした。
ルシャンの白い髪がふわっと揺れた。

ミュートは手を強く握り締めた。

「・・・テヌートと戦わなければならないのは残念だが・・・」

そして、指をそろえて前に突き出した。
親指以外の4本の指の先を、剣のような形の光が覆っている。

「この奥には絶対に行かせるわけにはいかない!!」

ミュートは素早く前に踏み込んで右手をなぎ払った。
一方城に下がったルシャンはそれを剣で受け止めた。

ミュートの手から出ている光は、物体のように剣と押し合っていた。

「・・・その魔法は、世界で禁止されているはずだ・・・!」

ルシャンは剣で押し返しながらミュートに言った。

「・・・この力は、君たちのためのものなんだ」
「・・・・・・え?」

ミュートの言葉に、ルシャンは一瞬戸惑った。
その隙を見てミュートは右手に力を込め、光の魔法を弾けさせた。

「うわっ!!」

ルシャンはその衝撃で後ろに吹き飛んだ。
周りで恐ろしくて動けない兵士達が、声を上げた。

「くっ・・・」

ルシャンは剣を床に立て、それを支えにして立ち上がった。
そして、息つく間もなく目にも留まらぬ速さでミュートに駆け寄った。

「なにっ!?」

ミュートの想像よりルシャンにダメージはなかった。
魔法を使おうとしたが、それより早くルシャンは剣を振り下ろした。

「・・・・・・!!」

恐る恐るその様子をまた窓から見ていたバイエルは、言葉もなく息を呑んだ。

ミュートは、肩を深く斬りつけられ、ゆっくりとその場に膝をついた。
右手で肩を押さえるが、自分の血とは思えない量の液体が、そこから流れ出ていた。

ルシャンに目の前に剣を突きつけられて、ミュートは静かに目を閉じた。

「・・・見事だ、カペルマイスター ルシャン・・・」
「・・・・・・。」

ミュートを見下ろしたまま、剣を少しも動かさずに立っている。

「だが・・・私の命を引き換えにしても、この城の奥には行かせない・・・」
「・・・なに・・・?」

ミュートは歯を噛み締めて、最後の力を振り絞った。
体が白く輝き始め、辺りが揺れ始めた。

ミュートを中心に光が一気に広がり、城の前の空間を覆いつくした。

「・・・消え去れ!!争いを止めぬ命達よ!!」
「なっ・・・?!」

光に包まれた場所にいた人間は、光に吸い込まれるように消えていった。
倒れている兵士や見守っていた者達も、ミュートもネウマも、ルシャンも、全てが光に包まれて消えていく。

「・・・バイエル・・・」

ミュートは最後に城の上を見上げて、小さく呟いた。

そして徐々に光がおさまり、その場所一帯からは人の姿は一つとして残っていなかった。
何もかもが消え失せてしまっていた。

ミュートが斬られた瞬間を見たときからバイエルはまたその場にしゃがみ込んでいた。
部屋の中にまで入ってきた光がおさまってから、そっと窓から顔を出した。

視線は戦いが起きていた城の前ではなく遥か先の空を見ていた。

そして、少しずつ視線を下におろしていった。

「・・・・・・」

城の前にはもう誰もいなかった。
城の中にも、人の気配は全くなかった。
周りを見回しても、誰もいない。

バイエルは何も言わなかった。

「・・・・・・」

ゆっくりと窓を閉じて、窓から離れた。
まっすぐに、自分の部屋に向かって扉を開け、ベッドの上に座り込んだ。

―この城から、絶対に出てはいけないわ
―ここで待っていなさい。いいね

ついさっき、両親から言われた言葉を思い出した。
二人の優しい声がすぐ耳元で聞こえたような気がして、見開いたままのバイエルの目から大粒の涙がこぼれた。

「・・・パパ・・・・・・ママ・・・」

服を両手で握り締めて、絞り出すように声を出した。

それからずっと、ずっと泣いていたが、それでも涙はいつまでも溢れてきた。
城の中は静かなまま。
何の物音もしないし、誰の声も聞こえてこない。

パパ、ママ、と何度も呼びかけるように声を出しても、何も起こらなかった。

ふと、バイエルは泣くのをやめた。
目を少しだけ開けて、唇をかんだ。

「・・・うん」

そっと頷いた。

「・・・うん、絶対に外に出ない。」

小さく口を動かして目を閉じた。

「・・・ずっとここで待ってる。」

そう言って、バイエルは部屋中に転がっているぬいぐるみたちを見回した。
ベッドにいたはずの誕生日プレゼントのぬいぐるみたちは、なぜかいなくなっていた。

ライオンのぬいぐるみだけは枕の横で手を伸ばした形で置かれている。
しかしそれをあまり気に留めずに、床のぬいぐるみをかき集めてその中に体を埋めた。

「・・・絶対にどこにも行かない・・・」



何も考えず、誰とも会わず、ただ窓から見える空と天井に描いてある星空だけを見て、バイエルは過ごしていた。
たくさんの絵本とぬいぐるみだけを相手に、部屋からも一切出ずに、5年の月日が経った。

楽しい、嬉しい、悲しいという感情は、ほとんどなくなってしまっていた。
何もしないで、ただ年月だけが経過していった。

そしてある日ついに、フレイが率いる100人の精鋭部隊がラベル城にやってきたのだった。
ラベル城にいた大量の人形たちは侵入者を拒んで攻撃をし、バイエルもホロスコープで抵抗しようとしていた。

しかしバイエルは、初めて会ったはずなのにフレイをどこか懐かしく感じた。
この人は自分を迎えに来てくれたんだ、となぜか信じることが出来た。

バイエル自身も、それがなぜなのかは分からなかった。

こうして、バイエルの100年間と数年間に及ぶラベル城での生活は終了したのだった。






「・・・・・・。」

バイエルが話している間、数回質問しただけで、アルスはただ黙って聞いていた。
それでこの前フレイが来てくれたんだ。とバイエルが話し終わった瞬間、アルスは突然泣き出した。

「・・・・・・?」

バイエルは顔をゆがめてただ涙を流すアルスを不思議そうに眺めた。
そういえばこんな風に泣いていたこともあったんだ、とうっすらと考えた。

「・・・アルス?」

顔を手で覆って、アルスはしゃくり上げながらひたすら泣いていた。
バイエルはどうしていいのか分からず、アルスの肩に手をのせた。

ちなみにあの大きなパンは、話している間に完食してしまっている。

そっとアルスにバイエルは声をかけた。

「・・・・・・アルス、何で泣くの?」

バイエルには、なぜアルスが泣いているのか分からなかった。
アルスは手を顔から離して、涙だらけの顔でバイエルを見た。

「・・・バイエル君がっ・・・可哀想・・・で・・・」

声が裏返りながらも、アルスは何とかそう言った。
説明されても、バイエルにはやっぱり分からなかった。

「・・・アルスのことじゃないのにアルスが泣くの?」

呟くように言うバイエルに、またアルスは悲しくなった。
バイエルを抱きしめて更に泣き出してしまった。

「アルスっ・・・」
「バイエル君が可哀想!ぼくだったら一週間だって誰とも会わないで暮らすなんて絶対出来ない!
ぼくが絶対、バイエル君が一緒にいて楽しいって思える友達になるから・・・!!」
「・・・・・・。」

バイエルは、自分の心の中に何か暖かい感情が生まれた気がした。
思ったままに、バイエルはアルスの背中に手を回した。

「・・・・・・ありがとう」



アルスは、自分のことじゃなくても、泣いてくれるんだ・・・。









―第四章に続く―









    





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