4つの王国を擁する、緑と水の豊かな大陸メルディナ。
その一国、コンチェルト王国を治める王は、一人の予言者だった。
実際に統治をするのは王であったが、その行動は全て予言者によって定められていた。
予言者は穏やかで、争いを好まない人物だった。
そして、盲目だった。
「姉上、突然お呼び出しとは・・・一体どうなさったのですか?」
17歳の金髪の青年、イルはコンチェルトの予言者のいる部屋に入っていった。
部屋の奥に座っている女性に、静かに歩み寄った。
「イル、よく来てくれました」
大人というにはまだ少しあどけなさが残る幼い表情で、予言者は微笑んだ。
その目は、閉じられたままだった。
予言者の周りには護衛が数名立っている。
その中の一人は、イルにとってはとても見覚えのある人間だった。
「イリヤ・・・何でそこにいるんですか、今日の仕事は?」
イルはイリヤと呼んだその人物を睨みつけながら言った。
イリヤは、イルと1歳違いの兄。
イルが勉強家で運動は得意でないことに比べ、イリヤは剣術と体術に優れており国内でも護衛など重要な仕事を任されている。
「まーまー、今日はそれより大事な仕事があるから」
イリヤは軽い口調でイルに返答しながら、長い髪を片手でまとめて撫でた。
「王の補佐より大事な仕事があるんですか?」
「そう。ね、イリス」
「ふふっ」
イリスは優しく微笑んだ。
どういうことだろう、とイルはイリスの顔を見上げた。
イリヤ、イリス、イルは三人兄弟。
イリヤとイリスは双子、そして二人の1歳年下の弟がイルである。
「イル、あなたには今日、特命大使としてメヌエットに行ってもらいたいんです」
「と・・・特命大使?」
イルは驚いて思わず裏返りそうな声で聞き返した。
「メヌエットに・・・い、一体、何のためですか?」
イルが慌てるのには、色々と理由があった。
メヌエットは最近、東のセレナード王国との関係に不安を持たれている国である。
いつ戦争が起きるか、と囁かれていたのだった。
ある大罪人を捕まえるのに必要な人材をメヌエットがセレナードに派遣したが、
その人が亡くなったということを発端に二カ国間の関係が緊張しているということをイルは話に聞いていた。
しかしコンチェルトは中立国なため戦争とは無縁の平和な国で、あまり他国への干渉はしていない。
特命大使とはその名の通り王の特命を受けて国の重要な任務につく人のこと。
その肩書きを持って国を訪問するということは、国王の代理として赴くことであり責任は重大である。
「メヌエットは、セレナードといつ戦争になるか分からない状態なんじゃ・・・」
「そうです。だからこそ行ってもらいたいの」
「・・・え?」
頭の中の整理が追いつかず、イルは遅れて聞き返した。
「戦争をしようとしているメヌエットは、勝算が十分にあるからセレナードに攻撃を仕掛けているのよ」
「勝算が・・・?確かに、メヌエットの軍事力は相当のものですが・・・セレナードもそれに負けることはないのでは・・・」
「ええ。メヌエットには、イルもよく知っている軍事の天才がいるはずです」
「私がよく知っている・・・?」
イルは短い時間で必死に考えた。
そして色んな人の顔が浮かんだ結果、ある人物に辿り着いた。
「まっ・・・まさか、シオンですか?!」
「そう」
驚くイルとは対照的に、イリスは柔らかく頷いた。
「軍事の天才的才能と、自身の卓越した剣術の腕を持つシオンがメヌエットのカペルマイスターでいれば必ず戦争が起こります。
そうなる前に、シオンをコンチェルトに呼び寄せたいの」
「・・・・・・。」
イルは下を向いたまま考え込んだ。
それにもまた、理由が色々とあった。
まず、自分がメヌエットの軍の最高地位であるカペルマイスターという立場にあるシオンを連れてこられる自信がないということ。
そして、シオンとイルは仲があまりよくなかったということ。
私情を挟んでいる場合ではないが、イルはすぐに頷くことができなかった。
しかし、その途中でイリヤがイルの背中を叩いた。
「イル、断るわけにはいかないでしょ?悩んでる暇はないってば」
「・・・そりゃ、そうですけど」
「じゃあ善は急げっていうし、早く行こ。ね?」
「・・・・・・。」
イリヤに引っぱられながら、イルは部屋から出て行った。
その様子は見えないが、イリスはその方向に手を振った。
両親を事故で亡くしたイルは、イリスが予言能力「未来予知夢」を持つため王宮に召喚されて以来コンチェルトの王宮に住んでいる。
タン・バリン学園という王宮やその付近で暮らす裕福な子供が学ぶための学校に通いつつ、王宮で働いていたのだった。
そして、先ほどの話から1年前。イルには1歳下の友達がいた。
「はい、チェックメイト」
「・・・・・・あ」
イルは目の前の白と黒の盤を見つめて小さく声を上げた。
見れば自分の黒い駒たちはいつの間にか追い詰められ、あと1手で完全な負けを確定していた。
「・・・わっ、私にずっと話しかけて気を散らしていたでしょう!」
「さーな、気を散らされる方が悪いんだろ」
「やっぱりそうなんじゃないですか!」
イルはがたん、と立ち上がった。
「なんだよ、チェスの盤で殴る気か?」
「・・・・・・。」
イルはじとっとシオンを睨みつけた後、急に駒を片付け始めた。
「・・・ふん、体力馬鹿に付き合ってなんかいられませんよ。戦うことしか考えられないカラッポ頭さん」
「何だとっ?!」
シオンも椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「お前こそ、勉強しかできねえでろくすっぽ走ることすらできねえくせに!男のくせに情けねえよな!」
「なっ・・・」
またイルが反論しようとしたとき扉が急に開いた。
扉の音に反応してシオンとイルは振り向いた。
「あっ・・・ごめんなさい」
扉の外にいたのは、シオンと同じ白い髪の少年だった。
「お、アルス。どうしたんだ?」
シオンの2歳下の弟、アルスだった。
シオンはアルスをとても大事にしていて、一緒にコンチェルトの王宮に住んでいる。
先ほどとは打って変わって、嬉しそうにシオンはアルスに歩み寄った。
「えっと、お邪魔じゃ・・・」
「大丈夫ですよ、今丁度終わったところですから」
「そうそう、俺の圧勝でな」
「いーえ、勝負自体はついてませんし妨害があったから引き分けですよ」
また少しの時間二人は睨みあったが、すぐにシオンはアルスに笑顔を向けた。
「ところで、何があったんだ?」
「わっ」
急に頭をくしゃっと撫でられてアルスは片目を閉じた。
「あ、兄さんに・・・手紙が来てて」
「俺に手紙?」
アルスは後ろから取り出した、白い封筒を手渡した。
それを受け取って、シオンは中の手紙を出した。
「誰からですか?」
「差出人が、表には書いてなかったんです」
アルスがイルを見上げながら言った。
「・・・・・・。」
シオンは手紙に目を通し始めたが、突然驚いたように目を見開いた。
心配そうにイルとアルスはシオンを見ていたが、シオンは急に扉に向かって歩き始めた。
「ど、どうしたんですか?」
「兄さん、何が書いてあったんですか?」
イルとアルスが口々に言ったが、シオンは手を少し振っただけで部屋から出て行ってしまった。
「・・・・・・」
部屋に取り残された二人は、顔を見合わせた。
「アルス、あの手紙は誰から受け取ったんですか?」
「ぼくが外にいたときに渡されたんですけど・・・メヌエットから来た人だって言ってました」
「メヌエットから?」
メヌエット王国は、リレイヴァート王家が統治する国。
その王ケッセルは現在重い病に臥せっていて、政権交代が今か今かと騒がれている。
「うーん、何なんでしょうね・・・」
イルは考えながら腕を組んだ。
しかし考えていても分からないので、ぱっと顔を上げて気持ちを切り替えた。
「アルス、今日は何か用事はあります?」
「イリス様のお夕食を運ぶ係が残っているだけです」
「姉上の・・・いつもご苦労様です」
「いいえ」
アルスは微笑みながら首をふった。
コンチェルトの予言者イリスの、身の回りの世話をする人は100人を超える。
その中の一人がアルスで、食事を運び皿の位置を教える係だ。
目の見えないイリスにはそれが必要だった。
「イリス様のためにできることがあるなら嬉しいです。イリス様の予言があるからこそ、この国はいつまでも平和なんですから」
「ふふ、そうですか・・・じゃ、時間があるなら座って話しましょう。お茶でも持ってきますから」
「あ、そんな・・・お構いなく」
アルスはイルを追いかけようと手を伸ばした。
しかしイルは部屋の奥に入り、お茶の用意を始めた。
「すぐですから。座ってて下さい」
「はい・・・ありがとうございます」
アルスはシオンが先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろした。
ここはイルの部屋だったが、なぜかシオンの私物も転がっていた。
アルスはそれが気になって集め始めた。
しばらくして、お茶を入れたポットをお盆に載せてイルが返ってきた。
「すみません、兄さんが散らかしてて・・・」
「あ、いいんですよ。あとで片付けますから」
床にはシオンの趣味の釣りの道具が落ちていた。
シオンはしょっちゅう釣り道具を自作しており、木を削ったり羽をつけたりして疑似餌を作っている。
仲が悪い二人だが、部屋が隣ということもあってシオンはこの部屋によく来ていた。
日当たりがよくて、作業がしやすいということがこの部屋に来る理由らしい。
「いたっ・・・」
アルスが急に手を引っ込めた。
声に驚いたイルがアルスを覗き込むと、アルスは釣り針を指に刺してしまっていた。
細い人差し指から、血が膨らんで出てきていた。
「いたた・・・」
「針を落としておくなんて、全くシオンは・・・」
怒りを込めながらイルはそう言った。
「アルス、手を貸して下さい」
アルスの手を握って目を閉じた。
「あ、大丈夫ですよすぐに治りますから・・・」
「その言葉全部返しますよ、すぐに治りますから」
「・・・あ」
アルスの指がイルの手の中で温かい光に包まれた。
強い光ではなかったが、その光がおさまった時にはアルスの手から傷が消えていた。
「ありがとうございます、イルさん・・・」
痛みがなくなった指を曲げたりしながら、アルスは呟くようにお礼を言った。
「私にできるのはこれだけですから」
「そ、そんなことないですよ!」
イルには、怪我を治すことができる能力がある。
原理は分からないが生まれつきその力はあった。
この世界では、そのような力を天から授かる力という意味で「天授力」と呼んでいる。
イリスの夢の中で未来を見る力「未来予知夢」も天授力といわれており、
イルの怪我を治せる天授力も「癒しの願い」という名前で呼ばれていた。
「人を助けられる力があるなんて、本当にうらやましいです・・・」
「何を言うんですか。アルスは王宮のみんなから愛されていてみんなを笑顔にしてくれています、その事こそ素晴らしいですよ」
「あはは・・・」
照れながらアルスは頭をかいた。
「アルスがそのままで十分っていうのは、俺も同意だな」
「えっ・・・?」
急に自分達以外の声がして、慌てて二人は振り返った。
そこにはシオンが壁にもたれかかって立っていた。
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